2011年03月08日

誰も言わない「年次改革要望書」の復活

 「日米経済調和対話」って聞いたことあります?何だか語呂の悪い日本語で、「誰だ、こんな変な日本語使ってるのは」と思って仔細を見ると、何と、これ、かの悪名高いアメリカの日本に対する「年次改革要望書」の復刻版。復刻版なら「年次改革要望書Ⅱ」ぐらいにすればいいものを、わざわざ別物ふうに仕立てる。そのことだけでも何か魂胆ありと思いますよね。

 日米事務当局は2月28日から3月4日まで東京で「日米経済調和対話」の第1回会合を開いています。その時の記者会見では判りませんでしたが、駐日アメリカ大使館がホームページでアップした「日米経済調和対話」に関するテキストで復刻の件は簡単に割れました。

 1994年から2008年まで毎年出されていた「年次改革要望書」は、2009年の民主党政権の誕生で出なくなっていました。当時の鳩山首相が内政干渉著しいこの要望書に「No!」と言って受け取りを拒否したためですが、それが菅首相になって「No!と言えない日本」に立ち戻ってしまいました。

 ワシントンポストから「ルーピー鳩山」(おバカな鳩山)とバカにされた鳩山首相ですが、何とアメリカにこんな大それたことをやってたんですね。今回の要望書復活会合で期せずしてそのことが判ったわけですが、それで鳩山首相が長くもたなかった理由も頷ける感じがします。当時、そのことを言ってくれれば日本国民の鳩山首相を見る目はワシントンポストとは大いに違っていたでしょう。

 それで、菅首相が要望書の復活を許したのはオバマ大統領が来日した昨年11月、横浜で開催されたAPEC(アジア太平洋経済協力)の折です。日本側は儀礼的な両国の首脳会議だとばかり思っていたら、席上、アメリカ側から「新たなイニシアティブに関するファクトシート」なるものが示され、その中に「日米経済調和対話」の項目が入っていたというわけです。

 アメリカはやっぱ凄いと思うのは、大小のどんな外交、会議においても「アメリカの国益」の一点に集中し、真剣な検討が日夜重ねられているということです。手抜きがありません。「ファクトシート」にしてもきのうや今日書かれたものではありません。鳩山首相に拒否されて、それで終わりなんてことは決してなく、むしろ、より巧妙な戦略戦術を練って日本のハンドリングに臨んで来ます。

 ホワイトハウスのスタッフ、アジア担当の事務局、在外公館の館員たちの猛烈な働きぶりはWikiLeaksでも明らかになったところです。対する日本。国を挙げて「日本の国益第一」の作戦は一体どこで練られているのでしょうか。

 部局部局ではそれはあるかもしれない。経済産業省、外務省、財務省、農林水産省、厚生労働省とか。しかし、それらが官邸をトップに一枚岩となって対外戦に臨む姿は、久しく見ることはありません。これじゃダメでしょう。アメリカにいいようにやられるのは戦争だけではないわけです。「敗因の原因」の根本のとろこは先の大戦から全然変わってないのですよね。

 それで、菅首相一行はアメリカに「ハイ、これ」と渡された「ファクトシート」を受け取ったものですから、ものの1時間もしないうちに「年次要望書」復活となった次第です。ほんと、何ですかねえ。事務方同士の根回しがあったとしても、それはごく直前にアメリカ側から相当大雑把のものしか伝えられず、日本側は後で「開けてビックリ」だったのではないでしょうか。

 せいぜい外務省は知っていたけど経産省は承知していなかったとか、官邸には事前に詳しい報告は上がっていなかったなど、相変わらずの官僚の独善が横行したに違いありません。どこの省がイニシアティブをとるか、そんな思惑ばかりが錯綜し、そこには「省益」はあっても「国益」はどこにも見えません。

 イニシアティブ。これが問題の単語です。「主導権」、「主唱」、「発議」などが一般的な英文和訳です。前述の「日米経済調和対話」という変な日本語は駐日アメリカ大使館がやった訳ですが、原題は「U.S.-Japan Economic Harmonization Initiative」。鳩山首相以前にあった「年次改革要望書」の原題は「The U.S.-Japan Regulatory Reform and Competition Policy Initiative」。

 ね、復活前も後もどっちも「Initiative」です。これを「要望書」と訳すか「対話」と訳すか関係者は知恵を絞ったわけですね。でも「対話」はないでしょう。いくら日本国民の目をくらますのが狙いだとしても、もっと気の利いた日本語にしてほしかったですね。アメリカ大使館、日本語の勉強が足りないぞ。

 ま、そんなわけで交渉は復活し、テキストは復刻しましたが、政府、マスコミはこれをどうも国民に分かりやすく伝えようとしていない。「年次改革要望書」のときだってそうでしたよね。何だかあるようなないような、どこか口にしてはいけないような、そんな存在でした。

 それで、結局、小泉改革以降に急速に実現した「建築基準法の改正」、「法科大学院の設置」、「労働者派遣法の改正」、「郵政民営化」などは、みんなこの「年次改革要望書」に盛られていたと、国民は随分後になって知るわけです。

 日本政府はそんなもの何も隠さず、「アメリカからこれこれの要求があります。日本は国益に鑑みこういうふうに対応する方針である」と、なぜ堂々と開陳して当たらないのでしょうか。アメリカ大使館ははっきり英語と日本語で情報開示しています。マスコミは不勉強なのか日米政府に遠慮してなのか、そこに材料があるのにそれらの背景を伝えない。

 今回だってそう。アメリカ大使館は彼らのホームページで「日米経済調和対話」の全文を掲載しています。堂々としています。「ちゃんと日本には言いましたからね」と証拠文書をアップしているわけです。
 
 これをマスコミは、なかんずく経済専門紙といわれる日経新聞などは全文を掲載し、解説を加えるべきではないか。「菅首相のTPP大賛成」とだけ言ってないで。今回なんかは全文がほぼTPP(環太平洋経済連携協定)に深く関わる案件ばかりです。「大賛成」ならそれこそマスコミが思う暗愚な国民に噛んで含め、将来展望を説く絶好の機会のはずです。

 政府にしてもそう。「アメリカは『対話』と意識的に誤訳していますが、中身はTPPに絡めた日本の構造改革の要求です。構造改革は何も経済の分野だけではありません、社会全般にわたる問題もあります。それはこれこれです。日本の国益を考え、国民みなさんのご理解とご協力をお願いします」と、なぜ言えぬ。

 そんな当然のことを言っても日米政府、日米国民の誰をも傷つけることはないでしょう。不都合があるとすれば、国民を出し抜いて利益を得ようとする政治家、官僚、政商の不心得者の思惑だけです。もうそういう時代ではありません。政府やマスコミが隠しても、ネット社会で国民の多くが真実の情報を入手できるようになりました。

 ネットであらわになっているものを、誰も知らないと思って隠そうとする。それが今の日本政府でありマスコミの姿です。何だか落ちぶれた後姿を見るようで悲しいです。人の上に立つ人たちは国民にそんな思いをさせてはいけないのではないでしょうか。

 などというわけで、アメリカ大使館のHPでコピーした「対話」の中身を記録として貼っておきます。これからの日米経済外交の道筋が明瞭に見えるはずです。

                              ↓

          「日米経済調和対話」の全文は長文ですので別ページにアップします。



 

  (ほら妄言記)


   「南京豆」も「落花生」も何と訳しても
  「ピーナツ」です。 










トラックバックURL

コメント一覧

1. Posted by ムーミン   2011年03月09日 22:53
そうなんですか。小泉内閣の負の遺産は多々ありましたが、中でも「建築基準法」の悪法ぶりは、ブログ友数人が設計関係者なのでわりと詳しく知っています。
これは民主党政権になってすぐにまた「改正法」が可決成立、ブログ友がホッとしていました。

今騒がれている「主婦の国民年金云々」はこれもとんでもない悪法です。
私は昔4年間健康保険組合の事務をしていたので、この悪法が何と担当課長の通達だけで運用されることになった時仰天しました。
やっと、しぶしぶ問題点が明るみになってきましたね。

私はもう少し民主党政権の運営を見守っています。

コメントする

名前
URL
 
  絵文字
 
 
フォトギャラリー

 hspace=

あの時あの人
推奨過去ログ
「愛知・名古屋トリプル選挙 雑観」

「平成の開国って何ですか」①
「平成の開国って何ですか」②完

「君が代」考①
「君が代」考②
「君が代」考③
「君が代」考④完

「WikiLeaks騒動から見えたこと」
<<   March,2011  
S M T W T F S
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
QRコード
QRコード
「歌謡曲1年1曲」全リスト          (昭和21~63年)
21年  「かえり船」(田端義夫)
22年 「星の流れに」(菊池章子)
23年  「憧れのハワイ航路」
     (岡 晴夫)
24年  「青い山脈」
     (藤山一郎 奈良光枝)  
25年  「桑港のチャイナタウン」
     (渡辺はま子)
26年  「上海帰りのリル」
     (津村謙)
27年 「あこがれの郵便馬車」
     (岡本敦夫)
28年  「雪の降る町を」
     (高英男)
29年  「お富さん」(春日八郎)
30年  「月がとっても青いから」
     (菅原都々子)
31年  「哀愁列車」
     (三橋美智也)
32年  「青春サイクリング」
     (小坂一也)
33年  「からたち日記」
     (島倉千代子)
34年  「黒い花びら」(水原弘)
35年  「さすらい」(小林旭)
36年  「王将」(村田英雄)
37年  「赤いハンカチ」
     (石原裕次郎)
38年  「星空に両手を」
     (島倉千代子 守屋浩)
39年  「皆の衆」(村田英雄)
40年  「旅人よ」(加山雄三)
41年  「雨の中の二人」
     (橋幸夫)
42年 「小樽の人よ」(鶴岡雅義
     と東京ロマンチカ)
43年 「ブルーライトヨコハマ」
     (いしだあゆみ) 
44年 「今日でお別れ」
     (菅原洋一)
45年  「希望」(岸洋子)
46年  「また逢う日まで」
     (尾崎紀世彦)
47年  「喝采」(ちあきなおみ)
48年  「心もよう」(井上陽水)
49年  「襟裳岬」(森進一)
50年  「石狩挽歌」
     (北原ミレイ)
51年  「わかって下さい」
     (因幡晃)
52年  「あずさ2号」(狩人)
53年  「いい日旅立ち」
     (山口百恵)
54年  「大阪で生まれた女」
     (BORO)
55年  「ランナウェイ」
     (シャネルズ)
56年  「ルビーの指環」
     (寺尾聡)
57年  「浪花恋しぐれ」
     (岡千秋 都はるみ)
58年  「釜山港へ帰れ」
     (渥美二郎)
59年 「浪花節だよ人生は」
     (木村友衛)
60年  「熱き心に」(小林旭)
61年  「天城越え」
     (石川さゆり)
62年  「雪椿」(小林幸子)
63年  「乾杯」 (長渕剛)


        以上
  • ライブドアブログ