ひとつ恋でもしてみようか

いつも同じようなことを言っている

聞いてくれ

andymoriをはじめて聞かせてもらった淵野辺駅近くの、といっても線路沿いに15分くらい歩かないと着かないロフト付きのワンルームに行きたい。

8年前、夏の夜、ボール型の安っぽい空気清浄機、俺の部屋にはない姿見、実家から持ってきたという大きなデスク、UTのDomino RecordsTシャツ、群青色のラグマットに絡んだ髪の毛やほこり、を手のひらで集めながら話すのが俺のクセだった。あれから7年経った昨年、淵野辺から学芸大学を経由して札幌に越した彼の部屋に友人3人で世話になった夜に「おまえのそのクセ変わらんな」と言われて、申し訳ないやら嬉しいやらだった。

 

連れだって夜の公園をぶらついてたら、当時好きだった女から電話がかかってきて2時間通話した俺を彼は黙って1時間くらいそばでブランコに乗って待っていたのに、俺は彼を待たせてるにもかかわらず「先に部屋戻っとけよ」となんだか偉そうに目つきと手ぶりで指図したのだった。好きな女から電話がかかってきてイキっていたから。

彼の部屋に戻った俺は深刻そうに「彼女、親父は不倫してて、兄貴は引きこもり、そのせいで母親はアル中なんだと」とつぶやいた。まるですでに自分が彼女の恋人になったかのように深刻ぶって、なんとかしてやりたいよ、と先走った俺に彼は「そうか」と言うだけで黙って聞いてくれたが、失恋したあとでかなりバカにされた。バカにしてくれたので、俺は救われた。

俺が好きだった彼女には、当時すでに彼氏がいたし、後に聞いたところでは「こんな話聞いてくれるの君だけだよ」と泣くことで数々の男子をその気にさせては足蹴にすることを生業にする女で、要するに“メンヘラ”だった。たぶん2010年ごろはまだ“メンヘラ”という言葉はリアルではなかなか口にする機会のない言葉だったので、俺はいつも“困った女だよ”と話していた。自分が勝手に惚れてあっさり振られた女を“困った女”と形容する男はキモい。ちなみにその後告白して案の定振られてしまった俺(自分では振られるわけがないと思っていた)は「アイツは顔もキモいし話もキモい」と彼女に陰口叩かれていることを後に知って泣いてブラックニッカを飲みこんで気絶した。たしかに話はキモいけど、顔はそこまでキモくないと信じていたので泣いたのだ。

 

その後晴れて生まれてはじめての恋人ができた夜も、彼をファミレスに呼び出して誰よりも早く報告した。本気で喜んでくれた。彼にも意中の女がいたので、がんばれよ、と俺も本気で応援した。まもなく彼もその女と付き合った。それが大学1年の冬のことで、それから俺たちは彼女を優先するようになり、以前のようには会わなくなった。

 

彼は出版社でバイトしてたし、サークルにも入っていたから、俺以外にも友人はたくさんいて……というか、おそらく彼は人気者だった。人当たりがよく、おっちょこちょいで、きちんといじられ役に徹するし、でもいじられに終始せず会話で場を掌握することもできるうえ、押さえるところは押さえるのでなぜか頼られもした。ほどよい知識量はバカな大学生たちにとってイヤミではなく感心だけを買うことに成功していたし、男女ともに彼を慕う。彼はmixiやってないのに、mixiには彼の写真が何十枚とアップされていて「マジ“彼”くんおもしろすぎ!」というコメントに吹き荒れていた。俺はmixiにもこんなような長文ばかり書いていて、たまにこじらせた女子から心配コメントをもらって喜ぶだけだったのでとにかく吹きだまっていて、彼をひたすらに妬んだものだった。でも俺にとっては彼がいちばんの友人で、彼以外に友人を探そうともしなかった。バイトもしなけりゃサークルも辞めたし、はじめてできた恋人に浮かれながらも「なんか違うな」というわだかまりを持ちつつ、それでもダラダラ大学生活を続けた。なんだかとっても煮詰まっていて、つらかった。

 

とにかく、大学1年のころのあらゆる思い出には彼がつきまとう。そしてあらゆる思い出は彼がいたから今でも甘美に感じられる。

俺が女だったら彼と付き合いたかった。でも俺は女にしか恋したことないので彼とは付き合わなかったし、そこそこモテる彼は、俺が女だとしても付き合いはしなかっただろう。

 

 

恋愛よりも友情のほうが圧倒的に難しいと思うんだよ。こんなことを話したらマジで引くだろう。別に俺はおまえに気があるって言ってるわけじゃないのにさ。

俺にはいま愛する妻がいて、はちゃめちゃにかわいい生後3ヶ月の娘もいて、最高。でも、この最高の自慢の仕方がわからんくてさいきんモヤモヤしてる。おまえに聞いてほしいよ。おまえになら俺はまだきちんと話せるはずなんだ。

 

こないだALのワンマン行ったけど最高だったよ。おまえには今でも小山田壮平の歌声に涙する夜があるか?