蜻蛉返りをしたかのようにストロノーフ傭兵団はカッツェ平野に再び戻って来ていた。王国と帝国の戦争が終わり一カ月経ったカッツェ平野は、不死者の発生の頻度が格段に上昇している。命を落とした者たちの血が、土の中から生者に向かって憎しみを叫んでいるのである。
だが、危険性の極めて高い不死者は稀にしか発生したりはしない。主に発生してくるのは、骸骨や骸骨弓兵であるが、それらは傭兵団の敵ではない。骸骨や骸骨弓兵が数百、数千と群れを成すと数の暴力となり、国も亡び得る。
だが、儀式などではなく自然に、散発的に発生している分には、何の脅威とはならない。不死者の指揮官がいない場合、彼らが群れを成すのは単なる彼らの習性――生者に引き寄せられる――によるものだ。別々の場所に発生した無数の不死者が、生者に引き寄せられていく。それが群れを成しているように、不死者の軍が攻めてきたように見えるだけである。
ストロノーフ傭兵団が警戒するに値する魔物は、骸骨戦士からであろう。一撃で簡単に骨を砕くことができる骸骨や骸骨弓兵に比べ、骸骨戦士は、円盾を装備しており、本能としてではあるがその盾で自らの体を守る。また、右手に持っているシミターは、骸骨が持っているような、錆びた鈍の剣ではなく、切れ味も鋭い。致命傷になりかねない。
が、警戒に値するだけで、ストロノーフ傭兵団にとって脅威とはならない。むしろ、格好の訓練の相手となる。
「次の解放するわよ」とダニエラが叫び、傭兵団員二人が剣を構える。
骸骨戦士も知能を持たない。近くにいる生者を襲うが、動きも早くはない。そんな骸骨戦士を足止めするのは簡単である。生者二人が、骸骨戦士を挟むようにいればにいれば良いのである。
より近くにいる生者に骸骨戦士は近づいていく。近づかれたら、反対側にいる団員よりも距離を取ればよい。すると、骸骨戦士の目標が反対側の団員に移り、骸骨戦士も踵を返して、新しい目標に向かって歩き始める。また近づかれたら距離を取り、逆に反対側にいる団員が骸骨戦士に近づく。それをしているだけで、骸骨戦士はただ、同じ所を行ったり来たりを繰り返すだけの間抜けな魔物となる。
三体ほど近づいてくる骸骨戦士を発見したので、一匹をガゼフとヴァレリーが倒した。
残りの二体は、傭兵団の訓練に使い、先ほど一体を団員二人が倒したところだ。彼等二人にとっては、骸骨戦士は格上の魔物だ。その魔物と実際に戦う。ヴァレリーが回復要因として待機してはいるが、急所への攻撃を受けた場合は命を落とすことさえあり得るという緊張感。実戦に勝る訓練はない。
同じ所を往復していた骸骨戦士が、団員二人に目標を変えて向かって行く。危なげなところはありながらも、一体倒せた。もう一体も二人で協力して倒す。
「今度は大分落ち着いているようだね。出番はなさそうじゃのぉ」と、リグリットは、骸骨戦士と団員二人の戦いを見つめながら言った。
暇を持て余していたからという理由が大半であるが、リグリットも訓練を見守っていた。万が一の時には、彼女が「死者使い」としてのスキルで骸骨戦士を支配し、攻撃を止めさせようとも思ってはいたりもする。だが、はたから見れば、アダマンタイト級冒険者が新米傭兵の訓練を、子供の遊びかと、からかっているようにしか見えない。
リグリット・ベルスー・カウラウ。彼女もアインドラの依頼によって今回の作戦に参加していた。理由は、彼女の能力である。船を操っているエルダー・リッチを支配できる可能性があるからだ。彼女がエルダー・リッチを支配出来たら、自動的に今回の目的である「霧の中を走る船」を手に入れることができるのではないかと考えたアインドラが協力を要請したのだ。
本人曰く、無理じゃろう、ということであるが、何だか面白そうだという理由で、二つ返事で参加を応諾したという経緯がある。
だが、待てども待てども肝心の霧の中を走る船は現れない。頻繁に現われるものではなく、目撃者も少ないからその船は、酒の肴になるような噂話なのである。
この日も、近寄ってくる不死者を倒しているだけで一日が終わり、カッツェ平野は夕暮れとなる。薄くかかった霧に夕陽が映り、血のように赤い空となる。背筋が凍ってしまうような光景であった。
夕暮れが近づくと、警報を使用できる者たちが、張ったテントの周りにその魔法を掛けていく。カッツェ平野では、月明かりは霧のせいで頼りなく遠くを見渡すことが難しく効果が高いとは言えない。
また、見張りをして遠くばかりを警戒していても、不死者が足元から発生するということが起りえる。テントの周囲を囲むように警報を掛けていくというような、鳴子を仕掛けていくというような「線」で守る方法ではなく、広い「面」で守る様に警報を使っていく。
通常の警戒態勢よりも警報を掛ける側は作業負担が多くなるが、逆に夜間の見張りの仕事は減る。視界も悪いし地中から発生する不死者に対しては見張りの効果は薄い。むしろ二十張以上あるテントの間を夜中の間、巡回するのが仕事となるのである。
陽が上っているうちは不死者で訓練をし、己の腕を磨く。そして鍛錬を積みながらエルダー・リッチの出現を待つ。そんな単調な生活が一週間ばかり続いた後の朝であった。
警鐘の音で目が覚めたガゼフは、装備を整えてテントから飛び出す。カッツェ平野はこの季節では珍しい霧一つない青空だった。そして、朝焼けの向こうの空に、奇怪な雲が浮かんでいた。渦を巻いた綿菓子のような形。時折、その綿菓子の中で稲妻が走っているかの如く発光している。
「おい、あれか?」
その奇妙な雲を眺めていたアインドラに駆け寄ってガゼフは尋ねる。
「あぁ。間違いない。こっちに向かって来るぜ」
「全員、装備を整えろ! 鉤縄も忘れるな! 死ぬほど城壁を登った成果を見せるぞ!」とガゼフは指示を出した。