• カート
  • RA Store
  • ログイン / 新規登録
  • ログイン
  • 登録
Resident Advisor
×
Search
Submit
Did you mean
×
  • Resident Advisor
  • Magazine
    • ニュース
    • レビュー
    • 特集
    • Videos
  • リスト
    • Events
    • クラブ
    • フェスティバル
    • フォト
  • Music
    • アーティスト
    • New Tracks
    • DJチャート
    • Podcasts
  • Search
  • 特集

細野晴臣の電子音楽遺産

  • 日本のイノヴェーターが手がけた主要なエレクトロニック作品をAndy Betaが総括。

    それは、1970年代初頭の奇抜な映画の中の光景そのものだった。長髪の日本人ミュージシャン4人と彼らのマネージャーが、Brian Wilsonのコラボレーター兼プロデューサーを務めたことで知られるVan Dyke Parksと共に、大麻の香りが漂うスタジオに入り、通訳を介して「バーバンクサウンドが欲しい」とParksに伝える。彼らは友好の印として、真珠1つと、20ドル札で一杯になったスーツケースをParksに差し出したのだ。

    「彼らはどことなくThe Beatles風な感じではあったけど、きっと自分よりも、もう少し国際人的な人々なんじゃないかと予想したんだ」。Parksは最近受けたLight In The Atticのレーベルインタビューの中で、日本の音楽的レジェンドである細野晴臣との出会いをそう語っている。当時、細野が在籍していたフォークロックバンドはBeatlesほどのレベルの名声にはまず届かなかったものの、続いて彼が組んだバンドYellow Magic Orchestraは、エレクトロニックミュージックの先駆者的存在となり、Kraftwerkらと並んでテクノポップの時代を提示した。YMOは日本の技術系最大手企業とも緊密に関係し、当時入手できる限りの技術を駆使した最新のシンセサイザーやサンプラー、シーケンサー、ドラムマシン、コンピューター、デジタルレコーディングを利用することができた。本国では、YMOのメンバーである細野、坂本龍一、高橋幸宏はスーパースターとなり、さらに国外にも進出した。彼らの音楽はParadise Garageでプレイされ、デトロイトラジオではThe Electrifying Mojoがプレイした。Michael Jacksonも彼らの曲をカヴァーし、Soul Trainにも出演した。














    YMOの人気が最高潮となった80年代初頭、細野は最新の技術を使ってアンビエントミュージックの探求を始めた。「自分の部屋にいる時はいつも、TVを半透明のシートで覆って照明代わりにして、Brian EnoやObscureレーベルのミニマルミュージックを聴いていた」と彼は語る。「そこからほどなくして、イベントでDJをやる機会があって、グレゴリオ聖歌をドラムマシンと同時にプレイした。こういう種類の音楽に対して感じていたものを表現し始めたのはそこからだった」。その表現の追求は、日本の最大手企業であるSony、Yamaha、Rolandといた会社が打ち出し始めた最新鋭の技術と共に進んでいった。「音楽の作り方をまるで変えてしまったのは、RolandのマイクロコンピュータMC-4とMIDIだった。どちらも同時期だった」と彼は言う。「新製品が出るたびに試していたけど、その中で最も独特で、かつこれまでで最も操作が難しかったのはYamahaのDX-7だった。でもその後はなんとか使えるようになった」。

    しかし"なんとか使えるようになった”というのは、おそらく謙遜に違いない。「日本における細野は、ミュージシャンである以上に(音楽や機材の)師匠的な役割が強い」と、Terre Thaemlitzは2003年、日本のエレクトロニックミュージックを扱った論文の中で記している。「現在でも、日本のエレクトロニックミュージックのプロデューサーの多くが、細野氏がもたらした大きな影響に恩義を感じていると表明している」(Terre Thaemlitzの初期のアルバムのひとつ、1997年の『Couture Cosmetique』は細野の主宰レーベルDaisyworld Discsから発表された。Thaemlitzは細野とBill Laswellがコラボレーションしたアンビエントハウスアルバム『Interpieces Organization』にも参加している)。もちろんこの影響はヨーロッパ中、アメリカ中にも広がっている。細野の作品は、HuneeのEssential Mix、Powderのニューヨークでの9時間セット、Peggy GouのInstagramなど、あらゆる場面で聞くことができる。この71歳のミュージシャンが現代のダンスミュージックの中に如何に浸透し続けているかを知るには、NTS Radioで放送されている細野晴臣デー特集を聴くのが一番だろう。2ManyDJs、Lafawndah、Japan Blues、Visible Cloaks、さらに大勢の若手からベテランまで揃ったプロデューサー達が、細野が作ってきた25年間分の音楽をプレイし続けるのだ。「初めて『Cochin Moon』や『Paradise View』を聴いた時は、音の自由さ、物語的な視点、そして非常に個人的なサウンドデザインに完全に魅了された」とLafawndahは語る。「細野の音楽は、ぞくぞくするし、愉快で、YMO以降の状況の中で最もぶっ飛んだ音楽で、それでいてとても感動的でもある。彼の熱心な好奇心は明白で、自分たちが未だに必死に解明しようとしている領域に、新たな音楽地図を描いていた」












    細野は、電子機器が如何に自由さや解放性をもたらすものかを理解した最初期のアーティストの1人だ。高度な技術、教育、国籍、文化、エゴといったものから離れて自由であり、ともすればジェンダーをも解放する。「たやすく直感的で、溶け流れては再構成される可塑性のアイデンティティという見解、それが細野氏がトランスジェンダーイズムというテーマにもたらしたものだ」とThaemlitzは記している。

    今月、Light In The Atticからリリースされた新たな細野の作品のリイシューシリーズで、1978年の作品『Paraiso』、シンセプログな衝撃作『Cochin Moon』、1989年のスウィングジャズ/アシッドハウス作品『Omni Sight Seeing』など、ソロアルバム5作が初めて西洋世界に紹介されることとなった。しかし、これでも天才”細野さん”の側面の一部でしかない。彼のキャリアはどこの誰のものとも似つかないもので、同世代のNeil Young、またKraftwerkやEnoとも違う。細野は80年代後半~90年代に発表したエレクトロニック作品により、The Orb、Bill Laswell、808 State、Mixmaster Morris、Atom Heartらと並ぶ定番的存在のアーティストとなった。しかし時代が下るにつれ、細野自身がエレクトロニックミュージックの慣習的、定型的な作り方に飽きてしまったのだ。彼はRed Bull Music Academyのインタビューで「アンビエントミュージックの海で漂っている」自分に気づいたと語っている。そうして彼はリセットを完了し、ポップミュージックの世界に戻った。

    細野の名作ソロアルバムがようやく世界中で広く入手できるようになったことを記念し、細野は6月、初となる日本以外での公演をロンドンのBarbicanで行った。数え切れない回数の音楽的変容を遂げたマスター級アーティストである彼がどんな様を見せるのか、どうにも見当がつかなかったものの、まさかの初期ロックンロールとブギウギによるご機嫌なセットには控えめに言っても驚かされた。細野がエレクトロニックミュージックに戻ってくるとしても、来ないとしても、彼の最新テクノロジーへの探求は新たなアーティスト達をインスパイアし続けるだろう。彼の膨大なカタログには、まるで真珠のように優美な、数え切れないほどの愛おしい瞬間が散りばめられていて、新たな探求者や細野のファン達に一生分の音楽的発見をもたらしてくれるのだ。

    ではここで、”細野さん”のエレクトロニックミュージック実験の中での主要作品を探っていこう。もちろんこれは絶対的なリストというわけではない。コシミハル、Testpattern、Sandii And The Sunsetz、Interior、Inoyama Landらへ提供した楽曲も、そのプロダクション自体がこのリストに掲載されてしかるべきものだ。












    Haruomi Hosono/Tadanori Yokoo
    Cochin Moon
    1978



    1974年の4月、ミュージシャンとしておよそ10年間のキャリアを経た細野と、イラストレーターの横尾忠則、エッセイストの太田克彦、写真家の大石芳野は約1ヶ月間、インドを旅して過ごした。横尾はこの時、細野にKraftwerkの素晴らしさを語り、一方の細野はすでに『Paraiso』でシンセサイザーの使用経験があった。本人の解説によれば、インドが彼のシンセサイザーへの見方を変容させたのだという(食中毒による幻覚症状もおそらくその一因だろう)。架空のボリウッド映画のスコアという設定で作られた(細野はインドの吹き替え歌の女王Lata Mangeshkarの歌声に感銘を受けていた)『コチンの月』は、表面的には冨田勲、Jean-Michel Jarré、Tangerine Dreamなど、当時のシンセアルバム作品からヒントを得たもののように聴こえるが、再度アルバムをよく検討してみると、細野のシンセサイザーやシーケンサーへのアプローチは唯一無二なもので、まるで成層圏の向こうまで深く響き通るような、全く耳慣れぬサウンドである。




    Haruomi Hosono
    Philharmony
    1982



    坂本と高橋が参加している事も含め、『コチンの月』にはYMOのルーツを見出すことができる。YMOはその後すぐにポップ・スーパースターとなり、細野は1982年のバンド解散まで一切のソロ作品をリリースしなかった。坂本が大島渚による第二次世界大戦の同性愛的ドラマ映画『戦場のメリークリスマス』でDavid Bowieと共演し、さらにスコアを手がけていた頃、細野もまた多忙な日々を送っていた。細野は高橋と共にYen Recordsを設立し、同レーベルのほぼ全作品を製作・演奏する傍ら、さらに5年ぶりとなるソロ作品も発表した。彼はMC-4とエミュレーターの神秘を精力的に学び、初期のサンプリング技術を利用して、本作 『Philharmony』に収録されている、目まぐるしいまでの歌を構成した。ぶつ切りにされたヴォーカル、呼吸、ゴングが非常に独特な効果を生み出している。「当時のサンプリング音はとても解像度の低いものだったが、実はそれがすごく面白い効果を与えてくれた」と細野は言う。「サンプラーを使うことで、ミュージシャンは単に音楽を作り出す以上のことを探求することができるようになり、より繊細なエディットをするようになった。皮肉なことだけど、いくら当時の音を今現在出そうとしても、そのための機材を入手するのが難しいのでまず出来ない」




    Haruomi Hosono
    Watering A Flower
    1984



    細野のカタログの中でも特異な作品の1つで、前衛的な戦略と商業性が絶妙に融合している。1983年、無印良品の最初の店舗が東京にオープンした際、細野は店内用のバックグラウンドミュージックの制作依頼を受けた。細野はこうした形態に不慣れだったわけではなく、1981年のYMOのアルバムには、ちょっとしたおふざけのつもりで『BGM』(バックグラウンドミュージックの意味)と名付けている。「軽く、あまり感情の幅がない音楽は、不特定多数の人々がいる環境にある潜在的な危険を減少させる。こうした非人間的な状況での音楽は、人と人との関係を調整する」と、Paul Roquetの2016年の著作『Ambient Media/Japanese Atmospheres Of Self』には語られている。本作はカセットのみの流通となったが(おそらくオンラインにもあるだろう)、そこで細野が提示したものは、”軽さ”や”買い物中のサウンドトラック”という定義の反対をいくものだ。気だるく、子供っぽく、無調ながら温かく、ドリーミーで不安定で、”買え!”と叫ぶような印象は受けない。しかし、細野がアンビエントミュージックが持つ可能性に次第に興味が増していった兆候が感じられる作品だ。





    Haruomi Hosono
    The Endless Talkin
    1985



    Listen: Coincidental Music / Mercuric Dance / Paradise View

    Yellow Magic Orchestraが1984年に解散してすぐ、細野はNon-StandardやMonadの名義で、著作のシリーズ、レコード、また他の媒体を通して自身の新たな心境を記録し始めた。EnoのレーベルObscureや、Michael NymanとDavid CunninghamのポッププロジェクトThe Flying Lizardsに深く影響され、細野は1985年に4枚のアルバムを発表した。これらは、Enoのアンビエントシリーズに共鳴し、それに倣った作品である。また、アルバムそれぞれが異なるジャンルでのコラボレーション作品となっている。『Mercuric Dance』は新井唯義による環境映像作品のスコアで、『Coincidental Music』はコマーシャル用に制作した楽曲のコレクション、『The Endless Talking』はイタリアで行われたインスタレーション用の音楽、『Paradise View』は高嶺剛による同名のマジックリアリスト的映画のサウンドトラックである。

    細野が自身の新たなヴィジョンを伝えるために執筆した本『Globule』(”小さな球”を表す言葉で、”グローバル”の意味も掛けた名称でもある)は、Enoのアンビエントミュージックというコンセプトと、それを「グローバルなレベルにまで拡張し、地球と語り合い、地球からの緊急連絡に応答する」というヴィジョンを提示し、アンビエントミュージックと、いわゆる”ワールドミュージック”の台頭について語っている。『Coincidental Music』は、この4アルバムの中ではあまり印象の強くない作品と思われがちだが、発酵食品企業のヤクルトや化粧品大手の資生堂により、万人のために作られた輝くばかりのこれら小作品によって、細野は商業の世界に於いてもコミカルであろうとする姿勢を見出した。10分間の叙事詩的楽曲"Memphis, Milano”では、硬質なドラムマシン、グリッチするボイス、そして快活なピアノが軽やかに交錯する。『The Endless Talking』はSatie的な小品で、ほとんどがシンプルながらキラリと光る3分間程度の楽曲だ。しかし”Trembling #1”は、常軌を逸した内容へと逸脱している。『Paradise View』は『Philharmony』のサンプラーをベースとした構成に近い作品で、意図的に生気をなくさせた音色がトライバルなチャント(詠唱)やガムランと混ざり合い、これらのサウンドの破片が、細野の手により強烈なモザイクへと再構築されている。

    『Mercuric Dance』は、80年代のダークホース的なアンビエントアルバムの1つで、のたうつようにヘビーで、温かく胎児のようで、氷のようにひんやりと海洋的だ。タイトルからも見てとれるように、本作は環境的なテーマと同時に精神的なテーマにも触れている。先述したRoquetの著作で「焦りのないメロディーラインが、落ち着いた吸気と、それに続く呼気のような形を作り出し、徐々にゆっくりと深くなっていく」と表現されている通り、本作を聴いていると、内観的な瞑想状態に向かっていく。また、細野自身が以前に説明したアンビエントそのものでもある。「アンビエントとは、自身の奥底にある内面を拡大し、深く入り込んでいく音楽形態だ。アンビエントミュージックを作っていて、これは外部の環境ではなく、むしろ内面の環境だと実感するに至った」




    Friends Of Earth
    Sex, Energy And Star
    1986



    細野のシンセサイザー、シーケンサー、サンプラーが、ただアンビエントな精神状態をもたらすものだけではないことは、彼のプロジェクトFriends Of Earthがすぐに証明した。細野は常にアメリカの音楽に強い興味を抱いている。彼は「アメリカの興味深い音楽は、その多様性から生まれ出たものだと思う」と、レコード会社Atlanticを設立し、ソウルを人気ジャンルにしたトルコ移民のAhmet Ertegunや、ブルースレーベルChess設立の背景にいるポーランド人の兄弟のことを示しつつ、そう僕に言った。「もしくは、アメリカの音楽は、自分たちの音楽を録音することができた音楽好きの移民達によって作られたとも言える」。細野はDr. JohnやJames Brownをカバーすることで、アメリカのファンクやニューオーリンズのソウルへの愛情を示し、トラックにはゴッドファーザーことJames Brown本人やMaceo Parkerが参加している。細野はまた、パンク、ラップ、エレクトロをもマッシュアップし、それが見事な結果を生み出している。




    Haruomi Hosono
    Omni Sight Seeing
    1989



    本作は、細野の数多い音楽的興味が最も良く集約されたアルバムだ。Thaemlitzはこのように記している。「日本の人々、移住、旅、海外旅行というものの関係性を、細野氏は”観光音楽”という視点からまとめ上げた。細野氏は、日本人が観光旅行に対して抱いている先入観を、エレクトロニックのミュージシャンが複数のジャンルの音楽を制作することのメタファーとして利用している。複数のジャンルの音楽を制作することは、異文化を体験する旅行者にとても近いのだ」。Jon Hassellの第四世界の変異体ともいえる本作では、細野自身が提示した観光音楽の中に遊び心が感じられる。アンビエント、スウィングジャズ、アルジェリアのライ、エキゾティカ、そしてアシッドハウスのすべてを凝集させながら、なお彼自身の音楽として聴こえてくる。808がリードするDuke Ellingtonの”Caravan”、催眠的なアシッドハウスの名作”Laugh-Gas”、そしてチャーミングなポップ曲”Pleocene”などが収められたこのアルバムを一体どう説明すればいいのだろう?




    Haruomi Hosono
    Medicine Compilation From The Quiet Lodge
    1993



    「いざレコーディングとなれば、スタジオに一人で引きこもって、音楽をデータとして作り上げていた」と、細野は自身がエレクトロニックミュージックを制作していた時期についてそう語った。「まるで、イルカやクジラのように海の中で浮かんでいるようで、自分以外の他の人と作業することは稀だった」。細野が90年代初期に発表した作品は、控えめに言っても不可解なものだ。ドラマ『ツインピークス』の”Laura Palmer's Theme”をダウンテンポにリミックスした曲や、Bill Laswellとのコラボレーションによるアンビエントハウスとブレイクビーツの興味深いアルバム、そしてニューエイジの象徴的ミュージシャンLaraajiとの作品もある。細野にとってはニューエイジミュージックに最も接近した作品であるが、そこにはFela Kutiのアフロビートや(”Aiwoiwaiaou”を聴いてみてほしい)、アシッドハウス("Medicine Mix”)なども現れてくる。Laraajiにeメールで取材したところ、当時のセッションを振り返り「細野はとても大人しくて、それほど交流は持たなかったものの、関係はごく健全なものだった。インプロヴィゼーションは直感的で流れるようで、強い信頼感があり、テレパシーのようだった。彼の音楽的存在感の中には静かな力がある」




    Love, Peace & Trance
    Love, Peace & Trance
    1995



    細野はキャリアの初期、"Hippy Harry”というニックネームを名乗っていた。本作の頃にはおそらくロックバンド時代よりも髪が短くなっていたと思うが、カウンターカルチャー的な精神は90年代になっても彼の中に存在していた。「サイケデリック意識革命は僕が好きなものの一つだ」と彼は僕に言った。「音楽を通して体験したあのムーブメントには多大に影響を受けた。音楽は当時起こっていた革命的な変化を表現する為に、より効果的なものだったと感じている」。 それから30年、細野は再度ヒッピー気分になり、世界平和を夢見て、彼流の”ガールグループ”の背景にいる自身をスヴェンガリ(黒幕)/グル(導師)と位置付けた。本作『Love, Peace & Trance』では、遊佐未森、小川美潮、そしてdip in the poolのメンバー甲田益也子による煌めくような歌声がフィーチャーされている。アンビエントハウスの清廉で天使的な部分を表したアルバムだ。トランス風の808パターン(時にタブラと入れ替わる)、身体が溶けていきそうなコード、甲田のエアリーなヴォーカルが"Mammal Mama”や”Hasu Kriya”など、細野の作品の中でも最もドリーミーなトラックを形作っている。




    Haruomi Hosono
    N.D.E
    1995



    90年代中盤、細野は彼自身と同様、音楽的に幅広い耳を持ったベーシスト兼、革新的なプロデューサーで、あらゆるタイプのエレクトロニックとワールドミュージックを追求してきたBill Laswellとの実り多いコラボレーションに突入した。2人は共にアンビエントコンピレーション『Distill』に参加し(Pete Namlook、Paul Schutze、Mick Harris、Thomas Konerらも参加している)、遊び心ある作品『Interpieces Organization』、そして『N.D.E.』で再度チームを組んだ。『N.D.E.』はテクノ、アンビエント、ドローン、ワールドミュージックの間に横たわる宇宙を巧みに航海するような作品だ。2人は本作を壮麗なエレクトロニックアルバムとすべく、Arun Bagalの催眠的なヴァイオリン、ダンスプロデューサーのFrançois K.、冒険的なサクソフォン奏者の清水靖晃らを起用した(清水のMariah名義での素晴らしい作品が、次の世紀に新たなファンを獲得するよりもずっと前の話だ)。今こそ機が熟し、再発見されるべき作品だ。

    『N.D.E.』のすぐ後、細野のエレクトロニックミュージックに対する興味は次第に薄れていった。彼が僕に語ったところによると、「アンビエントは自分にとって、音楽的、そして精神的な面でのリセットを象徴していた。新たなミレニアムが近づき、21世紀が始まろうとしていて、そこでリセットの時代は終わった」。細野はそれ以来、ブルーグラスやフォークロック、ブルースを掘り下げているものの、彼は僕に、近い将来にエレクトロニックの探求へと復帰するというヒントを示してくれた。「他の人達と一緒にプレイするようになってから、もう10年も経った。そして次回のアルバムでは、おそらくまた1人でスタジオに籠ることになるだろう」。さて、どんな新しいサウンドが出てくるのだろうか?

    • 文 /
      Andy Beta
    • 掲載日 /
      Thu, 23 Aug 2018
    • Photo credits /
      YMO: Mike Nogami courtesy of Mike Nogami. All others: Masashi Kuwamoto, courtesy of The Masashi Kuwamoto Archives.
    Share
    • 132
    01 /
  • Other Features

    More features
    • Top 10 August Festivals

      8月の世界各地の素敵なフェスティバルをチェックしよう。

    • Rainbow Disco Clubは如何にして世界で最も理想的なフェスティバルの一つになったのか?

      この日本の郊外で開催される年に一度のギャザリングは、子供、犬、そしてレイヴァー達にとっての安息の地なのだ。

    • 7月のベスト・ミュージック

      この1ヶ月で聴いたスタッフおすすめのアルバム、EP、ミックスを紹介。

    • RA Sessions: Suzanne Ciani

      モジュラー・シンセサイザー・パフォーマンスのパイオニアによる特別なセッション。

    More features
    02 /
  • Comments loading

    03 /
  • More on Haruomi Hosono

    • Haruomi Hosono
      Follow


      View the full artist profile

    ニュース

    • Tue, 25 Apr 2017

      コメントする

      Light In The Atticが日本のアーカイヴシリーズを始動

      シアトル発のリイシューレーベルが、日本の昔のロック、シティーポップ、アンビエントを多数リリース予定。

    • Fri, 08 Jul 2016

      コメントする

      Howard Williamsが日本のソウル、ファンク、ディスコのコンピレーションを発表

      Japan Bluesプロジェクトを手がける男が、1973年〜1983年の15曲をセレクト。

    04 /
    • RA
    • Copyright © 2018 Resident Advisor Ltd.
    • All rights reserved
    • プライバシー & 利用規約
    • Resident Advisor /
    • About
    • 広告
    • Jobs
    • 24/7

    • RA Tickets /
    • マイチケット
    • チケットに関する FAQ
    • Resale
    • RAでチケットを売る
    • イベントを投稿

    • Apps /
    • RA Guide
    • RA Ticket Scanner
    • Elsewhere /
    • Watch on YouTube
    • Follow on Facebook
    • Listen on Apple Music
    • Stream on Spotify
  • English
    • RA on YouTube
    • RA on Facebook
    • RA on Twitter
    • RA on Instagram
    • RA on Soundcloud