メディアを通じて時事問題などの報道や解説、批評をする“ジャーナリスト”。
いわゆる新聞や雑誌、WEBなどの媒体で、さまざまな情報を伝えることを生業にしている人たちのことである。
ときに権力者の嘘を暴き、ときに弱者の現実を訴える、そうした活動を通して人々の判断や行動、選択に影響を与えるだけの力を持っている職業だと言える。
そうしたジャーナリストのひとりが上杉隆氏だ。
公益社団法人「自由報道協会」の創設やインターネットニュース番組「ニューズ・オプエド」を開設し、大手メディアが報じない問題に切り込んでいる。
しかし、かつてワイドショーでも引っ張りだこだった上杉氏を見かけなくなったのは、2011年3月の原発事故が起きて以降のこと。
はたして、上杉氏に何があったのか? そのワケを直撃した。
———上杉さんと言えば、現在『淳と隆の週刊リテラシー』(TOKYO MX放送)のレギュラーとして出演されており、時事問題やニュースを鋭い切り口で解説されることで人気です。しかし、以前に比べるとテレビ出演をはじめメディアへの露出が減ったように感じますが、何があったのでしょうか?
上杉 大きなきっかけのひとつは福島第一原発事故ですね。
当時、3月12日に原子力安全保安院の中村幸一郎審議官がメルトダウンの可能性に触れたため、メディアもその通りに報道しました。
しかし、その後に政府と東京電力(以下、東電)の判断で「メルトダウンはしていない。一部損壊である」という発表に覆った。
メルトダウンだと認めてしまうとIAEAの基準で「事故」に相当することになり、国際的な査察や廃炉や賠償が発生します。
そこで、報告だけで済む「事象」にするためにメルトダウンという言葉ではなく「一部損壊」という言葉を使うようになったと、僕は考えています。
大手メディアをはじめ、政府と東電の発表の通りに報じ、メルトダウンというワードを使わなくなったんです。
僕は信頼に足るソースから「メルトダウンは事実である」という証拠も手に入れていましたので、メディアの姿勢を含めてテレビやラジオなどで問題提起を続けていました。
でも結局、誹謗中傷が加速して、メディアから干されてしまったと。
———具体的にどのようなバッシングだったのでしょうか?
上杉 ネットを中心に「上杉は嘘をついている」「デマを流している」と言われるようになりましたね。原発事故のことだけではなく、他のことも「嘘だ」「デマだ」とレッテルを張られるように。
当時、某国立大学の講師の仕事もあったのですが、抗議が殺到して解任されてしまいました。
あと、その頃は年間100件くらいの講演依頼があったのですが、アンチのトロール集団がメール爆弾で主催者や事務局を攻撃したため、ついには講演依頼もゼロになった。
僕を降ろすために、ニュース番組を変えてしまったり、担当ディレクターが更迭されたりしたこともありましたね。
———それから5年経って、今年2月に東電が正式にメルトダウンを認めました。5年という月日は長かったですか?
上杉 長かったと言えば長かったけど、もっと長くなると思ってました(笑)。東電がメルトダウンを認めて謝るとは思ってなかったので、死ぬまでこのままかもなと(笑)。
それでも発信を止めるつもりは、これっぽっちもありませんでした。名誉はなくなっても、命までは取られない。過去にニューヨーク・タイムズで働いていたのですが、一緒に働いていた海外の記者は殺されたり、拘束されたりしているので、それにくらべたら大したことじゃない。
———過酷な状況下においても、潰されることなくジャーナリストを諦めなかったのはなぜですか?
上杉 何も発信しないでいれば、自分は得しますけど世の中的には良くないんじゃないかと思ったんです。
時代に迎合せずにきちんと言うべき事は言おうと。自分が立ち上げたメディアもありますので、マスメディアに頼らずともそこで発信は続けていこうと思いましたね。
ジャーナリストは事実に対して謙虚である必要がある。だからこそ、本当のことは言った方がいいと思っています。
目の前の評価に右往左往しないで、自分の良心に照らし合わせて報道していれば、100人中1人くらいは分かってくれる人がいるかなと思って頑張ってきました。
———そう思えるようになったのは、何かきっかけがあったからなのでしょうか?
上杉 10年以上前、ニュースステーションのキャスターだった久米宏さんに文藝春秋という雑誌でインタビューしたことがあります。
その中で、久米さんに「なんであんなにバシバシ言っちゃうんですか?」と聞いたら、「10人に1人が分かってくれればいい」と言っていたんです。
むしろみんなが賛同してくれることはおもしろくないと。久米さんですらそうなのですから、僕は100人に1人で十分じゃないかと(笑)。
人に好かれたい、よく思われたいという人がほとんどだと思いますが、ジャーナリストというのは社会に警鐘を与える訳ですから嫌われてなんぼの職業です。
であれば、「日本で一番嫌われるジャーナリストになればいい」と思っていた。でも、愛嬌でごまかせるかなと思っていたら、本当に嫌われてしまったんですけどね(笑)。ある意味、目標を達成できた面もあります(笑)。
———苦難の時期を経て、5月19日に上杉隆さんの「名誉回復を祝う会」が開かれました。鳩山由紀夫元首相や菅直人元首相、小沢一郎共同代表や海江田万里元経済産業大臣、ジャーナリストの田原総一朗氏など、そうそうたる面々が上杉さんの汚名返上を祝う会に駆けつけましたね。
上杉 そもそも上杉に「名誉」があるのかっていう指摘もありましたけど(笑)、アカデミズムからメディア関係、政治家まで幅広い方が来てくださいました。
ちなみに、僕は過去に小沢一郎さんの政治資金問題を追及したこともありましたが、こうして来てくれた。
人間って皆が味方ではないですが、皆が敵でもないんです。意見が合わないことは当然で、そのことと人間関係が結べるかどうかというのは別のことです。
日本社会では、気に喰わないと思えばその人を排除すれば済んでしまう。
しかし、それは危険なことで、論調が一元化してしまうと、同じ方向に突き進んでしまいます。ジャーナリストであれば、多様性の重要さを理解するべきですし、さまざまな意見があって当たり前だということを受け入れるべきです。
今回、多様な主義や主張を持つ方々が僕の名誉回復を祝う会に集まってくれたことで、原発事故当時、僕と同じようにメルトダウンを追及していた記者たちや、メルトダウンを恐れて避難したことで責められた福島の人たちの名誉も回復されたと考えています。
Interview/Text: 末吉陽子
Photo: 保田敬介
上杉隆
うえすぎ・たかし/株式会社 NOBORDER 代表取締役社長、「ニューズオプエド」アンカー
1968年、東京都出身。都留文科大学を卒業後、テレビ局に勤務。衆議院議員鳩山邦夫の公設秘書を務める。その後、「ニューヨークタイムズ」東京支局取材記者などを経て、フリージャーナリストに。2012年に株式会社「NOBORDER」を設立、代表取締役社長に就任するが、その活動は多岐にわたり、過去から現在まで様々な活動を続けている。