アルシェの物語〜In the Beginning was the Word〜 作:Menschsein
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帝都アーウィンタールの貴族が住む一角。真っ暗な屋敷の門の中へ、貴族風の令嬢と年老いた執事が入っていく。
鮮血帝により粛清された貴族が住んでいた館。その主だった貴族や一家は既にこの世にはおらず、廃墟であるはずの屋敷。
綺麗に植樹されていたであろう木々は掘り返されている。庭園に置いてあったはずの彫像なども、転売が可能な品は既に夜盗の類に持ち去られている。
そんな閑散として庭を抜けて、斧か何かで破壊された屋敷の扉を老執事が開けた。
真っ暗なエントランスホール。貴族が自らの財力を示すために飾り付けた場所。かつては輝いていたであろうシャンデリアも、埋め込まれた宝石等はすでに取り外されている。
「ただ今戻りました」とセバスは口を開いた。
そう口を開いた瞬間、深淵を思わせるエントランスホールに、赤や緑などに輝く宝石が浮かび上がる。だが、それは宝石では無く、それは魔物たちの妖しく光る瞳である。
「貴方たち以外は全員戻っているわ。さあセバス、集めてきた情報の共有を始めましょう」という声がエントランスホールの正面にある階段の高い所から響く。山羊のような角。大きく広げられた漆黒の翼。守護者統括、アルベドの声であった。
「まず、モモンガ様に私達が帝都に来ているということを伝える任務は成功したと愚考します。そして次に、モモンガ様と行動を共にしていた人間と接触をいたしました。結論から申し上げると――」
「第三位階魔法しか使えない屑でした」とセバスの後ろから声が響く。
ソリュシャンのその声に反応してか、エントランス中に存在していた魔物たちから隠しきれない殺気と嫉妬が漏れる。
御方が一人で出歩くのに警護が一人もいない状況。その人間が、万が一の敵の強襲に備えて盾になるには物足りない。モモンガ様が退避する時間すら稼げないような自分より遥かに弱い存在がなぜ、至高の御方の傍に控えているのか。
「ソリュシャン。少し落ち着きなさい」
「申し訳ありません……」と洗練された所作で頭を下げる。
「能力的には、先ほどのソリュシャンが言った通りです。また、潜在的な能力を秘めてもいないようです。訓練と偽り、何度も死の寸前まで追いつめてみましたが、特筆すべきような力を発揮することはありませんでした。モモンガ様のために、仮にあの少女が力の限りを尽くしても、
「そう。ありがとう。情報収集、もしくは、冒険者モモンという存在を周囲に溶け込ませるために、モモンガ様はあの人間を利用しているという線かしら? あなたはどう思う? デミウルゴス」
「モモンガ様は、至高の御方々のまとめ役であられる方。私達にその英知は計り知れるところではありません。きっと私達では思い付きもできないような深きお考えがあってのこと……。あの人間ではなく、それと繋がりのある人間をモモンガ様は有効利用しようとされている可能性もあります。結論を出すには早計。引き続き調査をすべきですね」
「では、引き続きセバスとソリュシャンはその人間の調査を継続してちょうだい。それに、彼女の関係者にも調査を広げなさい」というと、セバスとソリュシャンは畏まりましたと答えた。
そして、アルベドの次の報告を、という声。その声に答えたのは、マーレであった。
「えっと、じゃあ僕が報告しようかな。えっと、お姉ちゃんからの情報だと、モモンガ様は今、ご飯を食べる場所で、人間二人と接触しているみたい。男と女。何やら楽しげな感じ……だそうです」と、銀色のどんぐりの形をしたネックレスを触りながらマーレが報告する。
「流石ハ至高ノ御方々ノ纏メ役デアルモモンガ様ダ。潜入調査ハ、弐式炎雷様ガ得意トサレテイタコト。人間ニ友好的ニ接シテ、有用ナ情報ヲ引キ出シテオラレルトハ」
「潜入任務まで完璧。流石はモモンガ様でありんす。すべてが完璧。しかし……それだと、私達守護者は何でお役に立てばよいのか……」
「それを私達は必死に考えなければならないのですよ。これ以上失態を私達は演じるわけにはいかないのです」と気落ちした様子のシャルティアをデミウルゴスが叱咤激励をする。
「マーレ。アウラに引き続きモモンガ様の傍にいるように伝えなさい。ニグレドとの連携も怠らないように。また、その二人の人間も監視する必要があるわね。必要な人選を考えておくわ」
「つ、次は私が報告するでありんす。人間を何人か眷属にして情報を聞き出した結果、このバハルス帝国では、“皇帝”というのが一番偉いらしいでありんす。その“皇帝”がバハルス帝国を支配しているということでありんした」
「一番偉く尊いのは至高の御方々でしょ? それに世界を遍く支配するのも」とアルベドの冷たい声がエントランスホールに響く。
「あくまで、人間の中で、でありんす。それに……」
「それに? どうしたの?」
「その皇帝は“鮮血帝”と呼ばれているとのことでした。下等な人間風情が名乗るには分不相応の名前。“鮮血帝”の称号は、至高の御方々にこそ相応しいと思います。その称号は、死の支配者たるモモンガ様にこそ相応しい称号。人間が名乗ってよい称号ではない」とシャルティアは
「まったくその通りね。それに、世界征服を成し遂げるには、人間の取るに足りない王などは不要。人間は等しく至高の御方々の下僕であるべき。人間の社会構成がどうあれ、その頂点は至高の御方々でなくてはならないわ」
「私からも報告をしてよろしいでしょうか」とナーベラルが口を開いた。彼女は、セバスやソリュシャン同様、外見上は人間に近いため、直接人間と接触して調査をするという任務が与えられていた。そして彼女に与えられている任務は、主たるモモンガが現在、その身分を偽って活動している“冒険者”というものであった。
「冒険者組合に所属して、冒険者となり、冒険者の概要などの聞き込みを開始しました」
ナーベラル・ガンマの報告は多岐にわたる。よくこれだけ短時間で調べ上げたものであると、守護者達も感心するほどである。ナーベラルの至高の御方々への忠誠心が如何に高いかを示すには十分なほどだ。だが、実は、ナーベラルの調査が容易だったのは、人は、美人に弱いという事実であった。
整った顔立ち。そして、珍しい黒髪。ナーベラルが傲慢な態度で質問をしようとも、ナーベラルに話しかけられた冒険者の男達の口は、驚くべきほど軽かったのだ。
「最近、この都市で起こった事件に、
「流石はモモンガ様です!」とデミウルゴスの声がエントランス・ホールに響いた。
「デミウルゴス。
「違いますよ、シャルティア。私が称賛しているのは、そのモモンガ様の智謀にです。少なくとも、モモンガ様は三つ以上の狙いがあるのでしょう。一つ目が、敵の実力を測るためでしょう。その
「ソウナノカ。流石ハモモンガ様ダ。今後、モモンガ様ヨリ指令ヲ与エラレタラソノヨウニシヨウ」
「二つ目が、冒険者モモンという、世界征服の足掛かりとなるアンダーカバーの存在を作り出すこと。そして最後の三つ目です。ここまでの流れが全て、モモンガ様のご計画の内であるということです」
「まったくその通りだわ」とアルベドがデミウルゴスの言葉に同意をする。
「ど、どういうことかな? ぼ、僕にはちょっと言っている意味が分からないかな。モモンガ様が凄いってことは分かったけど……」
「私が、ナザリックに来た人間に渡したのは、ウルベルト・アレイン・オードル様がお造りになられた魔像。即座に無数の悪魔を出現させるというマジック・アイテムです」
「ウルベルト様がお造りになられたものを人間風情に渡したでありんすか!」
シャルティアが驚いたのは、尤もである。デミウルゴスを創造したのは、ウルベルト・アレイン・オードルその人である。自分の創造主が下賜してくれた物であるならば、後生大事に持っていたいと思うのが守護者の心境と言うものである。
シャルティアは、自分であれば、ペロロンチーノ様が自分に下賜してくださった数々の衣装。たとえ、スクール水着(旧旧型)の一着であろうと、手放したくない。
創造主が下賜した物を渡す。それだけで、デミウルゴスが今回の作戦にかける意気込みが分かるというものだ。
「私が、あの魔像を渡すことすらモモンガ様の手の内。なんと慈悲深き方。私達守護者の失態を拭い去るためにここまでお考えであったとは……」とデミウルゴスはポケットからハンカチを取り出し、あふれ出る涙を拭き始める。
「詳シク説明シテクレ。デミウルゴス」
「私が説明をしましょう。この都市に、悪魔が突然出現する。その際に、人間がどのような対応をするのか、モモンガ様は事前にそれをお調べになられたのよ。今回、悪魔がこの都市の中に出現する。似ていると思わない? 突然、
「つ、つまり、私達がこの都市に来ていて、今からやろうとしていることも、モモンガ様のご計画の一部ということでありんすか?」
「そうとしか考えられません。モモンガ様が私達のために、すべてのレールを敷いていてくださっているのです。後顧の憂い無し。私達に残されているのは、モモンガ様のお役に立つために各々、力を尽くすことです!」
・
蒼の薔薇の一行は、帝都から燃え上がる炎を見つめていた。
「おいおい、ありゃあ一体何なんだ? 帝都が燃えているようだぞ?」
「私にも分からん。あんなのは初めてだ」とイビル・アイがガガーランの問いを切り捨てるように答えた。
「帝都で何か異変が起こっているのは間違いない。何者かが帝都を襲撃しているという線が濃厚ね。帝都アーウィンタールには、多くの市民が住んでいる。救援に向かいましょう」とラキュースが“蒼の薔薇”のチーム方針を素早く決定する。
「急がないと」
蒼の薔薇が帝都アーウィンタールの南門の近くまで来た時、その異様さに気づく。帝都が異常事態、大火災が起こっている。しかし、それにも拘らず、帝都から逃げ出して来ている人がいない。一人もいない。城門は開いているのに拘らず、誰も帝都から離れ、その炎から逃げようとしている人がいないのは、異様だ。逃げる際には、炎から遠ざかろうとするのが人間の本能である。
「様子がおかしすぎる。むやみに帝都の中に入らない方が良いわ。これは、エ・ランテルに戻って報告すべき事態かも知れない!」とラキュースは、帝都へと急ぎ、城門を通ろうとする仲間達を呼び止める。
「貴方たち、逃がしませんよ」と帝都アーウィンタールを囲む城壁の上から声が響き、次の瞬間、落下音と大きな土埃が舞い上がる。
そして、土埃の中から声が響く。
「この南門を任された、ナザリック地下大墳墓戦闘メイド、プレアデスが一人、エントマ・ヴァシリッサ・ゼータ。帝都から一人も逃がさないよねぇ」