アルシェの物語〜In the Beginning was the Word〜 作:Menschsein
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バッカスの酒蔵。アルシェが出て行ってしまった後も、モモンガは思索に耽っていた。いや、悩んでいた。思考が迷路の中を彷徨っていた。
悩んでいたのは、アインズ・ウール・ゴウンの仲間の事。そして、ナザリック地下大墳墓のことだった。
そして、その答えは出ない。
モモンガは杯のぶつかる音と笑い声が響くバッカスの酒蔵で、テーブルを見つめ続けていた。
「モモン殿! やはりこちらでしたか」と、バッカスの酒蔵の入口から声が響いた。ニグンの声であった。そして、隣にはレイナースが右手で小さくモモンに向けて手を振っていた。
「急いで帝都に帰ってきてみたら、既にモモン殿とアルシェさんが今日帝都に戻って来ていると聞きました。宿にも居られないようだったので」と、ニグンはモモンの座っているテーブルに座る。
「ニグン殿。それに、レイナースさん。カルサナス都市国家連合に行ったはずでは?」とモモンは隣に座ったニグン、そして正面に座ったレイナースを交互に見つめながら言った。
「種明かしをすると、レイナース女史のご提案です。レイナースさんが、帝国の
「新発見の遺跡。二人だけのパーティーでは心許ないと思い、後からでも追いかけようと思っていたのですが、私達が帝都に戻る前にすでに遺跡調査を終わらせていたというのは流石ですね」とレイナースが、店員からエールを二杯受け取りながら言った。
「ありがとうございます。お気遣いいただいて……」
「モモン殿? 何かあったのですか? 新発見の遺跡調査を成功させたという割に、お元気がないご様子ですね。二人とも無事に帰ってきたと聞いていたのですが……」とレイナースの顔が曇るが、それをモモンは「アルシェは先に家に帰りましたよ」と打ち消す。
モモンは飲食をしないが、ニグンとレイナースは夕食がまだであったようで、二人は食べ、そして飲む。
食卓の席は、都市国家連合へと向かう道中に遭遇した魔物や都市国家連合の盟主たる都市の賑わいであった。
「魔物に囲まれたという危ない事もありましたが、ニグン殿が召喚された
「いやいや。レイナース女史が、
・
「そうそう。都市国家連合での出来事と言えば、
「恥ずかしながら私もニグン殿も、調理された蛸を食べたときには、歯ごたえのある美味しい食材としか思っていなかったのですが、調理前のあの姿を見て、恥ずかしながらいささか驚いてしまいました」
「『いささか』では無かったでしょう。お盆の上に載せられた蛸を見て、魔物が忍び込んだのだと、レイナース女史は槍を構えて……」
「私の早とちりでございました。時折、口よりも先に槍が出てしまうことがございますので……」
モモンとアルシェが無事であり、また自分たちも無事であり、再会できた喜び。カルサナス都市国家連合の往路での魔物での戦い。海が近いという風土から来る食文化の違い。
モモンは、相づちをうちながら終始、聴く側に徹していた。
二人の食事も終わり、塩で炒めた銀杏の実を酒の肴として談話が続いていた時、
「モモンさん、何か悩み事や心配事があるのですか?」とレイナースが口を開いた。
その言葉に呼応するように、ニグンも頷いた。
食卓の席に流れる一瞬の沈黙……。モモンは口を開いた。
「私にはかつて、多くの仲間がいました。大切な仲間でした。ですが、その仲間はもういない。彼等と冒険をしている時、それは私の人生でもっとも輝いていた時だと思います。ですが、彼等は私を見捨てて、遠い所へ行ってしまった。いつかきっと、また仲間は戻ってきてくれる。そう信じていました。しかし、仲間が戻ってきてくれることはもうないでしょう。
私を見捨てたことに関して、私は仲間を恨むつもりはありません。いえ……。正直恨んだときもありましたが……。仲間達は次々と私を見捨て、そして残されたのは私一人でした。
そのことはもう良いのです。それぞれ自分の人生があるのですから……。
ですが、問題は、その仲間達が残していたモノです。仲間達との思い出と言ったような抽象的で曖昧なものではなく、もっと具体的なモノです。そして不思議でした。その残されたモノは、以前よりも輝きを放っているように思えました。
私はそれをどうすべきか、その答えが出ないのです。かつての仲間達が残していったモノ。それは仲間達が私に押し付けていったものともいえるし、託していったものともいえるかも知れない。
私は一度、それを捨てて、新しい人生を生きようと決心しました。ですが、また迷っています。かつての仲間が残していったモノ、それを守るのもまた、意味があるのではないかと……」とモモンはゆっくりと語った。
「私の勝手な意見を言わせてもらうと、新しい人生を生きるべきだと思います」と、レイナースが口を開いた。
「少し……私の身の上の話をさせていただきますね。
私は、貴族の娘でした。私には領地があり、守るべき領民がいました。そして、その領民を守ることが、私の誇りでした。私の矜持でした。
しかしある時の魔物との戦いで、私は顔に呪いを負いました。今考えても、震えてしまうほどの呪いです。その呪いのことを考えるだけで、頭が真っ白になってしまうほどです。
そうです。モモン殿から戴いた治療薬で癒していただいたあの呪いです。ご覧になったでしょう。あの醜悪な呪いを……。
呪いを負った私を、実家は捨てました。今まで、私を慕ってくれていた領民も、私に近寄らなくなりました。そして、ついには互いに愛を誓い合った婚約者まで、私を捨てました。私は、領地を追い出され、そして、今の皇帝に拾われて四騎士となったのです……。
私は、四騎士になるとき、自らに誓いを立てました。三つの誓いです。
一つ、自らの呪いを解く
一つ、自分を追放した実家に復讐する
一つ、自分を棄てた婚約者に復讐をする
最初の一つは、モモン殿のおかげで果たすことができました。あと、残り二つです。実家と婚約者に復讐をする。
私を見捨てた実家と婚約者に復讐をするのです。
恨みがあるから復讐をする。そう思われるかもしれませんが、それだけではありません。私は、それによって、自分の過去を断ち切るのです。
呪いを受け、私の人生はめちゃくちゃになった。悲しい思い出ばかりが残っています。私は、その過去と思い出を断ち切ると自らに誓いました。
そして、私は新しい人生を始めたいのです。
それは、占い師という人生でも、看板娘という人生でも、歌姫という人生でも、良い。過去のことは過去の事です。私は過去を清算し、新しい人生を生きたい。そのために私は生きています。
モモン殿。自分の生きていた過去を捨てるというのはとてもキツイことです。私がいまだに実家と、そして婚約者に復讐をしていないのは、過去を断ち切る躊躇いがあるからでしょう。
ですが、モモン殿に呪いを解除していただき、これからの人生にもたくさん良いことがあると強く実感できました。
ですから、私は、モモン殿も過去に縛られるよりも、新しい人生を生きたほうが良いと思います。きっとモモン殿にも、新しい仲間、楽しい思い出ができると思います。
モモン殿は、新しい人生を切り開いていく力と、そして“強さ”を持っていると私は思います。ですから、私は、モモン殿も新しい人生を生きるべきだと思います。もちろん、これは勝手な私の意見ですが……」
レイナースは、そう言い終わると、杯をぐっと傾ける。
「レイナース女史の意見と私は違います。私もモモン殿やレイナース女史の話を聞かせていただいたので、私も自分のことを話させていただきます。
今から六百年前に、この帝都の神殿にも祭られている六大神様が、『人類よ、繁栄せよ』と言われ、そして法国の建国を宣言したのは人類史であまりにも有名な話でしょう。これは、神話ではなく、まぎれもない事実なのです。
この六大神様のこの宣言は、燃えさかる不正義の炎に焼かれていた何千万人もの人類に希望を示す、偉大な光でした。
それは、人類に長い夜の終わりを告げる喜びの夜明けでした。
しかし、あれから六百年たった今、人類は未だ安全はないのです。
六百年経った今でも、人類の生活は、闇妖精の手かせと獣人の足かせに縛られています。
六百年経った今でも、人類は、他種族の繁栄の広大な海に浮かぶ貧困という孤島に暮らしているのです。
六百年たった今でも、人類はいまだにこの世界の片隅で苦しんでいて、この世界の中で漂流しているのです。
私が神官となったのは、この人類の悲惨な状況を改善するためでした。
ある意味で、私は金板を金貨に替えるために、私はこの身を捧げてきたのです。六大神様が、『人類よ、繁栄せよ』という崇高なる言葉を人類におっしゃられたとき、六大神様は、人類が継承すべき金板に署名してくださったのです。
この金板には、『生命、安全および幸福の追求』は、決して侵されることのない、すべての人類に保証されると記されているのです。
しかし、人類はまだこの金板を、金貨に替えることが出来ていません。この六大神様の宣言はまだ実現していないのです。この金板を金貨に替える銀行が存在していないのです。
ですが、私は、この六大神の宣言が、実現することはないと諦めたくはないのです。
私は、この世界に今、緊急性を思い出させるために神官として働いてきました。今は、人類同士が争ったり、麻薬によって現実を忘れるような悠長な時ではないのです。
今こそ、六大神の宣言を成就させる時です。
今こそ、隔離され暗く荒涼とした谷から人類の陽の当たる道に登っていく時代です。
今こそ、スレイン法国は、人類を泥沼から揺るぎない岩へと引き上げる時なのです。
今こそ、六大神の『人類よ、繁栄せよ』という宣言が実現される時なのです。
この思いは、スレイン法国に仕えてきた六百年に及ぶ神官達が受け継いできた思いです。建国当時の神官達も、百年前の神官達も、三百年前の神官達も、五百年前の神官達も……そして、カッツェ平野で帰らぬ人となった神官達……一緒に釣りをするのが何よりの私の楽しみであった大切な仲間達……。
彼らが実現することはできなかった。けれど、いつか実現できると信じ、信じ抜いて死んでいった……。
神官として辛いことは多々あります。亜人は強く、人類は弱い。そして協力すべき人類同士が争いを止めない。獣人に食い殺されて無人となった村々。
正直不安です。こんなことを言っては神官失格ですが、六大神様の宣言が実現する日は来ないのではないかと思ってしまう時があります。神官という職を投げ出したくなるときだってあります。辛いことばかりかもしれません。
ですが、私はそのスレイン法国の六百年の間に及ぶ歴史と、そして散っていった神官達の思い。それを投げ出すことは許されないと思っています。そして、それを投げ出したら私はいつかきっと後悔するという確信があります。
モモン殿。あなたのかつての仲間達が残していたモノ。それがどんなものであるか私は分かりません。ですが、あなたが辛いのは、それを大切に思っているからに他ならないでしょう。
かつての仲間達が残していたモノ。モモン殿が仲間から、託された、とそう少しでも感じているのであれば……その託されたモノをモモン殿は大切に守るべきだ。
そして、モモン殿は、その託されたモノを守りぬく力とそして“強さ”を持っていると私は確信しています。
私は、モモン殿とレイナース女史の話を聞いていてそう思いました」と、ニグンは口を閉じた。
「ありがとうございます。お二人とも……」
「いえ。正反対の意見で混乱させてしまったかも知れませんね」とレイナースは笑う。
「そうですね。ですが、正解などありませんからね。強いて言えば、モモン殿がご自分でお決めになったこと。それが、正解なのでしょう」
「そうですね。ニグン殿、まだ飲まれますか?」とモモンは空になったニグンの杯を見て、そう尋ねた。
「いいですね。今夜はとことん飲みましょう。再会と、それぞれの人生を祝して」
「ありがとうございます。うわぁ。俺も酒、一緒に飲めたらいいのになぁ……」とモモンが残念そうに呟くと、「それは仕方がないですよ。ですが、飲めなくとも、今晩はとことん付き合ってもらいますよ?」とニグンが杯を高く掲げた。
「私も、ご要望があれば、酔いますよ」とレイナースも言う。
バッカスの酒蔵での祝宴は、深夜を過ぎても続いたのであった。