JAXA理事・宇宙飛行士の若田光一氏 宇宙飛行士の若田光一さん(55)は日本人最多となる4度の宇宙飛行を経験。2014年には、米国やロシアなどの宇宙飛行士が滞在する国際宇宙ステーション(ISS)の船長も日本人で初めて務めた。18年4月、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の理事にも就任。命の危険すら伴う極限の状況で磨かれたリーダーシップとは。
■リーダーシップは状況に応じて使い分ける
――国際宇宙ステーションの船長はどのようにして選ばれるのでしょうか。
「宇宙ステーションのチームは、各国の宇宙飛行士6人からなります。船長は飛行士全員のベクトルを一方向にまとめ、実験などの成果を最大にする役目が求められます。私の場合、リーダーを任される過程をいくつも経て、船長への道が開けました。世界標準のリーダーでないとだめですね。どの国の出身かは関係ありません」
「船長になる前、米フロリダ州沖合の海底基地で、火星や月の探査を想定した訓練をしました。私がコマンダー(船長)でした。また、米航空宇宙局(NASA)でも、30人くらいの部下がいる宇宙飛行士室ISS運用ブランチチーフを務めました。いずれも多国籍チームの中でリーダーシップを発揮できるかどうかを評価されたと思います」
「船長にふさわしいかを評価する訓練には山登りもありました。天候が急激に変わったとき、みんなの意見を聞いている場合ではないですよね。『これだ』ときちんと方向性を出す。状況に応じてリーダーシップの行使の仕方をきちんとわきまえるように言われました。優れたリーダーの条件ですね」
――船長になって心がけたことは何ですか。
「気をつけたのは、『あなたにこれを期待している』とはっきり伝えることです。きちんと課題を与える。逆に相手からも、こちらに対する要望をきちんと伝えてもらう。日本人同士なら、なんとなくお互いに思いやることはありますが、国籍が違う飛行士の場合は難しい。あうんの呼吸はないと思います」
「宇宙は、一歩間違えれば死が待っているようなところです。緊急度の高さを伝えるには、怒りでもいいわけです。火災につながる可能性があるとか、ミッションの成否に関わるとか。普段だったらここまで言わないと思うようなことも、なるべく意思表示してきました」
「宇宙ステーションでも、マニュアル通りにやらず、自然とショートカット(手抜き)をしてしまうことがあります。人間の性ですね。一例では、火災に備えて実験ラックに消火剤を注入する穴を荷物がふさいでいたことがありました。ある一線を越えたときにはしっかりと話し、状況を改善してもらう必要があります」
――普段は穏やかなのに厳しいですね。
「怒ったとしても、キレてはいけないんですよ。一度、信頼を失う言動をしてしまうと、関係修復にものすごい労力がかかったり、修復できなかったりする。英語で言うと『バーン・ザ・ブリッジ(懸け橋を焼き払う)』。怒りを示すバランスは考えましたね。常に同じパターンのリーダーシップをとっていたら、うまくいかないことが多い。訓練で学んだことを生かしました」
■地球にいない地球人は6人だけ
2014年の宇宙ステーション船長時代、若田さんを中心にチームが結束した(JAXA/NASA提供) ――船長を務めたころはロシアがウクライナ南部クリミア半島の併合を宣言し、米国との対立が深刻でした。宇宙ステーションで米ロの飛行士を率いるのは難しかったですか。
「うーん、答えはイエスですね。米ロ政府が宇宙ステーションについては運用を継続する方針を明確にしてくれたので作業はしやすかったです。ただ宇宙ステーションでも、ニュースはライブで見られるんです。米NBCの放送内容と、ロシア・チャンネル1の放送内容は当然、見方が違っています」
「夕食ぐらいは一緒に食べようと言いました。米国人は夕食を早く済ませて早く寝てしまうことがある。ロシア人は朝礼ぎりぎりまで寝て、夜は遅い。心理的な負担を考え、一緒に食事をするのは金曜日と土曜日だけにしました」
「ただ、私は毎日、まず米国の仲間と食事をとり、その後はロシアの居住棟にお茶を飲みに行きました。船長としてパイプ役になろうとしたわけです。メンバーとは『地球にいない地球人は我々6人だけだ。宇宙ステーションの安全な運用と利用のため、きちんと連携しよう』と話しました」
――頼りたくなる理想のリーダーはいますか。
「困ったなあと思ったとき、私の1回目と2回目の宇宙飛行で米スペースシャトル船長だったブライアン・ダフィーさんを思い出します。ダフィーさんならどうやっていたかなと考えると、答えが出てくるんですね」
「一緒に働くと自然に難しい課題を克服できたということがあったんです。部下一人ひとりの能力やモチベーションをきちんと把握しているのです。地上でビールを飲みに行ったときなどにいろいろな質問をしてきて、準備状態を確認しているんですね」
「初めてのフライトで、私はまだひよっこ。それなのにダフィーさんは、日米2基の衛星をスペースシャトルからつかまえる仕事を全部、私に任せたんです。実力よりちょっと上ぐらいの仕事をさせる。次の世代を育てることをものすごく注意してやっている方だった。あの統率力は素晴らしい。檄(げき)を飛ばすわけではないのです。水のように透明な存在。理想のリーダーです」
「世界最長の宇宙滞在記録を持つロシアのゲナディ・パダルカ船長からは、食事がコミュニケーションのツールになることを教わりました。閉鎖環境ではチーム全員の士気を維持していくことが難しい。宇宙では、ゴルフの打ちっ放しや酒を飲みには行けませんから」
「そこで食事です。みんなが食べる標準食は米国とロシアから供給される。それ以外に宇宙飛行士一人ひとりが『ボーナス食』といって好みの食事を宇宙に持って行けます。私が船長の時は自分が食べたいものではなく、同僚の仲間が喜びそうなものを持って行きました。サバの味噌煮で仲間をねぎらったこともありました」
■何をやったかより、誰とやったかが大事
宇宙ステーションでは、和の気持ちを大切にしながらミッションに臨んだ ――日本人初と言われることが多いですが、意識はしませんか。
「仲間を思いやったり、和を大切にしたりする気持ちは、やはり私が日本人だということを意識しているからかもしれません。和を大切にする気持ちは多くの日本人が価値を置いていると同時に、人類として皆が大切にすべきだと感じます。和の気持ちを大切にしながら、ミッションに臨んでいました」
「実は、チームは宇宙にいる6人だけではありません。日本では筑波宇宙センターに管制局があります。米国ではテキサス州ヒューストンやアラバマ州ハンツビル、ロシアではモスクワ、欧州ではドイツのミュンヘン、カナダはモントリオール。世界各国の管制局とのチームワークづくりも船長に要求されます」
「この前、昔の同僚でNASAを退官する方から別れのあいさつがメールで届きました。そこには『我々は重要な仕事をしているが、何をやったかという以上に、誰とそれをしたかが重要だ』とありました。私もいつもそう思ってやってきました。チーム全員の士気を維持できれば、成果を最大化できるのです」
――4月からはJAXAの理事も務めています。
「就任は突然のことでした。理事になっても、宇宙に人類の活動領域を広げるという究極の目標は変わりません。どのポジションにいても、自分ができることをやっていきます。宇宙飛行士でも理事でも、1人でできることは少ない。JAXAがチームとして最大限のパフォーマンスを出せるような方向に持って行くのが仕事の一つになります」
「それに、まだ飛びますからね。米国やロシアには60歳を過ぎて宇宙へ行く飛行士が結構います。JAXAの宇宙飛行士の定年は60歳。理事の仕事をしながら、次の宇宙飛行を目指して体力を維持していこうと思っています」
若田光一
1989年、九州大学大学院工学研究科修士課程修了、日本航空入社。92年、宇宙開発事業団(現・宇宙航空研究開発機構=JAXA)の宇宙飛行士候補に選抜。96年、米スペースシャトルで初飛行。2009年と13~14年には国際宇宙ステーション(ISS)に長期滞在し、14年に日本人初のISS船長に就いた。18年4月からJAXA理事。
(加藤宏志)
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