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私は当事者ではないし、取材したわけでもないので、どちらの言い分が正しいかを判断する材料は持っていない。しかし、教育委員会の問題を指摘した最初の書き込みが、多くの人に無条件で信じられたのは確かだ。この場合、教育委員会が「わかりやすい悪者」になっていた。
メディアが果たすべき役割
特にネットではメディアに対する不信感が顕著で、「わかりやすい悪者」に仕立てるのが最も容易な存在なのかもしれない。最近では、問題の当事者や専門家がネットで情報を直接発信するケースも増えてきた。それならメディアはもう要らないのではないかという意見もある。
そうした意見からすっぽり抜けているのが、「事実の検証を誰がするのか」という視点だ。当事者の意見だからといって必ず正しいとは限らない。むしろ、自分が有利になるように事実をねじ曲げている可能性がある。あるいは勘違いしているかもしれない。
記者は、事実関係に疑念がある場合は、必ず他の取材先に確認して正しいかどうかを検証する。これが「裏を取る」ということだ。そうした検証を誰もしなければ、「人々が信じやすいデマ」が今以上に社会に蔓延することになるだろう。
また、記者には専門家の言葉をわかりやすく伝えるという役割もある。難しい内容を誰でもわかる平易な言葉で説明できる専門家はまだまだ少ない。また、専門外の分野では、知識が全くなかったり知識が誤っていたりすることも多い。記者は、ある分野の複数の専門家に取材したり、別の分野の専門家に取材したりすることで、その分野で主流になっている考えやその分野の社会の中の位置付けなどを客観的に伝えられる。
そのためには、記者自身にも専門知識への理解が求められる。専門分野で記者が新しい知見を生み出せないかもしれない。しかし、少しでも知識を理解するための努力は、今や記者には必須の姿勢ともいえる。
なぜ、記者が書いた記事よりもネットデマのほうが信用されてしまうのだろうか。これは、見方を変えれば、記事の説得力がネットデマよりも劣っていたということだ。記者の力不足である。
日経BPでも他社のメディアでも、地道な取材や調査を積み重ね、有無を言わせない説得力を持つ記事を見ることはある。ネットデマに負けないようにするには、そうした記事を目指して努力していくしかないのだと思う。