倉数茂×田中里尚『名もなき王国』発売前トークイベント全文公開 1
2018年7月30日(月)19:30より、東京都港区赤坂にありますセレクト・ブックストア「双子のライオン堂」さまにて、『名もなき王国』刊行前イベントとして、著者である倉数茂さんを囲んでの読書会を行いました。その内容を、本コラムでは、全文公開いたします。
ちなみに、私は、小説に関するトークイベントなるものは、本当に久しぶりでした。もちろん、出張講義的なことはしばしばやっているのですが、それは私の専門的な知見が求められています。なので、少なくとも、そこでは「知見」を披露すれば最低限の役目は果たしたと考えられるので、そこまで緊張することはありません。
しかし、今回は、倉数茂さんのトークをどこまで引き出せるか、参加者の関心のある事柄に上手くつなげるにはどうしたらいいか、と、当意即妙を求められる仕事だったので、人数が多かろうが少なかろうが、適切にこなしていくにはと頭の中でシミュレーションしていくと、本当にこんがらがって、最終的に「双子のライオン堂」さんに到着するころには、頭のなかが真っ白になっていました。
実は、私が最初の到着で、店長さまと挨拶と雑談を交わしたのち、店内の本を見て回っていたら、またまた緊張がぶり返してしまいました。
そのためトークの自然な流れにそって、その都度言葉を出していければいいな、などと、気楽に構えていたわけですが、始まってみると意外にアドリブ対応が難しく、事前に準備していたことなど(註1)が飛んで行ったりしてしまいました。
それでは、トークの実況を始めさせていただきます。
『名もなき王国』に投影された作家自身の像とは
倉数 みなさんお暑い中、お集まりいただきまして、まことにありがとうございます。時期的に、どのくらい集まるのかな、考えておりましたけれども、見事に知り合いばかりという…なので、ざっくばらんにはじめられたらと思います。一応、自己紹介をさせていただきます。
倉数茂と申します。小説家だと思っているんですが、ここ5年間くらい本が出せていなくて、「小説家」と名のるのはおこがましいんじゃないか、と思っておりまして、プロフィルは「自称・小説家」ということにしようかと思っていたくらいです。
WEB小説というのがたくさん出てきて、プロとアマチュアの境目が曖昧になっている時代です。そのため、小説を書きたいと思い、実際に書いて、世に出して人に読まれることがあるならば、それはもう「小説家」と名乗ることができるわけです。
小説を書きたいと思っているのだけれども、現実には小説を出せていないということに、私自身忸怩たるものがあって、この小説では、その気持ちを割と素直に書いたつもりではあります。
特に第6章を書いていて、だいたい終わりが見えてきた段階で、「あっ、これはもういけるぞ」っていう感覚が訪れた瞬間がありまして、これ(『名もなき王国』)を出せたら、もう「自称」はつけなくてもいいかな、なんて思ったりもしました。そういうわけで、この作品は自分にとって思い入れの強いものとなりました。
今日来て、お相手をしていただくことになった田中さん、そんなに古い付き合いではないのですが、ここでもずいぶん売ってもらった『北の想像力』という本があって、岡和田晃さんという批評家が中心となって編んでいった批評集なのですけれども、とにかくちょっと不思議な造り方をしていった本なんですね。
ML(メーリングリスト)をつくって、全部の論考を、共著者たちが査読をするんですね。原稿を書いて編集者に送るだけじゃなくて、著者同士でチェックしあうという試みを行ったのですね。そのときに様々な指摘がメール上でなされて、顔を知らなくても、こういうことを考えている人なんだ、ということがわかるようになったわけです。
かつて、東海大学でシンポジウムをやった際、田中さんにも来ていただいたんですね。その時から、田中さんはすごく小説を読める人だなと思っていて、そして、なんとも文学青年的なんですよね。ご専門は、文学ではなくて「ファッション史」ということになるんでしょうか。
田中 ええ、そうなりますね。
倉数 知識、教養、センスというものは、文学者的で、若いころからずっと小説を読んでこられたという。いろいろなものを読みながら生きてきたんだなあ、ということがよくわかる。
シミルボンという書評サイトで、書評を書いておられて、特に初期のころの文章はホントにおかしかったですね。なんていうんしょうか、中年のおじさんの自虐的な文章とでもいうんでしょうか、それがすごく興味深かったのです。
それがある日、私の『黒揚羽の夏』についてとりあげてくださって、そこで見抜かれたな!と思ったんですね。
私より5つくらい若いんだと思うんですが、それでも同世代的なものがあって、何を読んできたかとかどんな気持ちで20代を過ごしてきたか、という部分で、多くのことを田中さんにはわかられちゃったなという気持ちがありました。それで、このイベントを企画したとき、田中さんだったら、色々なことを指摘してくれるんじゃないかなという思いがあって、お呼びしました。
田中 ほとんど紹介していただいてしまったんですけれども、普段は都内の大学でファッション史とか服飾史とかメディア史みたいなことを教えています。専門はそういうわけで歴史になります。
倉数さんはたぶん私の6つ上の先輩にあたると思うのですが、同じところで学部時代勉強したので、共通点があります。その時期、ちょうどこの小説にあるような文学サークルみたいなものが複数存在していて、そうしたところの1つに私も所属していたんですね。それで、この小説に書かれているのは自分なんじゃないか、という思いを得たというのがありました。この小説の中に出てくる、資本主義下での文化のドライブを煽る大学8年生のような先輩が、実際に存在したわけですね。
私は、批評家としては『北の想像力』をはじめとして、いくつかの媒体で出した程度の実績しか持ち合わせないのですが、それでも倉数さんに呼んでいただけたのは、『名もなき王国』の著者の「私」の経験をリアルに感じ取ることができ、かつ、そういう視点で読んで、ここに参りました。
『北の想像力』のMLで、倉数さんなど、本で見たことのある有名な人たちがたくさんいる、という中で、とある小説家の方がくれたメールに私が感動してよくわからないまま長文の自分語りのメールを出したり、80年代の解釈についてシミルボンにも参加されている批評家の先輩と議論を交わしたり…たぶん皆さん気もち悪かったと思うのですが、そんな中、ジェントルに返事をくださったのが倉数さんだった、というわけです。
そのときのメールのやりとりは全部保存してあるんですけど、私が空気を読まずに自分語りをしてしまったところに、倉数さんが上手に乗っていただいたという調子でして、編者の岡和田さんは普段はもっとおしゃべりなんですけど、そのときばかりはみんなの剣幕に押されたというか、静観してくれていたというような事情があって、顔を知らずに知己となった次第であります。
では、本の内容に参りましょうか。
ちなみに、ここに参加されている皆さんも、ほぼ結末まで読まれたという感じでしょうかね。
参加者A 私はまだ1章までで…
田中 そうですよね、そうですよね。今回、結末まで読み切るというのは分量を考えると結構大変だと思うんですけど、やっぱり最後まで読んで、最後の一文で泣く。泣かない人も、何か強く苛立ちでも、ひっくり返された気持でも抱くという仕掛けが楽しい小説ですね。私は、最後まで読んで久しぶりに泣くっていう、涙がとまらないってところからはじまったんですね。ベタベタした感想になってしまうんですが、倉数さん、俺のことをこんなに知ってるんだろう、ってな40半ばの中年のおっさんの悲哀と気持ちを、うまく言葉にしてくれている小説でもあるわけです。ここまでの感想だと、まったく、ボルヘス(註2)流のメタフィクション的な側面が現れないのですが、それはそれで行きましょう。
まず興味があるのは、著者である「私」の経験ですね、まずはそのあたりから聞いてみたいんですけれども、この「私」と倉数さんというのは、どれくらいオーバーラップしているのでしょうか?
倉数 結構素直に書いたつもりなんですけどね。自分としては、書けなくて悶々としているというか、書いてもどうせ誰も読んでくれねえんだろ、というやけっぱちの気持ちとか、あの辺は書いていてとてつもなく気分が上がりましたね。
実際には、『ダ・ヴィンチ』とか『本の雑誌』とかの批判を書きつらねた部分もあって、そこが自分としては結構好きだったんですけれども、編集者の小原さんに「品がないからやめてください」と言われて、泣く泣く削ったりしました(笑)
小原 協力してくれるかもしれないんですから
倉数 それでも、あの辺を書いていて、とても楽しかったです(笑)
本なんか出したって、書店の隅に一冊か二冊しか置いてくれないんだろ?みたいなのはね、どことなくヒロイックな気持になる(笑)。第6章も、40になって中国から帰ってきて、無職のまま一体俺は何をしてるんだろうなんていうところはその時の心情そのままですが。
現実には子どもがいましたからね、もっと追い詰められた気持ちだったんですが、半年くらいですかね、完全無職で、奥さんがいて、子どもが一人で、実家に帰って、無職で、毎日暇なので、子どもをベビーカーに乗せて、二時間くらい散歩するんですよね。
自分が「子連れ狼」になったようで、子どもにこう「お父さんはこれからどうなるんだろうねー」なんて話しかけながら、歩いているときのことが記憶としてとても鮮明で、そのときの感覚をやはり一度は書いておきたいという気持ちはありましたね。
そんな時、編集者の小原さんから「ポプラ社のピュアフル文庫賞を受賞しました!」という電話がかかってきて、ホッとしたことを思い出しますね。
田中 経歴を見させていただいて、中国で教えられていたということは知っていたのですが、帰国してスムーズに日本で就職できたわけではなかったんですね。
倉数 やはり1年間くらいブランクがありました。その後は幸運というほかはないですね。
その1年間の間に小説と、博論を本にしたもの(『私自身であろうとする衝動』)が出て、それを今の勤め先の人が読んでくれて、本当に運がよかったとしかいいようがない。この時期に、知り合いが携帯小説の会社につとめていると人づてに話を聞いて、そこに書かせてくれ、とお願いしたことがありましたね。その辺もそうですね、この小説の「私」が携帯小説を書くというエピソードにつながっているんだと思うんですね。
虚実が巧妙に入り組んだフィクション
田中 第1章で、澤田瞬と「私」がやりとりしたときにですね、マイナーな作家を知っているかどうかって、カードを出し合ったりするじゃないですか。ああいうのは私も昔やったことがあって、そういう知識の伽藍を構築しようとしていたところも、80年代末から90年代にかけてのの空気を感じるわけです。
今はずいぶん古典的な作家の名前だけは知っているという状態になりましたが、それでもこの小説に登場する固有名、たとえば振鷺亭(註3)とか、今は検索すればすぐに出てきてしまうのですが、存在するのかしないのか微妙なところを提示してますよね。
あの当時であれば、私など全部ノートに書きだして、あとでコソコソと実際に図書館に行って調べて…というふうにしていたと思うのですが、これも、ある時代の空気感を表現した部分だったのでしょうか?
倉数 大学のときにとある文学系のサークルに入っていたんですけれども、サンリオSF文庫などがまだ出ていたころで、そんなのを読んでマイナーな作家を覚えるわけですね、どれだけ誰それを読んだかとか、まだそういうのが残っていた時代が80年代末だったのですね。
田中 冒頭で、沢渡晶(註4)の作品に対する批評が『牧神』12号(註5)に載っていると書かれていたりして、ぼく自身も『牧神』という雑誌があることは知っていたんですけれども、この雑誌は11号までしか出てないのかな?とか、もしかしたら数字がフェイクなのかななんて色々考えさせられてましたが、実際に調べてみると『牧神』は12号まで出ていて、これを古書で買ってしまったなんていう。今日までに届くと思っていたのに、届きませんでした。
実際、『牧神』を見たりして敢えて仕掛けられたのですか?
倉数 いや、実際には僕も見てないという(笑)フェイクですよ、完全に。『牧神』という雑誌があるのは知っていたけれど、12号がないと思って書いたんじゃないかな、たぶん。
田中 要するに、存在と非存在のかなり絶妙なところをさらって、沢渡晶のリアリティを組み立てているというか。虚実の微妙なところのちらつかせ方というのが、非常に巧みで、「実際に参照してみないといけない!」なんていう気持ちにさせるのは、『名もなき王国』が「本の本」たるゆえんですよね。
それではみなさんにも感想を聞いてみたいのですが…
ポプラ社の仕掛ける発売前のWEB全文公開という戦略
参加者B まだ全部読めていないのですが、やっぱり、自分は若いはずなのにあの(WEBの)スクロールに慣れなかったというか(笑)
しおりとかを挟んでおく機能があれば、一度戻ったりできるんですけど、全部スクロールしていかなきゃいけないっているのが、結構読み手にとっては全文無料公開といえども、つらいところでした。
小原 確かに。全文をインパブに書き出しちゃっている人とかもいましたが、そこまでの情熱をもってくれているなら、むしろ編集部としては「成功!」と思いました。
コピーガードあるんですか、と聞かれたりしましたが、「無いです」と言ったら「えっ、何で?」と驚かれたりして(笑)。全部プリントアウトして読みたいんなら、むしろ、どうぞ、という。
倉数 Twitterを見ると、全部読みましたという人が、ちらほら出てきますね。翌々日くらいから、読み終わりました、なんていう人が結構いましたしね。
参加者B ちゃんと買います(笑)
で、第1章の澤田瞬の目線で語られているところ。「廃墟」とか「庭」とか「子どもたち」とか、個人的には幻想文学のある種のキーワードのような気がして、幻想文学っぽいんだけれども、「私」の部分に戻るとリアリズムっぽく書かれていまして、今、その中間に自分がいるんだな、なんていう風にいったいきたりしました。その辺の感覚にとってスクロールはよかったんですが、やはり、もう一度ちゃんと買って読んだ方がいいかな、と思いました。
『名もなき王国』の文体
参加者C(著名な小説家) 見かけは読み物系なのですが、質的には全く純文学。よくこれだけ書き込まれたな、と思いました。作家に対して言うのは失礼なんですけれども、この安定感というのはものすごいメチエですよね。
僕の師匠は辻原登(註6)というのですが、昔編集者をやっていたとき、彼はいつもいつも書いていたんですね。「作家というのは常に書き続けていなくてはならない」とか、「自分の呼吸がそのまま文章にならないといけない」とか、「語尾で悩んだりしてはいけない」と言っていました。
『名もなき王国』は息の長い安定した呼吸が、文章から伝わってきて、これだけ長文の物語を書くのに、その呼吸を維持できるという凄さに驚きました。
倉数 でも、これを書きながら、結局5年間かかっちゃったわけで、もっとこうスピーディーにかけなきゃだめだなという反省は持ちましたね。参加者C先生は同僚なので、私が隣で何をやっているかということをご存じなのでわかっていただけると思うのですが、なかなか書けないですよね。毎日書くための時間をつくるのは難しい。
参加者C でも、ほら、文章っていうのは身体の延長だから、変えられないじゃない。整形手術とか、そういう加工ができない。この文章が書けるっていうのは、ほんとうに凄いですよね。いい文章ですよ。いやらしいところがないんですよ。
倉数 いやらしいところって何ですか(笑)
小原 そうなんですよ。優雅だけれども、嫌みなところがほとんどない。
参加者C 文章の格が高いというか、品があるというか。俺は格が高いぞと見せつけるような部分は全然ないじゃないですか。
倉数 本人はあんまり格も品もない感じですが(笑)
でも、みんな読みやすいといってくれました。ちょっとその辺は心配していたんですけれども、ホッとしています。やっぱり、自分の文章の趣味というのが、ちょっとマイナーな好みなんじゃないかと思っておりましたし。文章も改行も今の本と比べても少ないですしね。
「読みやすい」って言われるとは思っていなかったんですね。でも、何人かの人からか、スラスラ先を読みたくなる文章だということを言われました。
田中 最初、私も『黒揚羽の夏』『魔術師たちの秋』ときて、その延長で、ジャンルミステリっぽい内容なのかなと読む前は思い込んでいた節があって、「あっこれはそうじゃないんだ」ということがわかったのちに、文章との息が合ってきました。
それでも、次も読まなきゃ、次も読まなきゃと気持ちが急かされるなかで、どこに着地するのかというハラハラ感というのは、ジャンルミステリという体裁ではないものの、ミステリ的な読ませ方、最後まで読まないと収まりがつかないぞという気持ちを喚起させる文章だな、と思わされました。
トークの4分の1を終えて
以上が、トークの30分経過くらいまで展開された部分です。対談相手として言った割には、私はほとんど話していないという印象さえあります。まだ少しだけ、固いトークになっているのは、結末まで読み終わっていない人がいるという前提で、バラさず行きましょうという事前の打ち合わせがあったからです。そのため、最初は、そこに触れるような文言を省いて、おそるおそる進めたのでした。
註
(註1)ちなみに、私が事前に用意していったノートの冒頭部分を抜書きます。
こんにちは。田中里尚と申します。本業は、都内の大学で、日本の近代の服飾やメディアを中心にした社会史等を教えています。今回、登壇するのが私でいいのかな、という疑問もないわけではないです。批評家というには、実績が少なすぎますので。
倉数さんとは、共通の知人で岡和田晃さんが編集した『北の想像力』という批評集でご一緒したのが初体面でした。対面というよりは、岡和田さんが共著者を集めたメーリングリストをつくったのですが、そこで、なぜだか長文メールのやりとりが始まっちゃったんですね。書かねばならないこととは別件の議論が。私も小説に関するおしゃべりをする機会が最近とみになくなっていることもあって、ついつい調子に乗って、そのメーリングリストに送りつけてしまった。そんな私に、ジェントルな返事をいただけたのが倉数さんだった。そんな出会いでした。それ以降、倉数さんのファンの一人になって、『黒揚羽の夏』、『魔術師たちの秋』、『始まりの母の国』、『私自身であろうとする衝動』といった著作を読み漁りました。
今回、『名もなき王国』は3回読みました。一度目は、全体を掴むために。二度目は、人間関係や物語間の関係を掴むために。三度目は、言葉のイメージや登場人物たちが提示する問題を掴むために。会場にいる皆さんは、いかがですか。もうすでに結末まで読んでしまったという方はどれくらいおりますでしょうか?
なかなか結末まで読み切るというのは分量を考えると大変だと思いますので、ゆっくり読んでいただくとよいと思いますが、私は、最後の一文で、なぜか涙が止まらなかったのですね。色々なことが思い出されて、といいますか、最初の一文に「これは物語という病に憑かれた人間たちの物語である」とありますが、物語ることを職業にするしないにかかわらず、何か、自分を中心にした物語を物語らざるを得ない人というのがいて、その根源的な動機に気付かされて、涙がとまらなかったといいますか。倉数さん、ベタベタしたのがお嫌いとは思うのですが、敢えて私はウェットに、なんで倉数さんは俺のことをこんなに知っているのか、この主人公はまるで俺のことを代弁してくれているかのようだ、と強く思ってしまったと。自己憐憫も甚だしいですが、まあ、40半ばのオッサンの気持ちを上手く言葉にしてくれているなあ、と思いました。
そこで思い当たるのは、この著者である「私」の経験ですね。ここに私は完全に感情移入してしまったと。倉数さんとは年齢が6くらい離れていますが、小学校でいったら6年生と1年生。その程度なら、ある意味で同世代といえるのではないか、と。「著者の私」の経験、特に、大学での読書経験やサークル経験に見覚えがある。だから、ここまで感情移入してしまえるのではないか、と。せっかく作者がここにいらっしゃるのですから、敢えて聞いてみたいのですが、「著者の私」と作者の倉数さんとは、どの程度シンクロしているのでしょうか。差し支えない範囲で教えてください。
実際のトークでの対応と比べていただけると、私の失敗が多くみつかるかと思います。
(註2)ホルヘ・ルイス・ボルヘス アルゼンチンの作家で、小説のリアリティを相対化するような短編を多く書いて衝撃を与えた。
(註3)振鷺亭 江戸期の戯作家。国立国会図書館のデジタルアーカイヴなどで見ることができる。
(註4)沢渡晶(1931~1999) 本書において核となるマイナーな女性作家。2冊の作品集と数編の未発表原稿を残して死去。写真家の沢渡朔とは、別人。
(註5)『牧神』 1970年代に創刊され、12号まで刊行された雑誌。文学だけではなく建築なども含め、様々な論者によって編まれていた雑誌の一つ。
(註6)辻原登(1945~)小説家。「村の名前」で芥川賞を受賞。代表作は『翔べ麒麟』『闇の奥』『冬の旅』。