テレビを見ていると、世の中全体がスポーツやエンタメというものに逃げているような気がする。
高校時代にバレーボールではサーブなんか打てないために必ず減点の原因になった。
舌打ちはされるし、邪魔者扱いされる。ただ、参加しないと単位は貰えないのだから苦痛に耐えて参加するのだ。
よく、体育の教え方が悪いという議論が出てくる。個人的に骨格やら知能などに欠陥があるのではないかという気がする。
他者から見ても自分からも見ても体の動きが変だ。就活が上手くいかなかった原因の一つにこれがあるだろう。
ただ、スポーツによって培われたものがある。全体主義の恐ろしさや自分が体制や大きなものに相手にされないということだ。
学校生活というものは、スポーツ以外にも容姿と学力が大切になってくる。
こんなに苦痛な思いをして、関関立の底辺学部なのかということである。
唯一の慰めは親の年収と資産が彼らの親と比べて高いことだった。
このような高校生活を送ると自然と養われるのは権力に対する疑いである。
恐らく、笑って卒業した尻がでかくて肌がきれいなマナカちゃんは世の中が公平に見えるだろう。
容姿やら悪くない頭故に現状を肯定して、世間がお墨付きを与えた不満や批判(セクハラ云々とか)などを表に出して幸せを得る。
決して世間が認めない政権批判やらはしないし、する気もないだろう。
やはり、様々な行政や司法、立法というありとあらゆるものに対する疑いを持つことが出来る。
冷笑系なやつばかりと一緒にいたが、そんな奴らの阿保らしさも感じ取ることが出来た。
ただ、自分の容姿を見るとやはり不快になるし、通っている大学に対しても不満しかない。
そんなものだから留学して学歴ロンダするのも手だし、様々なリスクを考慮して整形するのも悪くない。
絶望した先に、新たな一歩があるのかもしれない。