金足農業高校(秋田)が第百回全国高校野球選手権で甲子園に旋風を起こした。決勝では大阪桐蔭高に敗れはしたが、その健闘は地元はもちろん、全国の農業関係者をも元気づけただろう。
金足農の活躍は、社会現象と呼ぶにふさわしいものだった。
選手たちはふだんは東京ドーム四個分の広大な同校の敷地で、スコップなどを手にして授業を受け、土にまみれながら野菜や、秋田県名産の米「あきたこまち」の作付けや畜産などに携わっている。それが甲子園という大舞台で横浜高、日大三高などの強豪校を下し、秋田県勢としては第一回大会以来となる決勝進出を果たした。百回目の記念大会に起こした、まさにミラクルが詰まった旋風だった。
全員が県内の中学出身で素朴さあふれる金足農のプレーは、全国の農業高校や農業関係者を元気づけることにもなった。
日本の農業専門高校は、一九九〇年代に存続の危機を迎えたことがあった。偏差値偏重の風潮に加え、多面的な施設が必要で生徒一人あたりの予算がかかることなどから、普通科の高校に変えるべきだという声が一部の国会議員らから上がった。普通科や工業科に比べ、農業専門校の志望者が少ないことも理由の一つだった。
農業の衰退につながることから動きは食い止められたが、それでも国内の農業専門校は現在百十七校。全国農業高校長協会によれば十年前より二十三校減っており、関係者の頭を悩ませている。
農業人口の減少も著しい。農林水産省によれば、二〇〇〇年に三百八十九万一千人だった農業就業人口は昨年に百八十一万六千人となり、高齢化などにより衰退の一途をたどっている。
金足農の躍進は、このような明日への不安を抱える農業関係者にとって励ましとなったに違いない。実際、大会期間中は全国の農協や農家から「農業を志す若者の活躍は私たちの希望となっている」という声や、選手の滞在費などを補う寄付金、食べ物の差し入れが相次いだ。農業専門紙「日本農業新聞」も甲子園球場に初めて記者を派遣し、その活躍を連日のように一面で報じた。
東北勢初の優勝こそ逃したが、金足農の健闘はパワハラや不正など不祥事が相次ぐ最近のスポーツ界にだけではなく、農業にも、暗くなりがちな世相にも明るい光を差し込ませたようだった。選手たちには大きな拍手を送りたい。
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