さらに私が毎月記事の背景を変えていることに対して、情緒不安定だと「子分の若僧」は中傷して来ました。「あの人」は自分は発達障害だと誰かに言われた、あれは伊藤の差し金だと言っていますが、そんな馬鹿なことを私がやるはずもなく、こちらが「あの人」に対してはなにひとつデマに類することは言っていないのに、デマを流されたというデマを流して被害者になりすます卑劣な手口を用いています。
「あの人」への発達障害は誰が言ったのか知りませんが、情緒不安定は間違いなく「子分の若僧」が自身のブログに書いています。それまで私はこの「子分の若僧」を一度も批判せず、それどころかサンメリ・muakuzenに攻撃された時には反撃もしてあげたのに、こんな無礼なことを言われたのですから怒り心頭です。
それも私の背景の変化は、12月クリスマス、1月松に鶴、2月雪だるま、3月雛祭、4月菜の花、5月カーネーション、6月あじさい、7月ビール、8月スイカと来ていますから、季節の移り変りを追ってのものであり、こんなことは俳句の季語を知っていれば簡単に分かることなのに、「子分の若僧」は背景を変えるのは情緒不安定だと中傷して来たのです。
そして止どめは、7月29日の「やはり日本のリベラルはおかしい」という、名はあげていないものの露骨に私のことを批判した記事です、私の側はこの「子分の若僧」に対しては、非難がましいことは一度も言っていないどころか、一貫して好意的に接してきたのに、どうしてこのような記事を書かれなければならないのか、そこまで永田洋子並みの独裁者になった「あの人」の意向を忖度したいのか、その卑劣にして卑屈な態度には腸が煮えくり返る思いです。
8月4日の記事では、しばき隊事件の裁判に関して不当判決と断定しています。不当判決とするのであれば、どのような圧力がどこから掛かってそうなったのかを論証しなければいけませんが、そのようなことは一切やっていません。以前のこの人であれば、論証不能なことを断定するような無責任なことはやっていないと思います。今のこの人には、「あの人」が語ることは無条件で真実になってしまっています、「あの人」が判決を批判しているから不当判決に決まっている、といった知性の退廃とも言うべき状態に陥っているのです。
昨年の12月には一度絶縁を「あの人」に言い渡されていますから、今後も絶縁されたくなければ、傲慢な「あの人」の意向を忖度して、小腰をかがめ、もみ手で接していかなければらないことは目に見えています、そのようなかたちでネットをやっていていったいどこが愉しいのでしょう。
本人がどう行動しようが自由だと言ってしまえばそれまでですが、私の側から見れば、呆れるばかりの人の道に外れる忘恩の徒であることは間違いありません。
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