2018/08/15 進路

もとより、北陸医大 (仮) で一生を終えるつもりはなかった。 数年間、長くとも 10 年間の予定であり、その間に、私に為せるだけのことを為し、遺して去るつもりであった。 その後は、どうするのか、むろん具体的なことはわからないが、ある程度の目論見は、ある。

現在の京都大学に、私のような一度おちこぼれた者を受け入れるだけの度量があるとは思われない。私も、戻るつもりはない。 名古屋大学も、京都大学よりマシであるとは思われない。 実は、一時期、北海道大学に魅力を感じていたことがある。 解剖学の伊藤隆や、皮膚科学の清水宏、外科の某講師といった優れた人材を受け入れ、活用している同大学なら、と思ったのである。 が、過日の同大学博物館の一件で、私は、いたく失望した。

私をうまく使える場所、私が羽を広げられる場所は、やはり中小規模の地方大学であろう。

学生や研修医諸君の中には、「標準的な道」から外れることに不安を感じる者も多いであろう。 無難に出身大学に残り、無難な立場を確保し、無理のない範囲で「上」を目指すスタイルである。 私も北陸に移る際、やめた方が良いのではないか、という助言を、名古屋大学の某教授からいただいた。 私を心配してくださったのである。

しかし、よく考えると、そういうエラい先生方は、これまでの古い時代、旧世紀を生きてきた経験から物を言っているだけである。 センセイ方が、今後のことを、我々よりもよく見通しているとは思われない。 なにより、あたりまえのことであるが、その選択が本当に「無難」であるという保証はなく、その選択が引き起こす結果について、彼らが責任をとってくれるわけでもない。

名古屋大学の病理には、私の元同級生のうち 5 人ほどが残ったらしい。彼らは皆、学生時代から優秀であった者ばかりである。大豊作である。 彼らが私のことを、どうみているかは、知らぬ。 北陸に「都落ち」した私を、道を踏み外した阿呆、ぐらいに思っているかもしれぬ。 あるいは逆に、底知れぬ不気味さを感じているかもしれぬ。

ふりかえってみれば、私は麻布高校、京都大学、名古屋大学、と、まぁ、世間の評価からすれば「名門」とされるような所を歩いてきた。 その 30 年間で得た最大の収穫は「いわゆる名門というのは、実は大したことがない」という実感である。 「名門」には、とても優秀な人が比較的高い頻度でいる、というだけのことであって、「名門」にいる人の大半は凡庸である。 「名門」に入ったからといって優秀になれるわけでもなく、逆に、地方の弱小組織にも驚くほど優秀な人がいる。 さらにいえば、その「優秀な人」というのも意外と大したことがなく、 物理学の歴史に名の残るヴォルフガング・パウリやニールス・ボーアでさえ、雲の上というほどの高みにいるわけではない。 これらを言葉の上だけでなく、実感として心の底から理解できたことは、京都大学で得た最大の宝物である。

まぁ、北陸医大を離れた後の行き先候補としては、いくつかの大学を念頭に置いているが、具体的にはまだ書かない方が良いだろう。


2018/08/14 腎生検

腎生検を苦手とする病理医は多いと聞く。 腎生検は主として非腫瘍性病変の診断であり、形態的多様性に富んでいることに加え、 蛍光顕微鏡や電子顕微鏡の所見と併せた診断が基本であるから、通常の光学顕微鏡だけでは診断不能なために、多くの病理医が苦手としているのだろう。

腎生検の入門書としては、Medical view 社の『腎生検診断 Navi 改訂第 2 版』が読みやすい。 この Medical view 社というのは、「わかりやすい」書物を得意とする出版社であって、学術的に高尚ではなく、平たくいえば低俗な出版物が多い。 上述の書も、読みやすいが学術的ではなく、読んで楽しいものではない。 が、やむなく、このような書物に頼っているのが私の現状である。 本当であれば Jennette JC et al., Heptinstall's Pathology of the Kidney, 7th ed. (Wolters Kluwer; 2015). などのキチンとした 書物で勉強するのが筋なのだが、そこまで手がまわっていないのである。 とはいえ、私は、この現状を肯定する気はなく、自身が低俗な書物に頼っていることを恥じる心を忘れぬために、その事実をここに記載し、 その一方で『腎生検診断 Navi』に対する批判を述べようと思う。

この日記は、一応は匿名である。自分の素性を隠しながら具体的な書名を挙げて攻撃することは卑怯である、とする意見もあるだろう。 しかし、書物を著し、それを世に公表する以上は、それに対する批判を受けることは覚悟するべきである。 「批判するなら名を名乗れ」というのは、反対意見を封殺しようとする圧政者の常套手段に過ぎず、何らの正当性も合理性もない。 正しいことは誰が言おうと正しく、間違っていることは誰が言おうと間違っている。 単なる罵詈雑言を匿名で発するのは卑怯であるが、事実を摘示した上での批判であれば、「誰が言っているのか」は問題ではない。 むろん、批判に対して怒ることは自由である。それが言論というものである。

『腎生検診断 Navi』の中で、最も腹立たしい文章は「はじめに」である。 一部を抜粋すると、そこには、次のように記載されている。

医学の進歩に伴い、情報量が急速に増えている現在、覚えなければいけないことが多すぎて今の若い人たちは気の毒なくらいです。

この本には必要最低限の情報しか入っていませんのでここに掲載している病変はすべて頭に叩き込んでください。

まず第一に、「覚えなければいけないこと」というものが、本当のところ、どれだけあるのかは疑問である。 それは過去にも何度か書いたし、これからも書くであろうが、知識などというものは、書物やコンピューターの中に保存されているのであって、 必要に応じてそれを検索すれば済むことである。 私は 15 年ほど前の京都大学で、大事なのは知識ではない、知恵である、と教わった。その教えは、医師となった現在でも大いに活きている。

それはさておき、仮に「覚えなければいけないこと」が多かったとしても、それで「気の毒」とは、どういうことか。 医師というものは、医学を修め、それを実践することに人生の喜びと目的をみいだした人種ではないのか。 それを「気の毒」とは、医学と医療、そして医師の誇りを侮辱するものに他ならない。 「筆が滑った」で済むものではない。

第二に「頭に叩き込んでください」とは、どういうことか。 この『腎生検診断 Navi』には、形態学的特徴は記載されているものの、病理学的考察や議論は一切、掲載されていない。 単なるパターン認識に基づく分類法簡易マニュアルに過ぎない。 それを「頭に叩き込む」という作業が、はたして、本当に医学なのか。それが病理学なのか。病理診断学なのか。

もし私が著者であったならば、このような書物の「はじめに」には、次のように書くであろう。

この書物には、診断にあたって「便利」な知識だけをまとめてありますが、これらは、あくまで表面的な内容に過ぎず、病理学的本質からは、残念ながら、かけ離れています。 ですから、このような「便利」な知識に頼って医学的判断をすることは、本当は、好ましくありません。 `Heptinstall' のような、キチンとした成書を読むべきです。 しかし、そのような時間を確保できない人々が、やむなく代用手段として、緊急避難的に使うことを目的に、この本を書きました。 この本の内容を盲目的に信じてはいけません。 疑問を持つこと、キチンとした文献で調べること、考えること、そして新しい道を拓くことこそが、医学であり、医師の務めなのです。

本当は著者氏も、私と同じようなことを考えているのではないか。 ただ、それでは昨今の若い学生や医師に煙たがられるから、本音を隠して迎合しているのではないか。


2018/08/09 医師になって忘れそうになったこと

経験を積めば積むほど、人は良い方向に成長するかといえば、むろん、そうとは限らない。 学生時代には理解していたことを、医師になってから忘れてしまうこともある。

日本では、概ね臓器別に「癌取扱い規約」というものがある。 これは、悪性腫瘍の分類法や、その所見の記載法についてまとめたものであって、手術検体の切り出し方法、つまり、どこを標本化すべきか、というようなことも書かれている。 ただし、これは「規約」という名称ではあるものの、拘束力のある規則ではない。 「こうするとわかりやすいのではないか」と、用語や手法について指針を示しただけのものであって、最終的には個々の医師の裁量に委ねられており、これは 臨床的なガイドラインと同様である。

臨床にせよ病理にせよ「これは、こうする」というような規則があって、それに従えば良い、というものではない。 というより、そのような規則があるなら医師は不要である。 画一的な規則はなく、個々の症例に応じて臨機応変に対応せねばならないから、我々医師は医学を修める必要があり、また、医師には高い給与が保証されるのである。 とはいえ、現状では医学をろくに修めていない医師でさえ高い給与を受けているのだから、何かおかしいのだが、その話はまた別の機会にしよう。

いうまでもなく、上述のようなことを、私は学生時代から充分、認識していた。 ところが研修医として二年間を過ごし、病理医としての一年目を始めた最近になって、それを少し忘れかけてしまったようである。恥ずかしいことである。 過日、非常勤医として務めている某市中病院の常勤病理医から指導を受けた際に、自分が「規約の何たるか」を忘れかけていたことを認識した。

少し専門的な話になる。 たとえば「大腸癌取扱い規約 第 9 版」では、大腸壁内の癌巣について、次のように記載されている。

原発巣を含む病理標本上で, 筋層外脂肪織内に存在する癌巣に関しては, (中略) 原発巣から 5 mm 以上離れている癌巣を EX (註: リンパ節構造のない壁外非連続性癌進展病巣) として取り扱う。

要するに、原発巣から 5 mm 以上離れていればリンパ節転移として扱い、5 mm 未満であれば原発巣の直接進展として扱う、ということである。 たとえば他に明らかなリンパ節転移がない場合、その壁内病変が原発巣から 4.9 mm であればリンパ節転移陰性ということになるが、5.0 mm であればリンパ節転移陽性である。 リンパ節転移の有無は、術後療法の選択などについて重大な影響を与えるが、この 0.1 mm で、それが分かれるのである。

素人、あるいは臨床に染まっていない学生であれば、これはおかしい、と気づくであろう。 その 0.1 mm の差が、それほど重大な差を生じるということは、常識的に、あるいは病理学的に考えて、理解不能である。 だいたい、その「距離」は、標本作成の際に最短距離を切片に乗せるか、少し斜めの断面を切片に乗せるかで、容易に変化するではないか。

その通りなのである。 規約には何も書かれていないが、仮に距離が 4.5 mm であっても、形態的にリンパ節転移だと強く信じる根拠があるならば、それはリンパ節転移として扱うべきである。 逆に 5.5 mm であっても、直接進展が強く疑われるなら、安易にリンパ節転移とみなすべきではない。

規約にそう書いてあるから、とか、WHO 分類でそうなっているから、とかいう言葉を言い訳に使う者は、藪医者との謗りを免れることができない。


2018/08/08 東京医科大学

東京医科大学は、女子受験生に対し不当に差別的な取り扱いをしていた、という件で有名になった。 この件について、朝日新聞

性による差別は、学生の学ぶ権利を奪うだけでなく、誰もが能力を発揮して働ける社会づくりに逆行しかねない。

と書いたが、この書き方は、まずい。 大学入学に際しての性による差別自体は、社会的に容認されているのが現状である。 性差別を禁止するなら、たとえば東京女子医科大学のような、女性にしか門戸を開いていない大学は許されない、ということになる。 一方で、私の知る限りでは、公然と男性を優遇している医学科は、日本には存在しない。 現状では、少なくとも建前上は、門戸がより広いという意味において、女性の方が男性よりも医学科に入りやすいのである。 今回の件についても、東京医科大学が募集要項において男女別の定員を設けるとか、合否判定において男女に差を設けることを公言していたならば、 これほどの問題にはならなかったであろう。 密かにやっていた、ということが悪いのである。

なお、女性医師は離職や休職しやすい、というのは嘘である。 現に我が北陸医大 (仮) では、あたりまえのように男性医師が長期育児休暇を取得している。 病院長も「そんなの、あたりまえだろ」と言っている。 離職についても、別に、男性医師が生涯にわたり奉公するということはない。 むしろ、気軽にホイホイと、他の病院に移籍している。 私だって、北陸医大に永住するつもりはなく、あと数年もすれば、よそに移るつもりである。 もし北陸医大が、病院を長きにわたって支える戦力、と思って私を採用したのなら、とんだ見込み違いであった。

外科などの厳しい環境を支えるには、肉体的な意味で男性医師が望ましい、というのも嘘である。 というより、男性医師だって、キツい環境とユルい環境であれば、わざわざ前者を選ばない。 どの診療科に進むかの選択権は、現状では完全に医師側にあるので、男性医師を増やしたからといって、キツい職場に行く医師が増えるわけではない。 そもそも、外科に関心のある女性医師や女子学生は、実は少なくないのである。 彼女らが結局外科に行かないのは、理不尽な労働体制や異常なセクハラが主な理由であろう。 男女比をどうこうするより、むしろ、「4 日連続当直だ」などと「キツさ」を自慢する異常な風土を改善し、横行しているセクハラを厳しく取り締まるべきである。

理解できないのは、東京医科大学が、このような操作を行っていた本当の理由である。 大学は、あくまで教育機関であって、現状でいえば、医学科は職業訓練学校である。 卒業生が自大学の病院に入職するとは限らないのだから、大学病院の人材を確保する手段として大学入試で操作をすることは、効率の良い方法ではない。 医師が足りないなら、よそから招聘すれば良いではないか。

それとも何か。東京医科大学というのは、よそから医師を呼び込むことができないほど、魅力の少ない大学なのか。


2018/08/07 近況

ずいぶんと間があいた。たいへん、良くないことであるが、これには、2 つの事情がある。

第一に、初期研修を終えてからというもの、病理診断業務に追われているという事情がある。 ばらつきはあるが、概ね、生検症例が週に 15-20 例程度、手術症例が 10 例程度であり、その他に他の市中病院からの受託症例が月に 15-20 例程度である。 私は、専門医資格も持たぬ病理のヒヨコであるから、むろん、単独で病理診断を行うことはない。 自分の担当症例について、「切り出し」を行い、標本をみて診断し、報告書を記載するが、この段階では未確定である。 上級医 (主として教授) の確認を受けてから、病理診断報告書として確定されるのである。 私がおかしな診断を書いていれば、その上級医による確認の段階で指摘される。 だから、臨床医の諸兄姉は、3 年目のヒヨコがみているからといって、不安がる必要はない。

なお、このあたりの体制については、大学によっても大きく異なるようである。 学生時代からの友人で、現在は中部地方の某大学にいる某君によると、かの大学では 3 年目のヒヨコには、当初は生検症例は診させないらしい。 その理由はいろいろあるだろうが、一つには、生検症例は検体が小さく、診断が難しいということがあるだろう。 また、切り出しも当初は補助につくだけで、自分が主体となっては行わないという。 私は研修医修了間際の 3 月から切り出しを自分が主体となって行い、わからない点がある場合のみ上級医を呼ぶ方式であるから、だいぶ違う。 我が北陸医大 (仮) のような「習うより慣れろ」方式の促成栽培は、実践的ではあるものの、我流で不適切な技法を身につけてしまう恐れがあるから、注意が必要である。 某大学のような手厚い指導体制は、実戦投入されるのは遅くなるものの、適切な指導者にさえ巡りあえていれば、確実に優れた病理診断医が育つであろう。 私が指導する側にまわった暁には、我が大学においても、そのような教育体制を確立したい。

病理漫画「フラジャイル」では、病理医一年目の宮崎医師が、一日に診断できる患者数について「10 例程度」と述べていたが、これは妥当な数である。 というより、宮崎はむしろ優秀な部類であって、私は、丸一日診断に専念しても、平均すれば 10 例には届かない。 切り出しのある日などは、2 例診断するのがやっと、などということもある。 また、6 月からは、前述のように、市中病院における非常勤医としての勤務も始まった。 これらの事情から、上述のような週に平均 30 例程度の診断を遂行するには、平日だけでは、確実に足りないのである。

第二に、私生活上の問題もある。 昨年の暮頃から、まぁ、いろいろとあって、いろいろと休日に用事があり、でかけることが多い。 年末頃には落ち着く見込みなので、具体的には、その頃に書こうと思う。


2018/07/10 奨学金

先月から、某市中病院の非常勤医を兼務している。 契約上は北陸医大 (仮) とも非常勤医としての契約なので、形式的には「定職に就かず、アルバイトをかけもちしている」状態である。 むろん、それは建前の話であって、実態としては大学病院の常勤医であるし、そのコネで市中病院の「アルバイト」を紹介されているのである。

この市中病院の「アルバイト」というのも、本当の意味でのアルバイトではない。 なにしろ、私は専門医資格も持たない駆け出しの病理医に過ぎず、診断業務については、ほとんど戦力にならない。 むしろ、いろいろと教えてもらうために、学ぶために市中病院に出向いているのである。

それなのに、私には、市中病院から法外な給与が支払われている。週に一回、赴いて、日当 7 万円 (交通費別) なのである。 仕事らしい仕事といえば、少し切り出しをするだけで、実働は一回 2 時間程度である。 それも、私がやるから 2 時間なのであって、熟練者であれば 1 時間で終わる程度の仕事である。 あとは、自分で標本をみて、後で、その市中病院の常勤病理医からコメントをもらう、という「仕事」だけである。 常識的に考えて、7 万円の仕事内容ではない。

要するに、これは給与名目の奨学金なのである。 研修医の「給与」と、何ら変わるところはない。 3 年目の医師になって、奨学金の出所と額が少し変わっただけのことである。

むろん、これは我々の能力や将来に期待して、社会や病院が奨学金を支給しているわけではない。 単に医師免許という資格が物を言っているだけであって、我々が優秀なわけではない。 そのあたりを、勘違いしてはなるまい。


2018/07/02 札幌と北陸

昨日紹介した『札幌農学校』には、野心と大志に満ちた文章が多い。 しかし、この書物が刊行されて百余年が過ぎても、なお、北海道大学が京都大学や東京大学を遥かに凌駕し、東洋あるいは世界の学問の中心となり、 「東西文明史に少なからず影響を与へん」というほどの偉大な大学になったようには、思われない。 なぜだろうか。

この『札幌農学校』の「第四章 札幌帝國大學設立の必要を論ず」は、次のように始まる。

生物進化の大勢は顕然としておおうべからず。社会は一種の有機体なり。 十九世紀の文明は古来世界文明史が未だかつて達する能はざりし頂点を究めたりき。 しかも文明進化の大勢はこの十九世紀をもって目的の彼岸となさず。 今より数年を出でずして二十世紀生れんか、世界の舞台は旧世紀を伴て一転し去り、文明は新舞台に立てまさに大に活動すべし。 しかして文明活動の日は平和的生存競争の最も激烈なるの秋なり。 しかりといえども文明の為す所は必しも善ならず。 人類の平和は遂に戦争を尽滅する能はず。 人種の競争はますますその度を高むべく老国の分裂は一掬の涙を受けざらん。 しかり、強はいよいよ暴威を逞うし、弱はますます塗炭に苦まん。 今や文明の東漸と共に、東洋の天地は世界大勢の渦輪中に捲込まれ、人目集注の焦点となり、二十世紀文明の活動場と化し去りぬ。 この時に際し帝国国民たるもの、耐忍奮励し、富強の実を挙げて以て国家百年の長計を建てざるべからず。

この段落の前半は名文である。人類進化を論じ、平和と戦争を語り、未来の課題を描いている。 が、最後の一文において、論題を大日本帝国内部の問題に限定してしまった点が遺憾である。 すなわち次の段落以降は、我が帝国の繁栄のために札幌帝国大学を設立すべきである、というような矮小な議論に終始し、 学問の発展、人類の繁栄のため、という視点を失っているのである。 ただし、昨日の記事で引用した格調高い文章は、実は、この「第四章」の末尾にあたる。 すなわち著者は、帝国大学設立を論じるために、やむなく、低俗で志の小さい議論を展開したが、 それが札幌農学校の名誉を傷つけることを恐れために、世界に言及してから論を終えたのであろう。 著者は、札幌帝国大学設立を論じる中で、次のように述べている。

人或は曰はく、普通教育の必要は則ち可なり、しかも高等教育の必要を説くに至りては、機の未だ熟せざるを如何せん。 如かず、帝国大学の養成せる人材を誘ひ来りて、以て北海道の柱石たらしめんにはと。 ああ、これ殖民の何たるを解せざるの論なり。 それ北海道の事業たる、何れも草創に属し、その経営の困難なる実に内地人の予想外に出づ、深く愛土の精神ありて、百折不撓、千挫不屈、以て事に当たるに非ずんば いずくんぞよくその功を収むべけんや。 この種の人材は之を他郷の客将に求むべからず、須くその土の設備にかかる大学が養成したりし健男子ならざるべからず。 何となれば後者は永くその土の新空気を吸ひ、その土の山川気候に慣れ、愛土の念、有為の心、他に比して大なるものあればなり。 かつ北海道は内地とすこぶる風土を異にするを以て、この地の開拓者を養成せんには、須くこの地特有の学術を授くる大学の組織あらざるべからず。

すなわち、北海道開拓のための人材を確保するには札幌帝国大学が必要だ、と主張しているのである。 福沢諭吉が実学を優先したのと同様である。 遺憾ながら、これは、学問の本道にもとる。 福沢にせよ札幌農学校にせよ、眼前の課題あるがゆえに、断腸の思いで実学を優先したのではあろうが、それは結果として基礎学問を軽視することになる。 その態度は、百年の後には、とり返しのつかぬ差となって顕れる。 著者は、次のようにも述べている。

北海道は四隣寂寞として学生の誘惑に価するもの少く、外に出でて交る所は独り雄渾なる天然あるのみ。 これ北海道に大学を設立するの適当なる所以なり。

今の札幌には、すすき野がある。学生を誘惑する魔手が、そこかしこに満ちているのである。 この環境にあって、学問を修め、道を究めることは、容易ならざること明白である。

それを思えば、我が北陸医大 (仮) は、この二十一世紀になっても、なお四隣寂寞として学生の誘惑に価するものが少ない。 実は、この『札幌農学校』の文中にある「札幌」を全て「北陸」に置き換えると、現在の北陸医大を論じる文章として、何ら違和感がない。 我々の時代は、これからである。

札幌農学校出身の新渡戸稲造は、五千円札になった。 ならば北陸医大の我々も、少なくとも紙幣の肖像画ぐらいには、なれる。


2018/07/01 札幌農学校

札幌で開催された病理学会が終わったのは 6 月 23 日であるが、飛行機の便の関係上、私が札幌を後にしたのは 6 月 24 日の昼である。 24 日の午前は、北海道大学、特に、その博物館を見学した。

北海道大学敷地を見学したならば、ぜひみるべきは、新渡戸稲造の胸像である。 新渡戸は札幌農学校の卒業生であり、後に、札幌農学校教授、京都帝国大学教授、東京帝国大学教授などとして教育や政治の面で活躍した。 主として明治期に活躍した教育者として知られるが、後藤新平と一緒に台湾で仕事をしたこともあるらしい。 新渡戸を紙幣の肖像として印刷することは、この国が教育をいかに重視しているかを示している。 というより、制定当時の官僚達が、そういう思想を持っていた、という方が正確であろう。 その精神を、現在の日本の人々が覚えているかどうかは、知らぬ。

北海道大学の敷地内の芝生には、火気の使用を禁ず、という趣旨の立札もあった。 芝生で焼肉パーティーなどを行うことを禁じているのであろう。 この立札の一つに、「禁止することを禁止する」という落書きがなされていた。これを、どう考えるか。

ひょっとすると、泥酔した学生が立札を引き抜き、勢いに任せて書き込んだだけの、くだらない落書きかもしれぬ。 しかし、ここが天下の北海道大学であることを思えば、もう少しばかり、高尚な精神が込められていると推定するのも悪くなかろう。 すなわち、我々は自ら律し、事の善悪は、己の良心と精神に基づいて判断する。当局の命令を受けるいわれはない、という気概の表明である。 札幌農学校の精神を受け継ぎ、北辺の地で学業に勤しむ若者であれば、そのくらいの志は、持っていないはずがない。

札幌農学校の精神といえば、はなはだ遺憾であったのは、博物館である。 私は 9 年か 10 年ほど前に、一度、北大博物館を訪れたことがあり、その精神の崇高なること、学問への情熱の盛んなことに、いたく感激したものである。 当時、札幌農学校の歴史を紹介する一室には、明治 31 年に札幌農学校学芸会が編纂し、裳華房から出版された『札幌農学校』という書物から引用された 次のような文章が紹介されていた。 現代人に読みやすいように漢字などは適宜挿し替えて引用するので、原文をみたい人は、 北海道大学出版会から刊行された復刻版 (ISBN 483295072X) を読まれよ。

教育の精神は須く世界的たらざるべからず。 教育に党派なく、また人種血族なし。 教育に藩閥なく、また仇邦敵国なし。 たとえ北海道拓殖上の政策よりして、札幌帝国大学を起すといえども、教育家の精神に至ては独り北海道と云はず、宜しく日本全国を裨益することを思はざるべからず、 否また日本全国に留らず、汎く世界を教育し、将来東西文明史に少からざる影響を与へんことを予期せざるべからず。 それ一国教育の中心は必しもその政治的中心と一致せず。 米国第一流の大学は、必しもワシントンに在らずして、多くニューイングランド州に在り。 英国第一流の大学は、必しもロンドンに在らずしてオクスフォード、ケンブリッジ、エディンバラに在り。 その他列強有名の大学は、必しもその首府に在らずして、かえって偏僻の地に多きゆえんのもの、教育の中心と政治の中心とは、相一致するを要せざるを見るに足らん。 吾人は信ず、我北海道は実に学問の地たり。 未だ二十世紀の中葉に至らざるに、嶄然として頭角を顕はし、東洋の北極星と成り、学術の効果を遠近東西に分与するの日あらんことを。

なお、この時点で札幌帝国大学 (あるいは北海道帝国大学) の設立は、決定されていない。 いわば札幌農学校は、僻地の小さな国立専門学校に過ぎない。 その専門学校の学生が、この格調高く、志と情熱に満ちた文章を著し、後世に遺したのである。

札幌農学校教頭として有名なクラークは、boys, be ambitious の言葉で知られている。 この ambition というのは、金持ちになるとか、出世するとか、名誉を得るとか、世間から賞賛されるとかいう意味ではない。 正しく生きること、人と社会のために働くこと、そのために能力を研き、学び修めることをいう。 これは私個人の見解ではなく、札幌農学校や北海道大学の見解でもある。

ところが、その設立当時の精神をうたった展示室は、今回の訪問時、ノーベル賞とかいうものを与えられた某という教授の業績を宣伝する内容に改装されていた。 北海道大学における地道な研究が世界に認められた、として、誇るような内容であった。

賞を与えられること、世間から認められることが、北海道大学のいう ambition なのか。

2018.08.14 余字削除

Home
Copyright (c) Francesco
Valid HTML 4.01 Transitional