はじめに
産科、小児科等の医療関係者の不断の努力により、日本の新生児・周産期医療は目覚ましく進歩・発展しました。その結果、出産時に妊産婦と新生児が死亡するケースは大きく減少し、妊産婦死亡率・新生児死亡率の低さは世界最高水準を維持しています(注1)。
出産時に限らず、医療の進歩により救われる命が増えた一方で、残ってしまった障害や疾患等により医療的ケアが必要な子ども、いわゆる「医療的ケア児」の数がこの10年で2倍以上(1.7万人以上)に急増したとの推計があります(注2)。医療的ケア児が急増した結果、社会の側に医療的ケア児と家族に対する支援体制が十分に整っていないため、さまざまな問題が発生しています。
本稿では、医療的ケア児とその家族が直面している状況について、筆者の活動を交えつつ紹介し、課題の解決に向けた方策について提言します。
医療的ケア児とはどのような子どもか
医療的ケア児とその家族が直面している問題について紹介する前に、そもそも「医療的ケア」という言葉について知らない読者が多いことを想定し、まずは医療的ケアについて説明します。
医療的ケアとは、明確な定義がなされているわけではありませんが、一般的に「日常生活を送る上で必要とされる衛生管理に関する医行為(医療行為)」とされ、障害や疾患等により低下した身体機能を、医療機器等を用いて補助しています。具体的な医療的ケアの例としては、呼吸に関する人工呼吸器、気管切開、喀痰吸引(たんの吸引)等や、栄養摂取に関する経鼻栄養、胃ろう等や、排泄に関する導尿等が挙げられます。(注3)医療的ケアが必要となる原因は、先天的・後天的な疾病によるものや、事故(出産事故、交通事故、溺水事故、誤嚥窒息事故等)等があります。
医療的ケアは医療行為の一部とされていますが、医師が行う専門的な治療行為とは異なり、日常的な介助行為であるため、医療関係の免許を持つ医師や看護師など以外の保護者や本人が行うことが許容されています(実質的違法性の阻却)(注4)。さらに、介護保険法の改正により、2012年4月からは一定の研修を受けて認定された介護士や特別支援学校教員等が行うことも、喀痰吸引等の一部の医療的ケア(特定行為)に限って公的に認められるようになりました(注5)。
医療的ケア児とは、医療的ケアが必要な子どもを指しますが、この言葉が生まれた背景として、従来の心身障害児の定義について説明する必要があります。従来の心身障害児は、いわゆる「大島分類」によって一般的に定義され、歩行移動と言語理解のそれぞれの度合いによって判別します(注6)。
大島分類では、歩行移動ができない場合は肢体不自由の障害児とされますが、医療的ケア児のうち、およそ6割が重症心身障害児(歩行移動も言語理解ができない子ども)である一方で、およそ3割は歩行移動ができる子どもであるとの報告があります(注2)。つまり、医療的ケア児のおよそ3割が、従来の心身障害児の分類に当てはまらないことになります。
従来の障害児に関する制度では、急増する「新しい障害児」である医療的ケア児を支援することが困難であるため、法律による規定が各所から求められてきました。2016年6月の児童福祉法の一部改正において、ようやく法律上初めて定義付けられ、支援体制の整備が地方公共団体の努力義務とされるなど、その一層の支援が求められるようになり、近年になってようやく少しずつ支援体制の検討が始まるようになりました。(注7、8)
■参考
児童福祉法第56条の6第2項
「地方公共団体は、人工呼吸器を装着している障害児その他の日常生活を営むために医療を要する状態にある障害児が、その心身の状況に応じた適切な保健、医療、福祉その他の各関連分野の支援を受けられるよう、保健、医療、福祉その他の各関連分野の支援を行う機関との連絡調整を行うための体制の整備に関し、必要な措置を講ずるように努めなければならない。」
医療的ケア児の家族はどのようなことに困っているのか
次に、医療的ケア児とその家族が直面している現状と問題について紹介する前に、筆者がこのテーマを扱うに至る経緯を述べます。
2012年、筆者の妹は出産事故に遭い、母子ともに一命は取り止めたものの、大量出血による低酸素状態での出産となりました。その結果、甥は肢体不自由となり、気管切開と胃ろうの医療的ケアが必要な子どもとなりました。
母子ともに退院できましたが、妹は周囲に医療的ケア児の子育てに関する相談相手がおらず、行政や地元の政治家に話しても適切な対応をしてくれないことから精神的に疲弊していました。その様子を見た筆者は、解決方法を模索する中で、出会った仲間たちと共に、任意団体「ウイングス 医療的ケア児などのがんばる子どもと家族を支える会」(以下、ウイングス https://wings-japan.jimdo.com/)を立ち上げました。
ウイングスの活動を通して明らかになった、医療的ケア児とその家族が直面している現状と問題を、大きく次の4点に分けて紹介します。
(1)相談する相手がいない
子どもが事故や病気などによってNICU(新生児集中治療室)等に入院した場合、容態が安定すると医療的ケアが必要な状態であっても退院することになります。その際に医療関係者から保護者に対し「これから大変だけど、がんばってください」と伝えられるだけで、具体的な対処方法を知らされない場合が多いです。
多くの保護者は、医療に関する知識、福祉制度に関する知識や、医療的ケア児の子育てに関する情報を持っていません。医療的ケアの方法は、退院時に医療関係者から教えてもらえますが、必要な福祉用具とその使い方、使える公的な福祉サービス、必要な療育、入浴のさせ方など、日常的なことすべてを一から学ぶ必要があります。
しかし、周囲に同じような境遇の家族がいない場合が多いことから、分からないことや困ったことがあっても、気軽に相談できる人がいません。役所の福祉課や相談支援員に相談しても、医療的ケアについて理解が不足しているために、何もしてくれない、間違った情報を伝えられるということがあります。役所以外に医療関係者や政治家などに相談しても、他人事のような冷たい態度を取られたり、ときには差別的な発言をされて傷ついたりということがあります。
このような状況で頼るところがないために、精神的に追い詰められる家族が多くいます。
(2)公的な支援制度が整っていない
1章で述べたように、医療的ケアは、医療行為の一部だと捉えられているために、医療的ケアを行うことができる人は医療関係者や研修を受けた人、本人・家族に限られています。行為者を制限し、医療的ケアを行える人を増やす公的な制度等が整っていないため、医療的ケアが必要な子どもを預けられる施設が不足しています。
医療的ケアが必要なこと以外に、知的にも身体的にも障害の無い子どもであっても、保育所や幼稚園の入所・入園を断られることがあります。また、障害のある子どもが入学する特別支援学校や特別支援学級でも、看護師等が不在であることや、看護師がいても医療的ケアに不慣れであり、事故時の責任が不明瞭であることなどを理由に、通学できなかったり、常時学校に保護者が付き添うことを求められたり、ということがあります。預け先がないために、保護者の代わりに、一日中必要となる医療的ケアを行う人がいないと、保護者は睡眠不足や疲労によって、精神的にも体力的にも疲弊してしまいます。
また、人工呼吸器などをつけていても病名が確定していない場合は障害者手帳などの交付がないため、行政の障害児や難病児向けの助成サービスを受けられないという場合があります。公的な支援制度は自治体によって解釈や取組みに大きな差異があり、すぐ隣の自治体に引越しただけで、これまで受けられていた公的なサービスを受けられなくなり、困るということが多くあります。
(3)保護者(とくに母親)が仕事を辞めざる得ない
(2)に起因して、子どもの世話を休めない場合や、睡眠時間が極端に少ない場合は、仕事を辞めざるを得ません。たとえ、預け先があったとしても、医療的ケア児は体調が悪化することが多いため、欠勤や早退をして子どもを病院に連れて行くことが多くなります。このことについて職場の理解が得られず、ときには辞職圧力を与えられることで、辞めざるを得なくなることもあります。
共働きの場合、産休や育休を取った母親がそのままキャリアを諦めざるを得なくなるということが多いようです。ひとり親の場合は、無収入になってしまうため、経済的に困窮する恐れもあります。
(4)子どもに十分な発達・発育の環境が与えられていない
これも(2)に起因して、医療的ケア児が保育所や幼稚園に入れない、学校に通学できないといった、十分な発達・発育や成長の機会が与えられていないという現状があります。
子どもが心を育み社会性を身につけるためには、子どもの集団の中で育つ必要があります。子どもが社会性を身につけることは、将来就労して自立する可能性を高めるはずですが、義務教育ですら健常児と比較して不公平な状況になっています。たとえば、特別支援学校の在宅訪問の授業時間は、週6時間しか受けることができず、特別支援学校の通学や、小・中学校の特別支援学級や通常学級の週21時間程度と比較して極端に少ない状況です。(注9)
以上のように、医療的ケア児とその家族は、当たり前の社会生活を送ることができていません。生存権や教育を受ける権利を保障するために、一刻も早く対策を行う必要があります。
■参考
日本国憲法第25条(生存権)
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」
日本国憲法第26条第1項(教育を受ける権利)
「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」【次ページにつづく】
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