プロダクトマネジメントの歴史と進化

BY MARTIN ERIKSSON ON OCTOBER 28, 2015

以下は、Martin Erikssonによる「The History and Evolution of Product Management」の翻訳です。本人の許可を得て掲載します。

プロダクトマネージャーになりたての方も経験豊富な方も「プロダクトマネージャーという役割はどこから来たのか?」「なぜマーケティングやUXなどの多くの分野と交差しているのか?」といった質問をよくしている。プロダクトマネジメントに確固たる歴史があるわけではないが、そのルーツについて考え、時間の経過とともにその役割がどのように進化したかを理解するのは有益だろう。少なくとも、我々の能力や思考が発達するにつれて発生する、組織のトレードオフを理解するのに役立つはずだ。

歴史

現代のプロダクトマネジメントは、1931年にP&GのNeil H. McElroyの書いたメモから始まった。当初は人材の雇用を正当化するためのものだったが(プロダクトマネージャーには馴染み深い話かも?)、それが現在のブランドマネジメントの、最終的にはプロダクトマネジメントの考え方の基礎となった。

Neil McElroy

彼が800語のメモに記したのは、「ブランドマン」のシンプルで簡潔な説明と、ブランドに対する(売上の追跡から、プロダクトのマネジメント、広報、プロモーションに至るまでの)その絶対的な責任についてだった。そのためには、徹底的なフィールドテストとクライアントとのやり取りが必要だと説明しているところも彼ならではである。

McElroyは2人を採用した。そして、P&Gをブランド中心の組織に再編し、それが日用消費財(FMCG)の分野のプロダクトマネージャーの誕生につながった。その後、McElroyは米国国防長官となり、NASAの設立を支援することになった。すべてのプロダクトマネージャーが偉大であることを証明したのである。それから、スタンフォード大学にも助言した。そこで2人の若き起業家に大きな影響を与えることになった。その2人とは、Bill HewlettとDavid Packard(HPの創業者)である。

Bill HewlettとDave Packard(Jon Brenneis/The LIFE Images Collectionの厚意により転載)

彼らは「ブランドマン」の精神を「意思決定を可能な限り顧客に近づけるもの」であり、「プロダクトマネージャーを社内における顧客の声に位置づけるもの」であると解釈した。絶大な影響力を持つ書籍『HPウェイ』では、HPはこの方針によって、1943年から1993年までの50年間にわたり年間成長率20%を連続して達成できたと評価されている。

HPには他にも多くの「最初のもの」があった。たとえば「部門制度」がそうだ。これは、各製品グループが、プロダクトの開発・製造・マーケティングに責任を持つ自律的な組織となるというものである。部門の人数が500人以上になると、必ず分割して規模を小さく抑えるようにしていた。

一方、戦後の日本では、資源不足やキャッシュフローの問題により、ジャストインタイムの製造方式が生み出されることになった。大野耐一豊田英二(トヨタグループ創始者の甥であり、トヨタ自動車の社長および会長)は、このジャストインタイムの考えを取り入れ、30年以上にわたり改善を続ける「トヨタ生産方式」と「トヨタウェイ」を生み出した。彼らは、生産プロセスのムダを排除するだけでなく、現代のプロダクトマネージャーの全員が知っているであろう2つの重要な原則についても重視していた。その2つの原則は「改善」と「現地現物」である。改善とは、常にイノベーションと進化を目指しながら、ビジネスを継続的に向上させること。現地現物とは、正しい決定を下すために、事実を発生源まで探しに行くことである。

ジャストインタイムが西洋にやって来たとき、HPはもちろんその価値を認識して、最初に受け入れた企業のひとつであった。HPの元社員たちがこうした新しい考え(顧客中心、ブランドごとの縦割り、リーンマニュファクチュアリング)を次の新しい仕事に持ち込んだことで、成長著しいシリコンバレーに同一の精神がすばやく浸透することになった。そこからあらゆるハードウェアやソフトウェアの企業に広がり、今日の我々が知っている、そして愛している、世界的なムーブメントとなったのである。

プロダクトマネジメントがテックの世界にやって来た

元々のプロダクトマネージャーは(現在の日用消費財のプロダクトマネージャーも同様に)主にマーケティングの機能を担っていた。古典的なマーケティングミックス(正しいプロダクト、正しい場所、正しい価格、正しいプロモーション)を用いて、顧客ニーズの理解とその実現のプロセスにフォーカスしていたのである。

彼らの主要指標は売上と利益だった。日用消費財における新製品の開発と生産の動きは遅いため(新しい歯磨き粉を開発して、テストして、生産して、新しいブランドとして市場に届けるまでに、どれだけの期間がかかるかを想像してほしい)、最終的な3つのP(場所[Place]・価格[Price]・プロモーション[Promotaion])や清水公一の4つのC(商品[Commodity]・コスト[Cost]・コミュニケーション[Communication]・チャンネル[Channel])にフォーカスすることになったのである。

その結果、日用消費財のプロダクトマネジメントは、パッケージング、価格設定、プロモーション、ブランドマーケティングなどを適切にミックスするマーケティングコミュニケーションの役割を担うようになり、プロダクトの開発については、他の人たちに任せるようになった。

だが、プロダクトマネージャーの役割がテックの世界に移行すると、プロダクトの開発と生産の分断は容認できなくなってきた。テック業界の新興企業はまったく新しい産業を生み出しているのであり、商品のパッケージングや価格設定だけで成功することなどできなかったのである。これにより、プロダクト開発がプロダクトマネジメントの中心に戻されることになった。そして、顧客やニーズを理解するだけでなく、プロダクトの開発を顧客やニーズに合わせることも不可欠になったのである。

マーケティングとプロダクトマネジメントの分断は、現代の多くの組織においても感じられることだろう。いずれも自分たちが顧客を「所有」しており、市場を理解していると感じているのである。だが、ほとんどのテック企業では、マーケティングはブランドと顧客獲得を所有するように変わってきているようだ。そして、プロダクトマネジメントがプロダクトの価値提案と開発を所有しているのである。

突然、みんながアジャイルに

以前のテック業界のプロダクト開発は、非常に遅くて面倒なプロセスだった。ウォーターフォールプロセスを重い足取りで進んでいたのである。リサーチから始まり、数か月かけて膨大な要求文書を作り、それをエンジニアリング部門に壁越しに放り投げて開発する。プロセスは一度も繰り返されることなく、数か月後にまったく違う何かが生み出されることになる。

だが、2001年に17人のソフトウェアエンジニアがスキーリゾートに集まり、アジャイルマニフェストを制定してくれた。これは、重量級でプロセス指向のウォーターフォール方式のソフトウェア開発の代替案として、70年代に広がった軽量級の開発手法をベースにしたものである。アジャイルやアジャイルマニフェストと言えば、今ではスクラムが思い出されるかもしれないが、スクラムはアジャイルマニフェスト以前の90年代に開発されたものである。他にもDSDMやXPなどの方法論が同じ目標を達成しようとしていた。なお、今日のプロダクト開発で広く使われているカンバンは、元々はトヨタ生産システムのなかで1953年に生み出されたものだ!(訳注:実際には単に名前が同じだけで内容は異なる)

アジャイルマニフェストが制定されたユタ州スノーバードのリゾート

起源は何であれ、アジャイルマニフェストはさまざまな方法論の背後にある原則を明確に示してくれた。

私たちは、ソフトウェア開発の実践
あるいは実践を手助けをする活動を通じて、
よりよい開発方法を見つけだそうとしている。
この活動を通して、私たちは以下の価値に至った。
プロセスやツールよりも個人と対話を、
包括的なドキュメントよりも動くソフトウェアを、
契約交渉よりも顧客との協調を、
計画に従うことよりも変化への対応を、
価値とする。すなわち、左記のことがらに価値があることを
認めながらも、私たちは右記のことがらにより価値をおく。
http://agilemanifesto.org/iso/ja/manifesto.html

アジャイルマニフェストは、プロダクト開発における大きな分岐点となった。指示されたものを(その仕様がどんなにバカげていたとしても)正確に大量生産するコンベアベルトからソフトウェアエンジニアを解放しただけでなく、プロダクトマネジメントを仕様書などの作成物から「顧客との協調」へとフォーカスを移行させてくれたからだ。

このフォーカスの移行は、さまざまなレベルで大きな意義があった。

まず、プロダクトマネジメントとエンジニアリングの関係が、対立的なものから協調的なものへと変わった。スクラムでは「プロダクトオーナー」という役割が生み出されているが、顧客の課題に対する最高のソリューションを構築する方法を検討するために、すべてのアジャイル手法がプロダクトマネジメントの役割とエンジニアのコミュニケーションを最良の手法として取り入れている。

次に、顧客にフォーカスすることで、プロジェクトの「リサーチ」「仕様策定」「開発」といった人工的なフェーズの分断を排除できるようになった。そして、プロジェクト終了時に発生するユーザーエクスペリエンスの分野の要素を、プロダクトの初期の基本的な部分、それからプロダクトの発見と開発の継続的なプロセスの必要不可欠な部分へと移行できるようになった。

最後に、これらの原則は、リーンプラクティス、リーンスタートアップ、リーンエンタープライズにより、ビジネスの分野にも浸透していった。「リーン」は、日本の継続的な改善の伝統をベースにしており、アジャイルのアプローチをプロダクト開発だけでなく、ビジネスそのものにも適用したものである。

プロダクトマネジメントの立ち位置

ごく最近まで、プロダクトマネジメントはマーケティングまたはエンジニアリングの機能の一部であり、それぞれの階層に対してレポートが作成されていた。いずれかの機能に合わせようとすると、必然的に優先順位付けやフォーカスの衝突に巻き込まれることになっていた。

だが、最近のプロダクトマネジメントは、独立した機能としてマネジメントの位置にあり、レポートもCEOに対して直接作成するものとなってきている。このことは極めて重要だ。プロダクトチームがビジネスのビジョンやゴールと直接結びつき、ビジョンを広める社内外のエバンジェリストとなり、難しい優先順位付けの判断に必要な独立性を与えられることにつながるからだ。

今後について

優れたプロダクトマネジメントは、持続可能な競争上の優位性となり、今も進化を続けている。

プロダクトマネジメントは、引き続きマーケティングを一部を吸収している。優れたプロダクトが高速かつ安価な成長につながることを多くの組織が認めており、ユーザーの獲得をプロダクトの一部に含めるようになってきた。プロダクトマネジメントは、ビジュアルデザインからユーザーフローやエクスペリエンスを分離させたユーザーエクスペリエンスの要素も引き継いでいる。プロダクトマネジメントは、チームやプロダクトや市場に最適な仕事のやり方に合わせる流動的なプロセスを包含している。それは、スクラムかもしれないし、カンバンかもしれないし、まったく異なるものかもしれない。あるいはそれらの組み合わせかもしれない。

最も重要となるのは、プロダクトマネジメントが組織で広く理解され、きちんと所有されることである。あなたがエンジニア、デザイナー、創業者、プロダクトマネージャーならば、いずれかの分野に当てはまることになるだろうが、本当に重要なのはあなたがプロダクトの中心にいることであり、顧客のためにプロダクトの改良に熱心に取り組むことである。

いずれは企業に「プロダクトマネージャー」と呼ばれる人がいなくなる可能性もあるだろう。だが、プロダクトマネジメントの専門技能はさらに重視されることになるはずだ。また、そのための学習も重視されることになるだろう。つまり、企業の内外の人たちと情報交換や協調しながら、専門技能を高めていくのである。

これが「Mind the Produt」が存在する理由でもある。顧客のために優れたプロダクトを構築できるように、多種多様なプロダクトの関係者を集めることで、プロダクトマネジメントの専門技能の向上を目指しているのである。

Martin Erikssonについて

Martin Erikssonは、Monster、Financial Times、Huddle、Covestorといったグローバルブランドの企業とスタートアップの両方の環境で、20年以上にわたり世界レベルのオンラインプロダクトを構築してきた。ProductTankの創業者。Mind the Productの共同設立者兼キュレーター。プライベートエクイティおよびベンチャーキャピタルファンドであるEQTのExecutive in Residence。ベストセラー書籍『Product Leadership: How Top Product Managers Launch Awesome Products and Build Successful Teams』(O’Reilly, 2017)の著者。