金農 日大三に2-1 農高で戦後初 きょう決勝
2018年08月21日
決勝進出を決め、笑顔で手を上げ一塁側アルプス席の観客らに応える吉田投手(左から2人目)ら金農ナイン(20日、兵庫県西宮市で)
農業高校の悲願まであと1勝──。第100回全国高校野球選手権大会で準決勝に進んだ金足農業高校(秋田)は20日、日本大学第三高校(西東京)に2―1で競り勝ち決勝進出を決めた。秋田県勢では第1回大会(1915年)で準優勝した秋田中以来103年ぶり、農高では、戦後初の快挙となる。21日の決勝で春のセンバツ優勝校、大阪桐蔭高校(北大阪)と対戦する。1失点7奪三振と力投した吉田輝星投手は「全国の農業高校の代表として絶対優勝を勝ち取りたい」と力を込めた。
快進撃は続く。金足農は1回に左前打で1点を先制し、5回に中前打で加点。吉田投手は8回に初めての失点を喫した。9回も1死一、二塁のピンチを迎えたが、食い下がる日大三の勢いを冷静に止めた。最後は中飛に仕留め、完投した。
一塁側アルプス席には、「雑草軍団」と書かれた紫のTシャツを着た1000人規模の応援団が詰め掛けた。試合前から「かなのう」コールの大声援がこだました。吉田投手が最後の打者を打ち取ると、農業関係者からは「やったー」と歓声が上がった。跳びはねるなど大興奮。ボルテージは最高潮に達した。
紫のメガホンをたたき目頭を熱くしたのは、吉田投手の祖父で同県潟上市の吉田理正さん(70)。「最高。まさかこんなことになるとは……。あすは勝ち負け関係なく悔いなくやってほしい」とエールを送った。
農家も熱い視線を送った。「農作業どころではない」と、車で甲子園球場に駆け付けたという同市の米農家、佐藤眞智子さん(61)は、勝利を見届け、「感動した。わが子のように応援した」と興奮冷めやらぬ様子だ。
同校の渡辺勉校長は「有言実行した吉田は素晴らしい。深紅の大優勝旗を秋田に持ち帰ってほしいが、けがが心配。無事に大会を終えてほしい」と話し、選手の体を気遣う。
34年前の第66回大会でべスト4進出時の監督で現在、秋田県五城目町で農業を営む嶋崎久美さん(70)は、大阪桐蔭戦を踏まえ「強豪だが同じ高校生ということを忘れないでほしい。野球の基本を忘れず戦えば勝機は見えてくるはず」と激励した。
決勝は21日午後2時にプレーボールの予定。(前田大介)
快進撃は続く。金足農は1回に左前打で1点を先制し、5回に中前打で加点。吉田投手は8回に初めての失点を喫した。9回も1死一、二塁のピンチを迎えたが、食い下がる日大三の勢いを冷静に止めた。最後は中飛に仕留め、完投した。
一塁側アルプス席には、「雑草軍団」と書かれた紫のTシャツを着た1000人規模の応援団が詰め掛けた。試合前から「かなのう」コールの大声援がこだました。吉田投手が最後の打者を打ち取ると、農業関係者からは「やったー」と歓声が上がった。跳びはねるなど大興奮。ボルテージは最高潮に達した。
紫のメガホンをたたき目頭を熱くしたのは、吉田投手の祖父で同県潟上市の吉田理正さん(70)。「最高。まさかこんなことになるとは……。あすは勝ち負け関係なく悔いなくやってほしい」とエールを送った。
「農作業どころじゃ…」
農家も熱い視線を送った。「農作業どころではない」と、車で甲子園球場に駆け付けたという同市の米農家、佐藤眞智子さん(61)は、勝利を見届け、「感動した。わが子のように応援した」と興奮冷めやらぬ様子だ。
同校の渡辺勉校長は「有言実行した吉田は素晴らしい。深紅の大優勝旗を秋田に持ち帰ってほしいが、けがが心配。無事に大会を終えてほしい」と話し、選手の体を気遣う。
34年前の第66回大会でべスト4進出時の監督で現在、秋田県五城目町で農業を営む嶋崎久美さん(70)は、大阪桐蔭戦を踏まえ「強豪だが同じ高校生ということを忘れないでほしい。野球の基本を忘れず戦えば勝機は見えてくるはず」と激励した。
決勝は21日午後2時にプレーボールの予定。(前田大介)
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不戦の誓い 危険な予兆に声上げよ
「戦争の始まりは表現の自由への抑圧から」。今年98歳で亡くなった俳人の金子兜太さんの言葉は重い。今日は73回目の終戦の日。「戦争の予兆」をまとう危うい政策に一人一人が声を上げ続けることで、同じ過ちへの道を阻みたい。
戦争は突然始まるのではない。目に見えない言論・思想統制から始まり、気が付いたら、後戻りできない状況に陥ってしまう。戦争を知る世代の多くは「今の時代は戦前と似ている」と危機感を語る。政府・与党が十分な議論もせず、さまざまな法案を強行的に採決してきた一連の流れがあるからだ。
安倍政権となって以来、2013年には、知る権利と報道の自由を脅かす特定秘密保護法が成立。14年は、海外での武力行使を禁じた憲法9条の解釈を変え、限定的に集団的自衛権を行使できるよう閣議決定した。15年、自衛隊の海外での武力行使に道を開く安全保障関連法が成立。共謀罪の趣旨を盛り込んだ改正組織犯罪処罰法は、17年に成立した。平和主義を定めた憲法9条改正の動きも、依然としてある。
この状況に「危ない」と声を上げるのが俳人や作家、映画監督ら表現者だ。日本農業新聞は15日まで「戦争“表現”で語り継ぐ」を連載した。40、50代の戦後の世代と70、80代の戦争を体験した世代の計5人に活動と平和への思いを聞いた。
その一人が、フランス出身の俳人で「檻(おり)の俳句館」(長野県上田市)の館主を務めるマブソン青眼さん(49)。昭和の俳句弾圧事件で投獄された俳人の句と生涯を同俳句館で紹介する。この弾圧の根拠となったのが戦前の治安維持法だ。1940~43年に少なくとも44人の俳人が検挙、13人が懲役刑を受けたという。館内にあるのは〈英霊をかざりぺたんと座る寡婦 細谷源二〉など17人の句。治安維持法により「反体制的」な作品とされ、弾圧を受けた。表現者として発信する側を見せしめにたたくことで、周囲を自粛させる抑圧の構図だ。
マブソンさんが危惧するのは「戦争の種」が今、各地で芽吹いていること。師事した金子さんの「下からの抑圧」という言葉を引き、「ネット上でバッシングしながら監視し合う姿がある」と指摘する。
危険な種は、育つ前に刈り取らなければならない。日常でパワハラやセクハラ発言、差別などを黙って見過ごしていないだろうか。まずはわが身を振り返り「おかしい」と思うことに異を唱えるところから始めよう。多くの「自己規制」の積み重ねが、戦争の種を育てる。
過去の百姓一揆から、近年の環太平洋連携協定(TPP)反対運動へと、農に携わる人たちには反骨精神が息づいている。命を生み出す農業界から「不戦」を貫こう。おかしいことを「おかしい」と自由に言える雰囲気こそが、「戦後」をつくり続ける。
2018年08月15日
自民党総裁選 農と地方創生で論戦を
自民党の石破茂元幹事長が9月の総裁選への立候補を表明し、3選を目指す安倍晋三総裁(首相)も近く正式に態度を明らかにする見通しだ。衆参両院で過半数を占める自民党の総裁選は事実上の首相選びであり、「安倍1強政治」の是非を問う機会となる。農政や地方創生でも政策論戦を深めるべきだ。
3年前の2015年は無投票で安倍氏の再選が決まり、6年ぶりの選挙戦となる。現職の首相が挑戦を受けるのは小泉純一郎首相と亀井静香、藤井孝男、高村正彦の3氏が争った03年以来で、国民の注目度は高く具体的な論戦を期待したい。推薦人集めが難航しているとの見方もあるが、野田聖子総務相も立候補に意欲を示している。
第2次安倍内閣の発足から5年8カ月の政治をどう見るかが最大の争点となる。石破氏は10日の立候補会見で、「正直で公正な政治」「政治・行政の信頼回復100日プラン」の実行を公約に掲げ、強引との批判がある官邸主導の政策決定や国会運営、内閣人事局の在り方を対立軸に据える考えを強調した。
これに対して安倍氏は12日の山口県下関市での講演で、「国家、国民のために何をなすべきか。その大義の下で行政を公平につかさどる。首相として当たり前の責務だ」と訴え、自身の政治姿勢を力説した。一連の不祥事への対応や政権運営を巡るつばぜり合いは始まっている。
農政や地方創生についても実のある具体的な政策論争をしてもらいたい。石破氏は会見で「細かく地域を回り、農林水産業をどのように伸ばしていくべきか、現場の皆さんと真剣な語り合いをしてきた」と述べた。安倍氏は日本農業新聞の単独インタビューで、現場からの声に耳を傾けながら「(農業を)魅力ある成長産業にしていくことが不可欠だ」と語った。石破氏は今後、各分野の政策を発表する予定。安倍氏の正式な出馬会見は今月下旬の見通しで、農政論争は端緒に付いたばかりだ。
生産現場では担い手不足が深刻化し、野菜や果実、酪農などで生産基盤の弱体化が進む。16年の農業総産出額は9兆2025億円と前年に比べて4・6%増え、49歳以下の新規就農者数も4年連続の2万人超となったが、安倍政権が掲げた地方創生は道半ばだ。次の総裁の任期は、5年ごとの「食料・農業・農村基本計画」の見直し時期と重なる。次期基本計画を見据え、低迷する食料自給率の向上や農業者の所得増大、地域再生にどう取り組むのか。全体像を明確に示すべきだ。
日米の新たな貿易協議(FFR)の初会合は2国間にこだわる米国と環太平洋連携協定(TPP)への復帰を促す日本の主張が平行線で、結論を9月の次回会合以降に持ち越した。総裁選後の同月下旬にも開かれる日米首脳会談が重要局面になるともいわれる。FFRをはじめとする通商交渉への対応も総裁選で示すことが求められる。
2018年08月16日
2段階で乾燥時間短縮 干し柿 軟らか 福岡県農総試
福岡県農林業総合試験場は、甘柿を原料としたソフトタイプ干し柿の製造方法を開発した。乾燥、冷凍、解凍の工程を2回繰り返すことで乾燥時間を連続乾燥より4割短縮できる。冷凍段階で保存が可能で、繁忙期の作業分散ができる。
2018年08月21日
豪州侵入食い止め 空港で検疫担当官摘発 穂木から病原体 かんきつグリーニング病
オーストラリア政府は、オレンジなどに感染するかんきつグリーニング病(HLB)の侵入を間一髪で食い止めた。5月末、空港で旅行者が手荷物に隠して持ち込もうとしたキンカンの穂木を植物検疫担当官が摘発。植物体からHLB病原体が検出された。見逃していれば、オーストラリアのかんきつ産業に打撃となる可能性があった。フリーランス・ジャーナリストのセレステ・マッキントッシュが報告する。
穂木を違法に持ち込もうとした旅行者に対する捜査は、8月初めの時点で継続中だ。オーストラリア農業水資源安全省のキム・リトマン首席植物保護官は、記者の問い合わせに対し「アジア地域からキンカンの穂木が持ち込まれようとした」と明らかにしたものの、詳しい説明を拒んでいる。
報道発表などによると、事件は5月29日に発生。ブリスベン空港の検疫で、プラスチック袋にくるまれたキンカン穂木がタイヤチューブ内部から発見され没収された。その後の検査で、同国内に確認されていないHLBに冒されていたことが分かった。HLBはいったん感染すると回復できないため、オーストラリアでは重要な植物病害虫に位置付けられる。
同国のかんきつ団体は事件の発覚直後、「植物検疫当局によって4億6000万ドル(約370億円)に上るかんきつ産業が守られた」との声明を発表。厳しい植物検疫制度を持つ同国は、世界でまん延しているさまざまな病害虫の侵入から免れているという。
検疫当局は明確にしないが、穂木の持ち込み先はフィリピンの可能性が高い。公表された写真で穂木がくるまれているのは、フィリピンで広く使われる緑色のプラスチック袋だ。
フィリピン農業省が2016年に公表した文書によると、HLBは1950年代に中国、台湾、インドから侵入した。その後、フィリピン国内に拡大し、70年代までに国内生産の半分に相当する100万本のかんきつが被害を受けて枯れた。
フィリピンのHLB専門家、ジュリアン・オチャサン博士によると、「国内のキンカン栽培は高冷地の一部で行われているが、小規模なためHLB感染の報告はない。ただし、近隣のかんきつから感染する可能性はある」と説明した。リトマン首席植物検疫官は、穂木を持ち込もうとした旅行客は、オーストラリア国内のかんきつ園に勤務しているが、違法行為との認識はないとみる。
2018年08月12日
米粉輸出戦略 売り込め 日本ブランド
米粉の本格輸出に向け、農水省が今月から欧米で市場調査に乗り出した。世界最高水準の表示制度を武器に国産米粉の販路拡大を目指す。コスト低減、現地ニーズに合った商品開発、輸出事業者への支援など課題も多い。水田をフルに生かしつつ、健康食材として注目の米粉を「ジャパンブランド」として世界に広めていこう。
官民一体となって米粉輸出の機運が高まってきた。農水省は昨年9月、斎藤健農相の肝いりで「コメ海外市場拡大戦略プロジェクト」を立ち上げ、輸出事業者の支援を始めた。米や日本酒、米加工品の2019年の輸出目標を10万トンに設定。現状の4倍増という意欲的なものだ。その後、米粉麺業者など参加事業者は増え、約60社13万3000トンに積み上がっている。
プロジェクト推進の観点からも米粉を戦略品目に位置付けるよう求めたい。米粉の輸出は緒に就いたばかりだ。17年の推計では5社50トン程度にとどまる。麺など加工品を加えても約80トンにすぎない。各社とも輸出を増やし、来年は総計で10倍となる目標を掲げるが、世界の市場規模と国産米粉の優位性を考えれば、飛躍的に伸ばせるはずだ。
欧米では、小麦アレルギーの原因となるグルテンを含まない「グルテンフリー」食品の市場が急激に伸びている。日本貿易振興機構(ジェトロ)によると、米国の市場規模は5600億円(16年)で毎年約3割増と急成長。欧州は5年前に1200億円市場だったが、今年まで年率10%の伸びを見せる。
日本では昨年、米粉の用途別基準と、グルテンを含まない「ノングルテン」の表示制度がスタート。この基準はグルテン含有量が1ppm以下で欧米の20分の1。世界最高レベルの基準で、欧米のグルテンフリー市場で優位に立つ。実際、NPO法人国内産米粉促進ネットワークが行った欧米市場調査でも大きな関心が寄せられた。日本の米粉は微細粉で溶けやすく、使いやすいと好評。パンやパスタ、菓子原料など用途も広く、現地の米粉などと差別化ができると手応えを感じている。同ネットは12月にスペインのグルテンフリー見本市で米粉製品の展示・商談会を開く計画だ。
農水省も今月から欧米でグルテンフリー食品の市場調査を始めた。小麦粉の代替として、どの層に、どういう食材・商品として受け入れられるのか。価格帯や流通・販路と併せ、実態を調べる。日本食品海外プロモーションセンター(JFOODO)も米粉輸出の普及促進を支援。米国、フランスを重点に20年には2900トン、8億円の輸出戦略目標を描く。
政府はこの好機に「ジャパンブランド」の米粉振興を国家戦略にすべきだ。米粉の本格輸出に向け、官民挙げて、製粉・販売コストの低減、市場調査、輸出環境の整備、商品開発、現地認証コストの負担軽減、販路開拓の取り組みを加速させよう。
2018年08月21日
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金農 日大三に2-1 農高で戦後初 きょう決勝
農業高校の悲願まであと1勝──。第100回全国高校野球選手権大会で準決勝に進んだ金足農業高校(秋田)は20日、日本大学第三高校(西東京)に2―1で競り勝ち決勝進出を決めた。秋田県勢では第1回大会(1915年)で準優勝した秋田中以来103年ぶり、農高では、戦後初の快挙となる。21日の決勝で春のセンバツ優勝校、大阪桐蔭高校(北大阪)と対戦する。1失点7奪三振と力投した吉田輝星投手は「全国の農業高校の代表として絶対優勝を勝ち取りたい」と力を込めた。
快進撃は続く。金足農は1回に左前打で1点を先制し、5回に中前打で加点。吉田投手は8回に初めての失点を喫した。9回も1死一、二塁のピンチを迎えたが、食い下がる日大三の勢いを冷静に止めた。最後は中飛に仕留め、完投した。
一塁側アルプス席には、「雑草軍団」と書かれた紫のTシャツを着た1000人規模の応援団が詰め掛けた。試合前から「かなのう」コールの大声援がこだました。吉田投手が最後の打者を打ち取ると、農業関係者からは「やったー」と歓声が上がった。跳びはねるなど大興奮。ボルテージは最高潮に達した。
紫のメガホンをたたき目頭を熱くしたのは、吉田投手の祖父で同県潟上市の吉田理正さん(70)。「最高。まさかこんなことになるとは……。あすは勝ち負け関係なく悔いなくやってほしい」とエールを送った。
「農作業どころじゃ…」
農家も熱い視線を送った。「農作業どころではない」と、車で甲子園球場に駆け付けたという同市の米農家、佐藤眞智子さん(61)は、勝利を見届け、「感動した。わが子のように応援した」と興奮冷めやらぬ様子だ。
同校の渡辺勉校長は「有言実行した吉田は素晴らしい。深紅の大優勝旗を秋田に持ち帰ってほしいが、けがが心配。無事に大会を終えてほしい」と話し、選手の体を気遣う。
34年前の第66回大会でべスト4進出時の監督で現在、秋田県五城目町で農業を営む嶋崎久美さん(70)は、大阪桐蔭戦を踏まえ「強豪だが同じ高校生ということを忘れないでほしい。野球の基本を忘れず戦えば勝機は見えてくるはず」と激励した。
決勝は21日午後2時にプレーボールの予定。(前田大介)
2018年08月21日
金農「あと一つ」 旋風やまず 地元・秋田は熱狂
「フレフレ金農!」「KA・NA・NO!」。普段は夏休みで静寂に包まれる秋田市の県立金足農業高校の校内が20日、大声援で揺れた。“留守番”の生徒や教員、住民ら約100人が体育館に集結。決勝進出を決めた瞬間、生徒らは跳びはね、抱き合い大興奮。激励電話は鳴りやまず、「金農旋風」の勢いが止まらない。(塩崎恵)
「決勝だ」総立ち、歓声
甲子園に行けなかった生徒らはこの日、チームカラーの紫色のタオルやキャップを身に着けて応援。メガホンをたたきながら、体育館に設置した大型スクリーンに映し出されるナインに大声援を送った。
同校リードで試合が終盤に近付くと、会場は総立ち状態。9回裏は「金農コール」が湧き起こった。勝利の瞬間を迎えると、生徒らは抱き合って泣いたり、走り回ったりして大喜び。選手と同様、体を反らせながら校歌を一緒に歌う姿もあった。
打川和輝選手と斎藤璃玖選手と同じ、食品流通科3年生の阿部拓海さん(17)は「感動した。東北初の優勝を金農で取りたい。農業高校は実習があるので、体力がある」と歓喜の声を上げた。
JA秋田やまもとの職員からの賛助金を持参して観戦した、同校出身の見上廣美専務は「快挙だ。農業は厳しい状況だが、農家の励みになっている。入学者も増えるのではないか」と活躍をたたえた。
快進撃に感動 メールや手紙1000件近く 全国から激励続々
今大会唯一の農業高校の快進撃に、全国から応援メッセージや寄付の申し出が舞い込む。
横浜高校に勝利した3回戦の直後から、同校への激励が一気に増加。メールや手紙、電報などが少なくても1000件近くが届いている。20日に決勝進出を決めると、職員室の電話は鳴り続け、職員は対応に追われた。
農業関係者からは「農業高校の頑張りに感動した」(アスパラガス農家)、「全国農業高校の星」(息子が農業高校を卒業したという北海道の女性)などと熱い激励が届いた。県内の女性農業者から「秋田の農業を担うかもしれない子どもたちに協力したい」と、賛助金の申し出もあった。
20日は試合直後から同校へ財布を片手にした人が次々と訪れ、職員玄関に設置した賛助金の受付に行列ができた。秋田市の松田信和さん(77)は「頑張ってほしくて、居ても立ってもいられず寄付金を持ってきた」と話した。
徒歩や車、自転車の他、タクシーで駆け付ける人もいて、夜まで老若男女がひっきりなしに訪れた。同校に飾られた「おめでとう甲子園出場 金足農業高校」の横断幕の前や校門、グラウンドを撮影する人もいた。
「代表の活躍 誇り」 「粘り強さ 刺激に」… 農高仲間応援の声
金足農業高校の快進撃に、全国の農業高校も大喜び。各校から応援の声が上がる。
北海道士幌町にある町立士幌高校の近江勉校長は「諦めない心、挑戦する心が素晴らしい」と感銘を受けている。同校では、農業生産工程管理(GAP)など農畜産物や加工品の生産過程で世界的に通用する認定基準の取得に挑戦している。「生徒にも、諦めず挑戦する心を持ち続けてほしい」と話す。
宮城県農業高校の岩城幸喜教頭は「東北だけでなく、全国の農業高校の代表として誇りに思う」と声を弾ませる。金足農高について「冬に雪深くなる厳しい環境の中、こつこつと練習に励み、尊敬している。農業のイメージアップにもなる」と喜びを語る。
三重県伊勢市の農業高校、県立明野高校の大久保克彦校長は「いつか甲子園で対決できたら最高ですね」。同校は甲子園に春夏合わせて8回出場。30年ほど大舞台から遠ざかっているが「同じ農業高校として、刺激になる」と期待を寄せる。
農業系の学科を持つ福井県立坂井高校は昨年夏、甲子園に出場。今夏は予選で敗退した。吉田繁校長は「都市の私立高校が独占傾向の甲子園で、地方の公立高校がここまで活躍するとは。一生懸命さ、校歌を歌う時の素朴さ、そして粘り強さに農業高校の香りを感じる」と賛辞を送る。
広島県東広島市の県立西条農業高校で野球部部長を務める桧山公教諭は「県立、しかも農業高校という全く同じ立場。ぜひ頑張ってほしい」と力を込める。同校は春夏合わせて3回、甲子園に出場した経験があるが、今年は地区予選で涙を流した。「活躍は大変励みになっている」と喜ぶ。
遠く離れた九州も“金農旋風”に沸く。2009年夏の第91回大会に出場した佐賀県伊万里市の県立伊万里農林高校の松尾信寿教頭は「農業高校で人数は少ないはず。これほど勝ち進むなんて」と、報道にくぎ付けだ。夏休みで授業はないが、農作物の管理などのため登校する生徒やPTA関係者も金足農高の躍進を話題にしているという。
2018年08月21日
「諦めぬ!」 金農サヨナラ 近江に3-2、あす日大三と準決勝 あきたこまち快進撃支える
第100回全国高校野球選手権大会で準々決勝に進んだ金足農業高校(秋田)は18日、近江高校(滋賀)と対戦。3-2で劇的なサヨナラ勝ちを収め、34年ぶりのベスト4に進出した。20日の準決勝で日本大学第三高校(西東京)と対戦する。連日の逆転劇を呼び込んだ気力と体力、諦めない勝負強さの秘密は、秋田県産「あきたこまち」だ。4試合で計615球投げた吉田輝星投手(3年)もその一人。宿舎で毎晩食べており、「体力を維持できたのは、食べ慣れた米のおかげ」と語る。
同校は選手らの宿舎に地元産「あきたこまち」を持ち込み、毎日食べて試合に臨んでいる。秋田県農業試験場で米などの作物を研究する川本朋彦主席研究員は「食べ慣れないものを食べ続ければ食欲が減退し、選手のパフォーマンスにも影響するだろう。そういう意味でも県産の米の効果は大きい」と分析する。
甲子園球場へ応援に駆け付けた野球部OB会長の中山英悦さん(71)は、「あきたこまち」を生産する農家。「陰ながら、あきたこまちが快進撃を支えたと思うと、米農家でよかったと心底感じる」と感慨深げだ。
「農高の誇り」
同校の快進撃で刺激を受けた農高生も多い。“友情応援”をした兵庫県三田市の有馬高校1年で吹奏楽部の釜渕教実さんは、農業系学科「人と自然科」で学ぶ。「金足農高の活躍で、農業系高校の生徒であることが、以前より増して誇りに思えた」と力を込める。
金足農高生物資源科で果樹を学ぶ吹奏楽部部長の熊谷望愛さん(3年)は「快進撃が農業高校に進学したいと思うきっかけになればうれしい」と力を込める。(前田大介)
校歌、万歳、叫び地元“歓喜の渦”
金足農業高校の吉田輝星投手(3年)、菊地亮太選手(3年)、菅原天空選手(3年)らの地元、秋田県潟上市役所では18日、役所内ホールの大型スクリーンで試合を放映した。吉田投手が所属していた少年野球チームの子どもや農業関係者、地元住民ら約170人が集まり、劇的なサヨナラ勝ちに歓喜した。
9回裏サヨナラ勝ちを決めると、観客は立ち上がり叫び声を上げ、抱き合って大喜び。校歌を一緒に立ち上がって歌う観客もいた。藤原一成市長も駆け付けて観客らと万歳した。
同市で輪菊を栽培する伊藤司さん(36)は「感動しかない。金農はいつも何かをやってくれる。農業高校に興味を持つ人や、入学者が増えるのではないか」と喜んだ。少年野球チームに所属する同市の吉田慶さん(6)は「勝ってうれしい。金農に入って甲子園に出たい」と夢を語った。
2018年08月19日
里山まるごとホテル 農村流 お・も・て・な・し 石川県輪島市の三井地区
フロントはかやぶき屋根の古民家、廊下はあぜ道──。石川県輪島市に今年、地域一帯を一つのホテルと見立てて客を迎え入れる「里山まるごとホテル」が誕生した。食事の提供や農家民宿の運営など、地域住民ができることを補完し合いながら客をもてなす。農業と観光を組み合わせて農村の付加価値を高め、能登の豊かな自然を次世代につなげていく構想を描く。政府が推進する滞在型観光「農泊」のモデルとしても注目を集めそうだ。(斯波希)
地域住民が協力 「農泊」モデルに
世界農業遺産に登録された能登半島の小さな町、輪島市三井(みい)地区。町の入り口には、築150年のかやぶき屋根の古民家が、訪問客を迎え入れるようにたたずむ。今年4月にオープンした「里山まるごとホテル」の“フロント兼食堂”だ。
客は田舎に帰ってきたような感覚で、畳の間や縁側で食事をしたり昼寝をしたりと思い思いに過ごす。縁側の先には田んぼが広がり、夏の青々とした稲や秋には黄金色に実る稲穂など、季節ごとの農村風景を楽しめる。
予約をすれば、ガイド付きで集落を巡るサイクリング(4000円~)や和紙すき(500円~)、農家民宿での宿泊も体験できる。拠点となる古民家「茅葺庵(かやぶきあん)三井の里」には、月に700~800人が訪れる。
運営は、同市の元地域おこし協力隊が今年2月に設立した「百笑の暮らし」。代表を務める東京都出身の山本亮さん(31)は「三井の暮らしの形を伝え、自分と同じようにファンになってくれる人を増やす。人と里山の関係が生まれる場所にしたい」と力を込める。
食堂で使う食材の提供や調理などには、山本さんの思いに賛同する地域住民が積極的に関わり、ホテルを盛り上げる。農家民宿など一つの施設で完結するのではなく、住民が協力し合うことで、無理なく客を受け入れる仕組みができつつある。
かやぶき屋根に使うカヤの生産や農産物加工などに取り組む農家ら約50人でつくる「みい里山百笑の会」の西山茂男会長は「今、まさに滞在型の観光に注目が集まっている。ありのままの暮らしを見てもらい、収入につなげることが、過疎が進む地域の生き残り方になってくる」と展望する。
里山まるごとホテルでは今後、宿泊場所となる古民家や農家民宿の整備、ホームページの多言語対応などを進め、訪日外国人(インバウンド)を含めた国内外に里山の魅力を発信する考えだ。
2018年08月19日
金足 見せた農高魂 甲子園8強 畜産学ぶ高橋選手 逆転弾
強豪・横浜を撃破。甲子園に“金農旋風”吹き荒れる──。第100回全国高校野球選手権大会で金足農業高校(秋田)は17日、3回戦で横浜高校(南神奈川)を5―4で下し、準々決勝に進んだ。ベスト8進出は23年ぶり。決勝点となる逆転ホームランを放った高橋佑輔選手(3年)は「全国の農業高校に勇気を与えられたと思う。甲子園で戦う唯一の農業高校として勝ち続けたい」と声を弾ませた。18日の第4試合で近江高校(滋賀)と対戦する。(塩崎恵、前田大介)
鶏舎の掃除 心身鍛錬
歓喜の瞬間は突然訪れた。2―4で迎えた8回裏一死1、2塁。6番打者の高橋選手が相手投手の初球を振り抜くと、打球は放物線を描きバックスクリーンに吸い込まれた。その瞬間、一塁側のアルプス席で生徒らは抱き合い、メガホンをたたき喜びを爆発させた。
高橋選手はレギュラー選手で唯一、畜産動物を扱う生物資源科に所属。学校では鶏の飼育などを担当して週2回、“バット”を“スコップ”に持ち替え、鶏舎の掃除や餌やりをしている。
畜産担当の近江広和教諭(46)は「ふんを一輪車で運ぶとき、腕と背筋にかかる負担は相当なもの。佑輔は誰よりも率先して運ぶ生徒。日頃の掃除で鍛えられたことも、この一打を生んだのでは」と分析。「また勝負どころでしっかり決めろ。頑張れ佑輔」と激励する。
金足農高の地元、秋田県内では17日、テレビ観戦した農業関係者らが、劇的な逆転劇に歓喜した。感動して涙を流す姿もあった。
男鹿市で菊を露地4・4ヘクタール、ハウス24棟で栽培する文ちゃん園芸では、同校野球部出身で11年前に甲子園に出場した納谷(旧姓・船木)拓美さん(27)が研修していることもあり、従業員ら10人がテレビの前で試合を見守った。
2点リードされた8回裏、金足農高が劇的逆転3ランを決めると「まじでー」「やばい」と、叫び声が響き、拍手が沸き起こった。
勝利の瞬間、納谷さんは同校のユニホームを着た娘とハイタッチをして大喜び。「感動した。後輩は夢だ。食べ慣れた秋田の米をたくさん食べて力を付け、ベスト4へ進んでほしい」と激励した。
同農園で働く吉田征子さん(79)は「この年になってこんなに感動すると思わなかった。生きていてよかった。生徒の頑張りを見てこれからも農業を頑張ろうと思える」と選手をねぎらった。
同農園の吉田洋平さん(28)は「秋田の誇り。研修生が金農出身でもあり、農業高校ということで例年以上に応援に力が入る。準々決勝は仕事どころじゃないな」と笑った。
「次も平常心で」 農家で元監督 嶋崎さん応援
一塁側のアルプス席で静かに戦況を見つめたのは秋田県五城目町の嶋崎久美さん(70)。第66回大会(1984年)で金足農高がベスト4に進出した時の指揮官だ。同校の監督として春、夏の計7回甲子園に導き、東北の名将として知られる。監督業を退いた今は、米農家として1ヘクタールで「あきたこまち」などを栽培する。
この日の一戦は、34年前の初戦、広島商業高校戦と重なって見えたという。当時、完全に不利といわれたが勝利。それから一気に波に乗り、べスト4に進出した。「広島商業も横浜高校も甲子園優勝校だが、選手は同じ高校生。次も平常心で戦えば大丈夫。甲子園という農場に素敵な花を咲かせてほしい」とエールを送る。
2018年08月18日
[活写] 戦時の記憶 ぽつり今も
8月15日は終戦の日。埼玉県深谷市の櫛挽(くしびき)地区にある畑に太平洋戦争中、火薬工場だった分厚いコンクリート製の建物が残っている。
広さはおよそ5メートル四方、高さ約10メートルの2階建てで、農地とともに近所の酪農家が所有する。周囲は日陰になるため、何も栽培していない。
戦時中、銃器用の火薬を作る東京第二陸軍造兵廠(しょう)櫛挽製造所と呼ばれる工場の一部だったと伝わる。東京都内の工場が空襲を避けようと疎開したもので、1944年10月から終戦までの10カ月間稼働したという。
戦後、辺りが農地となる中、この建物だけは残った。しばらくは住居や倉庫に使われたが、現在は放置されている。同市には軍需工場に水を供給した給水塔跡も残る。戦時の記憶を伝えている。(富永健太郎)
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2018年08月15日
甲子園 金足農高 2回戦突破 応援団も心一つに 暑さ対策、発声練習実る
第100回全国高校野球選手権大会に出場した金足農業高校(秋田)は14日、2回戦で大垣日大高校(岐阜)と対戦。6―3で勝利して23年ぶりに2回戦を突破した。選手らの躍進を後押ししたのは、スタンドからの応援だった。
気温30度を超す灼熱(しゃくねつ)の阪神甲子園球場。1塁側の応援席から声を振り絞り、熱いエールを送ったのは17人の応援団だ。甲子園出場が決まってから、比較的涼しい地元の東北と異なる関西の猛暑を想定して、長袖、長ズボンを着て、暑いガラス温室の中で特訓を重ねてきた。
また、広い甲子園でも声が届くよう、同校のブランド米「金農米」を育てる水田で声出しを練習して大一番に備えた。生物資源科で果樹栽培を学ぶ応援団員の小林義昌さん(2年)は「(暑さ対策も声出しも)効果は絶大だった」と胸を張った。
「甲子園は夢の舞台。連れてきてくれた野球部に感謝したい」。声を弾ませるのは、生徒会長で応援団長の西村朝日さん(3年)。初戦で3安打して勝利に貢献した菊地亮太選手(3年)や吉田輝星投手(3年)を含むレギュラー5人と、入学から現在までクラスメートとして農業土木を学ぶ。
西村さんが卒業後に希望する進路は、菊地選手と同じ公務員。二人は互いに「亮太」「西村」と呼び合い、試験の出題傾向について話すなど刺激し合う仲だ。入学当初から「甲子園に出る」と口にする友に、「冗談を言っているのかと思った」と笑う。
「フレー、フレー、金農」。西村さんは声を張り上げ、大きな手振りで選手を鼓舞。試合展開に一喜一憂することなく、じっと戦況を見つめた。吉田投手が最後の打者を打ち取ると、ようやく表情を緩めた。
「序盤ははらはらしたがいい試合だった。次も頑張って。きょう以上の応援をする」と西村さん。菊地選手は「西村、いい声だったよ。次も頼んだぞ」。
2018年08月15日
西日本豪雨 被災地 墓石倒れ、修繕めど立たず…苦悩の盆 先祖弔えぬ
西日本豪雨の被災地では広い範囲で、月遅れ盆に入っても倒壊した墓石がそのままになっている。管理する親族がいない無縁墓や、墓主が年金生活の高齢世帯の場合など、修繕のめどが立たない墓があるためだ。故郷に帰省した人々との交流や先祖を弔う場にもなっていた盆踊りを中止せざるを得ない地域もあり、住民は頭を悩ませている。(猪塚麻紀子、尾原浩子)
管理者不在、高齢化も
山口県下松市の笠戸島。50以上の墓が集まる深浦地区の墓地は、豪雨により墓石が土台から倒れ、土砂に埋もれてしまった。道は墓石でふさがれ、崖崩れが起き、歩くのも危ないほどだ。
150戸が暮らす同地区の自治会長で米農家の古谷俊治さん(76)が、倒れて砂まみれになった墓の前で手を合わせる。古谷さんの家の墓は被害を免れたが、長年、島を支えてきた先祖たちのためにも、墓地を元通りにしたいと願わずにはいられない。しかし、倒壊した墓は供養する親族のいない「無縁墓」が多い。家や農地が被害に見舞われ、墓を新しくするのも難しい年金生活の島民もいる。同じ墓地でも壊れなかった人もいる。墓地は古くから島民が管理してきたが、修繕費を全戸に呼び掛けるのは難しい。
墓地は次に暴風雨が来ればさらに崩れる可能性もあるが、元通りにするには相当の金額が必要となる。古谷さんは「墓主が地元にいれば話し合えるが、島を離れて疎遠になった墓主もいる。市には、市営ではないので支援を断られた。どうしたらいいのだろう」と悩む。
島内では、豪雨災害で盆踊りを中止する地区もあったが、深浦地区は今年も盆踊りを決行する。古谷さんは「6戸が初盆を迎えるから、どうしても盆踊りがしたい。豪雨で皆が悲しんでいる今年の盆こそ、帰省した人も合わせて心を込めて供養したい」と思いを明かす。
墓地は海を見下ろし、浜辺の鳥居が見える高台にある。笠戸島自治会連合協議会会長の辻國政さん(76)は「先祖が、この美しい場所で眠ってほしいと墓地にしたに違いない。先祖を大切にする島民にとって、墓参りや盆は特別な意味がある」と説明する。
盆踊り決行住民一つに
島内では各地で田畑への土砂流入や家屋の浸水などの被害に見舞われた。豪雨被害で島と本土をつなぐ橋が21日間通行止めになり、島民は一時、船での移動を余儀なくされた。
辻さんは「橋が不通の間、高齢者を担いで船に乗るなど、みんなで支え合ってしのいで、昔に戻った雰囲気になった。再び一致団結したい」と願う。
若手農家ら地域励ます
西日本豪雨は、各地の墓や寺、神社に土砂崩れなどで被害を与え、祭りを中止させるなど農村の盆の営みを奪った。
愛媛県では盆に予定されていた祭りや花火大会の中止が相次ぐ。宇和島市吉田町のミカン農家、奥谷篤巳さん(38)は「盆踊りは先祖供養の意味合いがある。多くの盆行事が中止になり、地域で集まって顔を合わせる機会が減っている」と嘆く。
落ち込む地域を元気づけたいと、若手農家やJAひがしうわ職員の大竹敏正さん(39)ら有志が西予市でチャリティーイベントを企画し、音楽祭を開く予定だ。大竹さんは「大変なときだから、少しの間でもみんなで息をつきたい」と、前を向こうとしている。
2018年08月14日
寺納豆復活へ 長野県大桑村
長野県大桑村の住民が、江戸時代の古文書に記された寺納豆の再現に乗り出した。古文書は、木曽三大寺の一つ「定勝寺」で、和時計の内側に張ってあるところを発見された。寺の檀家の会長を務める田中昭三さん(90)が仲間と5月から試作を始め、「村の特産品にしたい」と情熱を燃やす。
寺納豆はこうじで発酵させる。納豆菌で発酵させた糸を引く納豆とは異なり、みそに近く、真っ黒な色と強い塩気が特徴。長期保存でき、保存食として食べられてきた。同村は旧中山道の宿場町として栄えた。古くから木曽ヒノキの物流など、京都との交流が盛んで、定勝寺は京都の禅寺の影響を色濃く残す。寺納豆の作り方も「京都から伝わってきたのではないか」と、田中さんは思いをはせる。
2018年08月09日
甲子園 秋田代表 金足農23年ぶり勝利 農一筋 祖父感涙
吉田投手へ「よくやった」
農業関係者の期待を背に“KANANO”が躍進──。第100回全国高校野球選手権大会に唯一の農業高校として出場した金足農業高校(秋田)は8日、強豪の鹿児島実業高校(鹿児島)と対戦。5―1で勝利し2回戦に進んだ。夏の甲子園で同校の勝利は23年ぶり。球場の応援席には、同校の生徒や教員の他、農家や農業関係者が集結。地元の秋田でも、農業関係者らがテレビ観戦で金農ナインの“一投一打”に熱い視線を送った。(前田大介)
先発のマウンドに立ったのは大会注目の右腕、吉田輝星投手(3年)。1回表、走者を背負いながらも渾身の投球で無失点に抑えると、一塁側の応援席は地鳴りのような歓声に包まれた。その中で、懸命にメガホンをたたき声援を送ったのは秋田県潟上市の吉田理正さん(70)。吉田投手の祖父だ。JA秋田みなみ(現JA秋田なまはげ)に36年間勤め、退職後に梨の農家として約50アールの農園で「幸水」「かほり」などを栽培する。孫が甲子園に立つ勇姿に目頭を熱くした。
思い出すのは、甲子園を目指す孫の鍛錬の日々。幼少期から練習熱心で「『キャッチボールをしよう』とよくせがまれた」。中学生になると、帰宅後に4キロのランニングを欠かさなかった。夜道を怖がる孫のため、理正さんは自転車で追い掛け見守り続けた。最速150キロを計測するプロ注目の右腕に成長した今や「怖くてキャッチボールの相手はできない」と、成長に目を細める。
勝利に沸いた試合後、理正さんは「甲子園に出場する自体信じられないこと。よくやった」と拍手の手を止めなかった。
同校の渡辺勉校長は「今回の甲子園に出場する農業高校は金農だけ。一戦でも多く勝利し、他の農業高校の励みにしたい」と力を込めた。
全力で戦う姿見せる
吉田投手は試合前、「梨をもらったり練習を手伝ってもらったりしたじいさんを甲子園に連れて行きたいと思っていた。全力で戦う姿を見せたい」と話し、大一番に挑んだ。
この日の最速は148キロを計測。157球を投げ、1失点14奪三振でチームに23年ぶりの勝利をもたらした。それでも「きょうの投球は30点。次は隙を見せないで、自分が投げられるボールを全力で投げたい」と気を引き締めた。
優勝めざせ 先輩エール
秋田市の勤務先のテレビで観戦した大山等さん(51)。同校が第66回大会(1984年)に出場し、ベスト4入りを果たした中心メンバーだ。卒業後の現在、農家として水稲を栽培する傍ら、同県立栗田支援学校で農業実習助手を務める。
34年前は準決勝まで勝ち進み、当時最強を誇った桑田真澄、清原和博両氏を擁するPL学園高校(大阪)と激突。大山さんは初回、桑田氏を強襲する内野安打を放ち、その後、先制のホームを踏んだ。試合は7回までリードするも8回に桑田氏の逆転2ランを浴び、2―3で惜敗した。
大山さんはこの日、ナインの一挙手一投足に熱い視線を送り続けた。試合終了後、テレビに映し出される金農ナインとともに悲願だった校歌を歌った。「甲子園での校歌は何度歌ってもいいものだ。このまま『金農旋風』を巻き起こし、34年前のベスト4を塗り替えてほしい」。あと一歩で破れ、成し遂げられなかった決勝進出の“夢”を現役世代に託した。
2018年08月09日