駅から出るのも大変な、陸の孤島「坪尻駅」。かつてここを通学に使っていた方と一緒に、駅前を散策します
全国には「なぜこんな場所に駅を作ったの?」と思わずにはいられない、秘境感たっぷりの駅がいくつかある。そのひとつが、徳島県の山あいにある「坪尻駅」だ。
道らしい道もなく、アクセスすら困難な坪尻駅。そこを10年間、通学で使っていたという方にお会いした。一体どんな生活だったのだろうか。駅周辺を案内してもらいながら、当時の様子を聞いてみた。
1983年徳島県生まれ。大阪在住。エアコン配管観察家、特殊コレクタ。日常的すぎて誰も気にしないようなコトについて考えたり、誰も目を向けないようなモノを集めたりします。
前の記事:「30cmの半球ミラーで夏を切り取る」 人気記事:「戦車! 戦艦! 知られざる「ミリタリー陶芸」の世界」 > 個人サイト NEKOPLA Tumblr 人家もなければ道すらない? 秘境の駅徳島県の西部、深い山の中にポツンと存在する駅がある。名前を「坪尻駅」という。駅のまわりに何もなさすぎる、いわゆる秘境駅として名高い場所だ。
場所はこのへん
単なる田舎の無人駅とあなどるなかれ。「秘境」というにはわけがある。
駅から見えるのは、ただひたすらに山
ホームを挟み込むように山が迫っており、当然ながら人家は一軒もない
山の上から俯瞰すると、駅のロケーションがよく分かる。線路脇に見える小屋みたいなのが駅舎で、左上にわずかに見えているのが最寄りの集落だ
駅へ通じるのは、地図に載ってない、うっそうと草木が生い茂った獣道のみである
駅の貼り紙によると、緊急避難場所までの距離は10km、約2時間もかかるらしい……
駅前には何もない。「店がない」というレベルではなく、純粋に駅設備以外の構造物が何もないのだ
そんな坪尻駅の時刻表がこれ。上り下りで一日7本。普通列車もほとんどが通過してしまうため、綿密な計画を立てないと列車で駅に来ることもできない
この通り、度を超して何もない駅なのである。
こういった駅は、愛好家の間で「秘境駅」と呼ばれている。都会の喧噪から離れ……というか離れすぎていて、駅として存在するのが奇跡のような場所。でもこんなところにも人間の営みはあって、列車はちゃんと時刻表通りにやってくる。 次の列車が来るまでの数時間、誰もいない駅でボーッとするのはとても贅沢な行為である。私も「JR全線乗りつぶし」を目指して全国を巡っていたとき、各地の秘境駅を訪れては、自然に身を任せてボーッとするのを楽しんでいた。 ひとけのない待合室で、駅ノート(訪問者がコメントを残していくノート)などを見ながら過ごす時間も楽しい
ちなみに、秘境駅を世に広めた牛山隆信さんの「秘境駅ランキング」によると、坪尻駅は堂々の第6位(2018年現在)。上位はほぼ陸の孤島のような場所ばかりなので、そのなかで6位に食い込めるのは相当の秘境度である。
坪尻駅を通学に使っていた山下さん私がこの駅を訪問するのは、実は4回目になる(好きなのだ)。ただ毎回のように「何もないな~」って確認して、ボーッとしたあと帰っているだけなので、特に新しい発見がない。
そこで今回は、駅に精通した方に周辺を案内してもうことにした。 駅で出迎えてくれたこの方が、山下啓司さん。なんと幼稚園から中学校まで、10年にわたり坪尻駅を通学に使っていたという。帰省のタイミングで案内してもらえることになった
「今日ここまで来るのが、なかなか大変でした。7月の大雨で、実家から駅に向かう途中の道が陥没してて。他の道も結構通れなくなってましたね」
そういって見せてくれた写真には、ぽっかり空いた大穴が。平成30年7月豪雨の影響がこんなところにも。というか大ごとじゃないですか、これ
山下さんのご実家は、坪尻駅から山道を2kmほど登った先にある。
一見すると出口がなさそうな駅周辺には、まわりの集落へと続く山道が4本ある。ただ今回通ってくる予定だった道は途中で陥没。ほかの道も通行困難になっており、後で紹介する国道に続く「道(4)」だけが、なんとか通れる状態だったという。 今回散策する駅の周辺マップ。四方に4本の道がある(あった)ものの、ほとんどは通行困難となっている
もはや「駅に近づくな」という見えない力が働いているようにも感じる。こんな状況だと、ご実家のあたりも大変なことになってるんじゃなかろうか。
「自分の家の辺りは、基本すべて舗装されてますね。車さえあれば買い物にも行けるし、特に問題はないかな」 聞くと家のまわりは普通で、「駅に向かう道だけが獣道」という状況らしい。こんな状況で駅を使う人はまずいなくて、駅に近づけないので利用者がいない → 人が通らないので道が荒れる → 道がないので駅に近づけない……という負の連鎖が発生。駅はどんどん孤立を極めている、という理解でよさそうだ。 やがて私が乗ってきた列車が出発すると、あたりは静寂に包まれた
と思ったら、奥で停車したのち
戻ってきた。そう、ここはスイッチバックの駅なのだ。ただこれは本編とは関係ないので省略する
道(1)と、朽ちた看板ここまで読んで分かる通り、駅周辺には何もない。なので地元の方に案内してもらうと言っても、名勝地やグルメ情報なんてものがあるはずもなく……「実はここに道がありましてね……」という、かなり基礎的な周辺情報を聞くのがメインになる。
「杖があるので、これを持って行った方がいいですね」
駅舎の中には、思いやりの傘ならぬ、思いやりの杖が置かれていた
「これが駅前通りですからね。なーんにもないですよ」
駅舎を出ると、目に入る人工物が激減した。しいて特徴をあげるとすれば……砂利が敷かれている。この日はあいにくの雨だったので、砂利のありがたさが身にしみる。なにせ、ここ以外は草ボーボーの未舗装道路ばかりなのである。
さて駅を出ると目の前は山ということで、ここで右に行くか、左に行くかという二択を強いられる。まずは右の道へ入ることにした。マムシ注意の看板がおそろしい。 「マムシはまだ見たことないですね。何年か前にイノシシは見たんですよ。あとは怪我したフクロウもいました」
そういって、ずんずん進んで行く山下さん
すぐに、うっそうとした茂みに阻まれた。駅を出て30秒でこの景色である
「一応ここは道なんです。しかし厳しいな。最初ここから来ようと思ってたんですけど」
この道をずっと行くと、山の上の集落に通じているという。そこから山下さんの実家の方へ向かおうとすると、先ほどの陥没した道路にたどり着くらしい。言われないと、これが道だとは分からない。 「元は看板が立ってたんですよ、『木ヤ床(先にある集落の名前)』って書いてあって。もう朽ち果ててますね」
道というものは、人が通るところにできる。踏み出せばそこが道となるのだ。
それとは逆に、人が通らないところは徐々に道ではなくなっていく。坪尻駅を右に入ったこの道も、これから長い時間をかけて自然へと帰っていくのだろうか。 余談だが、鉄道紀行漫画『鉄子の旅』では、2巻の最後でこの坪尻駅を訪れている。そこでは駅から出てきたおじいさんが、まさにこの道を通って山へ帰っていく様子(実話)が描かれていた。漫画が描かれたのは2004年。あれから14年……過ぎ去った年月に、つい思いを馳せてしまう。 同級生との思い出がある、道(2)これ以上進んでも雨露に濡れるだけだということで、駅前に戻ってきた。
次は駅を出て左の道へと進む
すると踏切……というか、手で押し開ける遮断棒があった
「止まれ見よ」のところに列車の通過時刻が貼り出されているので、列車が来ないことを確認して渡るのだ。もちろん列車接近のアナウンスなんてなく、いきなり特急が高速で通過していくので気が抜けない
踏切を渡って右手のところで、「あっち側ですね」と草むらを指してくれた。この棒の示す先に、かつて道のようなものがあったという
「僕の友だちは、向こう側の線路の脇を通って家に帰ってました。実は僕も、その道は通ったことがなくて」
道……というか、もはや道は存在しないのだが、たしかにそこに道らしきものがあって、先の集落へと続いていたらしい。それが長い年月を経て、やはり道ではなくなっていた。 「放課後に同級生と駅で遊んだあと、彼はそっちの道に、僕は後ろの山の方に別れて帰ったんです」
この話を聞いてハッとした。何にもないと思っていた坪尻駅は、子どもたちの遊び場であり、帰り道だった。何気ない日常がそこにあったのだ。
今では全く想像できないけど、当時(1980年前後)はこの駅を毎日使っていた同世代が何人かいたらしい。 「でも通学に使ってたのは、僕の世代が最後なんです。弟が本当の最後で、そのあとはもう下の年代がいなかったですね」 山下さんが小学生だったころ、NHKで放送されたという坪尻駅の番組を見せてもらった。何を隠そう、ここに映っている子どもが山下さんらしい(NHK・ふるさとのアルバム『スイッチバックのある駅』より)
当時は野菜を売りに行く行商の人も多かったという。駅の様子は、いまと全く変わってない(NHK・ふるさとのアルバム『スイッチバックのある駅』より)
実に幼稚園の頃から、この駅を使っていたという山下さん。実際の通学はどんな感じだったのだろうか。その話を聞く前に、次の道へと移動しよう。
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