お盆休みに家族と鬼怒川温泉に旅行に行ったのだが、個人的に是非見ておきたい場所があった。それは、廃墟になったホテル群。
2018年4月に公開されたドローンによる鬼怒川ホテル廃墟郡の映像が一部で話題となったが、自分の目でもしっかり確認しておきたかったのだ。家族に少し自由時間をもらって行ってきた。
簡単に鬼怒川温泉の歴史について触れておきたい。
鉄道の発展と鬼怒川
古くからこの辺りは下野から会津若松をつなぐ会津西街道の宿場として栄えた。鬼怒川温泉は1752年以前、川治温泉は1723年以前に発見され、温泉保養地として古い歴史がある。温泉集落形成の契機は明治~大正にかけての鬼怒川水力発電所建設・鉱山開発がはじまり。ダム完成後に廃止となるはずだった資材運搬用軌道が当時の村長 星 藤太の努力もあって下野軌道として存続。大正9年に下野軌道として藤原~今市間が開通。昭和5年に鬼怒川温泉駅が完成し昭和18年に下野鉄道が東武鉄道と合併。昭和61年に会津鬼怒川線が開通し、浅草から鬼怒川経由で会津田島まで鉄道で結ばれた。
ダムの完成で鬼怒川の水位がさがることで新温泉が発見。両岸に温泉場としての形態が整えられていった。
歴史ある温泉街 バブルとバブル崩壊
鬼怒川・川治温泉は昭和25年に国立公園に指定され、日光国立公園の中心にある温泉地として発展を遂げる。1960年にロープウェイ開通、鬼怒川ライン下り開始。東武電鉄も力を入れて鬼怒川は更に発展。1980〜90年代のバブル景気で旅館ホテルの大型化・新規立地が進み、1993年のピーク時には訪問客が年間340万人にも達した。
しかしバブルは弾け、景気の低迷・団体旅行の衰退など旅行業界のトレンド変化などもあって客足は減少。資金面で支えてきた足利銀行の破たんなど、土地建物の価値も急落、立て直しが効かないホテルは歴史があっても廃業するケースが出てきた。
ざっと話すと以上になる。
鬼怒川マップ 独自調査
以下の画像は鬼怒川地域の地図である。私なりに○をつけたところについて簡単に触れる。
youtube動画にもあったホテル廃墟郡であるが、鬼怒川の東岸、鬼怒川公園駅の南側の121号線沿いに数件続く。西岸には今でもギラギラな内装で有名な「あさやホテル」がまぶしい。WEBサイトを見れば凄さを感じてもらえる。
旧中心街と書いたのは、かつてはここが町の中心街であっただろうと思われるエリアである。綺麗に整備されたくろがね橋から、南北に伸びた本町商店街にそって旅館が並ぶ。だが飲食店などは少なく、今では鬼怒川温泉駅前の開けた雰囲気の方が現代の観光地としてマッチしているように思われた。(自分で歩いてみての感想です)
ここからは現地での写真を多めに使っての紹介となる。
いざ廃墟へ 鬼怒川公園駅スタート
廃墟群に行くには鬼怒川公園駅で降りるのが一番早い。公園駅から温泉駅までは距離で2.0km、時間は徒歩でも30分程度と近い。また、温泉駅~公園駅の途中、電車の車窓から廃墟郡が確認できるのでテンションがかなり上がる。
鬼怒川公園駅で下車。線路の西側に入口がある、東口は無い。
駅前の121号線を北に見た風景。歩道橋を右に行くと線路を越えて鬼怒川公園に行くことができる(足を延ばして行ってみた。立ち寄りできる露天風呂施設があったが、他に注目するべき点に乏しかった)。
121号線を南方向に歩いていく。
121号線から会津西街道に分岐する地点。更に南下を続ける。
温泉街に似合う囲碁サロン。かつては賑わっていたのだろうか。
最初の廃墟に到着。元湯 星のや。創業大正14年と鬼怒川温泉でもかなりの歴史だったが2010年に廃業。
更に南へ。すぐに廃墟だとわかる佇まい。
かっぱ風呂として愛された「きぬ川本館」。創業は1929年。30億円の負債を抱え1999年6月に廃業。柵がはられて近寄ることもできない。
少し近くから見るだけです。事故など起きても迷惑になるだけ。不法侵入にもなるのかな?
線路沿いも味があります。昭和30年の施工を示す社板。
続いて鬼怒川観光第一ホテル。2008年11月閉館。
121号からくろがね橋に向かう変則的な交差点。昔ながらの看板が本町商店街あたりが街の中心街であることを示している。
更に南下すると鬼怒川観光ホテル東館。
東武電鉄の車窓から廃墟群を見ることができる。
藤原町消防署。シャッターが閉まって看板が外されてしまっている。ここも日光市統合の余波を受けて廃墟になってしまったのだろうか。
隣には元・藤原町役場。今では日光市藤原総合支所。
役場から少し南に行った山沿いに、巨大なパイプ2本を発見。何これテンションあがる。
このままパイプは下っていき、鬼怒川そばの発電所まで続いていく。東京電力鬼怒川発電所の水路のようで、下野鉄道の前身の資材運搬用軌道とも関連があるのかもしれない。かつてはこの辺りに大滝駅があったらしい。
更に121号線を温泉駅に向かって歩く。元民宿。
このお食事処も営業していない様子。
かなり温泉駅の近くまで戻ってきた。ラーメン缶の自動販売機なつかしい。秋葉原を連想させる。
ソープ跡地。こちらも営業していない。温泉地の夜遊びを支えてきたのだろうか。
駅前で家族と合流。1時間少しの自由時間だったが、かなり濃密な時間を過ごせて満足。栄枯衰退。諸行無常。
それにしても川沿いギリギリに建っている建造物を解体するの、相当大変だろうな。