このところずっと船戸与一さんの『満州国演義』や辺見庸さんの『1★9★3★7』を読んでいたせいだろうか。先の戦争のことが妙に気にかかる。
前にふれたが、私は20年前、太平洋戦争に至る経緯を調べたことがある。陸軍の元エリート参謀たちに話を聞いて回った。そのとき痛感したのは、軍隊とは、正気と狂気の間をさまよう集団だということだった。
もし彼らが正気を保っていたら、あんなに広大な中国を制圧しようとしたり、圧倒的な国力の米国に戦いを挑んだりしただろうか。狂気が軍隊を覆っていたからこそ、日本は無謀な戦争に突き進んだのだろう。
問題は何が軍隊を狂わせたのか、である。それがはなはだ莫としていて、つかみどころがない。日本には、ナチスドイツの反ユダヤ主義のような明確な意志もなければ、ヒトラーのような独裁者も見当たらない。
満州事変―日中戦争の勃発―太平洋戦争へと戦線が拡大していく過程の首謀者は、その時々で顔ぶれが猫の目のように変わる。かの、悪名高い東条英機(日米開戦時の首相兼陸相)ですら、時勢に押し流される小舟のような存在でしかない。
そんなことをあれこれ考えるうち、ふと思いつき、20年前のメモを天井裏から引っ張り出した。取材に応じた元参謀たちはもうこの世にいない。メモは彼らの最晩年の声を伝える貴重な資料だった。
降り積もったほこりを払いながらメモを読むと、ある元参謀は彼らを狂わせたものを「もやもやとしたもの」と言い、別の元参謀は「精神的奇形児を生む陸軍教」と言っている。
陸軍教って? と思いながらさらにメモを読み進むうち、彼らの回想のなかに必ず登場する男が一人いるのに気づいた。
辻政信。「作戦の神様」と呼ばれた陸軍のエリート参謀(敗戦時の階級は大佐)である。