アルシェの物語〜In the Beginning was the Word〜   作:Menschsein
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遺跡調査 3

「ごめんね、モモン。“伝言(メッセージ)”の巻物(スクロール)なんて、使わせてしまって」と、『バッカスの酒蔵』でニグンとレイナースを待っているアルシェは言った。

 

「気にすることはない。帝都も広いからな。神殿関連の設備にニグン殿がいたのでは、探し出せないからな。あと、レイナースさんは所用で遅れるそうだ。食事も済ませてくるそうだから、ニグンさんが来たらまずは食事をしてレイナースさんを待とう」とモモンは丸テーブルに置いてあるメニューを眺めながら言う。

 

 アルシェは、その光景を見ながら本当にモモンは優しい人だと思った。モモンは食事をしないのに、食事のメニューを見ている。それも逆さまにメニューを見ている。落ち込んだ自分の気持ちを少しでも明るくしようと、少し惚けたことをしてくれているのであろう。

 そして自分も、帝国料理をあまり食べたことがないであろうニグンさんの為に、帝都グルメ情報誌を見ながらニグンを待った。

 

「遅くなって申し訳ない」とニグンが混雑している『バッカスの酒蔵』の中から、モモンとアルシェが座っている席を見つけ出し、そして席に座る。

 

席に座ったニグンは、モモンとアルシェの二人を見て、「何かありましたか? 楽しい会食という雰囲気ではないようですね」とニグンはアルシェの緊張した顔を見て言った。それをアルシェは苦笑いで返すことしかできない。

 

「と、とりあえず食べましょうか。帝都グルメ情報によると、この店の人気メニューは、“牛ほほ肉の赤葡萄酒煮込み”だそうです。品数限定なようですけど、まだ時間も早いし注文できると思います」と、アルシェは法国出身のニグンに帝国料理を勧める。

帝都北部に広がる二つの山脈に挟まれた盆地。その盆地の寒暖差の激しい気候によって、脂肪がたっぷりと乗った肉質の牛が育つ。そして、その二つの山脈から流れてくる豊富な水源を利用した農作物。それによって牛が食べるのに必要な大豆、麦、コーンが栽培されている。

 この地理的条件を満たした場所で栽培されるバハルス牛。帝国の名前を冠した特産品であり、リ・エスティーゼ王国や聖王国などにおいても、身分の高い者によって行われる晩餐会では必ず使われる食材の一つである。そしてそのバハルス牛の中でも、貴重な頬肉。それをゆっくりと赤葡萄酒で煮込んだ料理である。

 

「それはおいしそうですね。法国ではどちらかというと、肉料理は羊と魚が多いのでとても楽しみです。私はそれにしましょう」

 

「あと、皿に残ったソースも美味しくいただけるようで、パンも頼んでおいた方がいいって書いてあった」とアルシェはさらに付け加える。

 

「そうですか。では……私はそれに、赤ワインを……」

 

「赤ワインは……飲んだことはないけど、アゼルリシア山脈は、冷涼な気候で葡萄の収穫を遅らせることができるので、糖度が高い葡萄が育つそうです。それで、アゼルシアン・ワインは上質だそうです」

 

「それは良いですね。瓶で頼むと私は飲みきれませんが……アルシェさんも飲みますか?」

 

「あっ。帝国では飲酒の年齢制限があるので……。私はアゼルシアン・ティーで大丈夫です」

 

 食事がテーブルに運ばれてくると、ニグンは「込み入った話は、食事を終わらせて、レイナースさんが来てからということで。今は、美味しい料理を堪能しましょう」と言って、目の前の食事に対して祈りを捧げ始める。

 

 ニグンがいつも食事の前に行う祈りを捧げる習慣があるようで、カッツェ平野から帝都までの帰り道でも、食事直前にニグンが行っていた。アルシェやモモンにとって既に見慣れた光景だ。そして、先に食べ始めるのも悪いので、アルシェもレイナースもニグンがその祈りが終わるまで、待っていることにしていた。

 

 アルシェもニグンも、口の中に入れた瞬間に煮込まれたバハルス牛の頬肉が口の中に溶けていくことに舌鼓を打ちながら食事を味わう。

 そんな中、店内の永続光(コンティニュアル・ライト)の照明が暗くなり、室内にゆったりとしたリュートの音が流れ始め、そして澄んだ歌声が響く。

 

 

 

夕暮れの アーウィンタール

家路へと急ぐ 行き交う人の長い影よ

遠くの空で 赤く染まったかすみ雲よ 

私は一人 あなたがいない 帝都無情 

 

 

沈みゆく I’m in the tar

もがくほどに 私に絡まる蜘蛛の糸よ

出せない恋文 儚く消えたあの日の恋よ 

羽切された 小鳥のような 帝都無情 

 

 

 

 歌い終わると室内に拍手が沸き起こる。モモンは両腕を組んでその歌を聞き、ニグンはワイングラスを傾けながらその歌に酔いしれていた。

 

「“さすらいの歌姫”レイナさんの歌声と、“銀糸鳥”フレイヴァルツさんのリュートの演奏でお届けいたしました。さて、続きまして、“銀糸鳥”ポワポンさんによる、エキゾティックなトーテムシャーマン・ダンスをお楽しみください」と、『バッカスの酒蔵』の店員が舞台の司会進行してくる声が聞こえる。

 

 “さすらいの歌姫”は、舞台から降り、食事席を巡りながら、おひねりを受け取り、そしてモモン達が座っている丸テーブルの椅子に座った。

 

「お待たせしましたわ。私の出番はこれで終わりなので、後はゆっくりお話をしましょう」と、歌姫レイナは席に着く。

『バッカスの酒蔵』を魅了した歌姫をテーブル席で独占するモモンとニグンに周りの男達から嫉妬の視線が集まる。容姿が平凡な二人の男に何故、という嫉妬の目である。だが、それを二人は気にしている様子はない。

 

「素晴らしい歌声でした。それに美しいです。レイナース女史」と、ニグンはレイナースの容姿を褒める。レイナースは、長い髪を降ろし、そして白く裾長のワンピースという格好だ。

 

「ありがとうございます。とある方に、馬子にも衣装と言われてから、少し女としての自信を失っていたのです。そう言って戴けてうれしいですわ」と、髪をかき上げながらレイナースさんは笑顔で答えている。

 

「そうなのですか。そんな節穴のような男がいるとは驚きですね。そう思いませんか? モモン殿」

 

「そ、その通りだと思います」と、モモンも苦笑しながらそれに同意した。

 

「さて、それで……。問題が起こったということでよろしいでしょうか?」とレイナースも口を開く。アルシェの表情が浮かない顔であることにレイナースは気付いたのであろう。

 

「そうです。今回引き受けさせていただいた――」「モモン。私が自分で説明する」とアルシェはモモンの言葉を遮った。

 

「実は……神官様の名指しの依頼なのですが、私はキャンセルしなければはならなくなりました。ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」と、アルシェはテーブルにその小さな額がぶつかってしまうくらい頭を下げた。

 

「それは非常に残念というか……。寂しいですね。アルシェ女史の、ヤマメの塩焼きを美味しそうに食べる姿。釣った人間として、見ていて嬉しい光景であったのですが……。ですが、依頼のキャンセルに関しては問題ありません。そこまで急ぐ旅ではありませんからね……ただ、アルシェ女史は何か問題を抱えていませんか?」

 

「え?」

 アルシェはドキリとする。

 

「そのご年齢で第三位階魔法を使うということは素晴らしい才能をお持ちということは分かります。法国には冒険者組合はありませんので詳しくは分かり兼ねますが、その年齢で命を落とすこともある冒険者をされている。それが帝国であろうと、普通のことだとは思えません。何かご事情があるのでしょう?」

 

「い、いえ……そんなことは……」

 

「アルシェさんは、魔法学院に通っていてよい年齢です。アルシェさん程の魔法の才能がある生徒なら、授業料どころか、一家が十分生活していけるほどの奨学金が帝国から支払われるはず。ですが、アルシェさんは冒険者をされている。何かご事情を抱えていらっしゃるとしか考えられません。差し出がましいことは言うまいと思っておりましたが、敢えて私もお伺いさせていただきます」とレイナースが緑色の瞳でまっすぐにアルシェを見つめて言う。

 

「実は、家に借金があります……。私の家は没落した貴族の家……。家の恥になるから言えませんでした……」

 

 アルシェは話す。没落したにも拘らず両親は貴族的な生活を止めないこと。幼い妹がいること。自分が稼がねば一家が路頭に迷うことは分かりきっていること。遺跡調査の仕事を受けた父は、そのお金を使い込んでしまっていること。自分が遺跡調査に向かうしかないこと。

 アルシェは顔を上げず、テーブルを見つめながらゆっくりと語る。そして時折、テーブルに涙が落ちた。

 

「アルシェ女史のご自宅はどこですか? 聞けば帝都に邪悪なアンデッドが現れたばかりだとか……。それならば、今度は神聖な天使が帝都に現れて、悪を打ち砕く番です」とニグンが席を立って言った。

 

「神官様。お待ちください」と、アルシェは慌てて、出口へと向かおうとするニグンの服の裾を掴む。そして何とかニグンを再び席に座らせた。

 

 ニグンは「すみません。冷静さを欠いていました。ですが、何故、明るい未来を子供達に残そうとしないのか。私には理解できません」と謝罪の言葉を口にする。しかしニグンは納得していないのか表情は険しい。

 

「アルシェさんには申し訳無いですが、ニグン殿がされようとしていることに私は賛成です。もちろん、アルシェさんと、お二人の妹さんの事を思ってです。もしくは、妹さんを連れて実家を出るべきでしょう。ご両親が夢見ている貴族としての栄光の日々が戻ることは、帝国の現状を見る限り無いでしょう。叶わぬ夢を追いかけるのに付き合って、アルシェさんと妹さんの未来を潰すことはありません。個人的にも……やはり……はやく家を出るべきですね……。そうしないと……取り返しのつかないことになると思います。そして……実家や両親が憎くて憎くて堪らなくなりますよ。自分の手で復讐したいと毎日思うほどに」とレイナースも言った。

 

「このままの状況じゃあ駄目だということは分かっているの。だけど……私が守らないと……」

 

「アルシェ女史……。あなたも私達からしたらまだ小さい子供です。私達からすれば、あなたも守られるべき存在ですよ。あなたが妹を守りたいという気持ちと同じです。少し馴れ馴れしいかと思いますが、私だって()を守りたい」というニグンの言葉にレイナースも頷く。

 

「モモン殿。先ほどからずっと話を聞いておいでのようですが、どうお考えになられているのですか?」とレイナースは先ほどから腕を組んで難しい顔をしているモモンに尋ねる。

 

「アルシェの実家の事は、今すぐどうにかできる問題ではないと思います。それは今後の課題として……。今は、差し迫ったその遺跡調査をどうするかということが問題でしょう。アルシェ。外見の様子は分かったが、念のために一つ確認をした。その遺跡は、周囲が草原の中にあるのだな? 毒の沼地にあるということではなく」

 

「う、うん。何もない草原の中に突如として出現したという情報だから」

 

「そうか……。では、その遺跡調査を成功させて、当座をしのぐ。まずはそれが現実的ではないでしょうか」

 

「分かります。ですが、残念ながら遺跡の調査へは、帝国四騎士の身分で行くのは難しいですわ。帝都内の巡回であればカッツェ平野であろうと連合国家周辺であろうと問題は無いのですが、遺跡の調査は具合が悪いです。それに……帝国四騎士という身分に未練はありませんが、四騎士でないと果たせないことが私にはありますので現状、四騎士は辞められませんから……。ですが、遺跡の調査ではお力になれないにしても、それ以外のことは私の心に留めておきますね」

 

「私も残念ながら、流石に帝国の西部に足を伸ばすことはできません。せめて、連合国家への道すがらにあれば良かったのですが……。アルシェさん、遺跡の件は力になれませんが、ご実家と妹さんの件、神殿関係で何かお助けすることができないか方法を探ってみます」

 

「レイナースさん、神官様。ありがとうございます」

 

「では、遺跡の調査には私とアルシェ。レイナースさんは、ニグン殿の護衛をされるという形で良いですか?」

 

「え? モモンも行ってくれるの? さっき話した通り……報酬は……」

 

「構わない」とモモンは強く言い切る。

 

「ニグン殿の護衛の件。分かりましたわ」

 

「それでは、しばしのお別れですね。連合国家から法国に帰る際、また帝都に滞在しますので、その際はまたお会いしましょう」とニグンが言う。

 

 

 ・

 

 

 宿の部屋に帰ったモモンは、その甲冑の姿のままベッドに腰掛ける。ベッドが全身甲冑(フル・プレート)の重さで軋んだ……。

 思い出すのは、ユグドラシルでの孤独の日々だ。

 

 ・

 

 ・

 

「今日も誰もインしてこないか……」

 

 モモンガは、地下第九階層の円卓(ラウンドテーブル)の前で呟く。

 

「じゃあ今日は、維持費を稼ぐかな……。宝物殿に金貨あるけど、仲間が集めた金貨を目減りさせるのもなぁ。ソロでも倒せて、金貨の取得が大きい魔物は……。今日はヨトゥンヘイムまで足を延ばすか」

 

 独り言のようなモモンガの言葉。

 

 ・

 

ひたすらにモンスターを狩り続けるモモンガ。当然一人だ。

 

「ひとまずはこれでギルドの資産は減らないか……。ん? この光は?」

 突然、モモンガの周りに発生した魔法のエフェクト。聖属性の魔法の光だ。そして、モモンガは自分のHPのゲージが減っていくことを確認した。

 

「あっ、あれDQNギルドのギルド長だ」

 

 モモンガが知らないプレイヤー達だ。モモンガに攻撃してきた時点でPK(プレイヤー・キラー)であることは明白。

 

「一人っぽいし、畳み掛けろ!!」

 

 モモンガは反撃するも、相手もレベルカンストのプレイヤー。そして、相手は何より、パーティーを組んでいる。

 

 ・

 

「あぁあ。死に戻りしちゃった……。アイテムは、奪われていないか……。明日は、またレベルカンストまでレベル上げだなぁ……。ナザリック大墳墓に攻め込む勇気は無いくせに、外ではPKだもんなぁ……」

 

 モモンガは、ホームポイントに設定されている円卓(ラウンドテーブル)のある部屋で、四十一脚の椅子を眺める。空席。

 特に、自分の席というような明確な決まりは無かったが、なんとなく全員が自分の指定席であるかのように座っていた椅子だ。

 モモンガは全員が揃っていた円卓(ラウンドテーブル)の光景を思い出す。

 

 ここは、たっちさん。そして、巨大な黒曜石のテーブルの円の反対側。一番たっちさんから遠いところ座っていたのがウルベルトさん。

 餡ころもっちもちさん、ぶくぶく茶釜さん、やまいこさんは、三人並んで座っていた。

 武人建御雷さんと弐式炎雷さんも隣同士で座っていたなぁ。

 

「こっちもパーティーだったら、簡単に撃退してたのになぁ……」

 

 モモンガは索敵能力では劣る。だが、たとえ相手が隠蔽魔法を使っていても、弐式炎雷がいれば、発見できた。

 さきほども、先制攻撃をされることなんてなかったはずだ。いや、むしろ最強の魔法職(ワールド・ディザスター)であるウルベルトが先に先制攻撃をしかけていたはずだ。近接戦となっても、たっちさんや、ぶくぶく茶釜さんがいたら、モモンガ一人に手こずっていた拙い連携のあいつ等なんかに負けなかった。

 

「そうだな……。今から、化身(アヴァターラ)の作成の続きでもしようかな……」

 

 

 ・

 

 ・

 

 モモンは、宿屋のベッドに仰向けになる。さらにベッドが軋んだ。薄汚れた天井のシミが今日は余計に気になるモモンであった。

 

 モモンは、今日のアルシェの言葉を思い出す。

 

『実は、明後日の神官様の依頼……一緒に行けなくなった』

 

「何回言われても、嫌だよなぁ。狩りの約束とかが反故にされるのって……」

 モモンのその言葉は、薄汚れた天井へと消えていく。

 

『ご両親が夢見ている貴族としての栄光の日々が戻ることは、帝国の現状を見る限り無いでしょう。叶わぬ夢を追いかけるのに付き合って、アルシェさんと妹さんの未来を潰すことはありません』

 

 レイナースさん、たまにキツイこと言うよなぁ。

 

『このままの状況じゃあ駄目だということは分かっているの。だけど……私が守らないと……』

 

 俺だって、このままの状況ではいけないって分かっていたさ。

 あの栄光の日々が戻ってくるなんて思ってなかったさ。俺だって、辞めようと思ったさ。

 だけど、みんなで築き上げたアインズ・ウール・ゴウンを守りたかっただけなんだ。

 ユグドラシルのサービス最終日。それが過ぎたら、何かが変わるんじゃないかって思ってたさ。

 しがみ付いているだけだと分かっていたさ……。

 

 眠らないモモンの呟きを聞いているのは、天井のシミだけであった。

 








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