アルシェの物語〜In the Beginning was the Word〜 作:Menschsein
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アルシェは重い足取りで帝都北市場へと向かっていた。モモンは、宿に一度帰ったが直ぐに外出したということだった。冒険者組合にもおらず、飲食をしないモモンが食事をしているということも考えにくい。それならば、北市場にいるのではないか。
カツン、カツンと自分の靴の踵が石畳に打ち付けられる音が、アルシェの気分を沈めていく。
ニグンさんがカルサナス都市国家連合に向かうという護衛依頼の出発は明後日だ。しかし、新発見の遺跡調査の出発は明日。
遺跡の調査隊の編成を任されたという父。執事のジャイムスの話では、この遺跡調査の話を持ちかけてきた人間は、どうも胡散臭いという。名前もおそらく偽名。だが、遺跡調査を見事に成功させたら、貴族の末席に再度名を連ねることを遠回しに匂わせてくる。
鮮血帝が帝位を継いで以来、貴族が減ることはあっても増えた試しはない。限りなく怪しい。貴族への復位が許されるという話は胡散臭い。
しかし、支度金としてその男が渡してきた帝国運営の銀行が発行の金券板は、金貨千枚が払い込まれていた。遺跡の調査が成功し、遺跡での取得品の五割を渡せば、成功報酬としてさらに金貨二千枚を払うという破格の条件だ。
そして、父は、どうも金貨五十枚ほどは、フルト家への滞っていた支払用の金としてジャイムスに渡してきたという。フルト家で消費される高級食材や酒などの溜まり貯まったツケ、メイドや料理人などへの遅れていた賃金の支払い。
さらに、造園維持費のツケの支払いや、茶会用のガゼボを立て替えるとともに、庭園の植樹を充実させるという景気の良い話をしていたという。貴族に復位したあかつきには、茶会のホストを務めるつもりであろうか。
そして、肝心の調査に関しては、娘に行かせればよかろうの一点張り。なんとか依頼の体裁を整えるために、ジャイムスが走り回って、馬車を手配し、現地までの足を用意し、そして移動中と滞在中の食料などを用意したということだ。
そして、問題は、“モモンと愉快な冒険者たち”に父が報酬を支払うつもりがないということだ。自分の報酬はまだしも、モモンへの報酬は払わねばならない。ニグンが、カルサナス都市国家連合への護衛で提示した金額は、金貨十枚。ミスリルプレートの冒険者に対しての依頼では妥当であろう。だが、それは安全な街道を行くという前提の報酬だ。
未発見の遺跡という危険性を考えれば、金貨百枚の報酬。それも、一人頭の金額としてそれくらい払うのが相場だ。
どうしよう……
帝都の北市場の露店の前。人の通りが疎らであり、大柄で、真っ黒な
できれば、北市場にもモモンの姿は見えないで欲しかった。言いにくいことを言わなければならない。
「アルシェも買い物か?」と、モモンもアルシェに気づいたのか、声を掛けてくる。
アルシェは無言で首を横に振り、「何を買うの?」とモモンの隣に立って露店を覗き込む。
「
モモンの楽しそうな声。連合国家への道中、きっと神官様と釣りを護衛中に楽しむつもりなのであろう。昇格試験で得た報酬で買うつもりなのであろう。
「分かっていると思っているが、これは、一点物だぜ? 職人が試しに一個だけ作って、売れないことが分かって作るの辞めたのだとよ」と、露店に座っている男がモモンに声を掛ける。
「む? レア物か……。少しばかり安くならないか? 金貨七枚と銀貨五枚でどうだ?」
「馬鹿言っちゃいけねぇ。さっき、スレイン法国の神官さんもそれを熱心に見てたからなぁ。金貨七枚、銀貨八枚だ」
「金貨七枚、銀貨七枚。それに、銅貨十枚でどうだ?」
「“釣りは要らない”ってのに、そこまで値切るのかよ。分かった。持ってけ泥棒」
「すまないな。ん? ちょっとアルシェ。こちらに来てくれ」と、モモンは、アルシェとともに北市場のある通りを外れ、建物の影へと移動した。そして、モモンは露店の店主から見えないことを何度も確認し、右手で甲冑の後部を触りながら、「銅貨を2枚貸してくれないか? あいにく、銅貨八枚しかなくてな……。金は持っている。だが、値切るのは良いとして、さらに釣りをもらうのはな。流石にまずいだろ。だから、ピッタリで払いたいのだ」
「う、うん」とアルシェは、ポケットに入っていた硬貨から、銅硬貨二枚をモモンに渡す。
アルシェから銅貨二枚を受け取ったモモンは、小走りで先ほどの露店に行き、代金を払いアイテムを受け取って、再びアルシェの所へと戻ってきて、「助かったよ、アルシェ」とお礼を言う。
「お安いご用。もう買い物終わった? モモンに相談したいことがある」
「そうか。もしかして、俺を探していたのか? どうした? 深刻な話か?」と、モモンはアルシェの顔を見ながら言った。モモンも、アルシェの浮かない顔に気付いたのであろう。
いざ、話そうとすると、アルシェは言葉にできない。モモンの顔を見て話をしようと思うのに、地面を見てしまう。
「お茶でも飲みながら話すか? 冒険者組合に行くか」と言ってモモンは歩き出す。
・
冒険者組合で、アルシェが注文したアゼルシアン・ティーの砂糖多めがテーブルに置かれ、幽かにコップから湯気が出ている。
アルシェは、グッと握った拳を自分の両膝に置いた。
「実は、明後日の神官様の依頼……一緒に行けなくなった」
「そうか……。それはニグン殿には話したか?」
アルシェは、ゆっくりと首を横に振る。
「護衛料は、チームとして二人分の報酬をもらっている。それは分かるな?」とモモンは言う。
「うん……」
「それに、依頼を数時間前に引き受けたばかりだ。もし、私達が護衛を引き受けれないのであれば、ニグン殿は別の護衛を探さなくてはいけない。最悪、明後日の出発に間に合わなくなってしまう。それも分かるな?」
「う、うん……」
「冒険者として、一度引き受けた依頼を断るというのは、信頼を損なうことだということも分かっているな?」
「分かってる。私だって、冒険者……」
「それならいいさ。ニグン殿を探して、二人で謝ろう。レイナースさんも一緒に行く気だったから、出来ればレイナースさんもだな……。ほらアルシェ、顔を上げろ。それに、紅茶が冷めるぞ」と、モモンはアルシェの頭をポンと軽く叩いた。
「理由を聞かないの?」
「やむを得ない事情があるんだろ? 事情を説明したいのなら、俺にではなく、依頼主であるニグン殿にするべきだ」
「ありがとう。モモンって、時々すごく優しいよね」
「そうか? 俺が理由を聞きたくないだけかも知れないぞ? いや……きっとそうだ」とモモンは言った。
結婚をしたから……。リアルで残業が多くなって……。漫画の連載が始まって……。別のゲームに嵌まって……。子供が出来てさ……。夜勤のシフトになって……。
「理由なら幾らでもあるさ……」
「ん? ごめん。モモン聞こえなかった」と、熱い紅茶を飲んでいたアルシェには、モモンのその呟くような声を聞き取ることは出来なかった。