2017-01-17 Tue
自民党の派閥のおおまかな流れ
戦後自民党の55年体制の、大雑把な派閥の系譜について。細かいことを言い始めるとキリがないので大きな流れを見る。
自民党の派閥
清和会・宏池会・経世会の3つが自民党の派閥のメインストリーム(とここでは捉えることにする)。吉田茂以降の総理総裁は以下の通りで、清和会系が青、宏池会系が緑、経世会系が赤、その他が黒。
吉田茂→鳩山一郎→石橋湛山→岸信介→池田勇人→佐藤栄作→田中角栄→三木武夫→福田赳夫→大平正芳→鈴木善幸→中曽根康弘→竹下登→宇野宗佑→海部俊樹→宮澤喜一→(非自民)→橋本龍太郎→小渕恵三→森喜朗→小泉純一郎→安倍晋三→福田康夫→麻生太郎→(非自民)→安倍晋三
社会党の統合に対抗する形で自由党(吉田)と日本民主党(鳩山)が一緒になって自由民主党が1955年(鳩山首相時)にできて、そのまま宮澤まで政権与党を維持した(55年体制)。
鳩山・岸の日本民主党からの流れ(清和会)と、吉田から池田派(宏池会)と佐藤派(経世会)に分かれた流れの3つが自民党内の主な派閥だった。
清和会
ほとんど非主流だったが、森以降は麻生以外が清和会系の首相で主流。ただし小泉が「自民党をぶっ壊す」をスローガンに経世会を徹底的に弱体化させて以降は、清和会・宏池会・経世会といった括り自体が意味を失っている。実際、現在の安倍内閣は派閥ではなく党をまたいだ議員連盟「創生「日本」」(会長が安倍)から多く登用している。
宏池会
池田派→宏池会。大平、鈴木、宮澤、麻生がここ。また1度目の野党時代に総裁だった河野洋平、2度目の野党時代に総裁だった谷垣禎一も宏池会系で二人とも首相になれずに総裁を交代した。河野・麻生は宮澤後に分離独立している。
池田勇人を中心に昭和30年代に派閥が構成された。当初は大蔵官僚を中心にした政財官の個人の勉強会だった。もともと池田個人に対する集まりで佐藤派(経世会)ほど組織立っておらず、泥臭い政治力とは無縁で宮澤内閣時も実権は経世会にあった。
経世会
佐藤派→田中派→経世会(竹下派)→平成研究会(小渕派)。佐藤、田中、竹下、橋本、小渕がここ。金丸信や小沢一郎もここ。
組織的に整った派閥で、佐藤の五奉行、竹下の七奉行と仕事を分担して処理していた。専門領域を持った族議員を育てて官僚をコントロールするスタイル。小泉政権時代までずっと最大派閥でほとんどの期間で主流で、竹下以降の海部・宇野・宮澤は非経世会だが実権は経世会(竹下)が握っていた。小泉時代に「抵抗勢力」呼ばわりされて有力者がとことん潰され今は非主流。
その他
三木派、中曽根派はそれぞれ独立した小派閥。宇野は中曽根派だが派閥トップではなく、海部も三木派(→河本派)で派閥のトップではなかったが、状況的に他の候補者がいなくてたまたま首相になった。石橋は石橋派を抱えていたが総理辞任後に消滅。
「三角大福中」と言われていたときは、上の3つと三木派・中曽根派をあわせて5大派閥だった。
派閥の分裂・統合・名称変更は細かく見ればキリがない(個人レベルで出たり入ったりもしてるし)。だから多少不正確でも、「主に清和会・宏池会・経世会」、「小泉以前は経世会が主流・清和会が非主流、小泉以降で逆転、宏池会はだいたいサポート役」とざっくりのイメージでとにかく捉えて、それから少しずつ細かいことを把握していけばいいと思ってる。
首相交代の流れ
55年体制が始まってから終わるまで、各総理総裁が「どういう経緯でなったか」「どういう経緯でやめたか」を簡単に見ておけば、だいたいの流れがつかめるかもしれない。
鳩山→石橋(56年) 鳩山引退後の総裁選で岸と石橋が対立。1回目の投票で岸が1位だったが決選投票で石橋が逆転。
石橋→岸(57年) 石橋が首相在任65日で脳梗塞のため辞任。総裁選で2位だった岸に引き継ぎ。
岸→池田(60年) 岸が安保闘争の責任を取って辞任。岸から指名を受けて池田が引き継いだ。宮澤喜一の回想録によると岸は池田に「俺のすぐ次に弟というわけにもいかないから(岸の実弟は佐藤栄作)」と語っていて、いずれ佐藤を総理にするが間に池田を挟むという考えがあった。
池田→佐藤(64年) 池田が咽頭癌で退陣、池田の指名で佐藤が後継。
佐藤→田中(72年) 佐藤は福田への引き継ぎを考えていた(派閥は違うが、兄である岸の派閥を引き継いでいるのが福田だったので)が、佐藤が総裁選4選後すぐに次期総裁選に立候補しないと公言したため後継争いが激化。田中が佐藤派の大部分を連れて田中派として独立し総裁選で福田を破った(角福戦争)。
田中→三木(74年) 田中金脈問題で田中が退陣、副総裁の椎名悦三郎が調整し、三木、福田、大平、中曽根が候補に上がるが、中曽根はその時点で調停役に回っており、田中と親しい大平は田中政権継承のイメージがつきかねず、福田は田中批判を展開していたため田中派・大平派の反発が強く、残る三木はクリーンなイメージもあり議員経験も最長だったため三木を指名した(椎名裁定)。
三木→福田(76年) ロッキード事件の徹底解明を進めた三木に対し、自民党のダメージに繋がるとして三木派・中曽根派以外が結託して「三木おろし」が自民党内で起こる。三木後は福田首相・大平幹事長、福田は2年(総裁任期1期)で大平に譲るという内容で調整された(大福密約)。(大蔵省時代に福田は大平の先輩だったという理由で大平が譲る。)
福田→大平(78年) 福田が大福密約を反故にして総裁選に出馬、大平と対決したが田中派の支援を受けて大平の勝利。
大平→鈴木(80年) 79年の衆院選敗北で大平・田中の主流派以外が大平退陣を要求して自民党が内部分裂(四十日抗争)。野党提出の内閣不信任決議案に自民反主流派が乗っかり可決され解散(ハプニング解散)。選挙戦中に大平が急死し同情票で自民圧勝。大平を追い込んだ自民反主流派は総裁候補を出せず、田中派はロッキード事件の公判中でイメージが悪く、大平派の宮澤喜一は本命だったが田中から嫌われていて支持を受けられず、消去法で調整・裏方を努めていた大平派の鈴木善幸が首相に。
鈴木→中曽根(82年) 鈴木が総裁選不出馬。鈴木は在任中から後継候補として中曽根を処遇し続けたこと、「三角大福中」の残りの一人ということもあり総裁選では中曽根が圧勝。
中曽根→竹下(87年) 中曽根が総裁任期2年×2期+1年(選挙で大勝しておまけの1年がついた)の5年を全うして退陣。自身が断念した消費税の導入+容体が悪化していた昭和天皇の大喪の礼ができる調整力のある人という判断で、ニューリーダー竹下登、安倍晋太郎、宮澤喜一の3人(安竹宮)の中から竹下を後継に指名(中曽根裁定)。
竹下→宇野(89年) 消費税導入・リクルート事件で内閣支持率が一桁台まで落ち退陣。他の有力後継候補が全員リクルート事件に関与していたため、主要閣僚で事件と関係の薄かった宇野(中曽根派ナンバー2)が消去法で竹下から指名され首相に。
宇野→海部(89年) 宇野が女性問題から参院選に大敗して69日で退陣、有力者が軒並みリクルート事件で依然謹慎中のため、竹下と出身大学が同じで親交のあった、河本派(元三木派)ナンバー2の海部が竹下派の支持を受けて首相に。
海部→宮澤(91年) 海部が政治改革法案を進めようとしたところ党内の反発に会い総裁再選の道を断たれ、支持率50%超のまま総辞職に追い込まれる(海部おろし)。安竹宮のうち安倍が病没しており、ニューリーダー3人の最後として宮澤が総裁選で勝利。
宮澤→細川(非自民)(93年) 前年に金丸信(竹下から継いで経世会の会長)が佐川事件で逮捕、後継を巡って経世会が小渕・橋本系と小沢・羽田系で分裂していた。宮澤が政治改革法案の成立を公言していたが党内をまとめきれず次期国会に先送りし野党が反発、内閣不信任案を提出したところ小沢・羽田系が乗っかって成立、解散。自民党が分裂し非自民連立政権が誕生し55年体制が終わる。
※その政治改革法案(政治資金規正と小選挙区制への移行)は結局、海部→宮澤→細川→羽田→村山→橋本と6つの内閣を経て成立している。
こうしてざっと眺めてみると、「いきなり弟に継がせられないから」、「先輩だから」、「出身大学が同じ」、「消去法で」といった理由で国民の意思とは無縁に国のリーダーが選ばれている。ただ、それ以前の段階で自民党内で厳しく総裁候補が暗黙裡に選抜されていく過程があって(「あいつはダメだ」と見なされると重要な閣僚や党役員のポストが回されなくなって脱落する)、そうして残った「こいつなら大丈夫」の中で最後の最後はタイミングや微妙な差で首相になっていたため、めちゃくちゃな人物が選ばれるということはなかった。それでも国民の意思と直結しないプロセスなのは変わりない(例えば海部は高支持率を維持していたが降ろされている)。
本のあれこれ
読んだ順。
佐藤優『国家の罠』
- 作者: 佐藤優
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2007/10/30
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外務省職員だった著者や国会議員の鈴木宗男が逮捕され有罪判決を受けた事件について、時代の転換における国のけじめという認識を展開していいる。そもそも犯罪は作ろうとすればいくらでも作れるもので、実際著者も鈴木宗男もディテールを見れば犯罪とは言いがたいものだったという。しかし著者本人は時代の転換点で誰かがそういう断罪を受けるのは仕方がないことだと割りきっている。
地方へ富へ分配するという田中以来の在り方から新自由主義的な競争社会へという転換と、国際的なトータルバランスを考えて一見自国に損に見える選択も外交的に取る在り方から国民のナショナリズムと直結するような外交へという転換がこの時期にあった。<「公平配分モデル」から「傾斜配分モデル」へ、「国際協調的愛国主義」から「排外主義的ナショナリズム」へ>という転換が小泉政権下で生じた。この二つの古い価値観を体現していたのがたまたま鈴木宗男であって、さらに田中真紀子外務大臣との対立や本人のパーソナリティもあって国民からの視線を集めてちょうどいい位置にいたから、この人を断罪すれば「価値観の転換」の象徴に適していたためターゲットになったという。鈴木宗男逮捕に至る踏み台として自分も逮捕されたのだという認識が示されている。
それまで「小泉純一郎はポピュリストだった」程度の漠然とした認識しか持っていなかったので、構造の転換という文脈を示されたのは新鮮だった。
飯尾潤『日本の統治構造』
- 作者: 飯尾潤
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2007/07/01
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小泉によって派閥制が解体された、経世会が破壊されたと書いたが、この本ではそれを小泉の個人的な能力や志向、恨みに帰結させず、「どんな構造がそれを可能にさせたのか」を描いている。橋本内閣で中選挙区制から小選挙区(比例代表)制へと移行したことがそのベースになっているという。
一選挙区から複数人を選ぶ中選挙区制では、同じ選挙区に同じ党から複数人出なければ単独過半数を確保できない。同じ党の候補者同士が戦う以上は、「私は○○党員です」というアピールだけでは勝てないため、何かしら専門性を磨くなど特色を打ち出していくことになる。この結果、党よりも個人の方が強くなる。一方で一選挙区から一人を選ぶ小選挙区制では逆の作用が働いて「誰を選ぶか」より「どの党を選ぶか」という選択になり、党の公認を得られるかが重要になり、公認を与える権利を持つ者=幹事長・党首へと権力が集中していく。
小選挙区制に変わった96年から5年後にこうした特性をあらわにしたのが小泉だったという。
上の認識をベースに、「むかしの自民党は野党への配慮があったのに」、「むかしの自民党議員はもっとしっかりしていたのに」といった嘆きが生まれる理由と、とはいえ元の体制に戻るという選択肢が許される現状にはなさそうだという話を以前まとめてみたのだった。
ただ本書のメインテーマはそうした局所的な話ではなく、官僚制、政府、国会、自民党の構造を建前(制度)と実態の両面から詳細に描いて、それが経済的な背景を伴っていることや、そうした構造を他国と比較したり経時変化を見せるのが主眼になっている。
鈴木宗男『政治の修羅場』
- 作者: 鈴木宗男
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その破壊された経世会の当事者である鈴木宗男が、1969年に大学4年生で地元国会議員の秘書になって田中から小泉まで自民党の内側からの景色を語っている。自身も北海道の農村出身で、田中角栄、竹下登、金丸信、中川一郎といった叩き上げタイプの政治家にシンパシーを感じて実際、足を使って金を使って猛烈に勉強して官僚を抑え、政治家としての力をつけていった族議員の来し方を見せてくれる。『日本の統治構造』で描かれていた構造の中で実際にプレーしていたプレーヤー側の視点でどう見えるかを見せてくれるし、そして小泉の転換点でどういう形で失脚させられていったのかもよくわかる。
こういう本を読もうとすると登場人物が説明抜きに出てくるので、誰がいつどういう経緯で首相になっているかという基礎知識があった方が読んでて断然たのしい。
宮崎学『談合文化』
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その小泉での転換点を、自治的な談合の破壊という視点から捉えている。
経世会/清和会という対立より、エリート・官僚/ノンエリート・党人という対立で捉えていて、岸・池田・佐藤のエリート官僚出身者による官僚中心の政治からノンエリート党人政治への転換が田中派(経世会)で起こって、追いやられていた福田派(清和会)が小泉で復権した結果、エリート・官僚中心に戻ったという構図を描いている。小泉構造改革が「官より民へ」というスローガンとは裏腹に官僚支配を招き寄せたという。ただし小泉の個人的な恨みで経世会を潰したというより(それもなくはないけれど)、グローバリズム・ネオリベラリズムの世界的な潮流の中でそうしたのだが日本の社会構造に上手く適合できず、結果的に「経世会を潰す」という「成果」のみが達成されてしまった、という見立てになっている。
御厨貴『宮澤喜一と竹下登』
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オーラルヒストリー(本人の口述をまとめた自伝)を元に二人の首相経験者の生涯や政治観を再編集したもの。これまで宏池会の流れの人の話は見ていなくて(というか宏池会というものの存在を知らなくて)本書ではじめてそういう流れなのねとわかった。
官僚出身でスーパーエリートの宮澤と地方議員出身で叩き上げの竹下というとても対照的ながら、同時代を生きてそれぞれ首相になった二人が対比される。宮澤は20代でサンフランシスコ講和条約会議へ吉田茂に同行していたり、竹下は独自に議員の点数付けを編み出し全議員のランク表を作り上げて逆算して首相になったり、二人とも別方向に異常者で、ここまで度を越えていてようやく首相候補になれるんだなという。竹下が首相への道程を逆算し得たのは自民党単独与党の体制がそれだけ安定していたという前提があるからだという指摘がされている。
個人の特性に焦点を当てているため、構造的な分析はほとんどない。しかし構造だけ見ては片手落ちで、プレーヤーの内在的な論理も同時に見ないとその構造がどう駆動するのかがわからない。
小選挙区制のもとでは党首に権力が集中する傾向にあるため、昔のように強固で固定的な政権担当集団としての派閥が生じていくというより、ある個人を支持する集団とか、勉強会とかそうした意味での派閥くらいしか生まれてこないのかもしれない。その意味では、今の自民党を見ようとするのに清和会とか経世会とか言ってもほとんど無意味になっている。ただ「どういう経緯で今があるのか」とか「昔はどういう形態だったのか」を見ようとするとどうしても避けて通れないので、大雑把に自民党の(主に55年体制の)派閥のことを知っておきたいなと思って。
こういうこと書くとめちゃくちゃ自民党史や日本の政治史に興味がある人みたいだけど、本当に興味がないの。興味がないから、「このレベルで把握しておけばとりあえずよしとする」とラインを決めて片付けてるだけなんだ。
ある一時代に成立した独特の統治システムの話として、あるいはある個人がいかに他者との関係を築いたかといった話としては面白いかもしれないけれど、単に知識として詳細に覚えたいといったよろこびは全く見出せない。