林舞輝のJ2紀行 レノファ山口編:第一部
欧州サッカーの指導者養成機関の最高峰の一つであるポルト大学大学院に在籍しつつ、ポルトガル1部のボアビスタU-22でコーチを務める新進気鋭の23歳、林舞輝はJ2をどう観るのか? 霜田正浩とリカルド・ロドリゲス、2人の注目監督が激突する8月12日の山口対徳島を観戦するために中国地方へと旅に出た。
取材・文 林舞輝
私は今、新山口駅からレノファ山口の練習グラウンドに向かうタクシーの中だ。時計の針を戻して思い返してみる。なぜこんなところにいるのか、なぜこんなことになっているのか……。
すべては、とあるサッカージャーナリストの適当だか計算づくだかよくわからない、ふとした思いつきからである。
「林くん、山口の霜田監督のところに行ってみたら?」
彼のこの突然の一言により、私は山口へ旅立つことになってしまったのだ。
■ここはどこ? なぜ、こんなことに…?
8月9日、仕事を終えた私は新幹線に乗り、本州最西端へと向かった。
山口県――正直、あまりこれといったイメージはなかった。いつもの旅のような、新しい土地と出会いへのドキドキもなければ、かといって不安も特にない。新幹線の中で山口の情報を調べたのだが、県の面積自体が大きく、だが交通の便は良いとは言えず、個人的に気になる観光地は散らばっていた。拠点となる新山口駅からも決して近くはないので、今回の滞在中に観光するのは厳しそうだ。そんなことを考えているうちに意識が遠のき、(多分いびきをかき)気がつくと新山口駅に到着していた。
荷物を抱え、新幹線、そして改札から出る。外はすっかり暗くなっていた。駅から出ると、思わず息を飲む風景が待っていた。何もない。本当に、何もない。ホテルにチェックインをし、荷物を置き、すっかり空っぽになったお腹を抱えて外に出る。
やはり何もない。ぼんやりとした不安が身体を包み込む。仕方ないのでポケモンGOを開くことにした。日本に帰って来てからというもの、食べ物が美味し過ぎてついつい食べ過ぎてしまっている。というわけで、最近ダイエットのために始めた。今ではあっという間にレベル22。日々、憧れのポケモンマスターになるために精進している。それだけでなく、アジア限定ポケモンのカモネギを捕まえまくってポルトガルに密輸入、欧州のポケモントレーナーたちに高額で売りつける、という悪徳ビジネスまで真剣に考えるようになった。
ポケモンGOをしていると、不安はさらに増してくる。何しろ、人とすれ違うよりポケモンとすれ違う方が多く、お店よりポケストップの方が多いのだ。結局諦めて某コンビニで食料を確保、1日目はプレミアリーグの移籍動向を追いながら眠りについた。
■練習場到着。そこで観た意外な光景
……と、こんなふうにタクシーの中で昨晩のことを思い返していたのだが、ふと我に帰ると、メーターがもうすぐ3000円に近づこうとしていた。しまった。私の財布の中には3500円しかない。日本のタクシーが高額なことをすっかり忘れていた。何しろ、私の住むポルトガルでは、街の中心地から郊外の空港へも2000円ほどで済むほど、タクシーが安いのだ。事前に練習場の場所を調べた時は、一番近くの駅からでも徒歩30分の距離とあった。しかも、私が滞在している新山口駅から練習場の最寄り駅までの電車が1時間に1、2本しかない。公式サイトによると、新山口駅から練習場までタクシーで15分ほどとある。
というわけで、とりあえずタクシーで2000円以内で行けるところまで行ってみて、そこからは歩こうという完璧な戦術を選択した……はずだった。それが、ぼーっとしているうちに3000円である。困った。大学院生にはあまりにも大き過ぎる出費だ。慌てて運転手に近くで停まるように要請する。
自分の不覚さを恥じ、ため息をつきながらタクシーを降りる。やってしまった。お金がない。今日の晩御飯は吉野家の牛丼で決定だ(果たして吉野家が山口にあるのか知らないが)。スマホで地図を開く。練習場までまだ15分ほど歩かなければならないようだ。これは完全な作戦ミスと認めざるを得ない。もう二度と山口でタクシーは使わない。そう決意し、歩き始める。もちろん、ポケモンGOを開いてから。
暑い。それにしても、暑い。歩いていても頭に浮かぶのは、そんなことだけだ。びっしょりのシャツで練習場に到着し、驚いた。今度は、新山口駅に着いた時とは逆の、ポジティブな驚きだ。練習開始前なのに、すでに多くのサポーターがグラウンドを囲っていたのだ。山口でこんな多くの人々を見かけたのは初めてであった。
練習が始まる。
選手たちがすごく楽しそうだ。いい意味で、勝ち星から長らく遠ざかっているチームのようにはとても思えない。そして、それを見つめるファンの人たちの眼差しも、何だか楽しそうである。たわいのない話をしながら、選手たちのプレーに一喜一憂している。選手たちが笑えばサポーターたちも笑い、選手たちの目つきが真剣になればサポーターたちの目つきも真剣になり、選手たちが良いプレーをすればサポーターたちから歓声と拍手が湧き起きる。私の目の前では、サインがびっしり書かれたダボダボのオレンジのユニフォームを着ている子供が、ボールをめちゃくちゃな方向に蹴ってお母さんに呆れられている。
温かい――それが、私のレノファ山口の練習を観た最初の感想だった。
■新世代コーチは練習で「何」を観るのか?
レノファ山口に限らず、私は指導の勉強のために他チームの練習を見に行くことが多々ある。そういう時、たいてい一番最初にその監督とチームの「空気」を観る。なぜなら、これは生で観るからこそ伝わるものだからだ。何を練習しているかではなく、どういう空気でトレーニングしているか。何を伝えているかよりも、どういう空気でどんなふうに伝えているか。練習メニュー本を読むだけでは勉強できないことであり、ネットで練習動画を見るだけでは伝わらないことだ。鳥かご一つとっても、ピリピリとした中でやるのと、ゆるい雰囲気でやるのとではまったく違う練習と目的になるのは、容易に想像できるだろう。そして、この日のレノファで感じた空気は、「温かい」だった。
鳥かご、パス練習、そして最後のクロスの練習が終わった。クロスに対する守備の対応にかなりの時間が割かれて、入念に確認をしていた。前節の愛媛戦でクロスから2失点しているからであろう。この日はサイドを崩された前提での練習だったが、他の日にはサイドを崩されないための練習もしていたそうだ。この2つのシチュエーションの違いは守備練習の肝であり、たまに間違った目的で間違った練習をしてしまうチームがある。守備練習には、「崩されないための練習」と「崩されても守る練習」がある。この2つを混同してはならない。
また興味深かったのは、たまに練習中に聞きなれない言葉がピッチ上で飛び交っていることだ。「アタッキング・パス」、「プレッシャー・ボックス」……気になる。レノファを、そして霜田監督のサッカー観を理解するキーワードになるのだろうか。
■黒い――テレビ画面とはまったくの別人
練習が終わりひと段落したところで、霜田監督に挨拶をしに行く。
黒い。
先ほどから、「熱い」とか「温かい」とか、小学生のような感想で申し訳ないのだが、霜田監督に最初に会った印象は、「黒い」だった。あっぱれな焼け具合だ。
話してみると、非常に穏やかで温かい人だった。瞳が輝いている。なんだかよくわからないが、とにかく楽しそうだ。「霜田監督」は、今までテレビの画面を通してよく見てきた「霜田技術委員長」とは似ても似つかないような、まったく違う人物のようであった。あぁ、ファンの温かい空気と選手たちの楽しそうな雰囲気はこの人が作ってきたものなのかもしれないなぁ、などと考えを巡らせてみる。
なんと次の日、霜田監督と2人でランチの約束を取り付けることができた。明日が楽しみだ。
その日は地元在住の友人の友人で、(この日初めて会った)レノファ山口の武石分析担当コーチと、山口名物の活きイカや焼きフグを食べてみた(ちなみに、吉野家は県内に2店あったのだが、山口市にはなかった)。これは、美味い。動いているイカを食べるのは初めてであったし、天ぷらにした胴体もこれまた絶品だった。
だが、何より驚いたのは食事中に教えてもらった彼の仕事ぶりである。22歳で私より1歳年下なのだが、私よりはるかにプロとして働き、尽くし、結果を残している。「プロフェッショナル」を体現したような人間であり、私もまだまだだな、頑張らねばな、と強く痛感した(ちなみに、この時点で私の財布の中身は500円を切っていたので、この豪勢な夕食は年下に奢ってもらった)。
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第二部へ続く
●林舞輝のJ2紀行 レノファ山口編
第一部:新世代コーチ林舞輝、J2を観る。レノファと霜田監督との出会い
第二部:技術委員長からJ2の異色の経歴。霜田監督とのランチで得た学び
第三部:山口対徳島という極上の戦術戦。そして話題の記者会見が勃発!
最新号は『18-19欧州各国リーグ大展望 52人の要注意人物』!
Photos: レノファ山口 サポーター有志