散るろぐ

ここが僕のアナザースカイ

思い出の家族旅行

僕がまだ3歳か4歳のころ、家族みんなで海へ行ったんだよ。バスの団体で、町内か知人の集まりなのか、よくわからなかったけれど、30人くらいが一緒に乗りあわせていた。

僕の生まれた山梨県は、内陸の寒村で、猫の額みたいな盆地に、低い家がぽつりぽつりとあって、駅には信玄餅しか売っていなかった。そこから海を見に行くには、南の熱海の方か、北の日本海へ行かなきゃならなかった。そこで僕らは、美味しいカニの食べられる、新潟の海水浴場へ向かったんだよ。

初めて乗ったバスは、道路よりもずっと背が高くて、ガイドさんのマイクもエコーが効いていて、僕のテンションは最高にふり切れていた。ずっと座席で身をくねらせながら、奇声をあげていた。

しばらく経つと退屈になって、僕は揺れる車内をヨタヨタしながら前に進もうとした。運転席のフロントガラスからの景色を、どうしても見たかったんだよ。

でも、大人に捕まって、すぐ座席に戻されるのだけど、母の油断したところで、急いで通路を駆けたら、ころがって頭からポールに激突してしまった。

木曽路はすべて山の中で、つづら折りの坂道とブレーキの緩急でバランスを崩してしまったんだ。大量の血と涙をまき散らして、さんざん大騒ぎしたあと、泣き疲れて、そのままぐっすり眠ってしまった。


深い眠りからさめると、そこは海だった。太陽が顔の近くにあって、銀色に光る波濤に、水平線が広がっていた。原色のパラソルがいっぱい立っていて、波打ち際がギラギラ光っていた。

僕は、父の背から逃げるように飛びおりて、焼けつく砂浜へ駆け出した。まさか世界にこんな場所があるなんて。柔らかい砂に足をとられて、すぐに転んでしまったけれど、ぜんぜん痛くない。それから、海水に濡れた砂で、山を作ったり、深い穴を穿ったり、トンネルを掘るのに夢中だった。

父親は、海の家でビールを浴びるほど飲んでマージャンをしていた。同い年の母親は、迷子が得意な僕のせいで、疲れたおばあさんみたいな顔になっていた。

一日中、砂浜で遊んで、赤い夕日をみた。夕暮れの渚には、ザァンザァンという波の音だけが聞こえて、誰もが無口だった。

夜は、みんなでカニを食べた。海の家が、カキ小屋みたいなカニ小屋になっていて、湯がいたばかりでアツアツのカニを持ってきてくれた。そのときだけは、僕もおとなしく座ってカニを食べていた。

それから、記憶が途切れ途切れになっているから、ずっと寝てたのかも知れない。気がついたら、またバスの中で、母のとなりでグッタリしていた。やがてバスの窓から、見なれた富士山が見えてきて、お家に帰ってきた。

一泊二日の旅だったけど、すごく遠くまで行って、ひさしぶりに帰ってきた気がした。留守にしていた家の中はとても乾燥していて、僕はパチっとまばたきをした。それが、なんだか不思議な気分で、まぶたを開けたり閉めたりするのって、こんな感覚だったっけ。

まだ、なにも知らなくて、時間が止まっていたころの、夏の思い出。