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■概要
アニメ、ゲーム、漫画でも度々言われてる事だと思いますが「絶対に売れる方程式はない」という話。
でも、この記事を読んでる方はそんな事を聞きたいのではなく、コレをすれば動画が伸びる!っていう魔法のレシピだと思います。
魔法のレシピはないものの…(無いです)Youtube登録者数0人の素人が、ポジショントーク抜きでここ最近で感じた事・考えてる事を書きなぐります。
■何が当たるかは分からないけど、人が求めてる物は変わらない。
答えからいくと、欲しい物は「コミュニケーションであり、人である」
これは様々な角度から言える事で、その例を挙げれば…
ニコニコ動画のコメント、mixiの招待制度、TwitterのRT/いいね、インターネットミーム(コミュニケーションの定型文化)、GREE/モバゲー、チャット目的でログインするMMO、LINE、斎藤さん、ひとりぼっち惑星、 etc…(それぞれ解説してたらキリがないので省略
これらはコミュニケーションの主軸にする事によって跳ねたものです。
長いメディアの歴史を見ても、戦時中のラジオによって国や政治を動かしました。
(娯楽の少ない時代の大衆に共通の話題を提供したら、めちゃくちゃ伝播しそう)
マンガのタイトルをとっても主人公を名前にする事が多々あります。それは漫画=キャラクター=人というコンテンツだからで、多くの人が求めるものだからです。
バーチャルじゃないYoutuberさんも、映像のクヲリティが飛びぬけてすごい!から求められてるのではなく、日常生活を小窓から覗く感覚(その場にいる疑似体験)や、画面の向こうに向かって語り掛けてくる1対不特定多数のコミュニケーション構造がよいのである。
文化には確かに流行り廃りがありますが、本質的に人(生物)が求めるものってここ数千年は変わってないと思うんですよね。
三大欲求が変わらないように、その時代を席捲するものも、本質を紐解けば人間の共通する快楽を刺激するものだと思うんです。
1985年に発売されたマリオを今やってもちゃんと遊べるというのは、グラフィックとか流行りとか関係なく”人間の快楽を刺激するから”に他ならないからと思います。
何が言いたいかと言うと、流行りが変わっても人という生物は変わらないという事です。
■バーチャルYoutuberとは何だったのか
アニメのキャラクターが画面の向こうにいる人に話しかけてくる事は無い。
(メタ/ギャグ的な表現として使われる事があるが、それが主体とはなりづらい)
また、リアルタイムによる動的なコミュニケーションも不可能。
バーチャルYoutuberは「画面の向こうに居る”あなた”へ語り掛けてくる日常アニメ」であって、多くのオタクを惹きつけたのも「アニメ(のような)キャラクターが自分に直接反応してくれる」という体験をしたからだと、個人的には分析しています。
これは「ライブか?動画か?」は関係なく、Vtuber(Youtuber)にストーリーがなく、見てくれてる人の為にやってるという構造そのものを指します。
アニメのキャラクターは画面に向かって挨拶しません。あくまで劇場を第三者から見るものです。
つまり、この「直接話しかけれるキャラクターコンテンツ」という感覚こそコンテンツ最大の強みだと思います。(アニメ/マンガには無いコミュニケーションの獲得)
数字としてちゃんと出てると感じるのが物述有栖さんで、彼女はもう”有栖ちゃん”というキャラクターであって、それ以外の何かではないと思うんですよね。
また、のらきゃっとちゃんは登録者数こそ”爆発的に”は伸びないものの、ファン層はがっつりとした厚さを感じます。
キャラクターシンクロ度が高いほど「話しかけれるキャラクターコンテンツ感」が伸び、本来のバーチャルYoutuberの強さ/メリットを発揮してると感じます。
また、オタクや元配信者の演者が増えているのも、バーチャルYoutuberって「人類お友達選手権」であって、どれだけ多くの人とコミュニケーションとれるか?という事がコンテンツの伸びに直結しやすいので、ぺらぺら喋れる人が求められるのだと思います。
■上記の例外であっても、コミュニケーション構造
「でも、鳩羽つぐちゃんがいるだろ!」って思う方も居ると思いますが、彼女こそコミュニケーションコンテンツだと思います。
自分の中では「Vtuber界のまどまぎ」と定義しています。
”コミュニケーションを発生させるコンテンツ”であれば、必ずしもキャラクターが話しかける必要がありません。
「ファン同士が語りたくなったらOK」 なんです。
鳩羽つぐちゃんは鳩羽つぐちゃんという1つのコンテンツをハブ(話のテーマ)にして、そこで繋がったファンとファンの方がコミュニケーションする所に面白さがあるんだと思います。(意見交換/推測/展開予想/持論展開 などなど)
これは、まどまぎでも起きてた現象で…まどまぎという1つの話のテーマがあって、多くの人がまどまぎについて語りたくなるからあれは盛り上がったのだと思います。
何故売れたのか?とか、メッセージとか、展開予測とか…相当盛り上がった記憶があります。
それは作品の外で発生するファン同士のコミュニケーションが面白い証拠です。
なので、コミュニケーションが盛り上がりやすくなる構造として、まどまぎと鳩羽つぐちゃんは「ミステリー(謎)」と「展開が分からないストーリー」という点が共通しています。
■動画 or Live
これは超個人的な感想なんですけど、サムネの時点で見所がわかって3~5分とかじゃないと厳しい…
動画であっても20分40分となってたら、広告の前まで飛ばしてそこから数十秒見て後半まで飛ばしたりします。
Liveは既存のファンへのサービスという面はあると思いますが、新規層の開拓は難しそう。
最近で言えばUSAゲームとか、笑ってはいけないTikTokとか、ここらへんはバーチャル関係なくこの企画が好きな人はクリックしてそうな印象があるので、新規層の獲得につながるのではないかなと思います。
■つまり、どういう事だってばよ?
コミュニケーションの仕掛けを考えよう!
例えば、コメント読まずに淡々とBeatSaberをプレイする動画を1時間見たいでしょうか!?
(好きな人だったら見てしまうかもしれない…)
でも、1番好きなVtuberさんと通話しながら一緒に1時間ゲームできるとしたらどうでしょうか?
おそらく”コンテンツの面白さ”というのはここの差分なんだろうなと思います。
あとは、もう純粋な面白人間力…
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「コメント読まずに淡々とBeatSaberをプレイする動画を1時間見る」
「1番好きなVtuberさんと通話しながら一緒に1時間ゲームする」
この2つを比較して、コンテンツの面白さの差分は“コミュニケーション”欲求の満足の度合いだと主張するには、前者に「1番好きなVtuberさんが」と付けるか、後者から「1番好きなVtuberさんが」を消すかする必要があると思います。
さらに、「コメントを読まず淡々とBeatSaberをプレイする動画を1時間見る」は“コミュニケーション”云々以前に単調すぎる(たとえ通話していても、そのVtuberがRPGのモブ並の発言パターンしかなかったら、普通1時間は持たないでしょう)ので、比較としては、「コメントを読まず淡々とBeatSaberをプレイする」ではなく「コメントを読まず淡々と色々なゲームをプレイする」とした方が適切だと思います。(前者だけに声がある、というのも比較として不適切です。)
もっと言えば、それでも、後者だけに(「通話」という)プラスがあるのだから、後者のほうが“面白い”のはほとんど当たり前であり、ちゃんとした比較にしたいなら、前者に「そのバーチャルYoutuberの魅力を引き出す演出がされている」をプラスする必要があると思います。
何が言いたいたというと、“コミュニケーション”欲求の満足が“面白い”の主たる要因の一つであることは賛同するけれど、“そのヒト(バーチャルYoutuberでも他のYoutuberでも)が好き”というのも負けず劣らず“面白い”の主たる要因の一つだと思う、ということです。大したことでもないですが。
ここからは、ごく個人的な思いです。
コミュニケーションの仕掛けを考えよう! という提言には賛同します。しかし、だからといって、国王様の動画が他の“コミュニケーション”の“面白さ”がある(あるいは、テンポや見やすさがプロレベルの)動画よりも“面白さ”に欠けるとは到底思えないのです。これは個人的な思いですが、もし、同じように思う“個人”が何人もいるなら、それは「好きだからでしょ?」と例外扱いするべきものではなく、「好きになるようなバーチャルYoutuberって、どんなのだろう」「好きになるようなモノだというコトは、”コミュニケーション”がある(あるいは、テンポや見やすさがある)コトに負けず劣らず凄いコトだ」と考えるべきものだと思います。
陳腐な意見を長々と申し訳ございません。
「1番好きなVtuberさんと通話しながら一緒に1時間ゲームする」
この2つを比較して、コンテンツの面白さの差分は“コミュニケーション”欲求の満足の度合いだと主張するには、前者に「1番好きなVtuberさんが」と付けるか、後者から「1番好きなVtuberさんが」を消すかする必要があると思います。
さらに、「コメントを読まず淡々とBeatSaberをプレイする動画を1時間見る」は“コミュニケーション”云々以前に単調すぎる(たとえ通話していても、そのVtuberがRPGのモブ並の発言パターンしかなかったら、普通1時間は持たないでしょう)ので、比較としては、「コメントを読まず淡々とBeatSaberをプレイする」ではなく「コメントを読まず淡々と色々なゲームをプレイする」とした方が適切だと思います。(前者だけに声がある、というのも比較として不適切です。)
もっと言えば、それでも、後者だけに(「通話」という)プラスがあるのだから、後者のほうが“面白い”のはほとんど当たり前であり、ちゃんとした比較にしたいなら、前者に「そのバーチャルYoutuberの魅力を引き出す演出がされている」をプラスする必要があると思います。
何が言いたいたというと、“コミュニケーション”欲求の満足が“面白い”の主たる要因の一つであることは賛同するけれど、“そのヒト(バーチャルYoutuberでも他のYoutuberでも)が好き”というのも負けず劣らず“面白い”の主たる要因の一つだと思う、ということです。大したことでもないですが。
ここからは、ごく個人的な思いです。
コミュニケーションの仕掛けを考えよう! という提言には賛同します。しかし、だからといって、国王様の動画が他の“コミュニケーション”の“面白さ”がある(あるいは、テンポや見やすさがプロレベルの)動画よりも“面白さ”に欠けるとは到底思えないのです。これは個人的な思いですが、もし、同じように思う“個人”が何人もいるなら、それは「好きだからでしょ?」と例外扱いするべきものではなく、「好きになるようなバーチャルYoutuberって、どんなのだろう」「好きになるようなモノだというコトは、”コミュニケーション”がある(あるいは、テンポや見やすさがある)コトに負けず劣らず凄いコトだ」と考えるべきものだと思います。
陳腐な意見を長々と申し訳ございません。