「諦めぬ!」 金農サヨナラ 近江に3-2、あす日大三と準決勝 あきたこまち快進撃支える
2018年08月19日
応援団が待ち受ける一塁側スタンドに満面の笑みで駆け出す金農ナイン(18日、兵庫県西宮市で)
第100回全国高校野球選手権大会で準々決勝に進んだ金足農業高校(秋田)は18日、近江高校(滋賀)と対戦。3-2で劇的なサヨナラ勝ちを収め、34年ぶりのベスト4に進出した。20日の準決勝で日本大学第三高校(西東京)と対戦する。連日の逆転劇を呼び込んだ気力と体力、諦めない勝負強さの秘密は、秋田県産「あきたこまち」だ。4試合で計615球投げた吉田輝星投手(3年)もその一人。宿舎で毎晩食べており、「体力を維持できたのは、食べ慣れた米のおかげ」と語る。
同校は選手らの宿舎に地元産「あきたこまち」を持ち込み、毎日食べて試合に臨んでいる。秋田県農業試験場で米などの作物を研究する川本朋彦主席研究員は「食べ慣れないものを食べ続ければ食欲が減退し、選手のパフォーマンスにも影響するだろう。そういう意味でも県産の米の効果は大きい」と分析する。
甲子園球場へ応援に駆け付けた野球部OB会長の中山英悦さん(71)は、「あきたこまち」を生産する農家。「陰ながら、あきたこまちが快進撃を支えたと思うと、米農家でよかったと心底感じる」と感慨深げだ。
同校の快進撃で刺激を受けた農高生も多い。“友情応援”をした兵庫県三田市の有馬高校1年で吹奏楽部の釜渕教実さんは、農業系学科「人と自然科」で学ぶ。「金足農高の活躍で、農業系高校の生徒であることが、以前より増して誇りに思えた」と力を込める。
金足農高生物資源科で果樹を学ぶ吹奏楽部部長の熊谷望愛さん(3年)は「快進撃が農業高校に進学したいと思うきっかけになればうれしい」と力を込める。(前田大介)
金足農業高校の吉田輝星投手(3年)、菊地亮太選手(3年)、菅原天空選手(3年)らの地元、秋田県潟上市役所では18日、役所内ホールの大型スクリーンで試合を放映した。吉田投手が所属していた少年野球チームの子どもや農業関係者、地元住民ら約170人が集まり、劇的なサヨナラ勝ちに歓喜した。
9回裏サヨナラ勝ちを決めると、観客は立ち上がり叫び声を上げ、抱き合って大喜び。校歌を一緒に立ち上がって歌う観客もいた。藤原一成市長も駆け付けて観客らと万歳した。
同市で輪菊を栽培する伊藤司さん(36)は「感動しかない。金農はいつも何かをやってくれる。農業高校に興味を持つ人や、入学者が増えるのではないか」と喜んだ。少年野球チームに所属する同市の吉田慶さん(6)は「勝ってうれしい。金農に入って甲子園に出たい」と夢を語った。
同校は選手らの宿舎に地元産「あきたこまち」を持ち込み、毎日食べて試合に臨んでいる。秋田県農業試験場で米などの作物を研究する川本朋彦主席研究員は「食べ慣れないものを食べ続ければ食欲が減退し、選手のパフォーマンスにも影響するだろう。そういう意味でも県産の米の効果は大きい」と分析する。
甲子園球場へ応援に駆け付けた野球部OB会長の中山英悦さん(71)は、「あきたこまち」を生産する農家。「陰ながら、あきたこまちが快進撃を支えたと思うと、米農家でよかったと心底感じる」と感慨深げだ。
「農高の誇り」
同校の快進撃で刺激を受けた農高生も多い。“友情応援”をした兵庫県三田市の有馬高校1年で吹奏楽部の釜渕教実さんは、農業系学科「人と自然科」で学ぶ。「金足農高の活躍で、農業系高校の生徒であることが、以前より増して誇りに思えた」と力を込める。
金足農高生物資源科で果樹を学ぶ吹奏楽部部長の熊谷望愛さん(3年)は「快進撃が農業高校に進学したいと思うきっかけになればうれしい」と力を込める。(前田大介)
校歌、万歳、叫び地元“歓喜の渦”
金足農業高校の吉田輝星投手(3年)、菊地亮太選手(3年)、菅原天空選手(3年)らの地元、秋田県潟上市役所では18日、役所内ホールの大型スクリーンで試合を放映した。吉田投手が所属していた少年野球チームの子どもや農業関係者、地元住民ら約170人が集まり、劇的なサヨナラ勝ちに歓喜した。
9回裏サヨナラ勝ちを決めると、観客は立ち上がり叫び声を上げ、抱き合って大喜び。校歌を一緒に立ち上がって歌う観客もいた。藤原一成市長も駆け付けて観客らと万歳した。
同市で輪菊を栽培する伊藤司さん(36)は「感動しかない。金農はいつも何かをやってくれる。農業高校に興味を持つ人や、入学者が増えるのではないか」と喜んだ。少年野球チームに所属する同市の吉田慶さん(6)は「勝ってうれしい。金農に入って甲子園に出たい」と夢を語った。
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盆帰り
盆帰り、古里の土を踏めば、胸底にしまい込んでいたなまりが口をつく。標準語が借り物の衣装なら、方言は普段着のように体になじんでいる▼戦後、新生日本の支柱になったのは平和憲法だろう。憲法観は人さまざま。「押し付け」や「借り物」批判も根強い。若い世代に分かりづらいのも事実。ならば普段着にしてみたらどうかと、女優で方言指導者の大原穣子さんが監修した『おくにことばで憲法を』(新日本出版社)を読み返す。方言版で9条の一部を声に出して読んでみよう▼「アンヅマシグ暮らすにいい世の中ごとつくりてど」(青森)、「まんつハア、絶対ぇに武器は持だねぇごどにしたのだ」(岩手)、「これがだゃあ九条の、戦争の放棄いうことだわ」(愛知)、「軍備をもっとらにゃー戦争はできんのじゃけー」(広島)、「ほんなこつ馬鹿らしか戦争ば永久にしぇんで」(福岡)、「戦(いくさ)ーさびらんでぃ言(い)る事(くとう)、約束(やくすく)さびーん」(沖縄)▼本には朗読CDも付いている。「おくにことばで聞き、声を出して読んだとき、日本国憲法を一層身近なものに感じることができるはずです」と大原さんは書き留めている▼慣れ親しんだ地の言葉だと感じ方も違う。時にはカミシモを脱いで、作業着や野良着のような憲法論議があってもいい。
2018年08月16日
[改革最前線 地域とともに 4] 「小さな拠点」に駐在 資金も運営もJAは“黒子” 広島県三次市×JA三次
広島県三次市の山あいに、住民の“たまり場”「いつわの里」がある。商店やガソリンスタンドなど地域インフラが撤退していった川西地区に、2016年誕生した農村の「小さな拠点」だ。地域住民らで設立した。産直市やコンビニエンスストア、食堂、交流広場、集会所などを兼ね備える。JA三次は資金から営農指導まで“黒子”となって後押ししている。
「いつわの里には、寂れていく古里を何とかしたいと思う住民の願いが込められているの。張り切って出荷しなくちゃ」。農家の竹間直子さん(67)は、JAの藤村裕明営農指導員に陳列のポイントを熱心に尋ねる。藤村さんは週3日、いつわの里に駐在し、栽培講習会などを毎週のように開く。
いつわの里は、484世帯の住民、地域を離れた出身者、地域の法人などから約2200万円の出資を受けて発足した株式会社川西郷の駅が運営する。JAは300万円出資する同社の筆頭株主だ。
同社は14年に設立。人口が50年前のピーク時に比べ3分の1の1200人にまで減った地域を再生しようと、06年から住民が話し合いを重ねた。16年にいつわの里をオープン。何百回と重ねた話し合いの場には、必ずJA役職員の姿があった。現在も、営農指導員だけでなく、販売や経理といった担当は元JA職員が務める。
同社の平田克明代表は「JAなくしてはできなかった地域の拠点。これからもっといろいろ挑戦する。まだまだ地域は元気になる確信がある」と話す。平田代表は観光農園を経営する農家。農園で栽培する果樹はJAに一切、出荷していないが、JAの役職員といつも意見を交わす仲だ。
農業だけでなく地域づくりを幅広く展開する同社。JAにとって、農業法人と同様、地域に密着した組織として連携するのは当然の流れだった。JA営農経済部の大田浩之次長は「すぐにメリットがなくても、JAが必要とされることを模索しなければ地域で生き残れない。JAが主役ではなく、地域の活動にいかに連携できるかが、これから求められる」と実感する。
人々の生活を支え、さまざまな機能や施設を集めた「小さな拠点」は全国424市町村で908(内閣府調べ)に上る。内閣府は、中山間地域などで小さな拠点の数は今後増えていくとしている。小さな拠点づくりにJAがどう関わるかが重要になっている。
06年以降、川西地区の移住者は150人を超す。拠点の立ち上げなど地域づくりの結果として、移住者が増えたという。藤村さんは移住してきた子育て中の女性らにも野菜の栽培方法を教えている。「JAに出荷していなかった農家や女性とも接点が持てた。准組合員とのつながりが強まった」と手応えを感じる。
2018年08月17日
里山まるごとホテル 農村流 お・も・て・な・し 石川県輪島市の三井地区
フロントはかやぶき屋根の古民家、廊下はあぜ道──。石川県輪島市に今年、地域一帯を一つのホテルと見立てて客を迎え入れる「里山まるごとホテル」が誕生した。食事の提供や農家民宿の運営など、地域住民ができることを補完し合いながら客をもてなす。農業と観光を組み合わせて農村の付加価値を高め、能登の豊かな自然を次世代につなげていく構想を描く。政府が推進する滞在型観光「農泊」のモデルとしても注目を集めそうだ。(斯波希)
地域住民が協力 「農泊」モデルに
世界農業遺産に登録された能登半島の小さな町、輪島市三井(みい)地区。町の入り口には、築150年のかやぶき屋根の古民家が、訪問客を迎え入れるようにたたずむ。今年4月にオープンした「里山まるごとホテル」の“フロント兼食堂”だ。
客は田舎に帰ってきたような感覚で、畳の間や縁側で食事をしたり昼寝をしたりと思い思いに過ごす。縁側の先には田んぼが広がり、夏の青々とした稲や秋には黄金色に実る稲穂など、季節ごとの農村風景を楽しめる。
予約をすれば、ガイド付きで集落を巡るサイクリング(4000円~)や和紙すき(500円~)、農家民宿での宿泊も体験できる。拠点となる古民家「茅葺庵(かやぶきあん)三井の里」には、月に700~800人が訪れる。
運営は、同市の元地域おこし協力隊が今年2月に設立した「百笑の暮らし」。代表を務める東京都出身の山本亮さん(31)は「三井の暮らしの形を伝え、自分と同じようにファンになってくれる人を増やす。人と里山の関係が生まれる場所にしたい」と力を込める。
食堂で使う食材の提供や調理などには、山本さんの思いに賛同する地域住民が積極的に関わり、ホテルを盛り上げる。農家民宿など一つの施設で完結するのではなく、住民が協力し合うことで、無理なく客を受け入れる仕組みができつつある。
かやぶき屋根に使うカヤの生産や農産物加工などに取り組む農家ら約50人でつくる「みい里山百笑の会」の西山茂男会長は「今、まさに滞在型の観光に注目が集まっている。ありのままの暮らしを見てもらい、収入につなげることが、過疎が進む地域の生き残り方になってくる」と展望する。
里山まるごとホテルでは今後、宿泊場所となる古民家や農家民宿の整備、ホームページの多言語対応などを進め、訪日外国人(インバウンド)を含めた国内外に里山の魅力を発信する考えだ。
2018年08月19日
[活写] 戦時の記憶 ぽつり今も
8月15日は終戦の日。埼玉県深谷市の櫛挽(くしびき)地区にある畑に太平洋戦争中、火薬工場だった分厚いコンクリート製の建物が残っている。
広さはおよそ5メートル四方、高さ約10メートルの2階建てで、農地とともに近所の酪農家が所有する。周囲は日陰になるため、何も栽培していない。
戦時中、銃器用の火薬を作る東京第二陸軍造兵廠(しょう)櫛挽製造所と呼ばれる工場の一部だったと伝わる。東京都内の工場が空襲を避けようと疎開したもので、1944年10月から終戦までの10カ月間稼働したという。
戦後、辺りが農地となる中、この建物だけは残った。しばらくは住居や倉庫に使われたが、現在は放置されている。同市には軍需工場に水を供給した給水塔跡も残る。戦時の記憶を伝えている。(富永健太郎)
動画が正しい表示でご覧になれない場合は下記をクリックしてください。
https://www.youtube.com/watch?v=K8fCwHoucEI
2018年08月15日
多世代農家が半減 後継者の未婚化背景 農研機構の研究者推計
親とその子ども、孫の3世代以上で営む農家の数は、2015年までの10年間で半減したとする推計を、農研機構の研究者がまとめた。多世代で構成する家族経営は日本農業の基本型となってきたが、後継者の未婚化などを背景に、減少が加速しているとみられる。一方、多世代の家族経営は依然として農業の基幹的な担い手となっており、経営継承への支援などをどう充実させるかが課題となっている。
農研機構・中央農業研究センターの澤田守組織管理グループ長が、国の農林業センサスから推計した。世帯が3世代以上で構成する農家数は、05年の99万経営体から15年には48万経営体に減少した。
多世代で構成する家族経営の急激な減少の背景にあるとみられるのが、昭和1桁世代のリタイアの本格化に加え後継者の未婚化だ。同居する後継者に配偶者がいる農家の割合は、年々低下している。例えば専業農家の30代の同居後継者のうち、配偶者がいる割合は05年は4割台だったが、15年は3割台に低下。販売金額が小さい経営ほど、後継者に配偶者がいる割合が低い傾向だった。
一方、国内の経営耕地面積のうち、3世代世帯の農家が占める割合は15年で39%。2世代世帯の30%、1世代世帯の16%を上回っている。豊富な家族労働力を背景に、農地の借り入れを積極的に進めている状況で、多世代で構成する家族経営が、依然として日本農業の基幹的な支え手となっている実態が浮かび上がる。
澤田グループ長は、多世代の家族経営の強みとして、加工や販売などに経営を多角化する場合も外部の人材に頼ることなく家族の構成員で各部門を担うことができ、安定経営が展開できる点を挙げる。
そうした強みを生かすためにも、澤田グループ長は「農家子弟の経営継承への支援の充実や、家族内の女性も活躍できる環境整備などが重要だ」と指摘する。
2018年08月14日
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9回裏サヨナラ勝ちを決めると、観客は立ち上がり叫び声を上げ、抱き合って大喜び。校歌を一緒に立ち上がって歌う観客もいた。藤原一成市長も駆け付けて観客らと万歳した。
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2018年08月19日
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フロントはかやぶき屋根の古民家、廊下はあぜ道──。石川県輪島市に今年、地域一帯を一つのホテルと見立てて客を迎え入れる「里山まるごとホテル」が誕生した。食事の提供や農家民宿の運営など、地域住民ができることを補完し合いながら客をもてなす。農業と観光を組み合わせて農村の付加価値を高め、能登の豊かな自然を次世代につなげていく構想を描く。政府が推進する滞在型観光「農泊」のモデルとしても注目を集めそうだ。(斯波希)
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運営は、同市の元地域おこし協力隊が今年2月に設立した「百笑の暮らし」。代表を務める東京都出身の山本亮さん(31)は「三井の暮らしの形を伝え、自分と同じようにファンになってくれる人を増やす。人と里山の関係が生まれる場所にしたい」と力を込める。
食堂で使う食材の提供や調理などには、山本さんの思いに賛同する地域住民が積極的に関わり、ホテルを盛り上げる。農家民宿など一つの施設で完結するのではなく、住民が協力し合うことで、無理なく客を受け入れる仕組みができつつある。
かやぶき屋根に使うカヤの生産や農産物加工などに取り組む農家ら約50人でつくる「みい里山百笑の会」の西山茂男会長は「今、まさに滞在型の観光に注目が集まっている。ありのままの暮らしを見てもらい、収入につなげることが、過疎が進む地域の生き残り方になってくる」と展望する。
里山まるごとホテルでは今後、宿泊場所となる古民家や農家民宿の整備、ホームページの多言語対応などを進め、訪日外国人(インバウンド)を含めた国内外に里山の魅力を発信する考えだ。
2018年08月19日
金足 見せた農高魂 甲子園8強 畜産学ぶ高橋選手 逆転弾
強豪・横浜を撃破。甲子園に“金農旋風”吹き荒れる──。第100回全国高校野球選手権大会で金足農業高校(秋田)は17日、3回戦で横浜高校(南神奈川)を5―4で下し、準々決勝に進んだ。ベスト8進出は23年ぶり。決勝点となる逆転ホームランを放った高橋佑輔選手(3年)は「全国の農業高校に勇気を与えられたと思う。甲子園で戦う唯一の農業高校として勝ち続けたい」と声を弾ませた。18日の第4試合で近江高校(滋賀)と対戦する。(塩崎恵、前田大介)
鶏舎の掃除 心身鍛錬
歓喜の瞬間は突然訪れた。2―4で迎えた8回裏一死1、2塁。6番打者の高橋選手が相手投手の初球を振り抜くと、打球は放物線を描きバックスクリーンに吸い込まれた。その瞬間、一塁側のアルプス席で生徒らは抱き合い、メガホンをたたき喜びを爆発させた。
高橋選手はレギュラー選手で唯一、畜産動物を扱う生物資源科に所属。学校では鶏の飼育などを担当して週2回、“バット”を“スコップ”に持ち替え、鶏舎の掃除や餌やりをしている。
畜産担当の近江広和教諭(46)は「ふんを一輪車で運ぶとき、腕と背筋にかかる負担は相当なもの。佑輔は誰よりも率先して運ぶ生徒。日頃の掃除で鍛えられたことも、この一打を生んだのでは」と分析。「また勝負どころでしっかり決めろ。頑張れ佑輔」と激励する。
金足農高の地元、秋田県内では17日、テレビ観戦した農業関係者らが、劇的な逆転劇に歓喜した。感動して涙を流す姿もあった。
男鹿市で菊を露地4・4ヘクタール、ハウス24棟で栽培する文ちゃん園芸では、同校野球部出身で11年前に甲子園に出場した納谷(旧姓・船木)拓美さん(27)が研修していることもあり、従業員ら10人がテレビの前で試合を見守った。
2点リードされた8回裏、金足農高が劇的逆転3ランを決めると「まじでー」「やばい」と、叫び声が響き、拍手が沸き起こった。
勝利の瞬間、納谷さんは同校のユニホームを着た娘とハイタッチをして大喜び。「感動した。後輩は夢だ。食べ慣れた秋田の米をたくさん食べて力を付け、ベスト4へ進んでほしい」と激励した。
同農園で働く吉田征子さん(79)は「この年になってこんなに感動すると思わなかった。生きていてよかった。生徒の頑張りを見てこれからも農業を頑張ろうと思える」と選手をねぎらった。
同農園の吉田洋平さん(28)は「秋田の誇り。研修生が金農出身でもあり、農業高校ということで例年以上に応援に力が入る。準々決勝は仕事どころじゃないな」と笑った。
「次も平常心で」 農家で元監督 嶋崎さん応援
一塁側のアルプス席で静かに戦況を見つめたのは秋田県五城目町の嶋崎久美さん(70)。第66回大会(1984年)で金足農高がベスト4に進出した時の指揮官だ。同校の監督として春、夏の計7回甲子園に導き、東北の名将として知られる。監督業を退いた今は、米農家として1ヘクタールで「あきたこまち」などを栽培する。
この日の一戦は、34年前の初戦、広島商業高校戦と重なって見えたという。当時、完全に不利といわれたが勝利。それから一気に波に乗り、べスト4に進出した。「広島商業も横浜高校も甲子園優勝校だが、選手は同じ高校生。次も平常心で戦えば大丈夫。甲子園という農場に素敵な花を咲かせてほしい」とエールを送る。
2018年08月18日
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戦後、辺りが農地となる中、この建物だけは残った。しばらくは住居や倉庫に使われたが、現在は放置されている。同市には軍需工場に水を供給した給水塔跡も残る。戦時の記憶を伝えている。(富永健太郎)
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2018年08月15日
甲子園 金足農高 2回戦突破 応援団も心一つに 暑さ対策、発声練習実る
第100回全国高校野球選手権大会に出場した金足農業高校(秋田)は14日、2回戦で大垣日大高校(岐阜)と対戦。6―3で勝利して23年ぶりに2回戦を突破した。選手らの躍進を後押ししたのは、スタンドからの応援だった。
気温30度を超す灼熱(しゃくねつ)の阪神甲子園球場。1塁側の応援席から声を振り絞り、熱いエールを送ったのは17人の応援団だ。甲子園出場が決まってから、比較的涼しい地元の東北と異なる関西の猛暑を想定して、長袖、長ズボンを着て、暑いガラス温室の中で特訓を重ねてきた。
また、広い甲子園でも声が届くよう、同校のブランド米「金農米」を育てる水田で声出しを練習して大一番に備えた。生物資源科で果樹栽培を学ぶ応援団員の小林義昌さん(2年)は「(暑さ対策も声出しも)効果は絶大だった」と胸を張った。
「甲子園は夢の舞台。連れてきてくれた野球部に感謝したい」。声を弾ませるのは、生徒会長で応援団長の西村朝日さん(3年)。初戦で3安打して勝利に貢献した菊地亮太選手(3年)や吉田輝星投手(3年)を含むレギュラー5人と、入学から現在までクラスメートとして農業土木を学ぶ。
西村さんが卒業後に希望する進路は、菊地選手と同じ公務員。二人は互いに「亮太」「西村」と呼び合い、試験の出題傾向について話すなど刺激し合う仲だ。入学当初から「甲子園に出る」と口にする友に、「冗談を言っているのかと思った」と笑う。
「フレー、フレー、金農」。西村さんは声を張り上げ、大きな手振りで選手を鼓舞。試合展開に一喜一憂することなく、じっと戦況を見つめた。吉田投手が最後の打者を打ち取ると、ようやく表情を緩めた。
「序盤ははらはらしたがいい試合だった。次も頑張って。きょう以上の応援をする」と西村さん。菊地選手は「西村、いい声だったよ。次も頼んだぞ」。
2018年08月15日
西日本豪雨 被災地 墓石倒れ、修繕めど立たず…苦悩の盆 先祖弔えぬ
西日本豪雨の被災地では広い範囲で、月遅れ盆に入っても倒壊した墓石がそのままになっている。管理する親族がいない無縁墓や、墓主が年金生活の高齢世帯の場合など、修繕のめどが立たない墓があるためだ。故郷に帰省した人々との交流や先祖を弔う場にもなっていた盆踊りを中止せざるを得ない地域もあり、住民は頭を悩ませている。(猪塚麻紀子、尾原浩子)
管理者不在、高齢化も
山口県下松市の笠戸島。50以上の墓が集まる深浦地区の墓地は、豪雨により墓石が土台から倒れ、土砂に埋もれてしまった。道は墓石でふさがれ、崖崩れが起き、歩くのも危ないほどだ。
150戸が暮らす同地区の自治会長で米農家の古谷俊治さん(76)が、倒れて砂まみれになった墓の前で手を合わせる。古谷さんの家の墓は被害を免れたが、長年、島を支えてきた先祖たちのためにも、墓地を元通りにしたいと願わずにはいられない。しかし、倒壊した墓は供養する親族のいない「無縁墓」が多い。家や農地が被害に見舞われ、墓を新しくするのも難しい年金生活の島民もいる。同じ墓地でも壊れなかった人もいる。墓地は古くから島民が管理してきたが、修繕費を全戸に呼び掛けるのは難しい。
墓地は次に暴風雨が来ればさらに崩れる可能性もあるが、元通りにするには相当の金額が必要となる。古谷さんは「墓主が地元にいれば話し合えるが、島を離れて疎遠になった墓主もいる。市には、市営ではないので支援を断られた。どうしたらいいのだろう」と悩む。
島内では、豪雨災害で盆踊りを中止する地区もあったが、深浦地区は今年も盆踊りを決行する。古谷さんは「6戸が初盆を迎えるから、どうしても盆踊りがしたい。豪雨で皆が悲しんでいる今年の盆こそ、帰省した人も合わせて心を込めて供養したい」と思いを明かす。
墓地は海を見下ろし、浜辺の鳥居が見える高台にある。笠戸島自治会連合協議会会長の辻國政さん(76)は「先祖が、この美しい場所で眠ってほしいと墓地にしたに違いない。先祖を大切にする島民にとって、墓参りや盆は特別な意味がある」と説明する。
盆踊り決行住民一つに
島内では各地で田畑への土砂流入や家屋の浸水などの被害に見舞われた。豪雨被害で島と本土をつなぐ橋が21日間通行止めになり、島民は一時、船での移動を余儀なくされた。
辻さんは「橋が不通の間、高齢者を担いで船に乗るなど、みんなで支え合ってしのいで、昔に戻った雰囲気になった。再び一致団結したい」と願う。
若手農家ら地域励ます
西日本豪雨は、各地の墓や寺、神社に土砂崩れなどで被害を与え、祭りを中止させるなど農村の盆の営みを奪った。
愛媛県では盆に予定されていた祭りや花火大会の中止が相次ぐ。宇和島市吉田町のミカン農家、奥谷篤巳さん(38)は「盆踊りは先祖供養の意味合いがある。多くの盆行事が中止になり、地域で集まって顔を合わせる機会が減っている」と嘆く。
落ち込む地域を元気づけたいと、若手農家やJAひがしうわ職員の大竹敏正さん(39)ら有志が西予市でチャリティーイベントを企画し、音楽祭を開く予定だ。大竹さんは「大変なときだから、少しの間でもみんなで息をつきたい」と、前を向こうとしている。
2018年08月14日
寺納豆復活へ 長野県大桑村
長野県大桑村の住民が、江戸時代の古文書に記された寺納豆の再現に乗り出した。古文書は、木曽三大寺の一つ「定勝寺」で、和時計の内側に張ってあるところを発見された。寺の檀家の会長を務める田中昭三さん(90)が仲間と5月から試作を始め、「村の特産品にしたい」と情熱を燃やす。
寺納豆はこうじで発酵させる。納豆菌で発酵させた糸を引く納豆とは異なり、みそに近く、真っ黒な色と強い塩気が特徴。長期保存でき、保存食として食べられてきた。同村は旧中山道の宿場町として栄えた。古くから木曽ヒノキの物流など、京都との交流が盛んで、定勝寺は京都の禅寺の影響を色濃く残す。寺納豆の作り方も「京都から伝わってきたのではないか」と、田中さんは思いをはせる。
2018年08月09日
甲子園 秋田代表 金足農23年ぶり勝利 農一筋 祖父感涙
吉田投手へ「よくやった」
農業関係者の期待を背に“KANANO”が躍進──。第100回全国高校野球選手権大会に唯一の農業高校として出場した金足農業高校(秋田)は8日、強豪の鹿児島実業高校(鹿児島)と対戦。5―1で勝利し2回戦に進んだ。夏の甲子園で同校の勝利は23年ぶり。球場の応援席には、同校の生徒や教員の他、農家や農業関係者が集結。地元の秋田でも、農業関係者らがテレビ観戦で金農ナインの“一投一打”に熱い視線を送った。(前田大介)
先発のマウンドに立ったのは大会注目の右腕、吉田輝星投手(3年)。1回表、走者を背負いながらも渾身の投球で無失点に抑えると、一塁側の応援席は地鳴りのような歓声に包まれた。その中で、懸命にメガホンをたたき声援を送ったのは秋田県潟上市の吉田理正さん(70)。吉田投手の祖父だ。JA秋田みなみ(現JA秋田なまはげ)に36年間勤め、退職後に梨の農家として約50アールの農園で「幸水」「かほり」などを栽培する。孫が甲子園に立つ勇姿に目頭を熱くした。
思い出すのは、甲子園を目指す孫の鍛錬の日々。幼少期から練習熱心で「『キャッチボールをしよう』とよくせがまれた」。中学生になると、帰宅後に4キロのランニングを欠かさなかった。夜道を怖がる孫のため、理正さんは自転車で追い掛け見守り続けた。最速150キロを計測するプロ注目の右腕に成長した今や「怖くてキャッチボールの相手はできない」と、成長に目を細める。
勝利に沸いた試合後、理正さんは「甲子園に出場する自体信じられないこと。よくやった」と拍手の手を止めなかった。
同校の渡辺勉校長は「今回の甲子園に出場する農業高校は金農だけ。一戦でも多く勝利し、他の農業高校の励みにしたい」と力を込めた。
全力で戦う姿見せる
吉田投手は試合前、「梨をもらったり練習を手伝ってもらったりしたじいさんを甲子園に連れて行きたいと思っていた。全力で戦う姿を見せたい」と話し、大一番に挑んだ。
この日の最速は148キロを計測。157球を投げ、1失点14奪三振でチームに23年ぶりの勝利をもたらした。それでも「きょうの投球は30点。次は隙を見せないで、自分が投げられるボールを全力で投げたい」と気を引き締めた。
優勝めざせ 先輩エール
秋田市の勤務先のテレビで観戦した大山等さん(51)。同校が第66回大会(1984年)に出場し、ベスト4入りを果たした中心メンバーだ。卒業後の現在、農家として水稲を栽培する傍ら、同県立栗田支援学校で農業実習助手を務める。
34年前は準決勝まで勝ち進み、当時最強を誇った桑田真澄、清原和博両氏を擁するPL学園高校(大阪)と激突。大山さんは初回、桑田氏を強襲する内野安打を放ち、その後、先制のホームを踏んだ。試合は7回までリードするも8回に桑田氏の逆転2ランを浴び、2―3で惜敗した。
大山さんはこの日、ナインの一挙手一投足に熱い視線を送り続けた。試合終了後、テレビに映し出される金農ナインとともに悲願だった校歌を歌った。「甲子園での校歌は何度歌ってもいいものだ。このまま『金農旋風』を巻き起こし、34年前のベスト4を塗り替えてほしい」。あと一歩で破れ、成し遂げられなかった決勝進出の“夢”を現役世代に託した。
2018年08月09日
[活写] 一度じゃもったいない 贈る喜び 使うたび、味わい
約400年前から農作業着などに使われてきた福島県会津地方の伝統織物、会津木綿の「ご祝儀袋」が話題だ。
赤く縁取った生成りの四角い布と水引などをセットにした。一般的な紙製の祝儀袋と同じように、祝儀を収めた内袋を布で包んで水引を掛けて使う。
会津木綿は丈夫で、贈られた人が布を約40センチ四方のハンカチとして長く使える。会津坂下町にある木綿製品の製造・販売会社、IIE(イー)が発案し、2014年11月に発売した。
最盛期の大正時代は同県に30ほどあった会津木綿を織る工場は、輸入品の増加などで同社を含む3社に減った。社長の谷津拓郎さん(32)は「手に取った人が会津を思い出すきっかけになれば」と話す。価格は1944円で、同社の直営店やホームページなどで購入できる。(木村泰之)
2018年08月08日
200年前の在来種「穂増」 幻の米復活へ 子どもが主役 バケツで育てて種もみに 若手農家が指導 教師や塾も協力 熊本
約200年途絶えていた、熊本県の在来種米「穂増(ほまし)」の復活を後押しする動きが出てきた。「バケツ稲」で種もみを確保する方法だ。旗振り役は、県内若手米農家ら約20人で結成する「熊本ごはん組」。農家以外に、今年から県内のフリースクールや学習塾の関係者ら300人以上が賛同。来年以降の食用販売を目指し、奮闘している。(木原涼子)
「秋には種が取れるんだよ」。小中学生を対象にした熊本市内のフリースクール「WING SCHOOL(ウイング・スクール)」。生徒の声が響く庭に、20個ほどのバケツ稲が並ぶ。5月に種もみをまいた。水をやるのは生徒の役目。植え付けや、稲と雑草の見分け方などは、ごはん組代表を務める稲作農家の森賢太さん(30)が指導した。
同スクールは「調べ学習」など、生徒らの興味を引き出す学びを大事にする。教師の田代佳織さんは「種をつなぐ意識や農業への好奇心を持ってほしい」と意義を強調する。
200人の塾生が通う大手学習塾、明光義塾玉名教室(玉名市)も協力する。周辺には大手学習塾が複数あるため、特色の一つにしようと乗り出した。約30個のバケツ稲を職員と塾生が管理する。井原慶亮教室長は「地元に対する思いを育んでほしい」と話す。
「コシヒカリ一辺倒でなく、地元の香りがする米を作りたい」と言う森代表。独自性のある品種を育て、消費者の選択肢を増やすことで米の消費拡大につなげようと考えた。その中で目を付けたのが「穂増」だった。
種の復活に向けて2017年、茨城県の「ジーンバンク」から40粒を取り寄せて試験栽培に着手。今季は地域の米農家だけで栽培を拡大する計画だったが、教育現場や家庭でも挑戦できるバケツ苗で消費者も巻き込む方法を企画した。
インターネット交流サイト(SNS)のフェイスブックなどで、種もみと肥料だけのセットを500円、土とバケツ付きを2800円で販売。収穫した種もみは全量返却を条件にしたが、県内だけでなく関東や沖縄から申し込みがあり、300人以上が活動に参加した。
若手の挑戦にベテランも一肌脱いだ。玉名市の米農家、中野尾晃さん(55)は今年200粒の「穂増」を田んぼに植えた。「バケツ苗で種もみが取れなかったときの保険になれば」と言う。
種まきから約3カ月。7月に入り、高温障害など猛暑の影響が出てきた。森代表は「バケツ稲は田んぼより外気温や日光の影響を受けやすく、根の温度が上がり枯れてしまう」と警戒する。賛同者には、小まめな水やりを促している。
「穂増」は、江戸時代の終わりから明治時代に熊本で盛んに栽培されていた品種。今年から東海大学農学部の阿部淳教授らが、試験水田で栽培し、同品種の食味調査などに乗り出した。ごはん組とも連携し、地域おこしに使える在来品種を探る。森さんは「米にもっとテロワール(土地に根差すもの)があっていい。米に興味を持つきっかけになればうれしい」と強調する。
2018年08月08日