2018-08-19

自分の育成失敗した感がすごい

ふだんはダラダラフラフラと生きているが、ふと、自分のものすごい育成失敗しちゃった感に気付いてしま死にたい気持ちになっている。

自分より若い中高生とか大学入りたての人が、

小さい頃からの夢とかを持ち続けていたり、目標を定めて邁進していたり、

何か語れるもの(いやみな感じではなくて、アイデンティティのようなもの)をちゃんと持っていたり、

とにかく健全人間性うまいこと獲得してきて今ここに彼/彼女存在しているんだろうなぁと思うとつらい。

人と比べてもしょうがないのはわかっている。

でも、自分はうまく成長できなくて、だからいつまでも人間性が未熟なままなのだという気持ちが拭いきれない。

そして、それを環境のせいにして、

こいつらがこんなに健康的で思いやりのある立派な人間になっているのは恵まれ環境にいたからだよなーと思ってしまう。

こんな風に考えて卑屈になるのも嫌だ。

教育実習に行った。

先生になろうかなと思ったのは、僕みたいなねじくれた子供を増やさないためだった。

僕は今都会の大学に通っているが、ド田舎出身で、母校の生徒たちは素朴でとても可愛く、新鮮だった。

たまたまいいクラスに当たったのかもしれないが、あるいは僕に見えていなかったのかもしれないが、

中学校特有陰湿雰囲気がいっさいなく、快活な子もおとなしい子もいたが、クラス全体が仲がよかった。ウェイな感じもない。

羨ましかった。僕もこのクラス中学時代を送りたかったと思うほどに。

教育実習に行った人は、だいたい「生徒が可愛い先生になりたい!!!」と熱く燃えて帰ってくる。

僕も半分はそうなった。

だけど、帰ってきてからずっと気持ちが沈んでいて、教員採用試験は受けなかった。

僕は、自分が救いたいのは子供たちではなく、小さい頃の僕自身だと気付いてしまった。

そして、担当した生徒たちの精神的育成が順調に成功しているのを見て焼け付くように羨ましくて、もうだめだった。


こんな風に感じてしまうのは、僕が精神的に未熟だからだ。そしてこれからもそのままなんだろうと思った。

僕は、いろいろなことを経験してきて知識も増えて、ちゃんとした大人になれたつもりでいた。

から子供の頃の僕自身に会う機会がもしあれば、支えになって導くことができるだろうと考えていた。

でも今はその自信がない。

中学校の帰り道、誰にも会わないようにトイレで人の足音がなくなるのを待って、

家まで倍以上の時間がかかる誰にも会わない道をわざわざ選んで、

こんなに空が青くてきれいで、川は澄んでいてさらさら流れていて、草いきれが風にのってやってきているのに、

どうしてこんなことしているんだろうな と泣きながら帰っている僕の背中に、

何の言葉もかけられずに立ち尽くしていることしかできないだろう。

  • anond:20180819110324

    教育実習の一時の感情で一生後悔するより、教員採用試験を受けなかった増田の方がずっと幸せになれると思う。

  • 生徒時代に 美しい自然の風景があって よかったではないか

      思い出の記憶も 美しい風景になる                                  anond:20180819110324

  • anond:20180819110324

    増田と同じような気持ちをきっかけとして、でも自分は教育者になりました。 まだ経験は浅いけれど、この仕事を続けていきたいと思っている。 きらきらして過ごしているように見える...

  • anond:20180819110324

    教師になって陰湿ないじめを主導して社会に復讐しようと前向きな人生は歩めないのかね 逃げちゃダメだろ信二君

記事への反応(ブックマークコメント)

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