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テトリス秘話:セガはいかにしてテトリスの開発に踏み切ったか

2018年08月12日 21時54分24秒 | ビデオゲーム
少しだけ昔、ゲームメーカーのセガでのこと。とある上級管理職が、「海外でこんなゲームを見つけてきたので参考にしてくれ」と言って、アーケードゲーム開発部門のメンバーに一つのビデオゲームを紹介しました。それを見ていた開発者の一人は、ずっと後になってから、ワタシに「プラットフォームはわからなかったがPCベースだったらしい」と語ってくれました。

今回は、拙ブログで扱うには少し新しすぎるかもしれない「テトリス」(SEGA,1988)の話です。「テトリス」はもともと、ソ連のコンピューター技術者アレクセイ・パジトノフ氏が、「ペントミノ」と呼ばれるパズルゲームをベースに考案したビデオゲームであることは有名な話ですが、ワタシは「テトリス」が初めて商品化されたのがいつで、どんなハードで動いていたのかは知りません。ワタシに冒頭の話をしてくれた人が見たものがそれだったのかもしれませんが、その人もその正体まではご存知ではありませんでした。

セガが1988年に発売したAM用ビデオゲーム「テトリス」は、病的なまでに耽溺する中毒者を多く生み出し、その後も様々な混乱を経て任天堂からコンシューマソフトに移植されただけでなく、海賊版として得体のしれないアジア製の液晶ポケットゲームも多数現れ、社会現象にまでなりました。更には、「落ちモノパズル」などと呼ばれる新たなゲームジャンルを業界にもたらしてもいます。


テトリスのフライヤー。片面のみで、裏面は白紙だった。当時のセガは、よほど力を入れて売り込みたいタイトルでなければ、経費を抑えるために片面印刷で済ませる傾向が強かった。

テトリスが市場を席巻していた当時、ワタシの知り合いの、セガを含むいくつかのゲームメーカーの社員は、「テトリス」を評する上で、「もし、セガのテトリスが世に出る以前に、社内で誰かがこれと同じゲームを提案したとしても、没になっていただろう」と口を揃えていました。「テトリス」は、ことほど左様に地味で、セールスポイントをアピールすることが難しいゲームでした。

そんなゲームをセガはなぜ商品化したのか。ワタシは以前、セガの一開発者から、冒頭のエピソードで始まる大変興味深い話を伺っていました。今回はその「テトリス開発秘話」を記録しておこうと思います。

セガの社内で「テトリス」が紹介された時、それを見た多くの開発者たちは、「(技術的には)簡単なソフトだな」と思ったそうです。そして、その一人だったAMソフト開発部門のある中間管理職は、社長や役員が出席する大きな定例会議の末席に制度上やむなく出席している最中に、退屈しのぎとして、ソフト開発者たちが使用している開発機材上で動作する「テトリス」のプログラムをさっと組みあげてしまいました。

この「なんちゃってテトリス」のプログラムは、初めは数人の物好きなソフト開発者の開発ツールにインストールされ、「業務の合間の気分転換」として遊ばれ始めたのですが、「やってみると案外ハマる」という評判が広まり、すぐにほとんどのソフト開発者のツールにインストールされ、遊ばれるに至りました。

そして、そこはさすがに本職のゲームプログラマーだけあって、「なんちゃってテトリス」を遊んだソフト開発者の中には、自分なりにフィーチャーを考えてオリジナルのプログラムを改変する者も現れ、そうしてできた新しい「なんちゃってテトリス改」も、またすぐに他のソフト開発者の間に広まっていきました。

こうして、セガのソフト開発者の多くの手元に「なんちゃってテトリス」が行き渡り遊ばれるようになった結果、「なんちゃってテトリス」は「業務の合間の気分転換」では済まず、本来の業務に支障をきたす、別の意味での「キラーソフト」に成長してしまっていました。

この事態は上層部にも伝わり、開発部内には「テトリス禁止令」も出たのですが、しかし、こんなにみんながみんなハマるゲームなら商品化すればヒットするに違いないという発想も当然のことながら出て来て、ついに業務用ゲームとしてのテトリス開発チームが組まれました。この時のチーム構成は、企画、デザイン、ソフト、サウンドの全部を併せて10名に満たない程度の、ごく小さなものだったそうです。名著「それはポンから始まった」では、開発担当者の一部の実名が記載されていますが、彼らは「なんちゃってテトリス」をはじめに作った中間管理職とは別の人であったとのことです。

「普通に提案されていたならきっと没にされていたであろう」と複数の業界人が評するゲームは、こうして世に出ていきました。その結果「テトリス」は、大きなブームを起こしたのみならず、一つのジャンルにまでなって、その後も多くのフォロワーを生む、一大タイトルとなりました。

ゲーム業界の中では、この経験から、自分の常識で理解できるものしか評価しないことに対する反省の機運が生まれたところもあったそうです。しかし、最後にはなんらかの判断を下さなくてはならないことに変わりはなく、そしてそのソフトがヒットするかどうかを正確に予見することなどできるはずもないため、結局のところ、提案段階での間口が若干広がった程度の変化があったくらいで、いつの間にかその反省も忘れられて行ったということでした。
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