好評です!
ほぼ日のアプリあります。

logo_1101

2018-08-19

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・ひさびさに、やってきた。
 原稿が書きたくないという日。
 書き出しても、途中でやめてしまって、
 別のテーマで書きはじめる。
 もうふたつ、やめている。

 ひとつは、人が真理だと思いこんでいることが、
 あんがいそうでもないとわかったとき、
 その思いこみのおそろしさに気づくよね、ということ。
 三分の二くらいのところで、こらえ性がなくてやめた。
 こう、ちょっとおもしろくできないのだ。
 おもしろくできない日なんか、いくらでもあるのにね。

 もうひとつ、本を読む習慣のある人が、
 どことなくそれを立派なことだと思いすぎてないか、
 というようなことについて書きはじめた。
 謙虚そうに「活字中毒」とか言ったりもしているけれど、
 本を読む習慣のない人たちが、
 どうしてそういうことになったののかについての
 想像力に欠けているのではないか、という気がする。

 善良な人間であることだとか、教養豊かであったり
 趣味がよかったりする人であることの、運のよさ。
 それを、負い目に感じなさいとは言わないけれど、
 それについての恥じらいがあってもいいのではないか。
 そんなことを書きかけて、これも力が入らなくて中止。

 いわゆる教養がなくて、本を読んだりもしなくて、
 ちょっと社会のルールにも外れているけれど、
 とても人間として尊敬できるような人間。
 そういう人物に会ったことがないのではないだろうか。
 あるいは、会っていても、見逃しているのではないか。
 そんな気がしているので、そういうことを、
 もうちょっとしっかり書こうと思っていたのだ。

 しかしね、それはそれで、
 ややファイティングポーズをとるような文章になるので、
 身体や神経が疲れているときには、うまく書けないのだ。
 というわけで、こうやってごまかしながら、
 一回分の「今日のダーリン」を書いたことにする。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
この日曜は、せっせと書き仕事をしないとえらいことに‥‥。 


ここ1週間のほぼ日を見る コンテンツ一覧を見る