親が子を虐待する事件が多すぎて悲しくなる。子を持つ親の身としては、その思考回路が宇宙レベルに理解できない。この話題についてもの凄く真面目に語ることはもう何かのワイドショーのどっかの専門家に任せるから、今日はちょっと小さい頃にやったゲームの話をしたい。
『ドラゴンクエストV』だ。みんなやったことあるだろう。したことない人はやってほしい。DSもソフトも貸すからやってほしい。リメイク版出てるからやってほしい。
私が最初にこのゲームをやったのはおそらく小学校低学年だったと思う。それから何回もやっているけれど、ぶっちゃけクリアしたことはない。最後の最後にラスボスを倒す直前で、キラーマシンを仲間にしようと何百回と野良バトルしている過程で飽きてしまうからだ。間を空けて、幾度となくトライしようとしても駄目なのだ。
グレイトドラゴンは2匹も仲間になったのに、キラーマシンは何回やっても仲間にできない。攻略サイトでキラーマシンを3体連れてる画像なんか見た日には卒倒したものだ。どれほどの時間をかけたか想像しただけで目眩がする。
まぁそんな話はさておき、このゲームは凄い。その凄さはゲームの序盤に訪れる。未来永劫語り継がれるドラクエ史上屈指の名場面、それが主人公の父「パパス」の死だ。
涙なくして語れないパパスの死
もう語る必要もないかもしれない。それほどこのシーンは有名で、
ドラクエ=ドラクエ5=パパス=「ぬわーーーーーっ!!」
この思考に至ることは極自然なことで、朝起きてコップ一杯の水を飲むことよりも自然なことだ。ドラクエをやったことがない人でも知っているかもしれない。だけど念のため一応説明させてほしい。
パパスは主人公の父親で、屈強な戦士だ。主人公がまだ小さい頃、いつも傍にいてくれて、いつも守ってくれて、いつもべホイミをかけてくれていた。誰よりも強く、優しく、人望が厚く、男の中の男、それがパパスだ。
しかし、パパスは、主人公の目の前で、敵に殺される。主人公を人質に取られた状態で敵に半殺しにされ、最終的に敵の放った燃えさかる火炎に包まれて灰となり、その人生の幕を下ろす。
パパスは強かった。主人公を人質に取られる前は敵を圧倒していた。だが、子供を人質に取るという敵の卑劣な行為によって抵抗できなくなってしまう。そしてそのまま我が子を守るため、一切逃げることなく、攻撃を一身に受け、生涯を終えた。
「ぬわーーーーっっ!!」
我が子を守るため、志半ばで命を失うことになったパパスの断末魔だ。
このシーンはドラクエ5をやった全プレーヤーの目に焼きつく結果になった。私も小学校低学年の頃にやったため、その衝撃たるや言葉に表すことができない。それから主人公は敵に捕まり奴隷となる悲劇を辿ることになるが、亡き父の遺志を継いで立派に成長していく。
パパスから学んだこと
私は当時まだ8歳とか9歳くらい小さな頃にこのゲームを初めてやった。パパスを失った時の主人公とそんなに変わらないくらいの年齢だろう。そんな小さい頃に目の前で父親を焼き殺される主人公の心中は計り知れない。
私は当時幼いながらに、パパスという男の偉大さを知った。自分の命を顧みず、身を挺して我が子を守るその背中に、親の優しさや偉大さを学んだ。親はこうあるべきなのだと思った。我が子を愛し、守りたい。自分も将来父になったら、そんな愛情を持って我が子に接したい、そう思った。
そして今、私は一人の娘を持つ父になった。パパスの年齢はわからないけれど(何かで27歳という説を見たが定かではない)、もしかしたらパパスの年齢を超えたかもしれない。
私は娘が愛しくてしょうがない。自分の持てる全ての愛情を注いで、何があってもこの子を守っていきたい、そう思ってる。
その感情は幼少期にパパスの勇士を見た影響も少なからずあるかもしれない。パパスは我が子だけでなく、このゲームをやった全プレイヤーに尊敬され、そして我が子を守る偉大な意思はその人たち全員に受け継がれている、そう思う。
パパス、ありがとう。パパスにそのつもりはなかったかもしれないけれど、我が子を守るその深い愛と勇気は、今日も世界のどこかで誰かを守っている。
(fin)