甲子園第100回憧れ舞台へ 農業系高校球児 夏・躍動
2018年07月14日
レギュラーメンバーを献身的に支える坂井高校の舘選手(福井県坂井市で)
11年ぶりの夏の甲子園出場を狙う金足農業高校の選手(同校提供)
今年で第100回の節目を迎える全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)の出場を懸け、各地で地方予選が始まった。農業系高校に在籍する球児も甲子園出場の切符をつかもうと今、懸命に白球を追い掛けている。(前田大介)
「コシヒカリ」の生みの親で、故・石墨慶一郎氏の出身地、福井県坂井市の県立坂井高校。農業系の「食農科学科」がある同校は、夏の甲子園連続出場を狙う。
野球部の3年生で唯一、農業コースで学ぶのは舘成哲選手(17)。実家は兼業農家で、米やジャガイモ、タマネギなどを栽培する。農業を学べる野球強豪校として同校を選んだ。
県外からの野球留学も受け入れる同校はメンバー争いが熾烈(しれつ)で、ベンチ入りはかなわなかった。現在は、トスバッティングの球出しや野手へのノックなどでチームを支える。
同市は2月に発生した福井豪雪で、375棟の農業用ハウスが倒壊。現在も再建途上の農家が多い。「甲子園に出場すれば、地元農家を少しでも勇気付けられる」と、館さんは地域の思いも背負い、野球に没頭している。
11年ぶり6回目の夏の甲子園出場を狙う秋田市の県立金足農業高校。夏の大会の前哨戦となる春季県大会を19年ぶりに制覇し、県内では甲子園“最有力候補”との呼び声が高い。選手らは、家畜の飼育や農業土木の実習などに取り組みながら練習に励んでいる。
大黒柱は、投打の中心で主将も務める3年の吉田輝星選手(17)。環境土木科で土地改良や農地保全などを学んでいる。最速147キロの直球と多彩な変化球を操り、18歳以下の高校日本代表候補に選出された逸材だ。吉田選手は「野球部の歴史を塗り替えたい。目標は甲子園ベスト4以上」と先を見据える。
畜産を学ぶ生物資源科3年の高橋佑輔選手(17)は一塁を守る。学校では、主に鶏の飼育を担当。週2回のペースでバットをスコップに持ち替え、鶏舎の掃除や餌やりをする。畜産担当の近江広和教諭(46)は「嫌な顔一つせず、黙々と鶏舎の作業をする。生き物好きで優しい心の持ち主」と話す。
高橋選手は思い切りの良い打撃が信条。「生物資源科の代表として頑張る」と力を込める。
元農業高校球児も今大会に注目する。巨人に18年在籍し2017年に現役を退いた、新潟アルビレックスベースボールクラブ球団社長補佐の加藤健さん(37)だ。新潟県立新発田農業高校3年で甲子園出場を果たした「松坂世代」の一人。
甲子園では1回戦で敗れたが、「同年代のトップ選手を見られ、わくわくした」と振り返る。農業高校球児に対し「野球からたくさんのことが学べる。目標をしっかり設定し、勝つ喜びも味わってほしい」。
雪害農家に勇気 福井県立坂井高
「コシヒカリ」の生みの親で、故・石墨慶一郎氏の出身地、福井県坂井市の県立坂井高校。農業系の「食農科学科」がある同校は、夏の甲子園連続出場を狙う。
野球部の3年生で唯一、農業コースで学ぶのは舘成哲選手(17)。実家は兼業農家で、米やジャガイモ、タマネギなどを栽培する。農業を学べる野球強豪校として同校を選んだ。
県外からの野球留学も受け入れる同校はメンバー争いが熾烈(しれつ)で、ベンチ入りはかなわなかった。現在は、トスバッティングの球出しや野手へのノックなどでチームを支える。
同市は2月に発生した福井豪雪で、375棟の農業用ハウスが倒壊。現在も再建途上の農家が多い。「甲子園に出場すれば、地元農家を少しでも勇気付けられる」と、館さんは地域の思いも背負い、野球に没頭している。
実習・練習・・・汗 秋田県立金足農高
11年ぶり6回目の夏の甲子園出場を狙う秋田市の県立金足農業高校。夏の大会の前哨戦となる春季県大会を19年ぶりに制覇し、県内では甲子園“最有力候補”との呼び声が高い。選手らは、家畜の飼育や農業土木の実習などに取り組みながら練習に励んでいる。
大黒柱は、投打の中心で主将も務める3年の吉田輝星選手(17)。環境土木科で土地改良や農地保全などを学んでいる。最速147キロの直球と多彩な変化球を操り、18歳以下の高校日本代表候補に選出された逸材だ。吉田選手は「野球部の歴史を塗り替えたい。目標は甲子園ベスト4以上」と先を見据える。
畜産を学ぶ生物資源科3年の高橋佑輔選手(17)は一塁を守る。学校では、主に鶏の飼育を担当。週2回のペースでバットをスコップに持ち替え、鶏舎の掃除や餌やりをする。畜産担当の近江広和教諭(46)は「嫌な顔一つせず、黙々と鶏舎の作業をする。生き物好きで優しい心の持ち主」と話す。
高橋選手は思い切りの良い打撃が信条。「生物資源科の代表として頑張る」と力を込める。
元農業高校球児も今大会に注目する。巨人に18年在籍し2017年に現役を退いた、新潟アルビレックスベースボールクラブ球団社長補佐の加藤健さん(37)だ。新潟県立新発田農業高校3年で甲子園出場を果たした「松坂世代」の一人。
甲子園では1回戦で敗れたが、「同年代のトップ選手を見られ、わくわくした」と振り返る。農業高校球児に対し「野球からたくさんのことが学べる。目標をしっかり設定し、勝つ喜びも味わってほしい」。
おすすめ記事
TPP新規加盟 拡大は農家に死活問題
環太平洋連携協定(TPP)の加盟国拡大に向けた動きが活発になっている。タイなど農産物輸出国も加盟を希望し、日本市場は格好の標的となりかねない。無税や低関税での輸入が増えれば、国内農業への打撃は計り知れない。なし崩し的な拡大とならないよう、国会は監視を強めるべきだ。
TPPに新規加盟したいという国・地域が相次いで名乗りを上げている。熱心なのはタイとコロンビアで、英国や韓国、台湾、インドネシアなども前向きという。新規加盟の受け入れ手続きは、11カ国によるTPPが年明けにも発効した後に加速する運び。それに備えた協議は既に進んでいる。
日本政府は加盟国拡大に積極的だ。TPPの存在感を高めて米国を呼び戻し、日米自由貿易協定(FTA)を回避する戦略とみられる。国内農業に甚大な影響をもたらす日米FTAはもちろん認められない。だが、TPPの加盟国拡大も危険をはらむことを無視してはならない。
現行のTPP協定で加盟国が増えるとどうなるのか。関税撤廃・削減の仕組みは大きく2パターンあり、影響も違ってくる。一つは輸入数量に枠を設けた撤廃・削減で、枠外には高関税を課す。重要5品目でいえば米、麦、でんぷん、脱脂粉乳・バターが該当する。加盟国が増えても“椅子取りゲーム”のような構図となり、輸出国同士のシェア争いは激しくなるが影響の広がりは食い止められる。
問題は、数量枠を設けずに撤廃・削減する品目だ。例えば、TPPで最も打撃が大きいとみられる牛肉。38・5%から大幅削減し、9%の関税が新規国を含め加盟国全ての対日輸出に適用される。輸入急増へのセーフガード(緊急輸入制限措置)も最終的になくなり、歯止めがないに等しい。牛肉輸出の潜在力を持つ国がTPPに加われば、国内農業の傷はさらに広がる。豚肉も同様で、1キロ482円ではなく同50円で対日輸出できる国が増えれば、影響は当初試算から膨らむ。
重要5品目以外でも問題が大きい。タイは、日本への鶏肉輸出がブラジルに次ぐ世界第2位。TPPに加盟して無税となれば、さらに輸出攻勢を強めてくるだろう。タイとは2007年発効の2国間の経済連携協定(EPA)で鶏肉関税を11・9%から8・5%への削減で押しとどめたが、こうした過去の外交努力も無に帰す。
果実ではオレンジやリンゴに加え、タイの関心品目のパイナップルも関税撤廃となっている。加盟国の拡大は、果樹主産県や沖縄県などへの打撃も心配される。新規加盟の協議が政府間で進み、国会がどう関与できるか不透明なのも気掛かりだ。
TPPで重要5品目の聖域確保を求めた国会決議はなお重い。国会は、情報開示や影響の再試算などの働き掛けを含めて政府をチェックし、安易な拡大には待ったをかける責任がある。
2018年08月17日
[改革最前線 地域とともに 3] 売電収入で古里再生 小水力に活路挑戦の後ろ盾 岐阜県飛騨市×JAひだ
山に囲まれた岐阜県飛騨市の数河地区。JAひだは、同地区の58戸の住民が立ち上げた(株)数河未来開発と共同で、小水力発電所を運営する。
農家で同社の代表を務める山村吉範さん(71)は、勢いよく流れる農業用水を誇らしげに見つめ、覚悟を語る。「売電のお金で地域を立て直すんだ。俺らの代で古里を終わらせるわけにはいかない」
売電収入を用水路の改修や耕作放棄地の再生、祭りの復活などの集落費に充て、農山村再生を目指す。JAは高齢化率7割を超す同地区の心強いパートナーだ。
同地区は、豊富な農業用水を活用して発電で地域ビジネスを興す構想の実現を10年以上模索してきた。2012年に再生可能エネルギーの新たな買い取り制度が始まり、県の事業が整備されたことが追い風になったものの、住民だけでは申請手続きや初期投資など対応が難しかった。
このため、14年に山村さんらが、日頃から付き合いもあって話しやすかったJAに相談。JAは地域の思いを受け、発電所「JAひだ・数河清流発電所」を運営することにした。
総工費の1億5400万円の55%は県が助成し、残りはJAが負担。JAが施設の整備や電力会社との調整をし、同社は施設の維持管理や地域振興を担当する。発電能力は約50キロワットで、年間約1000万円の売電収入を同社とJAでおよそ半分ずつに分け合う仕組みだ。JAは減価償却に充て、同社は管理費や集落の活動費などに使う。
住民はJAの決断に感謝し、これまでJAと接点のなかった10戸以上が准組合員になり、同地区は全戸が組合員になった。
「地域コミュニティーがあってこその農業とJA。小水力発電の誕生をお年寄りから子どもまで喜ぶ地域を見たとき、“未来”とJAの役割を感じた」と小水力発電を担当するJA営農企画課の森下好課長は思いを語る。
12年7月に始まった再生可能エネルギーの固定価格買取制度。経済産業省によると、18年3月末までに制度を活用した電力量は全国1907億5000キロワット、計6兆7000億円を上回るほどに広がっている。ただ、初期投資がネックで、大手企業発の発電が目立つのが実態だ。農山村を舞台にした地産地消エネルギー発電の広がりに向け、省庁横断で議論を進めている。農水省によると、同地区のような、地域の会社とJAが共同運営する発電所は全国的に珍しいという。
同地区は54ヘクタールの農地のうち、耕作放棄地は6ヘクタール。売電収入で荒れ地再生に向けたエゴマやタケノコ栽培を進める他、祭りの復活なども視野に入れる。今秋からは新規就農者の呼び込みも始める。
「JAなしには実現できなかった。みんな心から感謝している。地域の挑戦にJAが必要なんだと真剣な思いを伝えたから、応えてくれた」と山村さん。JAを支えに、地産地消発電で古里に夢を描く。
2018年08月16日
盆帰り
盆帰り、古里の土を踏めば、胸底にしまい込んでいたなまりが口をつく。標準語が借り物の衣装なら、方言は普段着のように体になじんでいる▼戦後、新生日本の支柱になったのは平和憲法だろう。憲法観は人さまざま。「押し付け」や「借り物」批判も根強い。若い世代に分かりづらいのも事実。ならば普段着にしてみたらどうかと、女優で方言指導者の大原穣子さんが監修した『おくにことばで憲法を』(新日本出版社)を読み返す。方言版で9条の一部を声に出して読んでみよう▼「アンヅマシグ暮らすにいい世の中ごとつくりてど」(青森)、「まんつハア、絶対ぇに武器は持だねぇごどにしたのだ」(岩手)、「これがだゃあ九条の、戦争の放棄いうことだわ」(愛知)、「軍備をもっとらにゃー戦争はできんのじゃけー」(広島)、「ほんなこつ馬鹿らしか戦争ば永久にしぇんで」(福岡)、「戦(いくさ)ーさびらんでぃ言(い)る事(くとう)、約束(やくすく)さびーん」(沖縄)▼本には朗読CDも付いている。「おくにことばで聞き、声を出して読んだとき、日本国憲法を一層身近なものに感じることができるはずです」と大原さんは書き留めている▼慣れ親しんだ地の言葉だと感じ方も違う。時にはカミシモを脱いで、作業着や野良着のような憲法論議があってもいい。
2018年08月16日
農業省力化へIoT 人口減、高齢化に対応 総務省検討委
総務省の情報通信審議会IoT新時代の未来づくり検討委員会は、情報通信技術(ICT)を活用し、2030~40年ごろの実現を目指す「未来をつかむTECH戦略」をまとめた。地方の人口減・高齢化が加速する中、IoT(モノのインターネット)を利用した農業の省力化、人工知能(AI)を生かした住民の健康状態把握などを挙げる。各分野で最新技術を取り入れ、地域の働き手や高齢者を含めた住民の生活を支えることを目指す。
2018年08月12日
不戦の誓い 危険な予兆に声上げよ
「戦争の始まりは表現の自由への抑圧から」。今年98歳で亡くなった俳人の金子兜太さんの言葉は重い。今日は73回目の終戦の日。「戦争の予兆」をまとう危うい政策に一人一人が声を上げ続けることで、同じ過ちへの道を阻みたい。
戦争は突然始まるのではない。目に見えない言論・思想統制から始まり、気が付いたら、後戻りできない状況に陥ってしまう。戦争を知る世代の多くは「今の時代は戦前と似ている」と危機感を語る。政府・与党が十分な議論もせず、さまざまな法案を強行的に採決してきた一連の流れがあるからだ。
安倍政権となって以来、2013年には、知る権利と報道の自由を脅かす特定秘密保護法が成立。14年は、海外での武力行使を禁じた憲法9条の解釈を変え、限定的に集団的自衛権を行使できるよう閣議決定した。15年、自衛隊の海外での武力行使に道を開く安全保障関連法が成立。共謀罪の趣旨を盛り込んだ改正組織犯罪処罰法は、17年に成立した。平和主義を定めた憲法9条改正の動きも、依然としてある。
この状況に「危ない」と声を上げるのが俳人や作家、映画監督ら表現者だ。日本農業新聞は15日まで「戦争“表現”で語り継ぐ」を連載した。40、50代の戦後の世代と70、80代の戦争を体験した世代の計5人に活動と平和への思いを聞いた。
その一人が、フランス出身の俳人で「檻(おり)の俳句館」(長野県上田市)の館主を務めるマブソン青眼さん(49)。昭和の俳句弾圧事件で投獄された俳人の句と生涯を同俳句館で紹介する。この弾圧の根拠となったのが戦前の治安維持法だ。1940~43年に少なくとも44人の俳人が検挙、13人が懲役刑を受けたという。館内にあるのは〈英霊をかざりぺたんと座る寡婦 細谷源二〉など17人の句。治安維持法により「反体制的」な作品とされ、弾圧を受けた。表現者として発信する側を見せしめにたたくことで、周囲を自粛させる抑圧の構図だ。
マブソンさんが危惧するのは「戦争の種」が今、各地で芽吹いていること。師事した金子さんの「下からの抑圧」という言葉を引き、「ネット上でバッシングしながら監視し合う姿がある」と指摘する。
危険な種は、育つ前に刈り取らなければならない。日常でパワハラやセクハラ発言、差別などを黙って見過ごしていないだろうか。まずはわが身を振り返り「おかしい」と思うことに異を唱えるところから始めよう。多くの「自己規制」の積み重ねが、戦争の種を育てる。
過去の百姓一揆から、近年の環太平洋連携協定(TPP)反対運動へと、農に携わる人たちには反骨精神が息づいている。命を生み出す農業界から「不戦」を貫こう。おかしいことを「おかしい」と自由に言える雰囲気こそが、「戦後」をつくり続ける。
2018年08月15日
地域の新着記事
金足 見せた農高魂 甲子園8強 畜産学ぶ高橋選手 逆転弾
強豪・横浜を撃破。甲子園に“金農旋風”吹き荒れる──。第100回全国高校野球選手権大会で金足農業高校(秋田)は17日、3回戦で横浜高校(南神奈川)を5―4で下し、準々決勝に進んだ。ベスト8進出は23年ぶり。決勝点となる逆転ホームランを放った高橋佑輔選手(3年)は「全国の農業高校に勇気を与えられたと思う。甲子園で戦う唯一の農業高校として勝ち続けたい」と声を弾ませた。18日の第4試合で近江高校(滋賀)と対戦する。(塩崎恵、前田大介)
鶏舎の掃除 心身鍛錬
歓喜の瞬間は突然訪れた。2―4で迎えた8回裏一死1、2塁。6番打者の高橋選手が相手投手の初球を振り抜くと、打球は放物線を描きバックスクリーンに吸い込まれた。その瞬間、一塁側のアルプス席で生徒らは抱き合い、メガホンをたたき喜びを爆発させた。
高橋選手はレギュラー選手で唯一、畜産動物を扱う生物資源科に所属。学校では鶏の飼育などを担当して週2回、“バット”を“スコップ”に持ち替え、鶏舎の掃除や餌やりをしている。
畜産担当の近江広和教諭(46)は「ふんを一輪車で運ぶとき、腕と背筋にかかる負担は相当なもの。佑輔は誰よりも率先して運ぶ生徒。日頃の掃除で鍛えられたことも、この一打を生んだのでは」と分析。「また勝負どころでしっかり決めろ。頑張れ佑輔」と激励する。
金足農高の地元、秋田県内では17日、テレビ観戦した農業関係者らが、劇的な逆転劇に歓喜した。感動して涙を流す姿もあった。
男鹿市で菊を露地4・4ヘクタール、ハウス24棟で栽培する文ちゃん園芸では、同校野球部出身で11年前に甲子園に出場した納谷(旧姓・船木)拓美さん(27)が研修していることもあり、従業員ら10人がテレビの前で試合を見守った。
2点リードされた8回裏、金足農高が劇的逆転3ランを決めると「まじでー」「やばい」と、叫び声が響き、拍手が沸き起こった。
勝利の瞬間、納谷さんは同校のユニホームを着た娘とハイタッチをして大喜び。「感動した。後輩は夢だ。食べ慣れた秋田の米をたくさん食べて力を付け、ベスト4へ進んでほしい」と激励した。
同農園で働く吉田征子さん(79)は「この年になってこんなに感動すると思わなかった。生きていてよかった。生徒の頑張りを見てこれからも農業を頑張ろうと思える」と選手をねぎらった。
同農園の吉田洋平さん(28)は「秋田の誇り。研修生が金農出身でもあり、農業高校ということで例年以上に応援に力が入る。準々決勝は仕事どころじゃないな」と笑った。
「次も平常心で」 農家で元監督 嶋崎さん応援
一塁側のアルプス席で静かに戦況を見つめたのは秋田県五城目町の嶋崎久美さん(70)。第66回大会(1984年)で金足農高がベスト4に進出した時の指揮官だ。同校の監督として春、夏の計7回甲子園に導き、東北の名将として知られる。監督業を退いた今は、米農家として1ヘクタールで「あきたこまち」などを栽培する。
この日の一戦は、34年前の初戦、広島商業高校戦と重なって見えたという。当時、完全に不利といわれたが勝利。それから一気に波に乗り、べスト4に進出した。「広島商業も横浜高校も甲子園優勝校だが、選手は同じ高校生。次も平常心で戦えば大丈夫。甲子園という農場に素敵な花を咲かせてほしい」とエールを送る。
2018年08月18日
[活写] 戦時の記憶 ぽつり今も
8月15日は終戦の日。埼玉県深谷市の櫛挽(くしびき)地区にある畑に太平洋戦争中、火薬工場だった分厚いコンクリート製の建物が残っている。
広さはおよそ5メートル四方、高さ約10メートルの2階建てで、農地とともに近所の酪農家が所有する。周囲は日陰になるため、何も栽培していない。
戦時中、銃器用の火薬を作る東京第二陸軍造兵廠(しょう)櫛挽製造所と呼ばれる工場の一部だったと伝わる。東京都内の工場が空襲を避けようと疎開したもので、1944年10月から終戦までの10カ月間稼働したという。
戦後、辺りが農地となる中、この建物だけは残った。しばらくは住居や倉庫に使われたが、現在は放置されている。同市には軍需工場に水を供給した給水塔跡も残る。戦時の記憶を伝えている。(富永健太郎)
動画が正しい表示でご覧になれない場合は下記をクリックしてください。
https://www.youtube.com/watch?v=K8fCwHoucEI
2018年08月15日
甲子園 金足農高 2回戦突破 応援団も心一つに 暑さ対策、発声練習実る
第100回全国高校野球選手権大会に出場した金足農業高校(秋田)は14日、2回戦で大垣日大高校(岐阜)と対戦。6―3で勝利して23年ぶりに2回戦を突破した。選手らの躍進を後押ししたのは、スタンドからの応援だった。
気温30度を超す灼熱(しゃくねつ)の阪神甲子園球場。1塁側の応援席から声を振り絞り、熱いエールを送ったのは17人の応援団だ。甲子園出場が決まってから、比較的涼しい地元の東北と異なる関西の猛暑を想定して、長袖、長ズボンを着て、暑いガラス温室の中で特訓を重ねてきた。
また、広い甲子園でも声が届くよう、同校のブランド米「金農米」を育てる水田で声出しを練習して大一番に備えた。生物資源科で果樹栽培を学ぶ応援団員の小林義昌さん(2年)は「(暑さ対策も声出しも)効果は絶大だった」と胸を張った。
「甲子園は夢の舞台。連れてきてくれた野球部に感謝したい」。声を弾ませるのは、生徒会長で応援団長の西村朝日さん(3年)。初戦で3安打して勝利に貢献した菊地亮太選手(3年)や吉田輝星投手(3年)を含むレギュラー5人と、入学から現在までクラスメートとして農業土木を学ぶ。
西村さんが卒業後に希望する進路は、菊地選手と同じ公務員。二人は互いに「亮太」「西村」と呼び合い、試験の出題傾向について話すなど刺激し合う仲だ。入学当初から「甲子園に出る」と口にする友に、「冗談を言っているのかと思った」と笑う。
「フレー、フレー、金農」。西村さんは声を張り上げ、大きな手振りで選手を鼓舞。試合展開に一喜一憂することなく、じっと戦況を見つめた。吉田投手が最後の打者を打ち取ると、ようやく表情を緩めた。
「序盤ははらはらしたがいい試合だった。次も頑張って。きょう以上の応援をする」と西村さん。菊地選手は「西村、いい声だったよ。次も頼んだぞ」。
2018年08月15日
西日本豪雨 被災地 墓石倒れ、修繕めど立たず…苦悩の盆 先祖弔えぬ
西日本豪雨の被災地では広い範囲で、月遅れ盆に入っても倒壊した墓石がそのままになっている。管理する親族がいない無縁墓や、墓主が年金生活の高齢世帯の場合など、修繕のめどが立たない墓があるためだ。故郷に帰省した人々との交流や先祖を弔う場にもなっていた盆踊りを中止せざるを得ない地域もあり、住民は頭を悩ませている。(猪塚麻紀子、尾原浩子)
管理者不在、高齢化も
山口県下松市の笠戸島。50以上の墓が集まる深浦地区の墓地は、豪雨により墓石が土台から倒れ、土砂に埋もれてしまった。道は墓石でふさがれ、崖崩れが起き、歩くのも危ないほどだ。
150戸が暮らす同地区の自治会長で米農家の古谷俊治さん(76)が、倒れて砂まみれになった墓の前で手を合わせる。古谷さんの家の墓は被害を免れたが、長年、島を支えてきた先祖たちのためにも、墓地を元通りにしたいと願わずにはいられない。しかし、倒壊した墓は供養する親族のいない「無縁墓」が多い。家や農地が被害に見舞われ、墓を新しくするのも難しい年金生活の島民もいる。同じ墓地でも壊れなかった人もいる。墓地は古くから島民が管理してきたが、修繕費を全戸に呼び掛けるのは難しい。
墓地は次に暴風雨が来ればさらに崩れる可能性もあるが、元通りにするには相当の金額が必要となる。古谷さんは「墓主が地元にいれば話し合えるが、島を離れて疎遠になった墓主もいる。市には、市営ではないので支援を断られた。どうしたらいいのだろう」と悩む。
島内では、豪雨災害で盆踊りを中止する地区もあったが、深浦地区は今年も盆踊りを決行する。古谷さんは「6戸が初盆を迎えるから、どうしても盆踊りがしたい。豪雨で皆が悲しんでいる今年の盆こそ、帰省した人も合わせて心を込めて供養したい」と思いを明かす。
墓地は海を見下ろし、浜辺の鳥居が見える高台にある。笠戸島自治会連合協議会会長の辻國政さん(76)は「先祖が、この美しい場所で眠ってほしいと墓地にしたに違いない。先祖を大切にする島民にとって、墓参りや盆は特別な意味がある」と説明する。
盆踊り決行住民一つに
島内では各地で田畑への土砂流入や家屋の浸水などの被害に見舞われた。豪雨被害で島と本土をつなぐ橋が21日間通行止めになり、島民は一時、船での移動を余儀なくされた。
辻さんは「橋が不通の間、高齢者を担いで船に乗るなど、みんなで支え合ってしのいで、昔に戻った雰囲気になった。再び一致団結したい」と願う。
若手農家ら地域励ます
西日本豪雨は、各地の墓や寺、神社に土砂崩れなどで被害を与え、祭りを中止させるなど農村の盆の営みを奪った。
愛媛県では盆に予定されていた祭りや花火大会の中止が相次ぐ。宇和島市吉田町のミカン農家、奥谷篤巳さん(38)は「盆踊りは先祖供養の意味合いがある。多くの盆行事が中止になり、地域で集まって顔を合わせる機会が減っている」と嘆く。
落ち込む地域を元気づけたいと、若手農家やJAひがしうわ職員の大竹敏正さん(39)ら有志が西予市でチャリティーイベントを企画し、音楽祭を開く予定だ。大竹さんは「大変なときだから、少しの間でもみんなで息をつきたい」と、前を向こうとしている。
2018年08月14日
寺納豆復活へ 長野県大桑村
長野県大桑村の住民が、江戸時代の古文書に記された寺納豆の再現に乗り出した。古文書は、木曽三大寺の一つ「定勝寺」で、和時計の内側に張ってあるところを発見された。寺の檀家の会長を務める田中昭三さん(90)が仲間と5月から試作を始め、「村の特産品にしたい」と情熱を燃やす。
寺納豆はこうじで発酵させる。納豆菌で発酵させた糸を引く納豆とは異なり、みそに近く、真っ黒な色と強い塩気が特徴。長期保存でき、保存食として食べられてきた。同村は旧中山道の宿場町として栄えた。古くから木曽ヒノキの物流など、京都との交流が盛んで、定勝寺は京都の禅寺の影響を色濃く残す。寺納豆の作り方も「京都から伝わってきたのではないか」と、田中さんは思いをはせる。
2018年08月09日
甲子園 秋田代表 金足農23年ぶり勝利 農一筋 祖父感涙
吉田投手へ「よくやった」
農業関係者の期待を背に“KANANO”が躍進──。第100回全国高校野球選手権大会に唯一の農業高校として出場した金足農業高校(秋田)は8日、強豪の鹿児島実業高校(鹿児島)と対戦。5―1で勝利し2回戦に進んだ。夏の甲子園で同校の勝利は23年ぶり。球場の応援席には、同校の生徒や教員の他、農家や農業関係者が集結。地元の秋田でも、農業関係者らがテレビ観戦で金農ナインの“一投一打”に熱い視線を送った。(前田大介)
先発のマウンドに立ったのは大会注目の右腕、吉田輝星投手(3年)。1回表、走者を背負いながらも渾身の投球で無失点に抑えると、一塁側の応援席は地鳴りのような歓声に包まれた。その中で、懸命にメガホンをたたき声援を送ったのは秋田県潟上市の吉田理正さん(70)。吉田投手の祖父だ。JA秋田みなみ(現JA秋田なまはげ)に36年間勤め、退職後に梨の農家として約50アールの農園で「幸水」「かほり」などを栽培する。孫が甲子園に立つ勇姿に目頭を熱くした。
思い出すのは、甲子園を目指す孫の鍛錬の日々。幼少期から練習熱心で「『キャッチボールをしよう』とよくせがまれた」。中学生になると、帰宅後に4キロのランニングを欠かさなかった。夜道を怖がる孫のため、理正さんは自転車で追い掛け見守り続けた。最速150キロを計測するプロ注目の右腕に成長した今や「怖くてキャッチボールの相手はできない」と、成長に目を細める。
勝利に沸いた試合後、理正さんは「甲子園に出場する自体信じられないこと。よくやった」と拍手の手を止めなかった。
同校の渡辺勉校長は「今回の甲子園に出場する農業高校は金農だけ。一戦でも多く勝利し、他の農業高校の励みにしたい」と力を込めた。
全力で戦う姿見せる
吉田投手は試合前、「梨をもらったり練習を手伝ってもらったりしたじいさんを甲子園に連れて行きたいと思っていた。全力で戦う姿を見せたい」と話し、大一番に挑んだ。
この日の最速は148キロを計測。157球を投げ、1失点14奪三振でチームに23年ぶりの勝利をもたらした。それでも「きょうの投球は30点。次は隙を見せないで、自分が投げられるボールを全力で投げたい」と気を引き締めた。
優勝めざせ 先輩エール
秋田市の勤務先のテレビで観戦した大山等さん(51)。同校が第66回大会(1984年)に出場し、ベスト4入りを果たした中心メンバーだ。卒業後の現在、農家として水稲を栽培する傍ら、同県立栗田支援学校で農業実習助手を務める。
34年前は準決勝まで勝ち進み、当時最強を誇った桑田真澄、清原和博両氏を擁するPL学園高校(大阪)と激突。大山さんは初回、桑田氏を強襲する内野安打を放ち、その後、先制のホームを踏んだ。試合は7回までリードするも8回に桑田氏の逆転2ランを浴び、2―3で惜敗した。
大山さんはこの日、ナインの一挙手一投足に熱い視線を送り続けた。試合終了後、テレビに映し出される金農ナインとともに悲願だった校歌を歌った。「甲子園での校歌は何度歌ってもいいものだ。このまま『金農旋風』を巻き起こし、34年前のベスト4を塗り替えてほしい」。あと一歩で破れ、成し遂げられなかった決勝進出の“夢”を現役世代に託した。
2018年08月09日
[活写] 一度じゃもったいない 贈る喜び 使うたび、味わい
約400年前から農作業着などに使われてきた福島県会津地方の伝統織物、会津木綿の「ご祝儀袋」が話題だ。
赤く縁取った生成りの四角い布と水引などをセットにした。一般的な紙製の祝儀袋と同じように、祝儀を収めた内袋を布で包んで水引を掛けて使う。
会津木綿は丈夫で、贈られた人が布を約40センチ四方のハンカチとして長く使える。会津坂下町にある木綿製品の製造・販売会社、IIE(イー)が発案し、2014年11月に発売した。
最盛期の大正時代は同県に30ほどあった会津木綿を織る工場は、輸入品の増加などで同社を含む3社に減った。社長の谷津拓郎さん(32)は「手に取った人が会津を思い出すきっかけになれば」と話す。価格は1944円で、同社の直営店やホームページなどで購入できる。(木村泰之)
2018年08月08日
200年前の在来種「穂増」 幻の米復活へ 子どもが主役 バケツで育てて種もみに 若手農家が指導 教師や塾も協力 熊本
約200年途絶えていた、熊本県の在来種米「穂増(ほまし)」の復活を後押しする動きが出てきた。「バケツ稲」で種もみを確保する方法だ。旗振り役は、県内若手米農家ら約20人で結成する「熊本ごはん組」。農家以外に、今年から県内のフリースクールや学習塾の関係者ら300人以上が賛同。来年以降の食用販売を目指し、奮闘している。(木原涼子)
「秋には種が取れるんだよ」。小中学生を対象にした熊本市内のフリースクール「WING SCHOOL(ウイング・スクール)」。生徒の声が響く庭に、20個ほどのバケツ稲が並ぶ。5月に種もみをまいた。水をやるのは生徒の役目。植え付けや、稲と雑草の見分け方などは、ごはん組代表を務める稲作農家の森賢太さん(30)が指導した。
同スクールは「調べ学習」など、生徒らの興味を引き出す学びを大事にする。教師の田代佳織さんは「種をつなぐ意識や農業への好奇心を持ってほしい」と意義を強調する。
200人の塾生が通う大手学習塾、明光義塾玉名教室(玉名市)も協力する。周辺には大手学習塾が複数あるため、特色の一つにしようと乗り出した。約30個のバケツ稲を職員と塾生が管理する。井原慶亮教室長は「地元に対する思いを育んでほしい」と話す。
「コシヒカリ一辺倒でなく、地元の香りがする米を作りたい」と言う森代表。独自性のある品種を育て、消費者の選択肢を増やすことで米の消費拡大につなげようと考えた。その中で目を付けたのが「穂増」だった。
種の復活に向けて2017年、茨城県の「ジーンバンク」から40粒を取り寄せて試験栽培に着手。今季は地域の米農家だけで栽培を拡大する計画だったが、教育現場や家庭でも挑戦できるバケツ苗で消費者も巻き込む方法を企画した。
インターネット交流サイト(SNS)のフェイスブックなどで、種もみと肥料だけのセットを500円、土とバケツ付きを2800円で販売。収穫した種もみは全量返却を条件にしたが、県内だけでなく関東や沖縄から申し込みがあり、300人以上が活動に参加した。
若手の挑戦にベテランも一肌脱いだ。玉名市の米農家、中野尾晃さん(55)は今年200粒の「穂増」を田んぼに植えた。「バケツ苗で種もみが取れなかったときの保険になれば」と言う。
種まきから約3カ月。7月に入り、高温障害など猛暑の影響が出てきた。森代表は「バケツ稲は田んぼより外気温や日光の影響を受けやすく、根の温度が上がり枯れてしまう」と警戒する。賛同者には、小まめな水やりを促している。
「穂増」は、江戸時代の終わりから明治時代に熊本で盛んに栽培されていた品種。今年から東海大学農学部の阿部淳教授らが、試験水田で栽培し、同品種の食味調査などに乗り出した。ごはん組とも連携し、地域おこしに使える在来品種を探る。森さんは「米にもっとテロワール(土地に根差すもの)があっていい。米に興味を持つきっかけになればうれしい」と強調する。
2018年08月08日
小菊出荷まずは2戸 産地化へ一歩前進 福島県飯舘村
東京電力福島第1原子力発電所事故からの復興を目指す福島県飯舘村で、小菊の産地化を目指す取り組みが軌道に乗っている。JAふくしま未来と福島県の協力による2017年度の試験栽培を経て今夏、2戸の農家が初出荷にこぎ着けた。JAは今後、同村での栽培を皮切りに、JAそうま地区全体に普及を拡大させる方針だ。
2018年08月06日
[あんぐる] 絵筆も箸も進みます 食べるアート(福岡市)
花飾りのようなケーキ、テーブル一面を彩るサラダ、きらめく宝石のような菓子──。福岡市のケータリング会社、ハラペコラボが創る「食べるアート作品」が人気だ。特別な雰囲気を演出するには絶好とあって、パーティーや記念日向けの依頼が相次ぐ。ユニークな食育活動にも参加者が詰め掛ける。
「野菜でママのお顔、描いてみる!」
同社が先月開いた「食べられるお絵かきワークショップ」の会場に、元気な子どもの声が響いた。
参加者は、市内外の親子連れ。テーブルをキャンバスに見立て、パプリカやビーツなど色や形が違う50種もの野菜と果物を自由に並べて、思い思いの作品を描く。カラフルな手作りソースも絵の具のように使い、完成後は記念撮影してからランチとして味わった。
野菜が苦手という藤村百花ちゃん(4)は「楽しかったから食べられたよ!」と笑った。母の瑞穂さん(35)は「緑色の野菜は絶対食べなかったのに、描いた後はサニーレタスをパンと一緒に食べた。感動した」と喜んだ。
同社代表の野尻ともみさん(36)は美術大学で空間デザインなどを学んだ後、農業資材などを扱う外資系企業に就職。一方で食と関わる活動にも魅せられ、飾り付けた場所で仲間と料理を楽しむ「ハラペコ会」を毎月のように催していた。
その後、夫の転勤で移住した同市で飲食店に勤め、本格的に料理を習得。「食とアートを組み合わせた、自分ならではのサービスを」と2013年に起業した。
「生産者との距離が近い」と、地元・福岡の魅力を表現する野尻さん。素材の多くは、取り組みを理解してくれた周辺の農家から手に入れる。届いた野菜に畑で摘んだ花が添えてあることも。「農家と安定した契約を結べるくらいに事業を育てたい」と展望を語る。(江口和裕)
2018年08月05日