一面謎の牙彫師、素性判明 明治の「超絶技巧」安藤緑山
「超絶技巧」と称され、ブームとなっている明治期の工芸作家の代表格でありながら、その素性が謎に包まれていた彫刻師・安藤緑山(りょくざん)の本名や生没年、肖像などが初めて明らかになった。緑山の作品が並ぶ巡回展をきっかけに、親族が「知っていることをお伝えしたい」と名乗り出た。 緑山は、本物そっくりに着色を施した象牙の彫刻で知られる。主に明治末期から昭和初期にかけて活躍した。皮の毛羽(けば)立ったタケノコや、表面のトゲが粒々と立ったキュウリなどを細部までほぼ実物大で再現。思わず目を見張る表現力で、近年、急速に人気が高まっている。 現存する作品は、国内外に八十点ほど確認されているが、作者のプロフィルや、着色などの技法は不明のまま。当時の工芸が「輸出向けの商品」とみられがちだったこともあり、現代の研究者の間でもほとんど分かっていなかった。展示を企画した三井記念美術館(東京・日本橋)の主任学芸員・小林祐子さんは「明治期の工芸は、近年まで、美術史の中であまり重視されておらず、緑山も、知る人ぞ知る存在だった。弟子がいなかったので、没後の情報も途絶えていた」と説明する。 ところが昨年九月、この展覧会が同館で始まるとまもなく、孫を名乗る女性から、手紙が届いた。地下鉄で偶然、広告を見たのをきっかけに、美術愛好者らの間で緑山が「謎の牙彫(げちょう)師」とされていることを知り、館に連絡した。その後、生前の活動を知る次男の妻(百一歳)ら遺族が、都内で小林さんらの聞き取りに応じた。 同館によると、戸籍などの調査で、本名は和吉(わきち)。一八八五年、東京・浅草生まれで、一九五九年没と判明。下駄(げた)の鼻緒問屋の次男として生まれ、高等小学校卒業後に象牙彫刻を学び、第二次大戦中は一時期、インドネシアのスマトラ島で技術指導をしながら制作した。号は「ろくざん」だと考えられていたが「りょくざん」だった。肖像写真もあった。 「歴史に埋もれかけていた貴重な証言。制作技法の解明にも、つながる可能性がある」と小林さん。孫にあたる女性は、自身の名前は伏せたいとした上で「祖父のことを謎のままにしておくのは惜しいと思った。作品が多くの方々に見ていただけることをうれしく、また誇らしく思います」と、本紙にコメントを寄せた。 巡回展「驚異の超絶技巧!」展(中日新聞社共催)は二十六日まで、岐阜県多治見市の県現代陶芸美術館で開催中。緑山の彫刻十二点を含め、技が光る工芸約百四十点が並んでいる。 (中村陽子) <明治の超絶技巧> 日本の近代化の過程で、輸出向けに盛んに作られた、装飾的で技巧を凝らした工芸品を指す。当時、オーストリア・ウィーンの万国博覧会などで紹介され、欧米で高い人気を誇った。陶芸の宮川香山(こうざん)、七宝の並河靖之、金工の正阿弥(しょうあみ)勝義らに、後の世代の安藤緑山が続く。近年、美術的価値の高さが見直され、注目が高まっている。 今、あなたにオススメ Recommended by
|
|