このブログでも散々、護る護らないの議論をしてきたが、究極を言ってしまうと、僕はもう「何も護らない」。
自分も、仲間も、作品すら、護る気がない。
本当に極論を言えばだ。
周囲には何度もそう伝えてある。
そのつもりでやらないと、結局何も残らないからだ。
この業界ほど夢と希望に乏しい世界はない。
僕だけが言ってるのではない。みんな口を揃えて言っている。
やはり異常な世界なのだろう。そしてそこにいる人間がマトモなはずがない。
僕だって何度か何かを「護ろう」とした瞬間があった。しかし全然上手くいかない。
そもそも「護り」に入るのが苦手なんだろう。
そして何が悲しいって、必ず護るべきものに「背後から撃たれ」た。
まぁこれが、アニメというとんでもない世界だ。
それにようやく気付いたのは、つい最近だ。
だから今、アニメをどうだこうだとまだ言ってはいるが、正直言うとアニメを護るつもりも、大してない。ましてや保身にも興味がない。
まだ死なないから生きている、その程度だ。
唯一護るものがあるとすれば、自分の信念、それひとつしかない。
孔子の言葉「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」の通り、「道」を知るだけでいい。
その後はとっとと死んでいい。
何度も書いた通り、この世の一通りの経験を味わって、「こんなもんかぁ」としか感じられなかった。
これは生まれつきのものだろう。
だから俗世の幸せを無理に追い求めても、魂が疲れるだけだった。
ペシムズムと言われても構わないが、そこを起点にしないと、アニメに関わる人間はアニメという異常表現に飲み込まれ、人間らしさや、理性を失う。
ほとんどの人間がそれでおかしくなってしまった。
高畑さんも長年それに苦しんだのだろう。アニメはマトモな人間のやるものではない。
20年間の業界人生の中で学んだのは、それだけだ。