アルシェの物語〜In the Beginning was the Word〜 作:Menschsein
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帝都アーウィンタールの南門。交易都市エ・ランテルと帝都を結ぶ物流の大動脈。東西南北に設けられた帝都の出入り口の中で、最も人の出入りが激しいのが、南門である。
門が封鎖されている深夜に帝都に到着した商人たちは、門の近くで開門されるまでの時間を待たなければならない。
早朝、開門と同時に、商人たちが荷物の検閲所へと行列を作っている。荷馬車いっぱいに積まれている野菜や果物。それらの品は、検閲所を通った後、中央市場に向かい、そして帝都に住んでいる人々の食卓へと並ぶのであろう。
そんな光景を横目で見ながらアルシェは帝都を出て、現在は街道を歩いている。自分の身長よりも長い杖。前髪が視界を隠さないようにするヘアバンド。履きなれた靴。風よけにも防寒にも使えるマント。
これだけだといつものアルシェの依頼へと向かう格好だが、いつもと違うのは、今日はアルシェの小さな背中に、大きく膨らんだ茶色いバッグがあることであろう。水や食料などの巡回依頼に必要な品々は、昨日のうちに北市場で買い込み、そしてモモンが所有していた
茶色いバッグに仕舞いこんであるのは、アルシェ自身の私物である。
カッツェ平野は、エ・ランテルに向かう街道を歩き、その街道の途中で道を外れ、南へと歩く。街道を外れると警戒が必要となるが、人通りが多く、帝国と王国の貿易を一挙に引き受けているこの街道は、帝国兵士の警備が行き届いていて安全だ。
その安全さは、各国を旅する商人達が冗談で、『王都リ・エスティーゼのスラム街の小道で寝たら、疫病にかかるか殺される。だが、アーウィンタール=エ・ランテルの街道で寝たら、風邪を引くかもしれないが、
帝国は、商品を都市に持ち込む際の関税は王国に比べて確かに高い。だが、個別に護衛を雇う金額に比べたら安い。護衛の冒険者を確保できないことなども多々あるし、商人としては安定的な交易と、そして収益が見込める。結果として、帝国での商人の活動は活発になった。
ジルクニフは、王国の“黄金”のラナーが発案したこのアイデアを帝国にすぐさま取り入れ、帝国の都市を結ぶ街道などに帝国兵士の警備を強化した。結果として、警備に要する費用よりも多くの利益を帝国は関税として得る結果となった。
もっとも、この考えを発案した王国では、街道が複数の貴族の領地を跨ぐ関係上、街道を警備するのならば、自分の領地を通過する際に個別に通行税を課す、という意見が出てしまい、結果として商人が個別に冒険者などを護衛で雇うほうが安上がりになるという結果になり、実現はされなかったが……。
「アルシェ。背中のバッグ、重くないのか? まだ、
モモンガは足幅も大きく、そして何より不労である。一定のスピードで歩いて何も問題はない。レイナースも、帝国騎士として行軍には慣れている。問題はアルシェだった。足幅も小さいし、体力では二人に劣る。最初は三人で暢気に風景を眺めながら雑談をして歩いていた。だが、次第にアルシェの口数が少なくなり、やがて並んであるく二人の後に続くようになった。そして、時々小走りをして追いつかないと、モモンガとレイナースと距離が離れすぎてしまうようになっていた。
「大丈夫、重いという訳ではないから」とアルシェは答える。
アルシェが背負っているバッグの中身は、彼女自身の替えの下着などであった。重さとしては数キロ程度で、重くは無いが、疲れてくると体感として重さを感じるようになってきたのは事実だ。
だが、食料や水やテントなどは別として、自分の下着などまでモモンに預けるのにアルシェは抵抗を感じていた。何となく気恥ずかしい感じであったのだ。
そしてアルシェは、魔法学院時代、フールーダ先生のある時の講義を思い出し、後悔をしていた。
生活魔法。魔法の才能のない者でも使用することができる魔法。『生活に密着している魔法の方が人生を豊かにしてくれる。攻撃魔法というものは使い勝手が悪いのだよ。相手を致傷させるということ以外に、使う道がほぼない』
アルシェは、フールーダからこの話を聞いた時には、内心、何を馬鹿なことをと思った。自分たち魔法学院の生徒は魔法の才能を認められ、この場で学んでいるのだ。魔法の才能がない人でも使えるような魔法を使って何になると言うのだと。自分は既に第二位階の魔法が使え、もうすぐ第三位階を使えるようになるだろう。誰でも使えるような魔法を憶えて何になろうか。より付加価値、希少性の高い魔法を使えるようになってこそ、
だが、改めて考えてみると、第三位階魔法
「だが、きつそうだぞ? 無理はするなよ?」
「本当に大丈夫だから」とアルシェは答える。
「モモン殿。横から口を出すのは差し出がましいですが、アルシェさんの気持ちも察してやるべきかと。アルシェさんくらいの年齢の女の子は気難しいのですよ。きっとそのバッグの中身は、自分の下着とかでしょう。チームとはいえ、男性であるモモン殿に預けるのは気が引けるのかと」とレイナースは口を開く。
アルシェは、図星を突かれて黙って地面を見つめるしかない。
「そ、そうだな。済まない。気を回したつもりが余計なことだったな。すまないな、アルシェ。レイナースさんもありがとうございます」とモモンガは気まずそうに答える。
「いえ、私も出しゃばって申し訳ないです。ですが、ついでにもう一言口を出すなら、テントもモモン殿とアルシェさんは分かれて寝たほうがよいでしょうね。私などは帝国騎士という職業上、特に気になりませんが、年頃の女の子は、そういったところにも敏感です。ですから、テントは大人用と子供用で分かれるのが、適切かと」
「レイナースさん、子供扱いはしないでください」
「あら。申し訳ありません。もしかして、一人でテントに寝るのは恐いのですか? 子守歌など私は多少の心得はありますが……」
「そんなことはありません! だから子供扱いしないでください」とアルシェは先ほどよりも大きな声で言った。
「とのことでございます、モモン殿」とレイナースは笑顔でモモンガに笑いかける。
「ありがとうございます、レイナースさん。今回のような日帰りできない依頼は私達“モモンと愉快な仲間達”にとって初めてです。いろいろ教えて下さって助かりますよ。何せ駆け出しの冒険者で作ったチームですから」とモモンガは明るい声で言う。
ユグドラシルでは、寝オチするなど、一定の時間操作がされなかったら、自動ログアウトする仕組みであった。仮想現実の世界で寝るなどということなど想定したことがなかった。
モモンガは、男女のパーティーで宿泊が必要になる長期依頼だと、いろいろと配慮すべきことが多いのだな。なかなか勉強になるじゃないか、と内心満足をした。
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一行は、安全な街道沿いでキャンプをしながらカッツェ平野へと向かう。いよいよ明日の早朝から、カッツェ平野へと足を踏み出す。