アルシェの物語〜In the Beginning was the Word〜   作:Menschsein
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昇格試験 2

 道路に沿って設置されている街灯の明かりだけを残して、帝都が静まり返っていた。飲み屋を騒がしていた冒険者やワーカーも、次の日の依頼に備えて、自らの体を休めている時間。既に深夜であった。

 野良犬が月に向かって吠えている声だけが響く道を一人の少女が歩いていた。その姿は、冒険者モモンが宿泊している宿の中に消えていった。ギシギシと軋む階段を登っていく音で、居眠りをしていた宿の受付は一度眼を覚ましたが、再び眠りに落ちる。

 モモンの部屋でその足は止まり、その深夜の訪問者は数十秒の迷いの末、その扉をノックした。

 ゆっくりとその扉が開き、モモンが顔を出す。

 

「アルシェか。どうした? こんな夜中に。家に帰らなかったのか?」

 マント、杖。そして彼女の膝の部分の衣服は、採取依頼で、地面に膝を付けていたため、土で汚れた状態である。朝から服を一度も換えていないことは明白であった。

 

「話があって……」と、アルシェはモモンガの顔を見上げながら言う。廊下の灯りが暗いせいか、アルシェの表情にも影があった。

 

「下で話すか?」というモモンガの返答に、「部屋に入ってもいい?」とアルシェが答える。モモンガは、一瞬の逡巡と共に、扉を大きく開いた。アルシェは、部屋の中へと足を踏み入れる。

 モモンガは、木の椅子にアルシェに座るように促し、モモンガはベッドに腰を下ろした。

 

「それで、緊急の用件か?」

 

「緊急ということでも無いけど、昇格試験の話。カッツェ平野の巡回依頼、受けられるようになった」

 

「門限があると言っていたが、説得は出来たのか? 無理をしなくてもいい。ディス・ツバイザック冒険者組合長も、試験内容の変更に前向きであったしな」とモモンガは交渉の手応えを思い出しながら答える。皇帝に雇われるということにならない限り、彼は出来る限りの優遇をしてくれるだろうとモモンガは思っていた。

 

 長い沈黙の音。アルシェがそこに新たな音を加えた。

 

「……問題ない」

 

「そうか。では、明日……というかもう既に今日か? では、組合長にその旨を伝えよう。あの感じだと、彼も慰労会に招待されているようだしな」とモモンガは答えた。今回、魔物を倒したのはモモンガとアルシェであるが、冒険者組織の長である組合長が招待されていないとは考えにくかった。

 

「うん」

 

「実は、私の方でも確認しておきたいことがあった」と、モモンガはテーブルの上に置かれた手紙を手に取る。そして、細かい細工がしてあるメガネを付けた。

 

「この招待状が私にも届いたわけだが、アルシェにも届いているな?」という問いかけ。アルシェはそれに頷く。

 

「舞踏会形式だと書かれているのだが、これは、俺も踊る必要があるのか? 俺はダンスなどできないが」

 

 アルシェ自身、招待状の内容をまだ確認していなかった。父と揉め家を飛び出してきてしまった。そして、当てもなく帝都を彷徨い、行き着いたのがモモンの宿泊している宿であった。

母親がドレスを新調しようとしていたのは、舞踏会形式と招待状に書かれていたからなのであろう。散財するのはどうかと思うが、久しぶりの舞踏会の招待が娘にあったということで、少し浮かれてしまったのであろう。

 

「誘われたら踊るのが礼儀だと思う。そして、十中八九、誘われると思う」とアルシェは答えた。

 今回の死の騎士(デス・ナイト)の立役者は、どう考えてもモモンだ。そして、チームとして考えれば、自分も立役者の一人に数えられるであろうが……。だがその分、モモンと自分は、ダンスを申し込まれる可能性が高い。いや、帝国貴族が招待されていたとしたら、功労者をもてなすという意味でも、貴族は自分たちをダンスに誘うだろう。それが、貴族のマナーだ。

 

「やはりな。まったく困ったものだ」

 

 モモンガは思った。次に狙われたのは自分達であるのだと。功労者を労わるなんてご立派な名目を建てているが、皇帝自らが墓地で死の騎士(デス・ナイト)を利用したイジメを企画実行しながら、その被害者の労をねぎらうというのだから、最初から筋の通っていない可笑しな話だ。そして、今度は、ダンスが踊れるはずの無い者を慰労会と称して舞踏会へ誘う。そして、多くの人の前で恥をかかせるつもり……。陰湿にも程があるというものだ。

 

「参加を断ろうか?」とアルシェが尋ねてきたが、モモンガは首を横に振る。

 

「それはそれで不味いだろうな。それよりも、アルシェ。ダンスは踊れるか?」

 

「え? あんまり上手ではないけれど……」

 母親がしきりとダンスの練習をするようにと小言を言っていたが、アルシェ自身、ダンスなどはもう不要だと思い、長い間練習をしていなかった。

 

「それで大丈夫だ。基本だけでも教えてくれ。この部屋だと狭すぎるか?」

 

「うん……。宿の前だったら、街灯も付いているし、スペースは十分」とアルシェは答えながら、一番簡単なダンスはどれであるかを思案する。ワルツだろうか、ブルースであろうか。今から教えるとしても付け焼き刃にしかならないであろう。とりあえず、基本のステップを教えて、後はそれの繰り返しだから……。

 

「疲れているのに、すまないな。ポーション、必要か?」

 

「いや。もったいない。大丈夫」とアルシェは答えるのであった。

 

 ・

 

 早朝に自宅に帰ったアルシェを待っていたのは母親の大目玉であった。曰く、ずっと針子達などを夜通し屋敷に待機させていたらしい。アルシェは睡魔が襲う体に鞭打って、自室でお人形のように立つ。コルセットで内臓がグッと持ち上げられて、胃液が逆流してしまいそうだった。やっと解放されたと思い、そのままベッドに倒れ込むアルシェ。

 丁寧に根元を傷つけないように採取、死の騎士(デス・ナイト)との戦い、徹夜でのダンスレッスン。それ等を終えてアルシェは精魂尽き果てて眠る。慰労会が始まる夜半まで、アルシェは泥のように眠るのであった。

 

 そして迎えた舞踏会。城の前で待ち合わせたモモンと一緒に、招待状を衛兵に渡し、案内された舞踏会場。貴族の屋敷での舞踏会の経験はアルシェにもあった。しかし、城に入るのを許されたのは初めてであったアルシェは、その城の豪華さと洗練具合に驚く。純金としか思えないような置物が随所に置かれ、金や銀、宝石がふんだんに使った織物が、壁一面に飾られている。そしてその品々は、皇帝の財力を見せつけるという訳でもなく、品良くその場に置かれている。まるで、有るべくしてそこにあるようであった。

 父親が商人から購入してくる品物とは一体、なんなのであろうかとアルシェは考えざるを得なかった。この城の中に、さり気なく飾られている品々は、春の草原に咲く野花のように自然であった。自分の家にある品々は、虚飾に彩られた下品な血のように赤い薔薇のようであった。

 会場にモモンと共に案内されたアルシェはさらに驚く。磨き上げられた木目の美しい床。整然と並べられた丸テーブルと真っ白なシーツ。品良く置かれた料理や飲料。単純(シンプル)の中に美しさが宿っていた。自分の家のエントランスに敷かれた下品な赤絨毯は一体なんなのであろう。父親が目指しているであろう貴族と、そしてその貴族の頂点たる皇帝の、相容れることの不可能な、決して埋めることの出来ない溝をアルシェは感じる。

 

 定刻になると、余興として流されていた楽団の演奏が止み、「バハルス帝国皇帝、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス様のご入場」という声が会場内に響き渡る。会場にいる全員の談笑が止み、舞踏会場の二階に全員の視線が向かう。そして笑顔で登場する皇帝。万雷の拍手。

 皇帝の短いが要点の纏められた演説。そして、皇帝が杯を掲げ、帝国が危機を乗り切ったことへの祝いの言葉とともに慰労会が始まる。

 

 モモンとアルシェは二人で、挨拶にへと訪れる人々の対応に忙しかった。真っ先に二人の許へと訪れたのは、アダマンタイトの“漣八連”であった。そして次が、“銀糸鳥”であった。

 

「こちらから挨拶に伺わねばと思っていたのに、大先輩であられるアダマンタイト級の冒険者チームの方々からお越しいただいて、我が身の未熟を恥じるばかりです」などとモモンが対応しているのを横で聴いていたアルシェは、もしかしてモモンは何処かの貴族なのだろうか? などとも考える。物腰も丁寧であるし、ダンスを踊れないというのは、モモンが珍しい黒髪で、そういう風習がない国であると考えれば説明が付く。それに、彼が甲冑の姿のままで慰労会に現れたということも、帝国の常識から考えれば礼儀知らずだが、ダンスなどの社交ではなく、強さを重んじる国であれば当然の服装、戦いに赴く服装が、正装であろうということも説明が付く。アルシェは、モモンの強さの理由を少し知り得たような気持ちになった。

 

 “モモンと愉快な仲間達”へ挨拶しようとする行列は長い。誰もが今回の危機を救った立役者が誰なのかを正確に理解しているからであろう。

 そんな、モモンとアルシェと会話しようと待っている長い行列を、横から割って入った人物達がいた。

 それは、この国の皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスと、主席宮廷魔法使い、フールーダ・パラダインであった。

 








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