アルシェの物語〜In the Beginning was the Word〜 作:Menschsein
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アルシェちゃん、泥沼って話です。
「ただいま」とアルシェは自宅の扉を開く。
「お帰りなさいませ、アルシェお嬢様」と、ジャイムスがアルシェを出迎える。
「妹達は?」
「もう既にお休みになられておいでです」
「そう……」
後で、こっそり妹達の寝室に行って、寝顔を眺めて癒やされようとアルシェは考える。
流石に今日は、採取をするために、ずっと腰を曲げている状態だったから、腰が痛い。商品価値を下げないために、丁寧に採取しなければならなかったのも、アルシェの神経をすり減らしていた。そして、モモンは、採取をしている最中、まったく休憩というものをしなかった。黙々と採取を一日中続けていた。休憩をしましょうと言い出すことも憚られ、体に鞭を打ちながらアルシェは一日中動き続けた。モモンは、白金プレート以上の実力があるということは明確だ。自分は第三位階魔法が使えるとはいえ、足を引っ張るようなことは避けたかった。
「アルシェ、帰ったのか!」と、二階の奥の廊下から怒りが混じった父親の声が響いた。そして、階段を降りてアルシェのいるエントランスに降りてきた。
「ただいま戻りました。お父様」とアルシェは挨拶をする。
「魔法学院を退学して、冒険者になったそうだな。間違いないか?」
「……はい」とアルシェは答えると同時に、疑問が頭を過ぎる。浮き世離れした父が、なぜそんなに早く、私が冒険者になったことを知っているのであろうか。
「このたわけ者が! 貴族の娘が冒険者など、フルト家の恥晒しだ。それに、素顔を隠した怪しげな男と二人でチームを組んでいるだと! 嫁入り前の娘がそんなことをするなど、一体何を考えている? お転婆にも程がある! そんなことをしているから”縁談”も断られてばかりなのだ!」
「あなた……。そんなに怒鳴ってはアルシェが可哀想じゃない」と母親が父親をなだめ、「でもね、アルシェ。冒険者などをして遊んでいる時間があるのなら、ダンスの練習をもっとして欲しいわ。いつ貴女に、舞踏会の招待状が来るか分からないのよ? 最近、ダンスの練習をしていないでしょ?」と母親は優しげに語る。優しくアルシェを諭そうとしているのであろう。
「舞踏会の招待なんて、もう永遠に来ない……。もう
「違う! あの愚かな金髪の小僧が死ねば、フルト家は再興するのだ! 見ろ、今日も、フルト家の財力と、金髪の小僧には屈しないという決意を見せつけてやったところだ。見ろ、あの見事な壺を! フルト家のエントランスを訪れたものは、この壺を見て、我がフルト家の財力に驚嘆するであろうな」と父親は熱っぽく語りながら、階段の横に置かれた壺を見た。
見覚えの無い壺だった。アルシェの背丈よりも大きな壺。白地に青色で文様が描かれている。描かれているのは、龍であろうか……。いや、そんなことを考えている場合ではない。
「何故そんな物を……そんな物を買うお金がどこから……」
アルシェの全身の力が抜けているのを感じる。目の前が真っ暗になった。目眩がした。やっと高利貸しからの借金は返せたのに……。
「あぁ。今手持ちが無いと言ったら、貸してくれたよ。やはり、フルト家の信用は高いということだな。貴族とは、誇り高く、民から信用され、尊敬される存在であるべきだからな。それに見ろ、この珍しい金貨を! 見事な彫り物であろう。それに、この金貨は純度百パーセントなのだ」とポケットから父親は金貨を取り出す。
「な、なぜその金貨を持っている……」
その金貨に見覚えがあった。つい昨日のことだ。モモンが持っていた金貨。そして、それで高利貸しに借金を返した。
「なぜ持っているか? それは買ったからだよ」と父親は当然のことのように語る。
「いくらで……?」
「たしか金貨十枚だったかな」
アルシェの心が深い闇と怒りに蝕まれていく。昨日、モモンが出した金貨は、帝国金貨三枚分として借金の返済に充てた。それを父親が金貨十枚で買っている……。
「希少性の高い金貨だそうだ。一枚は私のコレクション用として、他は贈答用だ。帝国金貨を贈るのは無粋だが、この金貨を贈るのであれば、格式高かろう」と、父親はさらに四枚の金貨をポケットから出し、アルシェに見せびらかす。
「5枚……。金貨五十枚?」
商人は、帝国金貨15枚でその金貨を手に入れている。それを五十枚で買った? なんと愚かな……。
「すぐに返してきて! いや、私が返してくる!」とアルシェは父親からその金貨を奪おうと父親に掴み掛かる。
「な、何をする。この愚か者が!」
父親とアルシェの体格差がありすぎた。魔法を使わなければ、アルシェはか弱い少女でしかない。父親に簡単にはねのけられ、アルシェは床に尻餅をついた。
「二人とも、喧嘩は止めて……」という母親の悲しそうな声がエントランスに響く。
「全く、どうしてこんな娘に育ってしまったのだ」と父親は吐き捨て、不機嫌そうに階段を上がっていく。
「アルシェ、大丈夫?」と母親が優しくアルシェに手を差し伸べる。アルシェはその差し出された手を弱々しく掴み起き上がる。
「アルシェにも、これを買っておいてあげたのよ」と、母親は、アルシェの目の前に、宝石の付いた髪飾りを見せる。金貨十枚はするであろう。母親はアルシェの前髪を優しく分けて、その髪飾りをアルシェに付けた。
「やっぱり思った通り。とっても可愛いわよ。これを付けていれば、きっと次の縁談では良い返事が貰えるわ」と、母親は優しくアルシェに微笑みかける。
「ありがとうございます。お母様……」
アルシェは、顔をクシャクシャにしながらも、無理に母親に笑ってみせた。