その退職済の島田真樹(仮称)が港区私立共学校の理事会に配った文章の全文は提出されていないため、表題ページの部分しかわからないが、島田真樹(仮称)の論旨が一部垣間見れるため、その後の頁でどういう嘘だらけの話が騙られたかのかは容易に想像ができるものである。
その内容は、匿名手紙事件とは別の、港区私立共学校での出来事が記されていたため、原告 高橋嘉之(仮称)氏側は匿名手紙裁判に全文を提出せず、あくまで、被告 島田真樹(仮称)が原告 高橋嘉之(仮称)氏に匿名手紙を送り続け、大橋清貫(仮称)氏を陥れることに高橋嘉之(仮称)氏を利用し、大橋清貫(仮称)氏には、「恩も讐も超えて、トラブルシューティングを請け負わせていただける」という金銭詐取目的と、島田真樹(仮称)の異常なまでの大橋清貫(仮称)氏に対する私怨、そしてそういうことを画策する人物であることを証明するために、この表題ページの部分だけを裁判の証拠として提出しており、大橋清貫(仮称)氏側の港区私立共学校に対する最期の配慮であったものであったと思われます。
その証拠をここに公開しておく。
そして、島田真樹(仮称)が2012年1月23日に突如として港区私立共学校を退職し、2013年3月31日に大橋清貫(仮称)氏が学園長・理事を退任するに至った、島田真樹(仮称)の異常な行動の数々を整理立てて解説したいと思う。
情報が、高橋嘉之(仮称)氏が運営していたブログと匿名手紙の裁判記録のみであるため、一部、状況的な想像も含まれるが、島田真樹(仮称)のいう(嘘だらけ、自己正当化、正義の男を偽る、その場しのぎの)筋道と比べれば、遥かに精度の高い真実に迫るものである。
島田真樹(仮称)の騙ろうとした『共に学園を去る約束』という非常に臭い・芝居がかった道筋の一部をここに披露する。
平成25年3月6日
どうぞ島田を参考人として3月12日理事会に出席させてください。
『 島田が大橋清貫(仮称)学園長に今なおコンククトする理由につきまして 』
東京都小平市花小金井□‐□□‐□
島田真樹(仮称) 印
●共に学園を去る約束について
今日に至って私こと島田真樹(仮称)が、(港区私立共学校)を退職したにもかかわらず、尚も大橋清貫(仮称)学園長にコンククトをしておりますのは、昨年平成24年1月23日に私が退職するに際して、大橋漬貫(仮称)学園長から『学園の人心一新のため』私と学園長と二人共々学園を去ることを約束していただいたからであります。この約束は私にとって非常に重い約束であり、履行あるかどうか確認等のため今なおコンククトを取らせていただいておりました。
こういった約束があったこと、並びにこの『共に学園を去る約束』が結ばれるに至った経緯については、私は今までほとんど他に語っては来ませんでした。なぜならこの約束は学園の平安を守るために結んだものであり、その経緯を他言することは、無用の憶測や争いの元になりかねず、約束を結んだ意味自体がなくなると考えたからであります。
そこで私は昨年1月に音もなく学園を去りました。それはただ一点、学園を毀損しないための最良の形は私が黙することにあると考えたからであります.しかし、その後1年が経過しましたが、今もって学園が毀揖をやめないのを見るにつけ、私が黙してきたことはまちがいであったと気づきました。黙するのではなく、理事・幹事各位に本来真っ先に、隠すことなく理事会の場でご報告する内容であったとの後悔が今はございます。これ以上学園を毀損しない目的のために、今こそは事実を事実のままにお伝えしなくてはならないと思うに至りました。今次の3月12日予定の理事会にはぜひ参考人として出席させていただきたく思います。私に関わることについて、多くの方の間で現在は憶測ばかりが先行しているように感じます。そこで、この度の理事会の議案に関することで、私が何を考え、何を行ったかにつきまして自らの言葉で直接皆様にお伝えしたく思います。ただ前回の2月15日理事会のように急遽学園に現れるような節を欠くことではいけません。筋道を立て、ご理解いただきやすい前提を整理するため、この『共に学園を去る約束』について触れざるを得えないと考えました。以下にまずこの約束が結ばれた経緯とその後本日に至るまでの経過を下記に申し述べさせていただきます。
●共に去る約束を交わした経緯について
端的には、昨年1月頃の大樋清貫(仮称)学園長の認識は、学園には内紛が起きており、このままではその内紛により学園が割れるであろうというものでした。そのことを避けるために“人心一新”が必要だと大橋清貫(仮称)学園長が述べたことに始まります。平成23年春から平成24年1月退職まで、私は
*上記画像は、然るべき手続きを経て、裁判記録の閲覧とコピーにより入手したものである。
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