JYMA 日本青年遺骨収集団

日本青年遺骨収集団50年の歩み

特定非営利活動法人 JYMA 日本青年遺骨収集団(以下JYMAという)は昭和42年6月、「学生慰霊団」として発足しました。

戦争の傷跡を今も残す外地に赴き、戦争というものを肌で体験し、真の友好を生むと同時に現在の日本を知ろうとする有志学生によって結成されました。

 

当初の活動目標

1、日本軍玉砕地における慰霊及び慰霊碑建立。

2、現地における政治・経済・地理・風俗などの実地調査。

3、日本文化の紹介、及び住民との親善。

 

とし、アルバイト収入を基に下記の派遣を行ないました。

 

《第1次派遣》 昭和43年9月ペリリュー方面 学生慰霊団 (5名)

《第2次派遣》 昭和44年8月中部太平洋諸島 学生慰霊団 (5名)

 

2回にわたる派遣で、日本軍の玉砕地にはいまなお〃草むす屍〃同然に数多くの御遺骨が放置されている悲惨な現状を目の当たりに見遺骨収集を行なう事が急務であり、かつ戦後生まれであっても国民としての義務であると考え、昭和45年6月「学生遺骨収集団」と改名、遺骨収集を主たる活動目標に変更。

 

《第3次派遣》 昭和46年2月サイパン・テニアン方面 学生遺骨収集団(6名)

《第4次派遣》 昭和46年3月ビルマ・ボルネオ方面  学生遺骨収集団(12名)

 

第3次派遣団は、約2,000柱の遺骨収集を行なったが、第4次派遣団は、現地の政状不安や遺骨の国外持出し禁止などで、遺骨のあることはわかっていながら収集作業は許されず、以降、厚生省との“官民一体”の協力体制のもとで遺骨収集が行なえるよう努力する方針とする。

なお、この際団員を学生だけに限ることなく、広く一般若人にも呼びかけることとし、昭和46年5月1日、名称を「学生遺骨収集団」から「日本青年遺骨収集団」へと改称

 

《第5次派遣》 昭和46年 8月サイパン・テニアン方面 学生僧侶団(18名)

《第6次派遣》 昭和46年11月サイパン・テニアン方面 青年遺骨収集団(34名)

 

3,580柱の御遺骨を収集

 

第6次派遣団は、現地で厚生省との初の“官民一体”の民間遺骨収集団となり、3,580柱の御遺骨を収集。昭和47年3月、民間の遺骨収集関係団体を一本化した組織である「戦没者遺骨収集促進団体協議会」の加盟団体となる。

 

《第7次派遣》 昭和47年10月サイパン・テニアン方面及びパラオ本島・アンガウル方面

 

青年遺骨収集団(47名)

 

前年に続く官民一体の遺骨収集団となり、9,099柱の御遺骨を収集。また、昭和47年11月より行なわれたルバング島小野田少尉捜索には、厚生省の依頼を受け、団員3名が参加した。

 

その後、例年4~5回実施される戦没者遺骨収集政府派遣団に参加協力していたのだが、昭和の終焉とともに、学生運営の為、資金調達能力に欠けるという弱点が顕著になり、活動の困窮、熱意や意志のある有為の人材を確保できなくなり士気が低下した事、等の事由が相俟って団員数が減少し、団員が運営資金捻出の為のアルバイトと学業との両立にに苦慮する様にまでなり、ついには派遣費用の参加団体負担分の補填ができず派遣への参加を見送らざるを得ない状態にまでなり、加えてバブル経済の影響により、新宿近辺に構えていた当団事務所の家賃もほんの数年の期間でほぼ2倍近くに高騰した為、事務所の維持が困難となり、取り敢えず当時の代表者である学生の下宿を連絡先にして活動する事となる。

 

《第101次派遣》 平成2年3月ソロモン諸島遺骨収集派遣(3名) 138柱の御遺骨を収集。

 

この平成元年度の第102次派遣を最後に、代表者である学生が後継者を指名せぬまま卒業、転居し、その後、代表者不在の為、連絡のとれない自然消滅的な休団状態に陥ることになる。そういった当団の現状とは背反するように、遺骨収集事業はかつての旧激戦地ばかりではなく、東西冷戦構造の崩壊による社会情勢の激変により、当団が休団する以前には外交的事由で入域出来ず、長く懸案であった、旧・ソ連をはじめとする所謂「東側諸国」でも精力的に政府派遣が実施されるようになる。

 

しかしながら、このような時代の変遷に際し、かつて旧戦域の隅々まで活動していた当団の姿なく、往時を知る関係者一同、日本青年遺骨収集団が自然消滅的な休団状態になっている事を聞き及び、心を傷め、青年層の参加協力を復活させなければならないと痛感致し、再開に向け、多くの篤志家・優良企業の皆様のご支援を仰ぎ、青年層の派遣を再開する為、「戦没者遺骨収集促進団体協議会」関係団体、及び厚生省に了承を得て、新たに現役大学生に呼びかけ、派遣隊を結成して甚だ急造の感はあるものの、6年ぶりに日本青年遺骨収集団としての政府派遣団派遣隊を結成いたしました。

 

《第102次派遣》 平成7年2月硫黄島遺骨収集派遣(5名) 39柱の御遺骨を収集。

 

第102次派遣は、平成6年度の最後の政府派遣であり、約6年間のブランクがあった当団を、当団のOB団員による指導・教育による現役派遣隊が、協力団体として復活出来るか否かの試金石だったものの、隊員一同若い力で協力し、派遣団より推奨を受け、平成7年度派遣より国庫補助金給付団体として復活する事が叶いました。

 

《第103次派遣》 平成7年6月シベリア抑留中死亡者遺骨収集派遣(1名)

 

138柱の御遺骨を収集。

 

第102次派遣からは当団が初めてシベリア抑留中死亡者遺骨収集派遣に参加した派遣であり、創団以来、未知の派遣地域となる為、以後の派遣隊員指導の情報収集、作業手順の確認のため団員OBが休職し、参加いたしました。この後は南方諸戦域における戦没者遺骨収集が年を追う毎に少なくなっているのに反し、徐々に北方中心へとその活動のスタンスを移行させることになってきています。

 

《第115次派遣》 平成8年2月沖縄戦没者遺骨収集派遣(6名) 3柱の御遺骨を収集。

 

第115次派遣は、沖縄県遺族連合会が主催する民間主催事業へ参加。政府派遣以外の事業参加となりました。

 

《第148次派遣》 平成12年2月沖縄戦没者遺骨収集派遣(10名) 8柱の御遺骨を収集。

《第161次派遣》 平成13年2月沖縄戦没者遺骨収集派遣(10名) 9柱の御遺骨を収集。

《第173次派遣》 平成14年2月沖縄戦没者遺骨収集派遣(10名) 5柱の御遺骨を収集。

 

第148次、161次、173次派遣の沖縄戦没者遺骨収集派遣への参加には、靖国神社崇敬奉賛会が新設した、英霊顕彰事業補助事業に応募し、補助金の交付を受けての参加となった。沖縄派遣は作業実施日が1日しかなく、作業当日に如何に多くの人間を投入出来るかが成功の鍵を握っており、補助のお陰で毎年10名を派遣する事が出来ました。

 

《第169次派遣》 平成13年11月ペリリュー島残存遺骨調査派遣(2名)

《第174次派遣》 平成14年  3月 ペリリュー島戦没者遺骨収集派遣(3名)

 

110柱の御遺骨を収集。

 

第169次は、同島に残る残存遺骨の調査を、同島に赴き、島中を隈なく踏査し、報告する為に行った自主派遣であり、昭和47年より政府派遣を中心に活動していた当団にとって、刺激となる派遣であり、その後の第174次派遣では、調査実績を基に、110柱のご英霊をお迎えする事が出来た。

そして、ご英霊の慰霊顕彰事業を時代に継承していく事を、広く内外に宣明すると共に、従来の、若者の熱意を根幹に活動してきた任意団体から、戦略的事務運営組織への体質改善を図る為に、NPO法人へ改組すること準備していたが、平成14年9月30日、東京都知事より特定非営利活動法人ジェイワイエムエイとして認証を受け、10月16日をもって設立登記を完了いたしました。

 

これにより

 

《第183次派遣》 平成14年8月シベリア抑留中死亡者遺骨収集派遣(1名)

 

が、任意団体・日本青年遺骨収集団最後の派遣となり、

 

《第184次派遣》 平成14年11月硫黄島遺骨収集派遣(7名) 57柱の御遺骨を収集。

 

が、NPO法人としての最初の派遣となりました。

 

《第186次派遣》 平成15年2月沖縄戦没者遺骨収集派遣(23名) 7柱の御遺骨を収集。

 

また、第186次派遣には従来より交流の深いNPO法人である、国際ボランティア学生協会13名の協力を得て、共催事業の形態で23名の青年・学生の派遣となった。

「平成15年9月には「緑の平和部隊」事業としてパラオ諸島ペリリュー島において椰子の木街道整備ボランティアを実施致しました。

 

≪第199次派遣≫平成16年2月 沖縄戦没者遺骨収集・植林派遣(20名)

 

第199次派遣は、従来の遺骨収集のみならず、乱開発による表土が雨などにより流出せぬように糸満市役所の要請を受け、フクギの木の植林活動も行いました。

平成16年3月には、財団法人偕行社の残存慰霊碑調査事業に1名を派遣し、残存慰霊碑の調査ならびに、近在の子供達への公衆衛生指導を行いました。

国際ボランティア事業としては、北マリアナ連邦での当法人の創立以来培ってきた南洋群島地域での経験や知己を通して、現地での慰霊、歴史体験、環境保護活動を経験するとともに現地の青少年と交流をする研修旅行事業を企画し、高等学校の教員の皆様と現地視察等を、フィリピンでは、ルソン島・ミンダナオ島を中心に貧困により学業を修めることの困難な学生に対し、学費支援ならびに教育支援活動を企画し、現地において調査活動を行いました。また、残存遺骨調査派遣をインドネシア及びパラオ諸島において実施しました。

 

≪第211次派遣≫平成17年2月 沖縄戦没者遺骨収集・植林派遣(21名)

 

第211派遣は、昨年同様、従来の遺骨収集のみならず、乱開発による表土が雨などで流出せぬように糸満市役所の要請を受け、フクギの木の植林活動を行い、石垣島にてゲットウの苗木の植林を行いました。

 

≪第215次派遣≫平成17年7月 モンゴル戦没者遺骨収集派遣(2名)8柱の御遺骨を収集。

 

第215次派遣は、今まで行われていなかったモンゴル・ノモンハン事件による戦没者の遺骨収集を実施し、8柱の御遺骨を収集しました。

 

≪第228次派遣≫ 平成18年度7月 ソロモン諸島ガタルカナル島戦没者遺骨収集派遣(1名)43柱の御遺骨を収集。

 

第226次ガタルカナル島派遣は、長期に渡り活動が滞っていたソロモン諸島・ガタルカナルに於いて戦没者の遺骨収集を実施し43柱の御遺骨を収集できた。

 

≪244次派遣≫ 平成20年1月 フィリピン戦没者遺骨収集派遣(2名)

 

平成17年度の実施より約2年ぶりにフィリピンに於いて遺骨収集が実施され、当法人よりも2名が参加。セブ島で61柱、レイテ島91柱の計152柱を日本へとお連れした。

 

平成20年度はガダルカナル島へ慰霊碑の修繕、清掃、慰霊巡拝を実施しました。

 

平成21年度はNPO法改正により、日本青年遺骨収集団と表記できるようになり、名称を「特定非営利活動法人JYMA日本青年遺骨収集団」へと改名いたしました。

 

昨今、残存遺骨情報が減少するなか、政府派遣への参加のみならず、積極的な情報収集活動を実践するため、平成21年度においては、グァムやマーシャル諸島等の中・南太平洋地域に隊員を派遣して、調査自主派遣なども実施しています。

 

平成22年度からは、戦史検定事業を開始し、第1回目の戦史検定は平成22年11月21日に上智大学にて開催し、20代から40代を中心に、最年少12歳、最年長86歳という幅広い年齢層から総勢292名のお申し込みを頂きました。
今後も史実の継承と在外慰霊碑の保全を目標に戦史検定事業を行っていく予定です。

 

平成23年3月11日に起きた東日本大震災を受けて、NPO法人STEOの職業調理師派遣支援ならびに同国際ボランティア協会(IVUSA)のアテンドで、3度に亘る被災地支援派遣を実施し、宮城県では石巻市と気仙沼市、岩手県では釜石市と下閉伊郡山田町で炊き出し支援などを行い、復興に向けての支援活動をして参りました。

その後すぐにNPO法人空援隊の方々と共同で北マリアナ諸島サイパン島の集団埋葬地調査の自主派遣を2度に亘り実施し、島北西に位置するタナパグビーチにて集団埋葬の情報を確かなものに致しました。

 

8月には、予てより準備を重ねてきたガダルカナル島の丸山道における自主遺骨収容派遣を、全国ソロモン会及び一般参加の社会人の方々と共同で実施しました。尚、サイパン島調査派遣はその後政府による応急派遣が実施されました。ガダルカナル島派遣においても政府応急派遣隊が組まれ、現地にて合流。厚労省職員1名が丸山道に於ける野営活動に後半参加し、我々と共に丸山道に多く残された御遺骨の現状を確認いたしました。

 

災害派遣、サイパン島調査派遣、ガダルカナル島丸山道派遣に通じて言えることは、他団体との自主的な協同活動であるという点であり、我々はこれらの活動から、自ら情報をつかみ取る力や、自ら実行し現状を変えていく姿勢を学びました。

 

また11月20日には、第2回を迎えた戦史検定を日本青年館にて開催し、受検者数は第1回を上回る358名に上りました。収益金は特別寄付金とあわせ、福島県内の慰霊碑修繕費として、福島県遺族会に寄付いたしました。

 

平成24年度の派遣の大半を占めたのが硫黄島派遣で、調査・通常・特別を含め、全20回の派遣が実施されました。また、海外派遣では昨年度の調査が実を結び、サイパン島派遣が応急派遣を含め4回実施されました。8月には政府応急派遣としてガダルカナル島派遣に参加し、現地にて自主派遣隊と共に収容活動を行いました。
11月には第3回戦史検定が実施されました。収益金は3月に行われたパラオ慰霊碑清掃に使用され、当法人から1名が参加しました。

 

平成25年度は昨年度に引き続き、硫黄島派遣が全16回実施されました。また、サイパン島派遣も全5回実施され、北マリアナ諸島における活動も活発になっております。

 

新たな取り組みとしては、アメリカ公文書館4回に亘ってへ隊員を派遣し、米軍側の公式資料を収集して参りました。残存遺骨情報が減少する昨今において、重要な資料となり得ます。

 

≪329次派遣≫ 平成25年8月 ガダルカナル島第3次自主派遣(6名)全体で137柱の御遺骨を収容

ガダルカナル島丸山道自主派遣へは、これまでで最多となる学生6名が参加し、137柱の御遺骨をお帰しすることができました。

 

≪351次派遣≫ 平成26年3月 ビスマーク・ソロモン諸島戦没者遺骨帰還派遣(2名)1274柱の御遺骨を収容

当法人より2名が参加致しました。近年では稀に見ぬ柱数となり、ガダルカナル島で39柱、ブーゲンビル島タロキナで1235柱の計1274柱もの御遺骨を日本へとお帰しさせていただきました。

 

 

平成26年度は硫黄島派遣が全25回実施されたほか、マリアナ諸島ではグアム島で2回、サイパン島で1回の自主調査派遣が実施されました。

 

≪368次派遣≫ 平成26年9月 ガダルカナル島第4次自主派遣(7名) 全体で137柱の御遺骨を収容

全国ソロモン会との共同活動として今般で4回目を迎えた当派遣においては、海上自衛隊練習艦隊による御遺骨の本邦ご帰還が実現致しました。これは戦後初の事例であります。海上自衛隊練習艦隊の遠洋航海の際にガダルカナル島ホニアラ港が寄港地となり、練習艦「かしま」の士官室に御遺骨をご安置の上、祖国日本へとお帰しさせていただきました。実現に際しご尽力頂いた全ての方々に、心からの謝辞を申し上げます。

 

≪377次派遣≫ 平成26年12月 パラオ諸島ペリリュー島戦没者遺骨収集帰還派遣(2名) 8柱の御遺骨を収容

当法人としては8年ぶりとなるペリリュー島での遺骨収容を実施致しました。天皇皇后両陛下の慰霊行幸啓を控えており、メディアの同行が相次ぎました。

 

≪382次派遣≫ 平成27年2月 沖縄本島糸満市における沖縄自主派遣(学生20名) 15柱の御遺骨を収容

毎年実施している沖縄自主派遣が本年度も行われ、15柱の御遺骨を収容させていただきました。戦後70年という節目と相俟って、NHK、テレビ静岡(フジテレビ系列)、BS-TBSのテレビ局3社が同行し、我々の活動を取材しました。このような形でメディアに取り上げられるのは、当法人始まって以来初めてのことであります。

 

このように特定非営利活動法人JYMA日本青年遺骨収集団は、戦没者遺骨収容や慰霊顕彰事業を活動の基軸に、かつての地域における民生向上や飢渇する地球資源の横軸に、過去と実績と伝統に負けない活動を展開しております。