こたつでもそもそ

どこにでもいる京大生のブログです

「『京大生でしょ』ハラスメント」がひどい

私は京大生である。

大学4年間の下宿が許される家計に恵まれ、勉強意欲の高い同級生に刺激を受け、自分自身もそれなりにがんばって勉強した結果として京大に入ることができた。

この結果は、家庭環境とか学校の環境に恵まれていたからこその結果であって、自分自身の能力だけが合格の理由ではない。

というか、京大生でもけっこうアンポンタンな人はいるし、私がその一人ではないと断言することもできない。

ものすごく記憶力がいいとか、情報処理速度が速いとか、飲み込みが早い人なんてほんの一握りである。受験勉強がちょっと得意だっただけ、という人が大半で、京大生はなんでもできるスーパーマンではない。

 

にもかかわらず、世間の皆様方から「京大生なんだからこのくらいできるでしょ」というよくわからないステレオタイプを押し付けられ、京大生の多くが辟易している。

 

この、「京大生でしょ」ハラスメントは場所を選ばないが、やはり一番多いのはアルバイトの場面である。

 

私は1回生のころ、喫茶店でアルバイトをしていた。そこでは京大生も数人働いていたのだが、社員さんや非京大生の先輩アルバイトから、なにかと「京大生でしょ」を連発された。

どうやら、京大生ならば、テーブル番号は配置表を一度見ただけで覚えなければならないらしい。

オーダーを取るための機械の使い方は説明されずとも理解しなければならないし、レジ打ちは教えられた瞬間から先輩アルバイトと同じ速度で打てなければならないらしい。

 

そもそも、喫茶店のアルバイトは覚えることが山のようにあるし、しかもマルチタスクである。仕事を覚えるにはそれなりの反復が必要になるし、はじめのうちはどの作業を優先すればいいのかも判断がつかない。経験から学んでいくことがとにかく多いのである。他の仕事でも、多少の差こそあれ概ね状況は同じだろう。

 

にもかかわらず、「京大生なんだから」を連発する人たちは、京大生は一発ですべての仕事を覚えられると思っているらしい。

それどころか、一度も説明しなくてもわかってほしい、という期待を抱いている節すらある。無理である。地頭とか関係なく無理である。

 

自分でもできなかったであろうことを、「京大生でしょ」の一言で他人に期待するのは筋違いというものだ。しかも、できたらできたで、「京大生ならできて当然」などと言われたりする。理不尽にもほどがある。

 

「京大生でしょ」ハラスメントをする人はどこまで本気で言っているのか、それは疑問である。本気で思っているならそれはそれで怖いし、嫌味で言っているならそれはそれでたちが悪い。

この前は、早稲田の院生から「京大生はみんな英語ペラペラなのかと思ってました」などと言われた。そんなわけあるかい。

 

こうした発言に対抗するためには、期待される以上の成果を出すしかないのだろうか。

ちょっと、というかかなり、理不尽な戦いだなぁと思わずにはいられない。