昨年10月、座間市で男女9人の遺体が発見される事件が発覚した。背景にはネットで「死にたい」と言っている若者たちが多いことがある。一方、今年7月には、奈良県の女子高生が、また北海道で10~20代の男女2人が自殺をした際、その経緯を動画で配信していた。

自殺志望者に青酸カリを送ったドクター・キリコ

 生きづらさ、自傷行為、自殺――。今ではこうした言葉はインターネットではありふれた言葉だ。しかし、1990年代の中盤から後半にかけては、「自殺」以外は、若者たちの中でほとんど使用されてこなかった。これらのキーワードを巡るネット・コミュニケーションを振り返ってみる。

 90年代後半、ドクター・キリコ事件が起きた。自殺志願者の女性(ハンドルネーム「美智子交合」)が開設した「安楽死狂会」というホームページがあった。その中のコーナーの掲示板「ドクター・キリコの診察室」で、ドクター・キリコを名乗る男性がうつ病患者や自殺志願者の相談に乗っていた。ハンドルネームの「ドクター・キリコ」は、手塚治虫の作品『ブラック・ジャック』に出てくる、患者を安楽死させる医師の名前だ。ドクター・キリコは「いつでも死ねる薬があれば今は死なない」と思っていた。当時ベストセラーになった『完全自殺マニュアル』でも同じことが書かれていた。

 そのため、ドクター・キリコは重度のうつ病を患っている人たちの何人かに青酸カリを送った。しかし、その中の何人かが実際に飲んで死亡する例があった。それを捜査していた警察から聞かされたドクター・キリコ本人も自殺してしまった。

「今、ここ」を生き抜くための手段

 このときもそうだが、ネット上の自殺関連事件が起きると、プロバイダなどが自主規制し、リスクが高そうなサイトが削除されることが起きる。そんな中で、自傷系サイトが生まれてきたのではないかと思える。

 この頃、自傷行為をテーマにしたサイトは、自閉症や知的障害、境界性人格障害に絡んだものがほとんどだったが、それらに当てはまらない自傷行為についての声を当事者たちが上げ始める。その一例が「自傷らーの館」という掲示板だった。のちに、管理人は、掲示板に来た人との交流の成果を、『リストカットシンドローム』という本にまとめている。

 管理人は「生きるためのリストカット」という言葉を生み出す。当時、リストカットを始めとする自傷行為は「自殺未遂であり、自殺するための手段」、あるいはジェスチャーとしての自傷行為と思われることが多かった。しかし、自傷行為の性格として、「今、ここ」を生き抜くための手段としているユーザーが多かったことがわかっていく。

「私って、生きづらさ系だよね」

 私は90年代から、摂食障害や性的虐待、自殺志願者、援助交際、家出の当事者がインターネット上で告白したり、相談に乗っていることを取材していた。自らもホームページを立ち上げて、援助交際や家出、いじめ、不登校、自殺志願者の声を集めていた。

 あるとき、摂食障害の女性を取材していた。その女性がどこかのタイミングで「私って、生きづらさ系だよね」と言った。当時、「生きづらさ」というキーワードでホームページや掲示板、チャットを開設する人は確認できなかったが、私には、とてもしっくりきたため、「生きづらさ系」をテーマにした掲示板やチャット、メーリングリストを作った。

 当時は、生きづらさや自傷行為、自殺に関連したことを発信している人たちを「メンタルヘルス系」とひとまとめにすることも多かった。「~系」という言葉が使われたのは「自殺系」や「出会い系」といったように、何らかの現象を中心にカテゴリを意味するのに使われていたように思う。一方、「自傷らー」というように、「~する人」というような意味で、「~らー」も使われるようになり、「メンヘラー」という造語も生まれた。

 90年代後半は、一般ユーザーのネット・コミュニケーションが開花する。それまでは、制作ソフトやサービスを使わずに、HTMLなどの記号を使ってホームページ作りをしている人たちが多かった。そのため、簡単な日記サイトを作っている人はいた。しかし、活字を入力しさえすれば、日記となる「Web日記」サイトが立ち上がっていく。

ホームページ上で告白する人が増えていく

 こうした中で、掲示板やチャットに集まり、書き込みをしていた人を中心に、ホームページ上で、「生きづらさ」や「生きるための自傷行為」を告白する人が増えていく。

 2000年には、J-PHONE(現・ソフトバンク)のカメラ付き携帯電話J-SH04が発売される。この画期的な製品は画像添付できるメールサービスと結びつき、「写メール」と言われるようになった。

 自傷行為、Web日記、写メール。これらも相性がよく、自らの手首や腕を切り、血が流れる写真を撮影し、友人らにその写真を送ったり、Web日記にあげるといった人たちが増えてきた。見る側の中には「不快」と感じる人もいるため、自傷行為の画像を「禁止行為」の中に入れるプロバイダも出てきた。

 今では「生きづらさ」という言葉は説明不要になってきている。90年代後半から00年代前半は、ユーザーの中でも、出版界でも、「生きづらさ」という言葉は使われていなかった。そのため、記事にするたびに、編集者から説明を求められた。私の処女作『アノニマス ネットを匿名で漂う人々』は01年に出された。帯には「生きづらい」という言葉はあるが、書名には使用されなかったくらいだ。

 当時と比べれば、「生きづらさ」は日常の言葉になっている。そして、インターネットは「死にたい」というカミングアウトの場にもなっている。

(渋井 哲也)

話題の書となった1993年刊行の『完全自殺マニュアル』(太田出版)