全国戦没者追悼式に代表者を出席させない日本共産党…今年も民団「光復節」中央記念式典に出席
★全国戦没者追悼式に代表者を出席させない
日本共産党…今年も戦没者に献花をしない
唯一の政党だと話題に
2018-08-16
https://snjpn.net/archives/62951
平成最後の全国戦没者追悼式に
代表者を出席させない日本共産党…
今年も戦没者に献花をしない唯一の政党
民団主催の「光復節」中央記念式典には出席するも
日本人の戦没者追悼式には欠席する日本共産党。
今年は、以前「光復節」式典の方を優先していた
あの福島瑞穂さんでさえ、慣れない献花をしているのに。

白眞勲参議院議員は、毎年こちらに出席。



まあ、共産党ばかり批判できません。
こんな状態だったのですから…
★民主・鳩山氏、戦没者追悼式を欠席
「羽田氏が毎年出席している」
野党各党首いずれも欠席
2009/08/15(土)
https://hideyoshi.5ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1250331786/
鳩山氏は、追悼式の時間帯に
田中真紀子元外相らの入党に関する
会見に臨んだ。
追悼式には 与党の自民、公明両党党首は出席したが、
野党の共産、社民、国民新党の党首は出席していない。
(引用ここまで)
日本共産党が
全国戦没者追悼式に出席しない理由は
天皇皇后両陛下が入場する際に起立して
君が代を歌う事が気に入らないからだそうです。
★全国戦没者追悼式に
党代表が出席しない理由は?
しんぶん赤旗 2008年8月28日(木)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-08-28/ftp20080828faq12_01_0.html
日本共産党は、8月15日におこなわれる
政府主催の「全国戦没者追悼式」の内容が
国民主権にそぐわないものであるため、
欠席しています。
この「追悼式」では、来賓をふくむ参列者全員が
起立して天皇と皇后を迎えます。
1999年からは起立のまま「君が代」が
斉唱されるようになりました。
黙とう後に、全員が起立するなかで、
天皇が「おことば」を述べます。
このような式のあり方は天皇中心の追悼式であって、
国民主権、民主主義の基本に反します。
(引用ここまで)
民主主義ねぇ…
日本人戦没者の中には、戦後シベリア抑留中に
極寒の地の劣悪な環境のもとで、飢えと
奴隷のように強制労働をさせられて亡くなり
祖国に戻れなかった多くの日本人がいます。
共産党の言う民主主義とは…

★『異国の丘』とソ連・日本共産党(第2部)
シベリア抑留問題から見た
逆説の戦後日本共産党史
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/siberia2.htm
日本共産党は、戦前のコミンテルン時代、
「コミンテルン日本支部」という、世界単一革命政党の
1支部であり、コミンテルンを事実上私物化していた
ソ連共産党にたいし、
上意下達の鉄の規律=民主主義的中央集権制下での
従属関係にあった。
シベリア抑留は、
1945年から最長11年間の1956年までの期間である。
上記〔対応・関係1~6〕のように、
その間における日本共産党は、
スターリン・ソ連共産党にたいし、事実上「隷従状態」にあった。
シベリア抑留期間と重なる1945年日本共産党再建から
1955年「六全協」までの10年間、
日本共産党は、「自主独立」どころか、「対等平等」でもなく、
ソ連共産党にたいする「思想的・組織的、および
財政的な隷従的上下関係」にあったのが、歴史の真実である。
(中略)
7、代々木、他での集団入党と
多額の共産党カンパ問題
(中略)
引き揚げ兵たちは彼らの降りるあらゆる駅に
JCP党員が出迎えに来ているのを見た。
党員たちは東京の品川駅で彼らに向かい
「あなた方が長い間シベリアに抑留されていたのは
日本政府が引き揚げ促進のために
何もしなかったからだ。
あなた方が祖国へ帰れたのは、ほかならぬ
われわれ共産党員のおかげなのである」と吹聴した。
東京で下車した引揚者は、公会堂を2日間占拠し、
政府官庁・工場前で渦巻きデモを行ない、
ソ連大使館へ行き、ソ同盟の温情ある抑留に感謝した。
そして、一部は、家にも帰らず、代々木に行って集団入党した。
(中略)
2、共産党カンパ運動とカンパ額の推計、
時価約21億7千万円
(中略)
ナホトカでの「ダモイ」民主主義運動、舞鶴での行動を通じて、
65203人全員が、表向きの日本共産党支持者になっていた。
厚生省援護局は、舞鶴港で、帰還者全員に
「応急支援金」として一人一律1000円を支給した
(『援護五10年史』P.56)。
「帰郷一時金」として、帰郷距離に応じて、
1000円から3000円を支給したのは、
1950年1月からである。(『援護五10年史』P.57)。
33隻のアクチブ・専従者は、
全員に「日本共産党入党」を呼びかけた。
それだけでなく、
「共産党へのカンパ」を半ば強要した。
ある引揚者は次のように証言している。
『東京で100円、
代々木へのカンパとしてとられ、
岡山でも85円とられた。
これが共産党への手切れ金である』
(御田重宝『シベリア抑留』P.280)。
いったい、日本共産党は、33隻65203人から、
どれだけの額のカンパを受け取ったのか。
これについても、日本共産党が公表しないであろうから、
機械的な推計をする。
厚生省は、帰還者にたいし、
「1カ月分俸給」を100円としていた。
1949年末に300円にした(『援護五10年史』P.94)。
物価スライドで「俸給1000円」に引上げたのは、
1951年1月からである。
2002年現在のフルタイマー平均給与を
大学新卒初任給相当の20万円と仮定する。
すると、1949年当時の1円は、
200000÷300=現在時価666円に相当する。
「赤旗梯団」65203人のうち、50%が一人平均で、
1000円の「応急支援金」から、
100円(現在の66600円相当)を、
(1)心からの共産党支援金、または、
(2)共産党との手切れ金として拠出したとする。
65203×50%×100円×666倍=2171259900円
≒現在時価約21億7千万円になる。
当時の雰囲気から見れば、カンパ拠出者の%や、
一人平均カンパ額は、もっと高い可能性もある。
抑留者たちからの21億円のカンパとは、膨大な額である。
しかも、
この21億円の性格をはっきりさせておく必要がある。
それは、ソ連共産党による拉致犯罪被害者としての
抑留者たちから、半ば強制的に収奪し、
ソ連共産党隷従下の「入党者・カンパ受益者」
日本共産党に持ちこまれた、
一種のソ連共産党が合法的に行なった
日本共産党への資金援助だった。
(中略)
2、「徳田要請事件」=
日本共産党の在外同胞引揚妨害問題
(中略)
(1)、抑留者の国会証言内容(管季治遺書HPの解説)
「前年の9月15日、
カラカンダ捕虜収容所第9所にて
政治部将校エルマーラフ上級中尉は抑留者に
こう語ったという。
『いつ諸君が帰れるかは、
諸君自身が真正の民主主義者となった時に、
諸君は帰れるのである。
日本共産党書記長トクダは、
諸君がよい民主主義者となった後に
帰国するように要請している』
『反動は一切帰国させないで、
ソ連強化の為に使ってくれ』と要請した」。
(全文はリンク先で)
★シベリア抑留生活
忘れ難き歳月
http://syuyoujo.roudoku.me/wsg4.html
(引用開始)
吹きすさぶ民主の嵐
昭和22年の春、突然、他の収容所から
浅利と名乗る共産党員がやってきました。
「収容所内における、将校を中心とした
旧体制をひっくり返し、民主的な社会を収容所内に
築こう。お互いに力をあわせ、苦難に耐え
無事に内地の土を踏もう」と
収容所の『開放』を叫びました。
全員集まって彼の話を聞きました。
この収容所の労働の作業能率が
百パーセントを大きく越えてなかったので、
尻をたたくために、
共産党から派遣されて来たのだろうと、
みんな推測しました。
(中略)
ナホトカ港の駅に到着。
ここは日本人送還の基地となっていました。
シベリアの各地の労働で苦み、疲れはてた抑留者が、
内地帰還の喜びに満ちて、つぎつぎと集って来ます。
日本の共産党員でしょうか?
それとも抑留者で、ソ連側から認められた
民主運動のリーダーでしょうか?
ナホトカにようやく辿り着いた我々を、彼らが取り調べます。
討論会をしたり、意見を発表させたり、
思想のチェックのような事をしているのです。
この関門をくぐり抜けないと、
帰還が認められずに、
再びシベリア送りになると脅されました。
(引用ここまで)
★私のシベリア抑留体験記
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-PaloAlto/6296/siberia_f.htm
(引用開始)
上官を問い詰めるなど考えもしなかった兵士たちが、
重労働を終え、兵舎に帰ってくると、
「今日の作業の総括を行う。
サボタージュしたものは出ろ」と
上官たちに向かって不快感をあらわにし始めた。
当時「大衆運動・デモクラ運動」と呼ばれた。
一つのテントで始まった上官への抵抗は、
瞬く間に収容所全てに広がっていった。
与えられた労働をサボタージュするものは、
上官といえども容赦しない。
執拗な自己批判の強要・吊し上げが、毎夜行われ始めた。
平等である事が絶対である、との思いが、
体力の弱いものにも見境を無くして振り向けられる。
時には死に至らしめることもあった。
日本人捕虜として団結し、
ソ連の不当な労働使役命令に皆で抗議しなければ
ならない時であったが、一度、はけ口を見つけた
絶望感は止まることを知らない。
捕虜同士が同胞のサボタージュを
ソ連に密告・売る行為が横行する。
日本兵の間の不和を見抜いたソ連兵たちは、
更に輪をかけてくる。
ソ連の体制に宗旨替えして、
「スターリン元帥万歳!天皇島(日本)上陸」と叫んで、
早期に帰還したものがいる、といった
虚の「方便運動」までがまことしやかに囁かれ始めた。
赤化思想を賞賛し、自ら「デモクラ」運動活動家と称す、
俄仕立てのコミニストたちが出てくる始末だった。
当初の頃は、軍国主義からの解放を目指す
下級兵士の抗議が主で、それなりに正当だと思った。
しかし、毎日の円陣デモ・吊し上げ・謝罪要求・
土下座・暴力的な言動は、
仲間同士の間にいわれのない恐怖心を生み出す
事にしかならない。
零下三十五度での野外作業(ヌラボータ)・ノルマを
課せられ、サボタージュの吊し上げ、仲間同士が罵り合う。
肉体的な苦悩の上に、
さらに精神的な圧迫が加わっただけであった。
以前に増して犠牲者が増える事となった。
(引用ここまで)
★赤化洗脳された日本人
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20090827/1251375728
★「昭和の参謀」瀬島龍三氏
日本兵シベリア売り渡し説の真偽
『NEWSポストセブン』 SAPIO2015年9月号
https://ironna.jp/article/2759
瀬島氏はこの密約説を
「根拠のない虚構」と一蹴したが、
彼を“隠れ共産主義者”と目する向きは少なくなかった。
瀬島氏の帰国後、
警視庁外事課ソ連欧米担当第一係長を務めていた
佐々淳行氏が振り返る。
「瀬島氏は抑留中、
KGBに最後まで屈服しなかった大本営参謀
と評されたが、我々は違う見方をしていた。
帰国後、瀬島氏がソ連大使館員と
神社仏閣などで接触していた事実を
外事課は確認していた」
後に、
「シベリア抑留中の瀬島が
日本人抑留者を前に
『天皇制打倒! 日本共産党万歳!』と
拳を突き上げ絶叫していた」という
ソ連の元対日工作員の証言や
「瀬島らはウランバートルで特殊工作員として
訓練された」とするソ連の元書記官が現れたことも
疑惑を深める一因となった。
(引用ここまで)
★日本共産党のスパイたち
https://ameblo.jp/newliberal/entry-11730787736.html
★志位正二
https://ja.wikipedia.org/wiki/志位正二
★ラストヴォロフ事件と志位和夫
http://www.shuraba.com/?p=diary/20100530
(引用開始)
志位家の人々の経歴はなかなか興味深い。
和夫の祖父・正人は、陸軍士官学校(二十三期)を
卒業した帝国陸軍軍人であり、
陸軍少将まで進んだ後、一九四五年五月に殉職し、
陸軍中将に進級している。
正人の次男・正二も陸士(五十二期)、
陸軍大学校(五十九期)を経て
関東軍の参謀を勤めている。
正人の五男であり和夫の父親である明義も
熊本陸軍幼年学校に入学しており、
いずれも
相当のエリートである(軍人データベース)。
しかし戦後、明義は共産党に入党し、
教員を務めた後、船橋市議会議員として活躍する。
そして長男・和夫は共産党委員長となった。
和夫が共産党に入党したのは
父母の薫陶によるものと思われる。
(引用ここまで)
★シベリア抑留
露に生存者 北海道出身の89歳
毎日新聞 2017年6月5日
https://mainichi.jp/articles/20170605/k00/00m/040/100000c
★シベリア抑留
114人がスパイ罪などで銃殺刑の判決
毎日新聞 2018年4月9日
https://mainichi.jp/articles/20180410/k00/00m/040/110000c

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日本共産党…今年も戦没者に献花をしない
唯一の政党だと話題に
2018-08-16
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平成最後の全国戦没者追悼式に
代表者を出席させない日本共産党…
今年も戦没者に献花をしない唯一の政党
民団主催の「光復節」中央記念式典には出席するも
日本人の戦没者追悼式には欠席する日本共産党。
今年は、以前「光復節」式典の方を優先していた
あの福島瑞穂さんでさえ、慣れない献花をしているのに。
白眞勲参議院議員は、毎年こちらに出席。
まあ、共産党ばかり批判できません。
こんな状態だったのですから…
★民主・鳩山氏、戦没者追悼式を欠席
「羽田氏が毎年出席している」
野党各党首いずれも欠席
2009/08/15(土)
https://hideyoshi.5ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1250331786/
鳩山氏は、追悼式の時間帯に
田中真紀子元外相らの入党に関する
会見に臨んだ。
追悼式には 与党の自民、公明両党党首は出席したが、
野党の共産、社民、国民新党の党首は出席していない。
(引用ここまで)
日本共産党が
全国戦没者追悼式に出席しない理由は
天皇皇后両陛下が入場する際に起立して
君が代を歌う事が気に入らないからだそうです。
★全国戦没者追悼式に
党代表が出席しない理由は?
しんぶん赤旗 2008年8月28日(木)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-08-28/ftp20080828faq12_01_0.html
日本共産党は、8月15日におこなわれる
政府主催の「全国戦没者追悼式」の内容が
国民主権にそぐわないものであるため、
欠席しています。
この「追悼式」では、来賓をふくむ参列者全員が
起立して天皇と皇后を迎えます。
1999年からは起立のまま「君が代」が
斉唱されるようになりました。
黙とう後に、全員が起立するなかで、
天皇が「おことば」を述べます。
このような式のあり方は天皇中心の追悼式であって、
国民主権、民主主義の基本に反します。
(引用ここまで)
民主主義ねぇ…
日本人戦没者の中には、戦後シベリア抑留中に
極寒の地の劣悪な環境のもとで、飢えと
奴隷のように強制労働をさせられて亡くなり
祖国に戻れなかった多くの日本人がいます。
共産党の言う民主主義とは…
★『異国の丘』とソ連・日本共産党(第2部)
シベリア抑留問題から見た
逆説の戦後日本共産党史
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/siberia2.htm
日本共産党は、戦前のコミンテルン時代、
「コミンテルン日本支部」という、世界単一革命政党の
1支部であり、コミンテルンを事実上私物化していた
ソ連共産党にたいし、
上意下達の鉄の規律=民主主義的中央集権制下での
従属関係にあった。
シベリア抑留は、
1945年から最長11年間の1956年までの期間である。
上記〔対応・関係1~6〕のように、
その間における日本共産党は、
スターリン・ソ連共産党にたいし、事実上「隷従状態」にあった。
シベリア抑留期間と重なる1945年日本共産党再建から
1955年「六全協」までの10年間、
日本共産党は、「自主独立」どころか、「対等平等」でもなく、
ソ連共産党にたいする「思想的・組織的、および
財政的な隷従的上下関係」にあったのが、歴史の真実である。
(中略)
7、代々木、他での集団入党と
多額の共産党カンパ問題
(中略)
引き揚げ兵たちは彼らの降りるあらゆる駅に
JCP党員が出迎えに来ているのを見た。
党員たちは東京の品川駅で彼らに向かい
「あなた方が長い間シベリアに抑留されていたのは
日本政府が引き揚げ促進のために
何もしなかったからだ。
あなた方が祖国へ帰れたのは、ほかならぬ
われわれ共産党員のおかげなのである」と吹聴した。
東京で下車した引揚者は、公会堂を2日間占拠し、
政府官庁・工場前で渦巻きデモを行ない、
ソ連大使館へ行き、ソ同盟の温情ある抑留に感謝した。
そして、一部は、家にも帰らず、代々木に行って集団入党した。
(中略)
2、共産党カンパ運動とカンパ額の推計、
時価約21億7千万円
(中略)
ナホトカでの「ダモイ」民主主義運動、舞鶴での行動を通じて、
65203人全員が、表向きの日本共産党支持者になっていた。
厚生省援護局は、舞鶴港で、帰還者全員に
「応急支援金」として一人一律1000円を支給した
(『援護五10年史』P.56)。
「帰郷一時金」として、帰郷距離に応じて、
1000円から3000円を支給したのは、
1950年1月からである。(『援護五10年史』P.57)。
33隻のアクチブ・専従者は、
全員に「日本共産党入党」を呼びかけた。
それだけでなく、
「共産党へのカンパ」を半ば強要した。
ある引揚者は次のように証言している。
『東京で100円、
代々木へのカンパとしてとられ、
岡山でも85円とられた。
これが共産党への手切れ金である』
(御田重宝『シベリア抑留』P.280)。
いったい、日本共産党は、33隻65203人から、
どれだけの額のカンパを受け取ったのか。
これについても、日本共産党が公表しないであろうから、
機械的な推計をする。
厚生省は、帰還者にたいし、
「1カ月分俸給」を100円としていた。
1949年末に300円にした(『援護五10年史』P.94)。
物価スライドで「俸給1000円」に引上げたのは、
1951年1月からである。
2002年現在のフルタイマー平均給与を
大学新卒初任給相当の20万円と仮定する。
すると、1949年当時の1円は、
200000÷300=現在時価666円に相当する。
「赤旗梯団」65203人のうち、50%が一人平均で、
1000円の「応急支援金」から、
100円(現在の66600円相当)を、
(1)心からの共産党支援金、または、
(2)共産党との手切れ金として拠出したとする。
65203×50%×100円×666倍=2171259900円
≒現在時価約21億7千万円になる。
当時の雰囲気から見れば、カンパ拠出者の%や、
一人平均カンパ額は、もっと高い可能性もある。
抑留者たちからの21億円のカンパとは、膨大な額である。
しかも、
この21億円の性格をはっきりさせておく必要がある。
それは、ソ連共産党による拉致犯罪被害者としての
抑留者たちから、半ば強制的に収奪し、
ソ連共産党隷従下の「入党者・カンパ受益者」
日本共産党に持ちこまれた、
一種のソ連共産党が合法的に行なった
日本共産党への資金援助だった。
(中略)
2、「徳田要請事件」=
日本共産党の在外同胞引揚妨害問題
(中略)
(1)、抑留者の国会証言内容(管季治遺書HPの解説)
「前年の9月15日、
カラカンダ捕虜収容所第9所にて
政治部将校エルマーラフ上級中尉は抑留者に
こう語ったという。
『いつ諸君が帰れるかは、
諸君自身が真正の民主主義者となった時に、
諸君は帰れるのである。
日本共産党書記長トクダは、
諸君がよい民主主義者となった後に
帰国するように要請している』
『反動は一切帰国させないで、
ソ連強化の為に使ってくれ』と要請した」。
(全文はリンク先で)
★シベリア抑留生活
忘れ難き歳月
http://syuyoujo.roudoku.me/wsg4.html
(引用開始)
吹きすさぶ民主の嵐
昭和22年の春、突然、他の収容所から
浅利と名乗る共産党員がやってきました。
「収容所内における、将校を中心とした
旧体制をひっくり返し、民主的な社会を収容所内に
築こう。お互いに力をあわせ、苦難に耐え
無事に内地の土を踏もう」と
収容所の『開放』を叫びました。
全員集まって彼の話を聞きました。
この収容所の労働の作業能率が
百パーセントを大きく越えてなかったので、
尻をたたくために、
共産党から派遣されて来たのだろうと、
みんな推測しました。
(中略)
ナホトカ港の駅に到着。
ここは日本人送還の基地となっていました。
シベリアの各地の労働で苦み、疲れはてた抑留者が、
内地帰還の喜びに満ちて、つぎつぎと集って来ます。
日本の共産党員でしょうか?
それとも抑留者で、ソ連側から認められた
民主運動のリーダーでしょうか?
ナホトカにようやく辿り着いた我々を、彼らが取り調べます。
討論会をしたり、意見を発表させたり、
思想のチェックのような事をしているのです。
この関門をくぐり抜けないと、
帰還が認められずに、
再びシベリア送りになると脅されました。
(引用ここまで)
★私のシベリア抑留体験記
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-PaloAlto/6296/siberia_f.htm
(引用開始)
上官を問い詰めるなど考えもしなかった兵士たちが、
重労働を終え、兵舎に帰ってくると、
「今日の作業の総括を行う。
サボタージュしたものは出ろ」と
上官たちに向かって不快感をあらわにし始めた。
当時「大衆運動・デモクラ運動」と呼ばれた。
一つのテントで始まった上官への抵抗は、
瞬く間に収容所全てに広がっていった。
与えられた労働をサボタージュするものは、
上官といえども容赦しない。
執拗な自己批判の強要・吊し上げが、毎夜行われ始めた。
平等である事が絶対である、との思いが、
体力の弱いものにも見境を無くして振り向けられる。
時には死に至らしめることもあった。
日本人捕虜として団結し、
ソ連の不当な労働使役命令に皆で抗議しなければ
ならない時であったが、一度、はけ口を見つけた
絶望感は止まることを知らない。
捕虜同士が同胞のサボタージュを
ソ連に密告・売る行為が横行する。
日本兵の間の不和を見抜いたソ連兵たちは、
更に輪をかけてくる。
ソ連の体制に宗旨替えして、
「スターリン元帥万歳!天皇島(日本)上陸」と叫んで、
早期に帰還したものがいる、といった
虚の「方便運動」までがまことしやかに囁かれ始めた。
赤化思想を賞賛し、自ら「デモクラ」運動活動家と称す、
俄仕立てのコミニストたちが出てくる始末だった。
当初の頃は、軍国主義からの解放を目指す
下級兵士の抗議が主で、それなりに正当だと思った。
しかし、毎日の円陣デモ・吊し上げ・謝罪要求・
土下座・暴力的な言動は、
仲間同士の間にいわれのない恐怖心を生み出す
事にしかならない。
零下三十五度での野外作業(ヌラボータ)・ノルマを
課せられ、サボタージュの吊し上げ、仲間同士が罵り合う。
肉体的な苦悩の上に、
さらに精神的な圧迫が加わっただけであった。
以前に増して犠牲者が増える事となった。
(引用ここまで)
★赤化洗脳された日本人
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20090827/1251375728
★「昭和の参謀」瀬島龍三氏
日本兵シベリア売り渡し説の真偽
『NEWSポストセブン』 SAPIO2015年9月号
https://ironna.jp/article/2759
瀬島氏はこの密約説を
「根拠のない虚構」と一蹴したが、
彼を“隠れ共産主義者”と目する向きは少なくなかった。
瀬島氏の帰国後、
警視庁外事課ソ連欧米担当第一係長を務めていた
佐々淳行氏が振り返る。
「瀬島氏は抑留中、
KGBに最後まで屈服しなかった大本営参謀
と評されたが、我々は違う見方をしていた。
帰国後、瀬島氏がソ連大使館員と
神社仏閣などで接触していた事実を
外事課は確認していた」
後に、
「シベリア抑留中の瀬島が
日本人抑留者を前に
『天皇制打倒! 日本共産党万歳!』と
拳を突き上げ絶叫していた」という
ソ連の元対日工作員の証言や
「瀬島らはウランバートルで特殊工作員として
訓練された」とするソ連の元書記官が現れたことも
疑惑を深める一因となった。
(引用ここまで)
★日本共産党のスパイたち
https://ameblo.jp/newliberal/entry-11730787736.html
★志位正二
https://ja.wikipedia.org/wiki/志位正二
★ラストヴォロフ事件と志位和夫
http://www.shuraba.com/?p=diary/20100530
(引用開始)
志位家の人々の経歴はなかなか興味深い。
和夫の祖父・正人は、陸軍士官学校(二十三期)を
卒業した帝国陸軍軍人であり、
陸軍少将まで進んだ後、一九四五年五月に殉職し、
陸軍中将に進級している。
正人の次男・正二も陸士(五十二期)、
陸軍大学校(五十九期)を経て
関東軍の参謀を勤めている。
正人の五男であり和夫の父親である明義も
熊本陸軍幼年学校に入学しており、
いずれも
相当のエリートである(軍人データベース)。
しかし戦後、明義は共産党に入党し、
教員を務めた後、船橋市議会議員として活躍する。
そして長男・和夫は共産党委員長となった。
和夫が共産党に入党したのは
父母の薫陶によるものと思われる。
(引用ここまで)
★シベリア抑留
露に生存者 北海道出身の89歳
毎日新聞 2017年6月5日
https://mainichi.jp/articles/20170605/k00/00m/040/100000c
★シベリア抑留
114人がスパイ罪などで銃殺刑の判決
毎日新聞 2018年4月9日
https://mainichi.jp/articles/20180410/k00/00m/040/110000c
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