藤本理稀ちゃんを発見した場面を振り返る尾畠春夫さん=16日、日出町川崎 山口県周防大島町で行方不明になっていた藤本理稀(よしき)ちゃん(2)を見つけた尾畠(おばた)春夫さん(78)が16日、日出町川崎の自宅に戻り、大分合同新聞の取材に応じた。赤いねじり鉢巻きに、汚れが付いたままのTシャツは幼い命を助けようと尽力した証しだ。捜索開始から30分ほどで発見した場面を「天が引き合わせてくれた。本当にうれしい」と振り返った。 ―なぜ捜索に加わったのか。 「65歳まで別府市で鮮魚店を営んでいた。いろんな人に世話になり、世間に恩返しをしようと、各地でボランティアを始めた。今回も『少しでも役に立てるなら』と考えた。この世で最も重い、人の命を助けたかった」 ―真っ先に裏山の上を捜した。 「2016年に佐伯市で2歳(当時)の女児が行方不明になり、その捜索に参加した経験が生きた。女児は斜面の中腹で見つかったことから、小さい子どもは上に登っていくのではと考えた。理稀ちゃんがいた場所の周辺は草が踏み荒らされておらず、人が歩いたような形跡はなかったが、信じて登り続けた」 ―見つけた時、理稀ちゃんの反応は。 「じっと動かず座っていた。一瞬、地蔵かと思った。理稀ちゃんと分かり、頭が真っ白になった。渡したあめを勢いよくかみ砕いて食べ始めたので『この子は生きるな』と安心した」 ―家族に引き渡した際の心境は。 「母親が真っ青な顔で『よし、よし』と叫びながら近寄ってきた。安心させるため、すぐに顔を見せて抱いてもらった。周防大島町に到着した14日にご家族と会い、見つけたら必ず直接引き渡すと約束していた。守ることができて良かった」 ―理稀ちゃんにどんな言葉を掛けてあげたいか。 「おいしいご飯を食べ、早く元気になり退院してほしい。いつかどこかで再会したとき、健やかに育っていてくれればうれしい」 尾畠春夫さんは、これまで全国で被災地支援や行方不明者の捜索に参加してきた。一緒に活動したことがある人からは16日、「さすが尾畠さんだ」との声が相次いだ。 尾畠さんは2016年の熊本・大分地震や今年7月の西日本豪雨など、多くの災害でボランティアとして被災地に足を運んだ。 11年3月には、東日本大震災で被害を受けた宮城県南三陸町を訪れ、がれきの中に埋もれた思い出の写真などを拾い集める「思い出探し隊」の隊長に。ベテランとして、他の参加者らから「師匠」と呼ばれ慕われた。 「いつも笑っていて、元気をもらうような存在。ニュースを見てびっくりした。やっぱりあの尾畠さん、すごいなと思った」と話すのは、ボランティアセンターの立ち上げに関わった南三陸町社会福祉協議会の三浦真悦さん(53)。捜索前に家族に伝えた通り、理稀ちゃんを家族に直接引き渡したと聞いて「約束を守るのが尾畠さんらしいな」と感じたという。 理稀ちゃんは16日、起き上がって話すなど元気な様子で、1週間程度で退院できる見込みだという。 <メモ> 山口県周防大島町で12日午前、母親と帰省中だった同県防府市の藤本理稀ちゃんが曽祖父宅に歩いて戻る途中、行方不明になった。約400メートル離れた海岸に祖父(66)、兄(3)と3人で出発したが、1人で引き返したという。警察や消防などが100人以上の態勢で捜索。尾畠春夫さんは大分合同新聞などの報道で理稀ちゃんの安否を注視し、14日に日出町の自宅を出発。15日午前6時ごろから捜索ボランティアとして曽祖父宅の裏山に入った。理稀ちゃんは約68時間ぶりに保護され、健康状態に問題はなかった。