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2018-08-16

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・二日間、ずうっと家にいた。
 昨日の夕食にタクシーで出かけたけれど、
 それ以外は、まったく家から出なかった。
 事情があって閉じ込められている人は、
 外に出たいなぁと思うのだろうけれど、
 いまのぼくは、じぶんの勝手で外に出ないだけだ。
 なんだか、こういうことをしようと思って、
 今年の夏は、京都に来ているような気もする。

・よく、じぶんの頭で考えなきゃダメだと言われる。
 それについては、ぼくもまったく大賛成だ。
 知識の量だとか、語彙の豊富さだとかに関係なく、
 じぶんの頭で考えたことというものには、力がある。
 幼いこどもの必死の言いわけなんかが
 説得力を持つのも、じぶんの頭で考えたものだからだ。
 大人で、いかにもたくさんものを知ってるような人の、
 じぶんの頭で考えたと思えないご意見などについては、
 これがまったく心にも響かないし、
 その人ともっと話そうという気にもなれない。
 そう言ってるおまえはどうなのだ、とつっこまれたら、
 「どっちの場合もあるけどねー」と答えようかな。

 じぶんの頭で考えてないなということは、
 けっこう他人にもバレてしまうものだ。
 どうしてそうなるかと言えば、おそらくだけれど、
 「考えているべき時間を惜しんで、
 手早く答えのようなものを探してしまうから」だ。
 考えるということは、右往左往したり停滞したりの
 あんまり利口そうじゃない時間を費やすものだ。
 そこを避けて、だれかの言った正解っぽいものを、
 すっと借りてじぶんの口から言ってしまうと、
 じぶんの頭はけっきょく、選ぶことに使うだけになる。
 そういう人どうしが集まったら、
 さらにその傾向は強まるのだろうとも思う。

 なにも「ことば」を得られない場所にいさせられたら、
 人は、じぶんの頭で考えざるを得なくなって、
 ほんとうに考えるということをはじめるのではないか。
 だれでも、一度、そこからスタートしたほうがいい
 …のかもしれないと考えたりしている。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
世の中には、考えないままで強く言ってることが多いよね。


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