特に『薄暮』で実践しているが、とんでもないダメなカットにぶち当たると、まず寝かせる。
机に置いて何時間も唸ったりしない。
こうして「不良債権」なカットが溜まっていくのだが、忘れている訳ではない。
「イメージ」として記憶しているのだ。
高畑さんや宮﨑さんは机に向かって何時間も何日も1カットをごにょごにょ試行錯誤するらしいのだが、僕はしない。
その絵の酷さに苛立つばかりで、マトモな答えが出せなくなるのだ。
もちろん限りある時間の中で最低限の修正を加えて「流す」方法は、長年の経験で知っている。
しかし、『薄暮』でそれをやったら、今度こそ監督人生終わりだろう。
と、言いながらもこないだそれをやりかけて、慌ててカットを戻したのだが。
師匠に散々言われ続けた「イメージ」することの大切さ。
僕はここで応用する。
まずい絵を何時間、いや小一時間も見ていると、どうしてもそれに引っ張られてしまう。
「もういいや」と諦めてしまうこともある。
こうなってしまっては「作業」だ。手癖で最低限の修正だけして、流してしまう。
ならばそれを一旦、脳にインプットして、「イメージ」として記憶するのだ。
それは日常生活を送っていても、必ず頭の片隅に残る。
まぁまずは嫌な記憶だが。
それが段々熟成するように、自分の本来求めていた「答え」に差し替わる。
その時がチャンスだ。急いでそのカットを取り出し、修正する。
昔から時間のある時はこうやる。
どうしてカットに手を付けないのだろう?と良く言われるのだが、手を付けてないのではない。
脳内で差し替えの作業をしているのだ。
僕は机でカットとにらめっこするのが仕事だとは思っていない。
最適解を出すには、いろんな方法があるのだ。