王の二つの身体 作:Menschsein
<< 前の話 次の話 >>
集まったメンバーが聞きなれた言葉であった。それは、人類防衛軍と名乗ったテロリストが言っていたことだ。政府を牛耳っている大企業群。彼らが密かに計画を進めていたもの。
集まったメンバーは、自然と居酒屋の椅子を、死獣天朱雀の座っているソファーの近くに集めて座る。ゼミの講義のような形式となる。
「前世紀の量子物理学の発展は目覚ましいものであった。あると予言されていたヒッグス粒子が、2012年に、人類は観測に成功した。重力波も、2016年には観測に成功している。めざましい発展だ。しかし、神話の時代からあるとされているモノが未だに量子物理学で観測されてはおらんのじゃ。それがなんだか分かるか?」
「魂だろ?」とウルベルト・アレイン・オードルが言う。
「その通りじゃ。心のことをハートと呼ぶように、昔は心臓にその魂があると考えられていた。だが、脳科学の進歩に伴って、人間の魂は、脳に宿ると考えられた。魂とは存在せず、単なる脳の電気信号であるということさえ言われた。だが、それでは
「申し訳ないが……結論だけを言ってもらえないでしょうか?」
「黙れ、弟。少しは辛抱というものを学べ。すみません、死獣天朱雀さん続けてください」
ゴホン、と死獣天朱雀は咳払いをして話を続ける。
「我々量子学者は、魂の観測は不可能であるという結論に達した。魂に単する学問的な探究は終わった。しかし、どうやら魂というものは存在はしているらしい。『らしい』などという曖昧なものでも、政治利用はされるものじゃ。そして、
「え? いま、なんて言ったの?」
「黙れ、弟」
「姉ちゃんは分かったのかよ?」
「とりあえず黙れ」と彼女は有無を言わせない。もちろん彼女にも分からなかった。というか、もう既に話についていけていない。ただ、椅子に座っているだけ感が否めない。
「『健全なる精神は健全なる身体に宿る』とよく訳されますね。そして、身体が健全であれば、精神もそれに伴って健全となるという意味でよく使われるのですが、本来はそれは誤用です。ユウェナリスがこれを書いた趣旨と言うのはですね……」とタブラ・スマラグディナが補足する。
「……あの、タブラさん……」と彼女は、タブラさんの薀蓄を早めにストップした。死獣天朱雀さんも、ギルド最年長者の貫録というか、とりあえず話が長い。それにタブラさんの薀蓄も加わってしまったら収拾が付かなくなってしまう。
やまいこさんが、彼女に向かって親指を立てて「Good Job」と小声で褒めてくれた。
死獣天朱雀さんは説明を続ける。
「つまり、魂は、アバタ―にも宿りえる。そして、
「生身の体を殺したら、
「今までは不可能とされていた。しかし、それを可能とする展望が開いたのか……もしくは既に開発されたのか……。これは状況証拠でしかないが、人類防衛軍なる者たちが強硬手段に出始めたのは、
「それとユグドラシルがなんの関係があるのですか?」
「それは、日本でも、先ほどの映像のような実験を進めるということが決まったということだろうな。サービス終了のユグドラシルの仮想現実。それに、味覚、嗅覚、そして制限されていた触覚のデータを補完してやれば、実験できる環境は整う。長く遊ばれてきたタイトルであるという実績もあり、また自由度が高いゲームであるから、実験に適していたのじゃろうな」
「その実験にモモンガさんは巻き込まれたということか。そして、実験が続けられる限りモモンガさんは目覚めることはない。むしろ、モモンガさんの肉体が消される可能性がある……」と
「おい、たっち・みー。前に俺は聞いたよな。『対応が早すぎる。まるでこのことを予期していたみたいだ』って。もしかして、本当にこのこと知ってたのか?」とウルベルト・アレイン・オードルは立ち上がり、たっち・みーを睨みつける。
「そんなはずないでしょ。ウルベルトさん。酔っぱらって人に絡むのは良くないですよ」
「酔ってねぇよ」
「じゃあ、一体なんなんですか? 死獣天朱雀さんがおっしゃっているような実験が日本で行われていたとしたら、それは犯罪です。誘拐罪に、殺人未遂です。むしろ、立件して、実験の止めに入っていますよ!」
「じゃあ、実験止めてみせろよ、警察官」
「おいおい。とりあえず、お前ら座れ」と、睨みあうウルベルトとたっち・みーを武人建御雷は無理やり椅子に座らせる。
「とりあえずお前ら、これでも食って仲直りしろ」と、冷めきったマルゲリータに
「殺人か……。人を殺して、殺人じゃ。しかし、肝心の人間とはなんじゃろうな。20世紀の歴史学者であるカントーロヴィチは、その著書『王の二つの身体』によって、自然的身体とは独立して存在するように見える王の政治的身体を論じ、そして王とはいかなる存在であったのかを論じた。我々もまた、今、再度問わねばならない。魂を失った生身の体が、果たして人間であるのか。そしてまた、魂を得たアバタ―は、人間であるのかと」
「ちょ、ちょっと待ってください。話が飛躍し過ぎではありませんか? 死獣天朱雀さん。私たちは哲学的な議論を交わしたいわけではありませんよ」とぷにっと萌えが口を開く。
ぷにっと萌えさんの言うとおりであると彼女は思った。心配なのはモモンガさんの事である。
「ぷにっと萌え君。これは哲学の話ではないのじゃよ。極めて差し迫った決断の時なのだよ。この世界の、現実の肉体で生き続けたいかという話になるのじゃ。アバタ―に魂が定着するのであれば、定期的にログアウトする必要もなくなる。こんな汚れきった世界で、働く必要もない。好きなアバタ―で生活し、美男美女どころか、鳥にも魚にも、そして異形種になることも可能。人間ではできないようなことだってできる。老いて死ぬ心配もない。それが技術的に可能になったら、お主らどうする?」と死獣天朱雀は全員の顔を見回し、そして尋ねる。
「いやぁ、私は仮想現実の世界で生きたいですね。そんな理想郷があるのなら、ブラック企業の社畜なんて、さっさと辞めたいですよ。仕事十九時間、通勤二時間、睡眠三時間、休みの日は数ヶ月に一度。そんな生活なんて、体が壊れますよ。もう、所々にガタが来てますし」とヘロヘロが言った。
確かに、ヘロヘロさんの頭髪は真っ白だった。それに、年齢から考えれば老けている。もう初老に差し掛かったような外見である。実年齢より二十歳は歳を取っているように見えた。
「肉体から解放されて、仮想現実への世界へ移住する希望者は多いじゃろうな。
「なるほど……。ですが、仮想現実に移住したとしたら……単なるデータとしての存在になるということですよね? 魂を有したアバターであるから、人権を有するなんて説明があったとしても、それが守られる保障なんてありませんよね? そして、それが守られなかった時に、抵抗する術がすでに無い。狡猾ですね」とぷにっと萌えが、考え込むように言った。
「あの……ボク、話がよく見えないのだけど……」
「つまりじゃ。この
「教育の場を奪う」とウルベルトが言う。
「その通り。だが、それだけでは不十分であると、欧州アーコロジー戦争で悟ったのじゃろう。さて、教育の場を奪う。その次の手は?」と問いかけるように死獣天朱雀は言う。
「分かった。次の手かはどうかは知らないが、究極の手段は、反逆しそうな奴らを皆殺しにすること。その一歩手前の手段、それは、被支配者層の肉体を奪うことだ。武器を持つことも、肉体が無きゃできっこない。デモをしようが、反乱を起こそうが、それは仮想空間上でのこととなる。銃弾が飛び交う中を、刀を握りしめて敵へと突進してく侍よりも無情だ」と武人建御雷が言った。
「なるほど……。魂を失った生身の体が、果たして人間であるのか。そしてまた、魂を得たアバタ―は、人間であるのか。その問いの意味が分かりました。学問的な根拠など不要。魂を有しているアバターこそに人権がある、と定義してしまえば、魂のない肉体はただの肉塊。極めて民主的にそれを処分できるということですね。理想の仮想現実への移住というスローガンのもとに」とぷにっと萌えが口を開く。
「環境問題、食料問題の観点からも政府の政策は説明できる。この地球で、今の人類の人口を養うのは環境負荷が大きすぎる。食料を生産するのだって、いつまで持続できるか分からない状況だ。そのような中で、多くの人間を仮想空間へと移住させれば、必要になるのは電力だけ。人間一人が生きるエネルギー量が格段に減る。悪魔の所業だがな」とブループラネットさんが腕を組みながら言う。
「ですが、それは悪にしてはあまりに陳腐ですね」とウルベルトが口を開いた。
重苦しい雰囲気が立ちこめていた。