王の二つの身体   作:Menschsein
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Naturarum Divisus 8

「あなたは、外の世界で幸せになりなさい。そして、生きなさい。私のことなど早く忘れて。私のことなど覚えていてもいいことはないでしょうから」

 

「いいことってなんですか?」

 言葉に含まれた強い意志。共演している声優たちがぐっと息を飲む。キャラクターが身に纏う切実さがスタジオ内に空気となって滞留しているようだ。

 収録スタジオの外で録音状況をチェックしている監督や音響なども、思わずその声で一瞬手を止めてしまう。彼女のマネージャーであるダイゴロウなど、両手を祈るようにしてガラスの向こうの彼女を見つめている。

 『いいことってなんですか?』。たった11文字の言葉。だがそこには言い尽くせないような多くの感情が混在し、その言葉の中で脈打っているのを感じていた。

 

 執事役の声優も、思わず一瞬、次は自分の台詞であるということを忘れてしまうところであった。

 

「……外の世界で幸せになれと言っています」

 

「私の幸せは、あなたと一緒のところにあります。ですから……早く目を覚まして下さい……」

 

 彼女が言った台詞。台本とは違う台詞だ。台本の台詞では、最後は『ですから連れて行ってください』だ。だが、彼女の台詞に全員が飲み込まれている。監督でさえ、完全なNGだと分かりきっているのに、NGを出せないでいる。

 

「……ちょっとした出来事に幸せを感じているようですが、地獄で心が麻痺してしまっただけです」

 共演者も、台詞が繋がらないことは理解している。だが、NGが出ない以上、続けざるをえない。

 

「……あ? 私、台詞間違えました? ごめんなさい」

 ふっと彼女が身に纏う気配が柔らかくなる。スタジオの中の緊張感が解れた。スタジオの中にいた共演者も、隣の部屋で作業をしていたスタッフ全員が大きく深呼吸をして肺に酸素を入れる。暗い海の中からやっと顔を出したような、今まで呼吸が出来なかった人達のようだ。息をすることを忘れるほど、彼女の演技に飲み込まれていたのだ。

 

「珍しいね、NG出すの」と共演者が明るい声で彼女に話しかける。

 

「うん。ごめん……。なんでだろう……全然台詞違うし……」

 

「まぁ、ドンマイ、ドンマイ」

 

 収録は再開し、恙なく予定を消化した。

 

 

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 第四東京アーコロジー某所。アインズ・ウール・ゴウンのオフ会が開かれていた。普段は忙しくて集まれないメンバーたちであったが、テロによる厳戒態勢により逆に時間ができるという皮肉な結果であった。

 

 彼女であれば、不特定多数の人間が集まるイベントは一律に集会許可が取り消され、実施できなくなった。

 ホワイトブリムは、連載している月刊誌の検閲が厳しくなり、発行許可がなかなか下りなくなってしまったので、しばらくは隔月刊とならざるを得ない状況だ。

 ブループラネットは、豊かな緑を取り戻すためのNPO法人が、反体制の恐れありということで活動禁止されてしまった。

 やまいこも、放課後の部活動などが禁止されて、学生は即刻帰宅ということになったため、部活の顧問で拘束される時間がなくなり、次の日の授業の準備などを深夜にやる必要がなくなった。

 人と物と情報。これに大幅な制限が加わった結果、経済活動が急速に縮小。ブラック企業に勤めていたヘロヘロは、奇跡の定時退社をするほどであった。

 オフ会に集まったアインズ・ウール・ゴウンのメンバー。

 そんな中で、当然話題になるのは、モモンガのこと。そして、この事件を引き起こした人類防衛軍というテロリストたちについてだ。

 

「モモンガさん、早く目覚めるといいですね」とペロロンチーノがアラビアータを食べながら言う。

 

「そうだな」と誰もがペロロンチーノの発言に同意するなか、悲観的な発言をする人物がいた。それは、死獣天朱雀であった。

 

「ほぼ間違い無く、このままだとモモンガさんは目覚めることはないじゃろうな」

 

 集まった全員がその言葉を聞いて沈黙する。ギルドの最年長者としての威厳もある。また、現実で大学教授をやっており、学者肌であることも知っている。論理的な裏付けが存在しないことを決して発言したりはしない。

 

 死獣天朱雀は、全員の顔を見回してから言葉を紡ぐ。量子物理学という九十九パーセントの学生が理解不能で、寝てしまう授業で、長年教鞭も取ってきただけあって、学生を眠らせない、興味を引く話の間を心得ている。学級崩壊をしばしば発生させてしまうやまいことは年季が違っていた。

 

「ヨーロッパのアーコロジーに学会発表に行ってきた時なのだがな、研究仲間から手渡しされた映像データがあっての。奇妙な映像データであったが、ユグドラシルの事件でこの映像の正体がわかったのだ」と言って、自分のスマクロを机の上に置き、その映像を全員が見れるようにフォログラフィー化させた。

 

 その映像は、トウモロコシのような建物が幾つも映っている映像であった。まず、死獣天朱雀は映像を拡大した。トウモロコシの粒であるように見えたが、それを拡大させると、それは透明なカプセル状になっており、人が寝るように入っていた。遠くから撮影しているので、トウモロコシに見えるが、実はそのトウモロコシの一粒一粒が全てカプセル状で、その中に人が入っている。ヨーロッパで撮影された映像であるのは間違いがないようで、ブロンドの髪の人間が多い。

 それにしても、この建物は巨大だ。しかもそれが映像に映し出されているだけも数十基はある。

 

「なんだこの建物? 一本の支柱に棺桶がくっついているみたいだな。趣味の悪いデザインだぜ」と武人建御雷が焼酎お湯割りを飲みながら言う。

 

「ちょっと待て。このカプセル全部、コンソールではないですかね? ヘルメット型のデータロガーを付けていないところが違和感がありますが」

 

「その通りじゃ」

 

「ということは、これは超大型のネット・カフェってこと?」

 

「弟、黙れ……」

 

 確かに、ネット・カフェである可能性はある。コンソールを購入できない所得層も多く存在する。そんな人達は、ネット・カフェで娯楽を楽しむ。だが、話の流れからそれはないだろう弟よ、と思わず彼女は突っ込んでしまった。

 

「それは、映像の続きを見れば分かることじゃ」

 死獣天朱雀はコニャックのオンザロックをグイッと飲み干す。

 

 映像は流れ続ける……。だが、まったく代わり映えしない映像が続いている。恐らく固定カメラか何かで撮影をされたものなのであろう。映像の動きが全くない。動きがあるのは、映像の右下に表示されている数字だけだ。その数字は、録画時間を示しているものだった。

 

 二分ほど全員がその映像に注視したところであろうか。

 

「この映像……つまらぬ」と弐式炎雷が、部屋の隅っこの机の下から言う。どうやら死獣天朱雀の映像を見るためにわざわざ、自作の光学迷彩を脱いで、机の下に潜伏先を変更したのであろう。

 

「私も、この映像を見たときはそう思った。渡すデータを間違ったのだと思った。いままでこのデータを消去しなかったのが奇跡じゃ。では、これから一日を一秒で見れるように超高速再生するぞ?」

 映像の右下の数字が瞬きのように動き出す。だが、それ以外の部分では画像のブレなどはない。映像の明るさが一定であることを考えると、どこかの地下なのであろう。

 

 だが、この映像を見せられたら、誰だって分かる。

 

「ねぇ、このカプセルにいる人、ログアウトしてるのかな?」

 

「していない」と死獣天朱雀は言い切る。

 

「それは、電脳法で誘拐罪に当たりますよ」と、ぷにっと萌えが指摘する。ぷにっと萌えの指摘通りだ。電脳法の規制で、連続ログイン時間の制限が加えられている。

 だが、この映像では右下の数値が正しいのであれば、九十日以上ログインを続けていることになる。完全に違法だ。

 

「だが、この行為は罰せられることはない。なぜならこれは政府が行っている実験だからだ。箱舟計画(プラン・ノア)の第一ステップじゃ」








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