終戦の日、1945年8月15日。
朝日、毎日、読売、日経、産経の5紙はこの日をどのように報道したのか。すべて同じと思いきや、比較すると意外にもその差異が浮かび上がってくる。
まずは、朝日新聞からみてみよう。
この日の朝日は、とにかく泣きまくる。社説も「一億相哭(そうこく)の秋(とき)」。「相哭」は「みんなで泣く」という意味だ。その名のとおり、天皇も、臣民も、涙、涙の様相である。
「誰か涙なきを得るものぞ」「言々句々、御血涙の結晶」「この度の大詔を拝しては、必ずや哭(な)かずにゐられないであらう」「相懐いて哭するの情に堪へない」「君国の直面する新事態について同胞相哭」。
2面の記事もタイトルで泣いている。「玉砂利を握りしめつゝ宮城を拝したゞ涙」。しかも、その内容は社説よりすさまじい。
書いた記者は、正午の玉音放送にあわせて、宮城(皇居)前広場に取材に赴いた。そして終戦の知らせに、膝を屈して激しく涙した。
「私は泣いた。声をあげて泣いた。しやくり上げ、突き上げて来る悲しみに唇をかみ得ず、激しく泣いた」「拭ふべき涙ではない。抑へるべき嗚咽ではない。泣けるまで泣け。涙ある限り涙を流せ」
そして玉砂利を握りしめ、「天皇陛下……」と叫び、「おゆるし……」とまでいって絶句。と思ったら、今度は立ち上がって「皆さん……」と周囲に呼びかけ、「天皇陛下に申し訳ありません……」と叫んだ。そして最後には涙とともに「やりませう」と大きな声で叫んだという。
朝日の社史によれば、この記者は、帰社後も感激のあまり筆が取りにくい状態であったらしい。ここまで感情がほとばしった記事は、他紙にはない。ある意味、貴重な証言である。
ちなみに8月15日の新聞は、玉音放送に合わせるため、午後に印刷・配達された。そのため、このように生々しいレポートが掲載できたのだった。