かつてタイにサパーンレックと呼ばれる、非合法のビデオゲームコピー市場として名高い場所があった。運河の上に市場が形成されていたというロケーションも含め、まさに闇市場としての禍々しいイメージを想起させた場所だ。現在はタイ政府によって一掃されてしまったという。

こう書いているが、筆者も結局のところ文献でのみ知っているにすぎない。だが国内にて無秩序で、禍々しく得体のしれない磁場を持つ場所にビデオゲームの取材として訪れたとき、真っ先に思い出したのはその逸話だった。

それは「現代美術ヤミ市」というイベントだ。7月21日~22日にかけて開催された。主催はカオス*ラウンジの黒瀬陽平氏。「ゲンロン8 ゲームの時代」にて賛否が分かれた座談会などでご存知の方も多いだろう。

「日本には現代美術のマーケットが無い、と言われる。」という問題を語り、「そもそも現代美術は、ゴミのようなものを芸術にする力を持っている。 それは錬金術のようでもあり、詐欺のようでもある」、「かつてゴミかもしれなかったそれらが、まさに現代美術に変わったその瞬間に、私たちはまだ立ち会っていない」というコンセプトを公式サイトにて記している。

国内でも現代美術展は数多く行われているが、それがいかにして今日の評価を獲得するに至ったのか? という土壌やコミュニティがないことを指している。たとえばエンターテインメントにおけるスターはいつどこで、スターに成り上がったのか? その過程を作る土壌としての、現代美術市場が国内にはないのだろう。スターとして名を上げたものだけが日本に来るような構図であり、そうなる以前に生活保護を受けながら場末で活動しているような部分については影も形もない、ということかもしれない。

 
今年リリースされた仏教の世界観を押し出した『摩尼遊戯TOKOYO』。シューティングゲームにおいて『Mother』シリーズや『Undertale』的なアプローチをしているといってもいい、ピクセルアートと各ステージごとの確かなテーマを持った演出が見ものだ。

さて、なぜ筆者がこのイベントを取材したのかというと、アート作品だけではなく、いくつかのビデオゲームも展示されていたからだ。そこには今年リリースされた野心的なシューティングゲーム『摩尼遊戯TOKOYO』のリミックス『輪廻MIX』の展示である。

なぜ本作が現代美術イベントに展示されているかというと、制作したスタジオ常世代表・たかくらかずき氏の多岐に渡る活動にアーティストとしての活動があり、以前からカオス*ラウンジ主催のイベントで展示していたことからだ。

今回のリミックスで特筆すべきは、ビデオゲームデザイナーではない、たかくら氏と交流のあるアーティストやアニメーション作家にシューティングのステージをリミックスするという、あまり例のない試みだ。そのコンセプトについてのお話をうかがう予定だった。ところが本イベントの持つオーラの中で、そのコンセプトの解釈ごと別の意味に変貌してしまう。

それはどういったオーラだったのか? 現在美術イベントと耳にすれば、六本木の森美術館あたりを想起するような、ともすれば”おしゃれな”スポットを想像するかもしれない。ところが「現代美術ヤミ市」はすでに名の売れたスターが武道館でライブを行うような華やかなものではない。そう、スターがスターになる以前、場末や路上で誰が聞くでもない音楽を演奏しているかのようなオーラだ。

紐を引っ張ると美術作品を一本釣りできるというブース

なにせ会場は大田区の京浜島、外界からおおよそ隔離された気配すらある工業地帯の一角で開催されている。周辺にはコンビニの店舗さえなく、道路を移動式販売型のセブンイレブンのワゴンがゆっくりと走っている。会場となる場所には壁にグラフィティが描かれていた。

会場内は蒸し暑い。かつて工場の一角であっただろう場所はけっして広くない。数多くの作家の展示と客とが密集し、温度を上げている。空調は意味をなさない。作品はこんな感じだ、古書やガラクタがそのまま展示され「ご自由にどうぞ」と張り紙が張られたもの、膨大な糸があり引っ張ると作品を釣り上げることができるもの、ヒッピーみたいなグループのインスタレーション。

 
ガラクタや古書を自由に持って行っていいというインスタレーション

そこにあるのはコンセプト通り「現代美術としての確かな評価」以前の混沌した作品群だ。いや、逆にいつから現代美術を”おしゃれな”、知性的なものだと思い込んでいたのか。その原点は禍々しい何かであるはずだ。工業地帯で行われているロケーションにて「ヤミ市」と名乗ることも相まり、そこは合法的に非合法地帯を想起させるものだった。

『摩尼遊戯TOKOYO』輪廻MIXはゲーム画面をプロジェクターに投影した形で試遊できた。

筆者がサパーンレックの逸話を想起するのに決定的となったのは、まさしく『摩尼遊戯TOKOYO』輪廻MIXをはじめ、いくつかのビデオゲームの展示も行われていたことだ。ガラクタやマテリアルを並べた「ご自由にどうぞ」のブースのすぐ隣ではファミコン互換機でデモが流れており、ファミコンソフトが並ぶ。

そのすぐ脇に、アーティストの工藤あかり氏が制作したRPGツクールによる『ゆめにっき』や『タオルケットをもう一度』を思わせるゲームの試遊もある。しかしその周りに陳列されているのは大阪西成区を題材としたZINEやポストカード、似顔絵の色紙だ。

アーティスト・工藤あかり氏によるRPGツクールによる作品。タイトルをうかがうと特にないとのこと。

「Bitsummitなどの祭典はずっと見ていました」黒瀬氏は、ゲームメディアとして今回取材に来たことを伝えるとこう語ってくれた。「日本ではサブカルチャー文化が、同人文化で即売会などが立ち上がることが多いなって思っていたんです。その即売会を現代美術でできないか? という考えなんです」

「既存のルールを逸脱するシーンを作ること」を強く語り、そのイメージとして「ヤミ市というのが雰囲気としても見た目としてもわかりやすい」と話してくれた。そのとおり、統一とは程遠く、禍々しい空気感が会場を包んでいる。

『摩尼遊戯TOKOYO』輪廻MIXは当初、様々なアーティストがコラボする豪華で、おしゃれな企画に見えていた。だが「現代美術ヤミ市」の空気のなかで、その先入観は崩壊した。サパーンレックでは非合法で改造されたゲームやコピー品が売られていたという。輪廻MIXは蒸し暑い空気の中、リミックスというよりもヤミ市で売られる(合法的な)改造品のようにも見えた。そこには何かが生み出される原点にある禍々しい力のほうが露わになっているかのようだ。

こうしたことを踏まえ、作者のたかくらかずき氏と、リミックスの一人として加わった梅沢和木氏に詳しいお話をうかがった。

たかくらかずき氏&梅沢和木氏インタビュー

――今回の『摩尼遊戯TOKOYO』輪廻remixはとても興味深いコンセプトだと感じました。たかくらさんは多様な活動をされていますが、ベースはピクセルアートのイラストレーターですよね。だけど、最近目にするピクセルアートの盛り上がりとは違う解釈があるように感じています。ピクセルアートというものへの取り扱い方はどのようなものなのでしょうか。

たかくらかずき氏(以下、たかくら):ピクセルアートはレトロゲームみたいな形で取り扱っている方が多いですけど、僕はピクセルアートへの入り方がみんなとは違っていて、基本的にはPhotoshopから入っているんです。

Photoshopを扱っているうちに、だんだんと(解像度が)荒い画像を取り扱うようになっていって、たとえばgifをTumblrとかのSNSにあげるときに、500px以内じゃないとアップロードできなかったりして、そうするとそのpx数で画像を作るじゃないですか。それでイラストを描くと、もうドット絵みたいにいたりするんですよ(笑)。

たかくらかずき氏がピクセルアートで参加している大月壮氏の映像作品「ストリートサイファー」

昔のゲームでいうような、ドットを美しく並べる厳密なルールとかにはあんまり興味がなくて、好き勝手にやっているのがかなり大きいです。その途中で映像作家の大月壮さんなどから、「ゲームっぽいドット絵を作ってくれよ」ていうオファーを受け、それにあわせてピクセルアートを作っていったという経緯なんです。1

個人的な興味は画素、画像というものがどういうふうに構成されているか? ということが大きいですね。

――先日も、デジタル制作やWEBの画面が主なリアリティになった世代のアニメ作家についての取材を行ったのですが、PCのディスプレイ上で絵を描いたり、WEB上で見たりするのが当たり前になっている以降のリアリティという感じがありますね。

たかくら:そうですね。ドット絵って、「レトロ」って空気があるとおもうんですけど、そんなことはないだろうという気はしていて。結局PCで描いている時点でピクセルで表示されているんだから、っていうのをやったのが2年前のpixiv Zingaroで行った展示「ピクセルアウト」だったんです。

なんといいますか、ドット絵のありかたに勝手に正解を作ってしまってうるさ方みたいになるのって違うと思うんですよね。それよりも、自分が使っている現在の技法はどういった歴史の流れで存在していて、それをどういった価値観で使用しているのかが重要な気がします。

だからドット絵をレトロだとか懐かしいというならば、なんで懐かしいと思うのか? が重要だと思うし、自分のルーツがどこにあるのかというほうが重要だと思います。

――ドット絵をレトロと感じるのは、日本ではファミコンやアーケードの文脈でなじみ深い表現だと同時に、時代が3D表現が主流になったことではっきりとした断絶もあるせいではないか思います。

たかくら:そもそもドット絵って、デジタルで絵を制作する以前からあるわけです。タイル画など。日本画家の伊藤若冲なんかも、反物の図面の下絵とされる絵があるのですが、それもマス目で区切られた絵だったりしますし、それこそギリシャタイルの絵もドット絵だなあと思います。

要は建築的な要素なんです。四角形が並んでいれば、それはモザイクアートになってドット絵と呼ばれるし、むしろそれがデジタルと相性が良かったおかげで、セルという形で取り込まれたと思うんです。後からなんですよね。デジタルの存在というのは。そういう風に僕は考えています。

――ビデオゲームの文脈とは違う形でピクセルアートを解釈していったんですね。そんなたかくらさんがビデオゲームの制作に乗り出したというのは興味深かったんです。『摩尼遊戯TOKOYO』も既存のシューティングゲームの文脈とはどこか違う感触がありました。

たかくら:ゲームではレトロと呼ばれていたそもそものドット絵の使われ方ってどういう構造だったんだろうというのを、企画展「ピクセルアウト」をやっていたときに、著名なゲーム関係者の方が見に来てくれて、「昔、ドット絵を作っていたときは1pxずつ表示されるLEDを制作用に作ってテストしていたんだよね」というお話をされていたんです。あっそうなんだ、そういうのを知りたい! と思ったんですよ。

だからドット絵というのはどういうふうにプログラム上で扱われて、どういうふうにレイアウトされるのかがちょっと気になりだしたんです。

それよりも少し前に『摩尼遊戯TOKOYO』のテスト版は出来ていたんです。カオス*ラウンジでの福島での展示「怒りの日」内でお寺で展示したのが最初のバージョンの『摩尼遊戯TOKOYO』です。それをSteamとニンテンドー3DS用に開発してみようと本格的に取り掛かったのがそのあたりからですね。

自分の描いた絵を絵として見るだけで完結させるのではなく、スプライトのような、スプライトのレイアウトだとか、自分の描いた絵を見るだけで完結させるだけではなく、なにかの素材としての絵というのを作ってみたいっていうのがありました。絵を使ってどういう物語を作れるか、どういう仕組みを作れるか。なので(ゲーム制作は)絵を描くことの延長なんです。

――『摩尼遊戯TOKOYO』は世界観も独特ですよね。仏教をモチーフに、ショットボタンを押す行為が木魚を叩き功徳を積むみたいになっていることなどもシューティングの文法とはまた違った感動があったんです。

たかくら:最初は木魚コントローラーも作りたかったんですよ(笑) 木魚を打つことで弾がでる、みたいな。アーケードゲームを作りたいというのもあったんですよ。左手で数珠を持って操作するという。

――それ面白いですからやりましょう(笑)。アケコンを自作できる方と組むなどいかがでしょう。

たかくら:やりたいっすねー(笑) それこそアーケード版の『TOKOYO』を置いてくれるお寺があれば置きたいです。

お寺で『摩尼遊戯TOKOYO』を展示したのは2015年。どんな作品にしようか考えながら何度かいわき市に視察に行きました。毎年行われるお祭りや、みんなであつまってお経を唱えながら大きな数珠をまわす行事の話をきいていると、これらの行為はマニ車っぽいなと思ったんです。

マニ車って、中にお経の札が入っているじゃないですか。それを物理的に回すことで功徳を積むという仕組みですが、このお経の札っていうのは要はプログラムコードみたいなものじゃないですか。プログラムコードみたいなものを回すことで功徳を生むシステムを実装してるんだってふうに思って、それをゲームに組み込もうということで『摩尼遊戯TOKOYO』の発想にしたんです。プログラムコードを実装することで功徳に変換するイメージのシューティングゲームなんです。

――そうした発想の互換がすごいですけど、なぜジャンルでシューティングを選ばれたのでしょうか。

たかくら:シューティングはとても絵巻的だなと思ったんです。例えば、「涅槃図」や「羅漢図」のような、仏教にまつわる掛け軸みたいなものって縦構図のものが多いですよね。それこそ「五百羅漢図」は縦の絵巻なんですよね。涅槃図など、仏教にまつわる掛け軸みたいなものって縦構図になるわけです。上に神様がいて、下に現世があるんです。現世から上がっていくんですよ。雲に乗った神様が大体、上から見下ろしている。

だから『摩尼遊戯TOKOYO』も同じ構図なんですよ。ステージを上がっていくと、神様がいてお参りするという、縦構図の絵巻物と同じふうに考えていました。

――ありがとうございます。今回の「現代美術ヤミ市」の展示と販売で面白いと思ったのは、modという形で、他のアーティストの方にリミックスされていることなんです。でもそれが、どこかこのイベントならではの、それこそヤミ市的なカオス感があって。MOD文化などはいかがでしょうか。

様々なアーティストによるリミックス(以下gif、青フレーム側がリミックス版)。「修羅道」ステージでは弊誌でも昨年取材した「東京藝大ゲーム学科(仮)展」にて「ZONE EATER」を出展していた山内祥太氏がリミックスを行っている。

たかくら:僕はPCゲーマーではなくて、MODについてはコアには触ったりはしていないんですけど、主にやっていたのは『マインクラフト』ですかね。最近は『Portal2』のMODがやばいという話を聞いています。まだPCゲームやSteamを始めたばかりというのもありまして。

今回のリミックスに関しては『マインクラフト』で思いついたんですよ。オフィシャルショップがあってテクスチャーを変えられるじゃないですか。『摩尼遊戯TOKOYO』はUnityで作っていて、画像のフォルダーがあり、アニメーションをつけて実際のゲームに読み込むんです。

画像を変えるだけならプログラマーがいなくてもできるとか、いろいろそういうことがわかったので今回の『輪廻remix』では画像を他のアーティストに描き替えてもらうMODを思いついたんですよ。

――リミックスで梅沢和木さんが関わられていることもありますが、デジタルの作風とビデオゲームの相性はどうなるんだろうとも思っていまして。

たかくら:梅ラボとは去年に二人展をやってまして、そのときもふたりで「RPGツクール」でゲームを作ったりしていたんです。それを販売したりしていたんです。

やっぱり画像というものに対しての考え方っていうのが梅ラボとは近いんです。作品の方向性は違うんですけど。『摩尼遊戯TOKOYO』は結局512x512pxの複数の画像でできていて、素材としてはただのpngなので、PNGでできているんなら、梅ラボにお願いしてみようかなと。

他に改造してもらった山内祥太さんやシシヤマザキさん、GraphersRockさん、スケブリさん、ヌケメさんにも、画像の使われ方の簡単なルール共有だけして、実装するまでどんなものになるかわからないというルールで改造してもらったのですが、それぞれかなり個性が出て面白いものになりました。ドット絵の作家じゃない人が小さい画像を使ってもちゃんと作家性が出ますね。


――今回の『摩尼遊戯TOKOYO』のリミックスでは、梅沢和木さんの参加がとても興味深かったです。梅沢さんにとってビデオゲームへの参加はいかがでしたか。

梅沢和木氏の絵画作品「IDOL F@NTASIA」(公式サイトより)

梅沢和木氏(以下、梅ラボ):まずぼくはゲームはやるけれど、ゲームを作るってことは今までやったことがないんです。ゲームを作るってことに憧れがあって。それができる人をすごいと思っているんです。

modも自分で遊ぶというよりかは、modのゲームのプレイ動画を見たりするくらいなんで、あまり自分ではやったことがなかったんです。たかくらさんがアーティスト活動をしながら、ゲーム制作も行っていて、しかもmodで自作をリミックスさせるためにアーティストに声をかけるなど、単純に素晴らしいなと(笑)

たかくら:梅ラボがリミックスしたステージ「人間道」はすごく難しくて、オリジナル版でも見づらいって言われていたぐらいなんで。まああれでも背景の色を薄くしたりして、見やすく作ろうとしていたんですが、梅ラボにはそういう見やすさのことを全く話していないまま、modを作ってもらったらこうなりました。

梅ラボ:『摩尼遊戯TOKOYO』はパッと見は弾幕シューティングに近いですよね。弾幕シューティングは一度、弾に当たったら終了するから基本的には避けるゲームプレイなんですけど、『TOKOYO』は弾に当たっちゃってもいいんですよね。ある程度、当たってもよくて、そのうえで、あんまり攻撃が当たらないルートを探すっていう。以外とシューティングではそんなにないゲームデザインじゃないかという、独特な操作感があって。

――「無」(※画面端に自機を追い詰め、押しつぶされるとゲームオーバーになる立方体のオブジェクト)負けなければいいですからね。

梅沢氏が担当したのは「人間道」ステージ。金銭や情報が溢れる世俗をテーマにしたステージを、まさに過剰な情報量をテーマにする梅沢氏ならではの画風で彩られる。

梅ラボ:ラスボスが「無」をめちゃめちゃ使ってくるんですよね。(リミックスに関しては)とりあえずごちゃごちゃしてて、けっこう見づらい感じになると思うので、そこから自分の作品の情報量で埋め尽くして、「見辛くして難易度をあげてやろう」みたいな。そういう魂胆がありました。

僕は『ビートマニア』など音ゲーが好きなのですが、弾幕シューティングの弾と音ゲーのノーツが降ってくる感覚ってすごい近いものがあるんです。両方とも大量の情報量を自分の眼を通して身体で、フレーム単位で把握していって、それをいかに脳の中の瞬発力と、指自体の瞬発力と、ボタンを押してから信号が届くまでの遅延の度合いも含めて、精度を詰めていけるかというスポーツのようなものだと思うんです。

『摩尼遊戯TOKOYO』はeスポーツと呼ばれるものではないですけど、けっこう音ゲー的なオブジェクトも大量に使いつつ、音ゲーでゲームプレイ中に再生されているごちゃごちゃした映像みたいな、見え辛い画面にしようという意図でリミックスしました。

また、自分の過去の作品のイメージを、「人間道」ステージに引用する形でアレンジし、ボスキャラクターを中心に配置、構成をしました。

――その他に参加されているアーティストも豪華ですよね。パルコやルミネのCMでも活躍されている短編アニメーション作家のシシヤマザキさんもリミックスに加わっていることには驚きました。

 
シシヤマザキ氏がリミックスした「餓鬼道」ステージ。オリジナル版との比較。空腹ゲージがあり、食べ物を取らないとゲームオーバーになるというステージを、ヤマザキ氏ならではのキャラクターが入り乱れる。

たかくら:最近は短編アニメーション作家もビデオゲームを制作していたりするじゃないですか。デヴィッド・オライリーさんが『Everything』などビデオゲームの制作も行っていたり、作家たちもゲーム制作に興味を示しているんです。

Unityってアニメーションをすごく入れやすいじゃないですか。アニメーションツールがうまくできているので、コーディングをまったくしなくても実装できる。そういうのもあってビデオゲームとグラフィック、アニメーションを繋ぐツールとしてunityというゲームエンジンはかなり大きいです。

個人でも作品をパブリッシュできるSteamの存在もあるし、オライリーさんともちょっとSteamでのリリース前に話したのですが、「ここでリリースするのは簡単だよ」って言っていて。

――ただ、リリースは簡単でも、新興のデベロッパーだと強いパブリッシャーがついていなかったりする場合セールスが難しいところはありますね。

たかくら:現在、英語版を製作していて、日本仏教テーマなら海外受けするだろうという安直な構えでセールスを期待しているのですが、伸びなければパブリッシャーのことも勉強しなければなと思っています。3DS版と同時に進行しています。英語版はそれこそ文字を描き替えるだけなんですけど、3DS版は容量を削るのが結構大変で困ってます。英語版が爆売れしてcomiconとか出たいですね(笑)

――梅沢さんは今回のリミックスに関わったことで、今後ゲーム制作に関わりたいというのはありますか?

梅ラボ:うーん……まあ……僕は小中学校や高校生のころ、特にゲームをすごくやっていて、中学校のころはゲームとマンガって聖域みたいなものでした。すごく憧れがあるんですが、自分ではなかなかできないという。漫画家になりたいという夢があったんですけど、挫折して。

ゲームでいうと「ステッパーズ・ストップ」っていうサイトを運営しているポーンさんと、「あばたえくぼ」(現在の名前は「まおうせい」)というサイトを運営しているジスカルド(※泉和良氏のハンドルネーム。現在は作家としても活躍)さんのふたりが自分の中ではフリーゲームサイトのトップ2みたいな感じで、彼らのゲームを非常によくプレイしてました。

フリーゲームの有名なところでは『ゆめにっき』が「RPGツクール」で独自の世界観を作った作品のトップという印象ですよね。その亜流というわけじゃないんですが、アンダーグラウンドな感じで圧倒的にセンスがあったのがポーンさんの作品と、ジスカルドさんの作品というイメージなんです。彼らのゲームに僕はすごく影響を受けました。一言では言い表せないですが、勧善懲悪でなかったり、ぶっとんでいる話なのにゲームのシステム面はオリジナルでものすごい完成度が高かったりと、共通する惹かれる部分があったように思います。

カオス*ラウンジも初期はジスカルドさんのゲームのプレイ動画を、本人にもお話して展示させていただいて、そういう経緯もあり、ゲーム制作とは繋がりはなくもないんです。ただ基本的にはものすごくゲーム制作は憧れが強くて……やっぱり作ろうとしたことはあるんですよ。でも、ハードルが高かったというのはありますね。

ゲームって没入性が高いじゃないですか。やっぱりすごくゲームプレイの時間がかかるものが多くて、『ドラクエ』とか『FF』とか一般的なものでも数十時間はかかるじゃないですか。そしてひとりでゲームプレイして作品と向き合うものが多いですよね。任天堂などの多人数で遊ぶようなゲームは別ですけども、その中でもいちから世界観をちゃんと作りこむっていうのは、すごくハードルが高くて、なかなか自分ではできずにいるというのが正直なところですね。

――少人数制作だとまともに世界観を作ろうとすると、物量の面で現実的ではないところはありますね。

梅ラボ:たかくらさんが『摩尼遊戯TOKOYO』を作ったりするのはすごい尊敬があります。あとは『ひぐらしのなく頃に』など個人で、同人のフィールドで自分の世界観を延々と作りこんでいくクリエイターの人は本当にリスペクトがあります。

――逆に言えばやはり梅沢さんの作風としては、本質的にリミックスがあるのでしょうか。

梅ラボ:やはりそれは現代美術と呼ばれている世界の入り方なんですね。現代美術は基本的には今までの文脈や歴史を踏まえたうえで、何かを作ったりリミックスしたりするんです。それが基本のスタンスなんですが、なんだかんだで自分はそれを得意としているのだと思います。

ゲームや物語を作る、ということより大量の画像をリミックスした果てに平面に落とし込むことがやっぱり得意で、好きなんですよね。それが自分に出来ることなのだと思います。

ゲームや漫画はすごく好きだし作ってみたいという気持ちはあるけれど、まだできないな、という感じなんです。いつかできたらいいな、と思っているんです。フリーゲーム的なものを。まあそれこそ夢って感じですね。だからこそ、たかくらさんが『摩尼遊戯TOKOYO』のリミックスに誘ってくれたのはすごくうれしいんです。


たかくらかずき氏はピクセルアートを持って現代美術、デザイン、そしてビデオゲームそれぞれを越境して活動されており、その意味で『摩尼遊戯TOKOYO』はジャンル複合的な側面を持つ。そこに様々なアニメーション作家やアーティストが関わるというリミックスは非常に興味深いと思う。

『摩尼遊戯TOKOYO』輪廻MIXの入った画具の塗られたUSB。

一方でそれは「現代美術ヤミ市」のフィルターの中で別の姿を見せる。筆者は『輪廻MIX』の入ったUSBを購入し、自宅のPCで起動しながら、DIYで市場を作ることからやリミックスといった行為に含まれる、ある種の禍々しい力に考えていた。

『摩尼遊戯TOKOYO』は現在Steamにてリリース中。今回のリミックス版『輪廻MIX』は、今後はイベントにてソフトの入ったUSBを限定販売する可能性があるとのこと。もしきっかけがあれば、この禍々しい力をもつリミックスに触れる価値はある。



(参考記事:『暗黒コピーゲーム市場“サパーンレック”の真実 – 知られざるアジア最大の海賊盤市場の歴史』ライター・マスク・ド・UH氏 AUTOMATONより)