終戦73年:自決「裏切り」自責 90歳元軍属

終戦73年:自決「裏切り」自責 90歳元軍属

終戦73年 自決"裏切り"自責

終戦73年:自決「裏切り」自責 90歳元軍属

掩体壕の前で73年前の思いを語る吉川晋吾さん=大阪府八尾市で2018年8月14日、梅田麻衣子撮影

 日本の敗戦を告げる昭和天皇の玉音放送が流れた73年前、自ら命を絶つ軍人が相次いだ。大阪で陸軍機の整備をする軍属だった吉川晋吾さん(90)=東大阪市=は、懇意だった陸軍少尉から集団自決に加わるよう誘われたが、自身は思いとどまった。「申し訳ない」という思いを消せなかった吉川さんは14日、軍施設跡や自決現場となった神社を戦後初めて訪れて手を合わせ、平成最後の夏に心の重荷をようやく少し軽くした。

 吉川さんは岐阜県の陸軍施設で飛行機の整備技術を学び、1945年4月に現在の大阪府八尾市にあった陸軍大正飛行場(現八尾空港)に併設された大阪陸軍航空廠(しょう)に配属された。既に日本は制空権を失い、米軍の空襲は激化していた。飛行機を守る「掩体壕(えんたいごう)」と呼ばれる格納庫で、来る日も来る日も作業を続けた。特攻に向かう航空機も整備した。「離陸さえできればいい」「燃料は片道だけ」。冷徹な命令に渋々従った。

 8月14日、翌日に重大放送があるといううわさが広がった。弟のように可愛がってくれていた少尉に声をかけられた。「降伏となったら俺は自決する。お前も来るか」。その場では断れず、作業場に隣接する神社の本殿裏側で落ち合うことを約束した。

 翌日は白装束代わりの白い服で出勤した。神社の境内まで来たが、両親の顔が脳裏に浮かび足がすくんで動けなくなった。待ち合わせ場所には行かなかった。

 玉音放送を境内で聞いた後、急に騒がしくなった。本殿裏側へ駆け付けると、少尉が倒れていた。取りすがって泣き崩れたが、憲兵らに引き離された。少尉は亡くなったと後に聞いた。他に2人の将校が自決を図ったことも知らされた。

 吉川さんは戦後、板金会社を起こし、子や孫にも恵まれた。ただ、約束の場に行かなかったことを「裏切ってしまった」と引きずっていた。神社にも足が向かなかった。戦争体験も積極的には語らなかった。

 14日は唯一残る掩体壕の跡と神社を巡り、やっと慰霊ができた。「少尉はまだ21歳で造船技師を夢見ていた。愚かな戦争がもっと早く終わっていれば、どんな人生を歩んだだろうか」。生かされた自分を振り返り「精いっぱい生きてきた」と語った。【岡崎英遠】

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